隣の彼女と話せない

かどの かゆた

第1話 どうして目があったんだろう?

 居間で夕方のニュースをぼーっと眺めていたら、庭の方から馬鹿でかい笑い声が聞こえた。

 母さんと洋子さんが話しているのだろう。また何時もの噂話か、それとも家庭菜園の話だろうか。よくもまぁ、あれだけ毎日話して話題に事欠かないもんだ。

「暑い……」

 もう日は傾いているのに、どうしてか外は涼しくなってはくれなかった。エアコンを付けたら母さんに怒られるだろうし、何か少しでも涼をとれるものは無いか。

 そうだ、うちわ。うちわがあれば、少しはマシになるだろう。俺は記憶を総動員して、うちわがどこにあったかを思い出そうとする。

「えーっと」

 今日は学校に行って、部活がオフだから早くに帰ってきて、ランニングだけしてシャワーを浴びたんだっけ。その後、外に風が出てきたから縁側に行ったはずだ。その時、自分の部屋からうちわを持ち出していたと思う。

 俺は暑さでだるい身体を無理やり起き上がらせて、縁側に向かった。見ると、うちわは案の定縁側で日光浴している。俺はうちわを拾うと、持ち手が熱くなっているのを感じて顔をしかめた。

「あら、いっくん!」

 すると、庭から声がする。声の方を向くと、洋子さんが小さく手を降ってきた。俺も、何となく振り返す。

 洋子さんは俺の隣家に住むパワフルなおばちゃんだ。俺の事を赤ん坊の頃から知っていて、母さんの大親友。うちの庭と洋子さんの庭との間には低い柵しかなく、お母さんと洋子さんは互いの庭でやっている家庭菜園を見せ合うのを楽しみにしているのだ。

 とても良い人ではあるのだが、幼稚園くらいのノリで「いっくん」と呼ぶのは止めてほしい。そりゃあ昔はそんな呼ばれ方をしていた時期もあったけど、俺には平田 樹という立派な名前があるのだ。いつまでも子供扱いは、ちょっとむず痒い。

「樹、アンタも草むしりぐらいしなさいよ」

 うちわを扇ぐ俺の姿を見て、母さんが眉をひそめる。

「部活で忙しくて時間ねぇよ」

 別に特別上手いという訳ではないが、俺は中学校からテニスをやっている。母さんは庭関係の力仕事とか草むしりとかを俺にやらせたがるが、夜にやるわけにもいかないから、俺が手伝う機会は本当に少ないのだ。

「今日は部活休みだったでしょーが」

「疲れてんだよ……」

 痛いところを突かれて、俺は頭を掻く。

「全くうちの息子は……それ比べてはっちゃんは偉いわね」

 母さんは溜息をついて、それから柵の向こう側に話しかけた。

 はっちゃん?

 俺はその愛称を聞いて、自分の身体が固まるのを感じた。

 全然気が付かなかったのだ。

 確かに二つの庭の間にある柵は低いが、しゃがめば隠れられないほどでもない。つまり、草むしりをしている彼女を、俺は縁側から見ることが出来なかった。

「初美だって、普段からやってくれる訳じゃないわよ」

 洋子さんが苦笑いして、恐らく足元に居る娘へ「ねぇ」と呼びかける。

「今やってるんだから、良いじゃん」

 唇を尖らせながら立ち上がったのは、大人びた印象の少女だった。

 宮崎 初美。洋子さんの愛娘にして、俺の隣人である。

 適当な花柄のショートパンツに、安っぽい薄ピンクのTシャツ。普段からは考えられないほど適当な格好に、俺は妙な特別感を感じた。

「そーよ、ちょっとでもやるんだから良いじゃない」

 母さんはそんな皮肉を言って、俺を睨む。

「……今度やるよ」

 俺は適当な返事をしながら、宮崎を見た。どうしてか、目が離せなかった。

 美人だなぁ、と思う。

 垢抜けたなぁ、とも思った。

 中学校の時まで、どっちかっていうと地味な女子だったのに。眼鏡をコンタクトにして髪を切るだけで、女子っていうのはこうも変わるものなんだろうか。

「じゃあ来週の土曜にやってね」

「りょーかい」

 俺はまた母親に適当な返事をして、適当に空を見上げたりしてから、もう一度だけ、宮崎の方をちらと見た。

「……」

 目が合う。それも、結構ガッツリと見つめ合うような形だ。何だかここで目を逸したら意識しているみたいに思われそうな気がしたので、俺はじっと宮崎の顔を観察した。あっちも似たようなことを考えているのか、こちらをじっと見てくる。

 母さんから聞いた話だと、宮崎と俺は、生まれて直ぐから知り合いだったらしい。同い年の子どもを持ち、お隣さんでもある俺の両親と初美の両親は瞬く間に仲良くなったそうだ。隣の家で、家族ぐるみの付き合い。世間一般に、俺達のような関係は、幼馴染と呼ばれるべきものなのだろう。

 だが、違う。

 俺と宮崎は、恐らく幼馴染ではない。

 だって、別に馴染んでないし。

 そもそも、きちんと話したことすら無いのだ。

 幼稚園の頃の曖昧な記憶を辿っても、俺は宮崎と遊んだ記憶がない。そもそも、一度も同じ組にならなかったはずである。小中学校でも、何の関わりもなかった。幼馴染にありがちな隣の家なことをからかわれるみたいなイベントすら無いレベルで、俺と彼女は何も無かったのだ。

「あぁ、もう夕飯の用意しなくちゃ。それじゃあね」

 母さんが時計を見て、慌てて洋子さんに別れを告げる。洋子さんも家に戻っていった。

 それに合わせて、俺達も意地の張り合いを止める。

 互いの方を向いていた顔を、どこか別のところへ。俺は何故かうちわに描かれた花火の絵を見ていた。

 そのまま、縁側を立ち去る。向こうでは、宮崎が家に戻っていった音が聞こえた。

「暑いな、本当に」

 夕日はもう殆ど沈み、空は紫色になっている。さっきと比べて間違いなく気温は下がっている筈なのだが、頭が妙な熱を持っていて暑い。

 俺はうちわを何度も、何度も扇いだが、熱は冷めてくれそうにはなかった。



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