魔法使いの小さな幸せ

暗藤 来河

魔法使いとの出会い

 村人の朝は早い。

 起きてすぐに畑に向かい、魔物に荒らされていないか見回りする。村には魔法使いにかけてもらった結界があるが、絶対破られないわけではない。

 無事を確認したら家に戻って朝食を食べる。

 昼間は自分の畑を耕したり、野菜を売ったり。時間があれば他の村人の手伝いをしたり、たまに訪れる旅人の話相手をしたり。

 この前は異世界から来た、というおかしな人の相手をさせられたが、言ってることは半分も分からなかった。

「ルカ、ちょっといいかい」

「あ、はい。なんですか?」

 野菜を売り歩いていたら村長に会った。私は手を止めて村長を見上げる。

 村長というより長老という呼び方が似合いそうな老人だが、長身で背筋も曲がっていないので見上げないと目が合わない。

「エリザのところへ荷物を運んでほしいんだが、お願いしていいかい」

「エリザさんですか」

 町外れの森に住んでいる、年齢不詳のお姉さん。魔法使いと言われているが会ったことはない。

「ああ、いつもの食料だよ。行って渡してくれればそれでいいから」

 行くとも言っていないのに大きな袋を押しつけられる。駄賃のコインまで一緒に渡されてしまったので断れなかった。


「こっちでいいのかな……」

 渡された荷物と売り物の野菜を抱えて森を歩く。森には魔物が出るらしい。魔法使いは魔物を退治してくれるが、その肉を食べて生きながらえている、なんて話もある。

 要するに、怖いものか、もっと怖いものしかいないのである。

 気が重いし、荷物も重い。魔物の肉を食べるなら村の食料なんていらないんじゃないか。人を寄越すのが目的で、私が取って食われるのではないか。

 そんなことを考えながらとぼとぼ歩いていると、森の中に一軒家が見えてきた。

 屋根も壁も青、煙突だけが白い家。その周囲には薄い、透明な膜のような壁がある。

 村長から聞いた話では、魔物だけを阻む結界らしい。

 結界を通り抜けて玄関前に進む。呼び鈴のようなものは無いので、仕方なくノックして声をかけた。

「エリザさん、いますか。村から荷物を持ってきました」

 数秒待つとガチャっと扉が開く。

「はいはい。ご苦労様。あれ、今日はずいぶん可愛らしい子ね」

 中から現れたのは三十代前半くらいの女性だった。すらっと背が高く、黒いドレスに身を包み、後ろで一本にまとめた髪は腰まで伸ばしている。なにより驚いたのは、その人の美しさだ。顔もスタイルも完璧な美女だった。

「綺麗……」

 思わず心の声が漏れてしまった。それを聞いて、その人はふっと微笑んだ。

「あら、ありがとう。でもごめんなさいね。私、本当はおたくの村長さんと同じくらいの歳なのよ」

「ええーーー!!」

 あの長老、ではなく村長と同じくらいの歳?

 何かの間違いだろう。

「あ、もしかして魔法ですか」

「そう、見た目を変えない魔法。あなたももう少し色気が出てきたら教えてあげようか」

「いいんですか!?」

 私はまだ十五歳で、村の幼馴染と比べても少し成長が遅い。畑仕事の邪魔になるから髪は短くしているし、旅人に男の子と思われたこともある。今の時点で止められては困るが、今後のために是非習得しておきたいものだ。魔法なんて習ったこともないけど。

