第1話 日常は突如として崩れる

「ピピピピピッ!ピピピピピッ!」


耳障りな音に起こされた俺は、重く閉ざされた瞼を徐々に開きスマホを手に取る。


強烈な朝日が画面を照らす……よく見えない。


8時15分、完全な遅刻だ。


何度目のスヌーズかわからないアラームを止めて、ゆっくりと支度を始める。


長い夢を見ていた気分だ。


「ご馳走様でした」


作り置きしてあった朝食を食べ終え、急ぎ足で家を出た。


学校まではチャリで15分。


田舎から上京してきた俺は電車通学を拒み、比較的学校から近いアパート借りて一人暮らしをしている。


「おはよ!」


突然後ろから声をかけてきたのは、東京に来てから最も仲良くしている男だ。


互いに小学校時代から剣道をやっているため、全国大会等で度々会ってはいた。事実この高校には、2人とも剣道の推薦で入学をした。


要するに、良きライバルでもあり、良き友でもある。


……今となっては後者のみの関係だが。


「おはよ、颯にしては珍しい遅刻じゃねーか?」


「まぁね、今日は思いっきり寝坊しちゃったよ」


「お、奇遇だな、俺もだ」


「君はいつものことでしょうが」


他愛もない会話をしつつも高速でチャリを飛ばしたおかげで2限には間に合った。


颯とはクラスが違うため廊下で別れ、俺はダッシュして教室へと向かう。


でもまぁ俺も男子高校生だ。息を切らして教室には入りたくないため、5メートル手前から澄まし顔で歩いていった。


「おっ、夏樹おはよ。相変わらず遅刻魔だなぁ」


クラスメイトの声が聞こえる。


「おはよー、もう罪悪感とかそーゆーの消えちまったよぉ」


社交辞令的なのを済ませ、俺は席へと向かう。


ほとんどのクラスメイトに、俺は興味がない。


昔は無邪気だったのに、いつから表裏がはっきりするようになったんだろうか。


そんなことを考えていると、いつのまにか目の前に気味が悪いくらいニコニコしているヤツがいた。


「夏、おはよっ」


透き通った声で話しかけてくる女は俺と同時に上京してきた幼馴染だ。


彼女も小学校から剣道をやっており、女子中体連の全国王者だ。俺や颯と同じくスポーツ推薦でこの高校へと進学した。


俺とは正反対の性格で、少々対応に困ることもある。


「おはよー由奈、げ、元気か?」


かれこれ14年の仲になるのに、ある感情を抱いてからは動揺が隠せなくなってしまった。


「なにその挨拶〜、ぎっこちないなぁ」


「うっせ、眠いんだよ眠い」


素っ気無い返答をしてしまったせいか、少しムスッとした気がした。と、同時に何か言いたそうにもみえる。


「変な理由だなぁ……あ、そうだ、次の日曜日ヒマ? 空いてるなら颯誘ってスキーにでも行こうよ」


突然の誘いに一瞬戸惑ったが、行かないにこしたことはない。


その日は貯めておいた課題を消化しようと思っていたが、まぁ後でやればいいだろう。どーせやらないオチなのだが……。


「一応ヒマだな、スキーか、久しぶりだけど行くか」


「よしっ、決まり! 詳しいことは後でLI◯Eするね!」


こんなんになってしまった俺と仲良くしてくれるヤツなんて、颯と由奈以外には一人もいない。


今は当たり前の存在でも、いつどうなるかなんて誰もわからない。


何気ない日常を大事にしないといけないな。……って何をカッコつけているんだか――


窓から校庭の大木を見ると、木の葉が一枚一枚と散っていた。空を舞う葉っぱが、本格的な冬の訪れを告げている。



「おはよーー夏ーーー!!!今日は待ちに待ったスキーの日だよぉ!!」


「わーってるよ、いちいちテンションたけーーっつうの」


至近距離で馬鹿でかい声を出す黒髪ロングの女の子は、いつもの笑顔で夏樹に話しかけている。朝からよくこんなに声が出るものだ。


「二人ともテンション高いねぇ、まぁこの3人で出掛けるのも久しぶりだもんねっ」


「俺を巻き込むなっ、高いのは由奈だけだわ」


「えー、ほんとかなぁー?」


夏樹はすぐ動揺するから、茶化しがいがあって面白い。


「そろそろいこっか!!」


目的地の新潟までは電車で行く。片道3時間の長い道のりだからすっかり寝てしまった。


着いてから由奈に「外の景色最高だったよ」と言われ、ちょっと損した気分になった。


「よしっ、滑ろう!」


由奈が大きな声で叫ぶと、感情をあまり表に出さない夏樹も、少し笑みをこぼしながら頷いた。


「どのコースに行く?」


「そうだなぁ、最上級でいんじゃない?」


「言うと思った、それじゃ決まりだね」


自分を含めるのもなんだが、3人とも運動神経が飛び抜けて高く、どんなスポーツでも一度やればあらかたできてしまう。


「やっとついたー!」


リフトに乗って5分、頂上から見下ろしてみると麓は霧がかっていてよく見えない。


……霧?


