腕時計
望月陽介
なぜ
まじか。
財布の整理をしていると、プリクラが出てきた。
あきあきらw
こんなにも笑顔が人を不快にさせることがあるだろうか。
二度と顔を見せるな、と言ってゴミ箱の蓋を閉じた。
私はどうして付き合ったのだろう。本当に好きだったのだろうか。やはり彼氏というものに興味があっただけなのか。
私の部屋は広い。いや、広く感じる。これもやつのせいだ。
イライラする。
「あきちゃん、今日飲み行かない?」
これは昨日言われた。課題があるから断ったが。この部屋の広さをどうにかするのには丁度いいかもしれない。
「あきちゃん、お、俺と映画に行ってくれませんか?」
私はため息をついた。声が脳内で木霊する。 絶対プリクラのせいだ。
ああ、眠い。しかし、風呂に入らなければならない。
『メッセージ1件:今日出た課題メモってたら教えてくれない?』という通知が入る。そんなことよりも、その上の12時2分という表記に私は怒りが爆発した。
私はごみ箱を思いっきり蹴った。
「あき、今日は寝坊?」
「まあ、昨日はなかなか寝つけなくてな」
「え、もしかしてあきら?」
二人はきつねのように嫌らしく笑う。この二人ではなかったら、おそらく殴っていた。
「絶対あり得ない」
私は仕方なく笑って言ってあげた。怒ってもよかったけど。
声が大きかったみたいで、前に座っている何人かの男子がこちらを見た。
「あきは人気者だね」
「は?」
とぼけて見せた。さすがにそれ以上は言ってこなかった。見てきた男子の中に知っている顔があったが、目をそらした。
私はこういう時、手を振ったり、笑顔を発射したりしない。他の女なら、大抵するだろう。もしかしたらやろうと思えばできるのかもしれない。でもやらない。やったところで、相手が私のこと覚えているかわからないし、私を見ているかさえ分からない。例え知っていたとしても、いきなり何だろうとか、軽い女だな、と思われるに違いない。そう思うと、というか、基本的に人を見ないようにしている。そうすれば、なんで無視した?などと言われないですむから。
「ねえ、見て見て!」
しおりが肩を叩く。開始5分で別世界に行った、というよりも机にへばりつく舞を指さす。鼻で笑ったあと、私は黒板の文字を見つめた。
私は良い子ではなかった。授業中は上の空でいることが多かった。真面目に机に向かうしおりと、机と仲良くしている舞の間で、私は、来週の3連休のことを考えていた。まだ、予定はない。あいつと別れてから、どこかに行くことはほとんどなくなった。何一つ後悔していない。だが、引きこもってばかりなのは、あまり性に合わない。
そうだ。弟にでも会いに行くか。
「あきって変わったよね」
かつて言われた言葉だ。別れてから。二日後のことである。もちろん、自覚はある。さすがにあんな振られ方をされたら、変わるさ。
ごみ箱を蹴って正解だった。
2限に向かう途中、後ろから大きな足音が聞こえた。
「あきちゃん!昨日メール見た?」
彼は少し息が荒い。
「すまない。あとで送る。」
「ありがと!いやあ、よかった。嫌われたのかと思った。」
「なぜ。」
「最近しつこくしすきかなーって」
しつこいとは思っていなかったな。
「じゃあな。」
「あ、じゃーなー。」
私には2限がある。それを理解しているようだ。振り返って、茶色のパーマを5秒だけ見つめる。
入った。
「ナイシュー!」
部員がまちまちに私を褒めた。こんなに遠くから撃ったのは初めてだ。しかも入った。
「10分休憩!」
「はいっ」
飲み物を取りに行く。
「さっきのすごくない?」
「まーそうだな。」
なんであの距離で撃ったのか、なんで入ったのかは自分でも分からない。ただ、なんというか、身体が軽い。今までは緊張もかなりあったけど、今はそれがない。言葉が見つからないけど、なんていうか今までより集中していない。いや、だからこそロングシュートみたいな挑戦的なプレーができる。失うものがないという感じだ。
「またやってるね、あれ」
汚れた格好の中でも光り輝く咲の笑顔に1秒ほど見惚れたけど、指先を見ることにした。
「あーあれね。今日も楽しそうだな。」
見ているのはグラウンドの中のとなりのスペースにいるサッカーサークルの人たち。その中にゆうやがいた。
「お前、どうして運動しない?」
「いや、してるよ。たまに寮の友達と。」
「たまにって、本当にたまにだろ。最近太ったように見えるぞ?」