「あなた、面白いわね。名前は?」

「あ、すみません。ルカです」

「ルカ、ね。あなた、私の弟子になる気はある?」

「え、弟子、ですか」

 突然の誘いに戸惑う。エリザさんは噂ほど怖い人ではないようだけど、会ったばかりでまだよく分からない。それに畑も野菜売りも放っておくわけには……。

「ああ、すぐに決めろってことじゃないから安心して。魔法を覚えたかったらまた来たらいいし、来ないからって雀に変えたりはしないから」

「そ、そんなことも出来るんですか!」

「やろうと思えばね」

 エリザさんがニヤッと悪そうな笑みを浮かべて荷物を受け取る。

 それじゃあまたね、と言って中に入っていくと扉が勝手に閉まった。

 なんだか、短い間にいろいろなことがありすぎて驚かなくなってしまった。そうだよね、扉くらい閉まるよね。だって魔法なんだし。


 貴重な体験をさせてもらった、と思いながら森を歩いて村へ戻った。

 なぜかすれ違う村の人々が私を見て驚いたような、不思議そうな顔をしていた。

 家に戻る途中で村長にも会ったので、一応完了報告をする。

「村長、荷物渡してきました」

「お、おお。そうか。大丈夫だったかい。その、森の中とか」

「はい。魔物もいませんでしたし、エリザさんも聞いていたよりずっと良い人でした」

「そ、そうかい。それは良かった……」

 村長もずっとしどろもどろで様子がおかしい。体調でも悪いのかな。

「村長こそ、大丈夫ですか。もう歳なんですから、体気をつけてくださいね。荷物の配達くらいならまたやりますから」

「お、おお。すまんな。ありがとう、今日はもう休むとするよ」

 村長が帰っていく。歩いている後ろ姿はしっかりしていて、体調が悪いようには見えなかった。

 なんだろう。村長だけでなく、村全体から違和感を感じる。

 まあ、所詮魔法もまじないも使えない村人の勘だ。たいしたことはないだろう。そう思うことにして、家に帰った。

 すぐにまたエリザさんに会うことになるとは、この時の私はまだ知らなかった。


 夜中に獣の唸り声で目が覚めた。声の数からして一匹ではなく複数。一つの群れがまるごとやってきたような騒ぎだ。

 慌てて外に出ようとする。だが家の扉が開かない。外から何かで止められているみたいだ。

「誰かいませんか!」

 大声を出しながら扉を叩く。あまりに反応がないので一度静かに耳を澄ましてみた。

 相変わらず獣の声は聞こえている。しかし人の気配がしなかった。声も足音もない。まさか皆襲われた後なのか。

「誰か、誰か!」

 再び声を出して助けを求める。それでも返事はなく、獣だけが反応して家に近づいてきた。恐怖で叫び声をあげたとき、家の中に眩い光が灯った。


「そんなに騒がないの。もう大丈夫よ」

 光が納まると、そこにはエリザさんがいた。昼間に会ったときと同じ黒いドレス姿で、手には身長ほどのサイズの杖を持っている。

「え、エリザさん。どうしてここに」

「もちろんあなたを助けにきたのよ」

 エリザさんが一度杖を振るう。すると私の前に杖が出現した。カラン、と音を立てて床に落ちたそれは、エリザさんが持っているものの半分くらいの大きさで、持ち手に宝石のようなものが付いている。

「それを持って。多少は自動的に身を守ってくれるから」

「は、はい」

 言われるまま杖を拾い上げる。持った途端に杖は光り始めた。一度強い光を放ったあと、なんとか周囲を見渡せるくらいの淡い光に変わる。

「へえ、やっぱり才能あるのかもね」

「え?」

「普通はいきなり光を灯せるものじゃないのよ」

 エリザさんは少し意外そうにしているが、私には何がなんだか分からなかった。

「あ、それより村の人たちは!?」

「全員無事よ。詳しいことはすぐ分かるわ。とりあえず今は離れてなさい」

 エリザさんがもう一度杖を振るう。今度はまっすぐ私に向けていた。

 特に光も出ないので最初は変化に気づかなかった。もしかして何か失敗したのかな。

 だが突然視界が変わった。なぜか床がものすごく近い。

「え、あれ?」

「羽を広げて。左右対称に動かせばそれなりに飛べるわ」

 羽ってなに。そんなもの……。

 あった。腕が無くなり、代わりに羽が生えている。

 ちょっと待って。こんなに小さくて、羽があるって、まさか。

「今のあなたは雀よ」

「な、なんでですか。私、何か悪いことしちゃいましたか!?」

 一体何の罰なんだ。雀に変えられるとは言っていたけど、なぜ今この状況で雀に。

「大丈夫。杖はあなたの一部として存在しているから、守護の効果は残ってるわ。外の魔物は私が退治するから、あなたは巻き込まれないように高い所で見てなさい」

 エリザさんが窓を少しだけ開ける。ここから出ろということらしい。

 この姿では抵抗のしようもない。渋々羽を動かして飛んでみる。慣れない感覚だけど、なんとか空中に上がることができた。

 そのまま窓に飛び移り、一度エリザさんの方を見る。もう言うことはないという様子で、微笑みながら手を振っていた。私はペコリと頭を下げて、遥か上空を目指して飛び出した。


 雀の姿で空を旋回して村の様子を見る。狼のような魔物が村中を駆け回っている。だが人の姿は全く無かった。皆すでに避難しているのだろうか。エリザさんが全員無事だと言っていたし、村の中も荒らされてはいるが血痕などは無い。

 自分の家を見ると、入り口に荷車や木材が積み重なっていた。扉が開かなかったのはあれのせいだったのだ。魔物が荒らした際に偶然重なったのか。

 眺めていると、荷車や木材が扉とともに吹き飛んだ。近くにいた魔物が一匹それに巻き込まれて倒れた。

「全く、ひどいことする連中ねえ」

 中から出てきたエリザさんは堂々とした態度で魔物に向かい合う。散らばっていた魔物は一斉にエリザさんを取り囲む。やっと人間を見つけて食欲に火がついたのか、涎を垂らしている。