すぐ横の看板には「標高1110m」と書かれている。


高いところは決して苦手ではないが、少し足がすくんだ気がした。


「下まで競争ね、最下位がジュース二人分奢りってことでっ」


「はぁ? 由奈スキーたくさん行ってんだから俺ら負けるに決まってんじゃん」


「つべこべ言わない! もう始めるよ、よーいっ、スタート!!」


「ちょ、待てって!」


僕の発言は一切ないまま勝手に始まってしまった。


まぁいつものことだから気にしないけれど、この二人(夏樹は振り回されているように見えるが)の身勝手さは知らない人が見ればドン引きするだろう。


「いっちばーんっ! あれれー君たち遅すぎじゃなぁ〜い?」


「はぁはぁ……お、お前が速すぎんだよ」


「僕たちだって全然遅くないのに……」


事実、周りの人たちも由奈のスピードに驚いて口が開いていた。


そんな速度についていった僕らを逆に褒めて欲しいくらいだ。


「そんなことはありませーん。これでも手加減してるんだからーっ!」


意味のわからないことを言いながら、由奈はまたリフトに向かっていった。


しかたなく僕らも後をついて行く。


「なぁ、アイツほんとに人間か? 身体能力バケモンだろ」


夏樹が小声で囁いた。


「少なくとも、全く女の子らしさはな……」


急に背筋が凍るような気がした。


恐る恐る振り向くとそこにはさっきまで前を歩いていたはずの女の子が、バケモノのような顔でこっちを睨んでいた。


「君たち、今なんか言ってたよねぇ? 詳しくお聞かせ願おうかなぁ」


「すみません!! 何も言ってないっすっ、どうぞっ、前へお進みくださーい」


声を揃えて誤魔化すと「あとでジュース1本」とだけ言い残しまた前方へと戻っていった。


ジュース好きだなぁと呟こうとしたが、嫌な予感がしたのでやめておこう。


リフトに乗ると同時に、肩に白く冷たいものが落ちてきた。


「……雪だ」


「うわ、まじじゃん、滑り始めてすぐなのにな」


白いものは次第に強くなっていき、辺りを銀色に染め始めた。


「……なぁ、颯。改まっていうのも何だけどさ、いつも助けてくれてすまねぇな」


隣に座る男の子は、恥ずかしそうに頭をかきながら僕に言ってきた。


「なんだよいきなり。らしくないよ?」


なんの前触れもなく急に言われたため、ちょっと戸惑った。


「いやな、こっちきてからやってこれたのもお前のおかげだからさ」


やってこれた、という言い方をするのは恐らくアレのせいだろう。


「ふぅん、じゃあいつものお礼にジュース1本だねっ」


僕は察したように目にシワを寄せて答えた。


「お前もジュースかよ」


そんな会話をしているうちに、いつのまにか頂上についたようだ。


「なんか、さっきより見づらくね?」


「そう? さほど変わらない気がするけど……」


夏樹の言う通り、前回来たときよりも明らかに霧が増している。


それに二人だけでなく、あちらこちらから同じような声がするようだ。


「そーいえば――」


彼が何かを発しようとした時、後ろから大きな叫び声が聞こえた。


「気をつけろっ!! 雪崩だ、雪崩が来るぞぉぉぉぉぉお!!!」


「……は?」


突然の出来事に、戸惑う余裕もなかった。


大きな物音を立てて流れてくる白き怪物は、次から次へと小さな生き物を飲み込んでいく。


一人、また一人と断末魔を上げ、数多くの命が弄ばれる中、僕は足がすくんで動くこともできなかった。


頭の中では何をすべきか、何をしなければいけないのかなんて分かっているのに……。


呆然と立ちすくす中、ふと耳に聞き慣れた声が飛び込んできた。


「由奈っ、俺の後ろに隠れろ!」


「む、無理……体が、体が動かないのっ!!」


あまりの驚きに尻餅をついた由奈は、腰を抜かしてしまったようだ。


「は⁉︎ ……わかった、そこで待ってろ!!! 颯っ、お前は先に逃げるんだ!!」


何もできない僕にその言葉を残した親友は、スキー板を足から即座に外し、バランスのとりづらい地面を蹴り飛ばして目に涙を浮かべた女の子を抱き抱えて転がり込んだ。


もう既に目の前まで雪崩は迫っている。今から走って逃げても助かるはずがない。


辛うじて動く瞳だけをゆっくりと彼らの方へ向ける。


夏樹は僕を見て「何でまだいるんだ」と言いたそうな顔を一瞬したが、すぐに表情を変え、ニィッと笑った。


「ありがとう」


彼の口元がそう動くと同時に、僕の視界は暗くなった。


夏樹はいつもそうだ。さっきだって、僕はただ恐怖で体が動かなくなっただけなのに、まるで僕が彼を待っていたかのように捉え、笑って感謝の言葉を発してくれた。


彼は気付いていない。彼は僕なんかより何倍も勇気があり、何倍も思いやりがあるということを。


だからこそ、突然の出来事に周囲が足をすくませる中、ただ1人大切な人を守るために動いたということを。


「いつも助けられていたのは、僕の方だったよ」


最後に情けないセリフを残し意識が飛ぼうとしたとき、頭に強い痺れが走った。


《これより個体名`石田颯`の解析を行います》

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