私は太ったなんて思ってはいなかった。ただ、運動せず、毎日だらだらとしているのが気に食わなかった。
「どこがだよー。体重は毎日測ってるけど、増えてないよ?」
「そうか。」
いつになっても、意図を読み取る力はないらしい。5分くらい経ってから、つい私は言ってしまった。
「運動系サークルとか入ってたら、もっとカッコ良かったかもな。」
少し長い沈黙があった。さすがの私でも罪悪感が脳に分泌され始まった。
「…俺もそう思う。」
「今からなんか入ったらどうだ。」
「うーん、今からはきついよ。」
確かにそうだ。
「もしかして、他に好きな人でもできた?誰かと比べてる?」
「かもな。」
「あの工学部の人か…」
正直、気持ちは曖昧だった。この頃、わずかにだがゆうやを気にかけてはいた。しかし、あきらと別れてそっちに行きたいという気持ちは全くなかった。というよりも、好きと言う気持ちが分からなくなっていた。
こういう私の軽率な発言が良くなかったのかもしれない。
でも私は許さない。
私は練習の後、いつも少しグラウンドに残る。居残り練習なんてかっこいいものではない。ただ、今日の練習のことを振り返りながら、1人でドリブルして、シュートする。これは習慣になってしまった。かつて高校時代の顧問の先生が言っていた。
「意味のある練習にしないと、時間がもったいないだろ?だから意味を見出しながら練習するように。」
当時の私は、こういう抽象的で無責任な発言が大嫌いだった。そんなことを言うなら具体的に命令しろよ、と私は愚痴を言っていた。そして、私は練習が嫌で嫌で仕方がなかった。できるだけ早く帰ることを意識して、練習していた。だから、この言葉はささくれのようだった。私の痛いところを突いていた。私に向けて言ったのではないかとさえ思った。それからしばらく経って引退試合が近くなると、私は本当に意味を見出すことにしたのだ。もちろん、この行動に意味があるかないかはわからないが、やろうとすることが大切なはずだ。
「先輩の前であんなプレーできるのあきだけだよねー」
部室から笑い声とともに大きな声が聞こえる。私は思い切りドアを開けて、言い放った。
「悪かったな。」
部室にドッと笑いが起きた。言った本人が謝ってきたので、全く怒ってないことを伝えた。
人を笑わせるというのは結構気持ちが良い。と、柄にもないことを思った。
「新人戦、もう来週じゃん!」
急の現実的な話に、部室は言葉を失う。着替えている音で溢れていたので、沈黙ではなかった。私は3連休の二つが潰れることに少し落胆した。ホッケーの大会というのは基本的に二日行われる。勝ち上がらないと、二日目には行けないのだが、大会には出られなくとも見学や練習はできる。そのため、大会には全日程参加するのが、このホッケー部の決まりだ。
「ま、うちらには県選抜がいるし。」
視線が私に集まる。私は聞こえてないふりをした。
「じゃ、おつかれ」
私は制汗剤の匂いが充満する部室を一人で出た。私は着替えが早くて有名らしい。
随分気温が下がったものだ。この前まで鬱陶しい位暑かったと思えば、今度は寒い。というか風が冷たい。昼間は何も感じない気温だったのに、午後7時半ともなれば冬が顔を出すものか。
「あ、あきちゃん、おつかれー」
「おつかれ。」
「今日は、寒いねー」
私の反応が薄すぎて、話を続けるのが困難そうだ。この手の会話は苦手だ。苦手というか、感情を表現することが本当に難しい。正直、早く一人になりたい。
ゆうやは深呼吸した。
「あきちゃん、三連休どこか遊びに行かない?」
軽く予想はしていたが、答えは決まっていない。正直、最も恐れていたセリフだ。しかし、部室での会話を思い出した。
「土日は新人戦だ。」
「そっかー。月曜日は空いてないんだよねー。」
申し訳ないと思った。恐らく勇気を出して言ったのだろう。でも、その気持ちをねぎらう言葉は見つからなかった。というか、考え始めると、私は沈黙してしまう。沈黙が訪れると、話し始める勇気が必要になる。
「じゃあ、今日は?」
驚きのお言葉だった。ただ、私はおかしなことに、この誘いに乗ってもいいと思い始めていた。私は変わったはずだった。もう、誰にも騙されたくはない。しかし、彼が私を見る目は真っすぐにっ見えた。彼なら、信じてもいいのかもしれない。そう思う甘い自分がいた。
「どこに行くんだ?」
「じゃ、ご飯行こー。」