 エリザさんは恐れることなく一歩前へ出る。一度視線を上に向ける。私と目が合った気がした。

「よく見てなさい」

 そして左右に二度杖を振るう。一度振った際に地面に何かの模様が浮かび、二度目の動きで杖から炎が放たれた。

 魔物のほとんどはその炎に焼かれて悲鳴のような鳴き声を上げながら倒れる。だが三匹は炎を躱してエリザさんに向かっていく。

 その三匹が地面の模様に触れた瞬間、地面から幾つもの槍が伸びた。三匹の魔物は串刺しになり、すぐに息絶えた。

「もう降りてきていいわよ」

 再び上を向いて私に言う。羽ばたくのをやめて、ゆっくりと高度を下げる。エリザさんと同じ目線辺りまで下がったところで、急に体が大きくなる。

 すたっと地面に足をつけたときには元の体に戻っていた。

「す、すごい。なんかぶわーって、ザクザクって!」

 目の前で起きた光景に興奮していると、エリザさんは笑って私の頭に手をのせる。

「まだよ。魔物はいなくなったけど、問題は解決してないわ」

「え?」

「出てきなさい」

 エリザさんがどこか遠くに呼びかける。


 複数の足音がして、現れたのは村の人々だった。

「村長、みんな。良かった。無事だったんですね」

 皆に声をかける。だが返事はなく、気まずそうに目をそらされる。

「ルカ、こいつらはあなたを売ったのよ」

 エリザさんが私に告げる。売った、とはどういうことなのか。理解ができずに村長を見る。それでも目を合わせてはくれない。

「この村の結界が弱まっていることは気づいていた。以前、別の魔法使いにかけてもらったのは数十年前だからね。それで私に結界の張り直しを依頼してきたのさ。だから私は代わりに一人寄越せと条件を付けた」

 村のために一人差し出せ、ということだろうか。それが私だった?

「でも、どうしてそんな条件をつけたんですか?」

「雑用係が欲しくてねえ。なにせ仕事は増える一方だし。小さな村の近くなら楽だと思ったんだけど、上の連中に見つかって余計に仕事振られることになったから」

 上の連中。魔法使いの中にも階級か組織みたいなものがあるのか。自分の置かれている状況は大変なはずなのに、いまいち実感がわかずにそんなことが気になった。

「それで村から一人くれと言った。今度荷物を運んできた奴をもらうってことでそこの村長と話して、来たのがあなただったのよ」

「どうして私だったんですか?」

 村長に尋ねる。まだ何も答えない。

「私に親がいないからですか」

 村長がビクッと反応する。やっぱりそういうことなのか。

 私の親は早くに亡くなり、村の皆に助けられながらなんとか畑を守って、野菜を育ててきた。私にとってはこの村全体が家族みたいなものだ。

「すまん。だが、大人や老人ではだめだと言われて……」

「当然よ。これから長く働いてもらわないといけないんだから若い子じゃないと」

「だが、親子を離れさせることなど出来るものか」

 やっと村長が話してくれた。村長が言うことも、エリザさんが言うことも、理解はできる。

「分かりました」

 エリザさんも村長も村の皆も、全員が私を見る。

「エリザさん。私を連れて行ってください。それから、村の結界の張り直し、お願いします」

 エリザさんに頭を下げる。

「いいの? こんな奴らのために私と一緒に行くなんて。こいつらは、どうせ私の元に行く奴だからとあなたのことを助けようともしないで、自分たちだけ逃げたのよ」

「いいんです。今まで育ててもらった大事な家族ですから。それに私もエリザさんと一緒に行きたいです」

 これは私の本心だった。この村で育った恩は忘れない。今まで本当に良くしてもらえた。

 だけど今日、エリザさんに会って、魔法を見て、もっとこの人と居たいと思った。

「ふうん、最低な奴らと思ったけど、子育ては上手みたいね。分かったわ」

 エリザさんが杖を上空に掲げる。まっすぐ真上に光が走り、そこから半球状に光が村を包む。

「ルカ、あなたもさっき渡した杖を上に掲げて」

「え、はい」

 見様見真似で杖を上に掲げる。すると私の杖からも光が放たれた。二つの杖の光が交差して混ざり合う。

 数秒ほどで光が納まる。これで終わったのだろうか。

「あの、私、大丈夫でしたか」

「ええ。あなたの村を思う気持ちも込めておいたわ。以前よりは頑丈な結界になるんじゃないかしら」

 気持ちを魔法に込める。そんなことも出来るんだ。出会ってからいくつか魔法を見せてもらったが、何度見ても不思議な気分だ。

「それじゃあ行くわよ、ルカ」

「は、はい」

 エリザさんは回れ右してすたすたと歩きだす。追いかけようとして、やっぱりもう一度振り返る。村長はまだ申し訳なさそうな顔をしていた。

「ルカ……」

「それじゃ、行ってきます。今までありがとうございました!」

 それだけ言ってエリザさんを追いかける。

 こうして私の村人としての生活は終わりを告げた。

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