あっさりとことが進んだ。迷ってはいたが、乗ってやろうと思った。この男がどんな男なのか試してみたかった。
ゆうやが紹介してくれた店はイタリア料理屋だった。そこら辺の女が飛び跳ねて喜びそうな店だった。私も、良いと思ったが、足は地にしっかりとくっついていた。
「いいお店だな。」
「でしょ?」
ゆうやは誇らしげな顔をした。素っ気なく言ったつもりだったが、ゆうやは喜んでいた。
イスに座り、私達はメニュー眺めた。おいしそうな写真に、心臓が高鳴っていた。しかし、値段は想像より安かった。外食はこんなにも安くなったのか。そこそこお腹に溜まりそうで安いものを選んだ。ゆうやは値段を気にせず、ドリアの他にピザにデザートまで頼んだ。料理が来る間、私達は話すことになるのだが、これもまた、大変だった。彼は普段からおしゃべりな男だった。その彼が黙ると、気まずさは大きなものとなった。
「あきちゃんって彼氏とかいるの?」
いたら、なんなんだ。とは言わなかった。いきなり無神経な質問だな。
「いない。この前、別れたのさ。」
ゆうやはあまり驚かなかった。
「そっかー。あきちゃんかわいいし、またすぐできるよ。」
余計なお世話だ、とも言わないでやった。こいつの言いたいことは別にあるように感じた。
「好きな人とかは?」
「いない。」
ゆうやはそっか、と言って水を飲んだ。男子ってこういう話が好きなのだろうか。少し、いやかなりしつこい。初めてあった時のあきらを思い出す。しかし、1つ違かったのは、かわいいとは言われなかったことだ。男子にこんな風にさらっとかわいいと言われたことはなかった。あきらにかわいいと言われたことは付き合うまでなかった。こんな簡単に言う人は初めてで困惑する。とりあえず、聞き返してみることにした。
「お前はどうなんだ。」
「俺?俺は、彼女募集中かな。」
また、反応に困ることを言う。私になんて言ってほしいのだ。
「トイレに行ってくる。」
私は場を濁した。予想以上にこの男は疲れる。
トイレから戻ると、料理が来ていた。
私が頼んだパスタは、カルボナーラ。見ると、つやのあるパスタの渦の上に白いソースがかかっていた。湯気が鼻に当たる。胡椒の良い香りと温かさが食欲を誘う。
ゆうやが頼んだピザの名前は分からなかったが、ベーコンやコーンが乗っていた。眺めていると、チーズの良い香りがしてきた。
私は生まれてこの方、ピザを食べたことがなかった。というか、外食もほとんど初めてだった。
それから、会話は楽だった。おいしいな、等の言葉を言っておけば時間は進んだ。
私はひどく疲れてしまった。早く帰りたいと思った。
「お会計は別々ですか?」
「いえ、一緒で」
私が別々と言おうとしたが跳ね返された。
男とはやはり分からない。
「これからどうする?」
私は黙って、首を傾げた。
「疲れたよね、部活もあったし。今日は帰ろうか。」
私は安心した。
「なあ、お金。」
私がお金を出そうとすると、彼は私の手を掴んだ。
「俺が誘ったから俺の奢りで。」
ゆうやは誇らしげな顔をしていた。
金はあるみたいだな。
「ごめんごめん。じゃあ、またね。」
「ああ…じゃあ。」
私はしばらく動けなかった。彼については違和感のようなものを感じた。心ここにあらず、という感じがした。私の恋愛事情について詳しく聞いてくるのは、私を狙っているからなのか?
男というものは、分からん。
そして、一番気がかりだったのが、なぜ私が食事の誘いに乗ったのかということだ。外食など何年ぶりだろうか。できるだけしないと誓ったことを忘れ、深く悩みもせず、誘いに乗った。大学に入る前の私なら考えられないことだ。
私は疲れているのか。
ぼーっと道を眺めていると、女とすれ違った。
その、私と彼女が横に並んだ時、スローモーション再生のように、時はゆっくりと流れた。オレンジ色の明かりに包まれる街の中で、賑やかなこの街の中で、私達だけが隔離されているような気分になった。
それもそうだ。彼女は、私が捨てたはずの腕時計を、カバンにつけていたからである。
彼女は泣いていた。誰も近づけぬような威圧感を放っていた。
「その腕時計はどうした?」
とは聞けない。
もしかしたら、同じ種類の、別物かもしれない、というかきっとそうである。あれを持っているはずはない。
そう、私が大学のゴミ箱に捨てた、あの腕時計を。
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