恋愛プログラム

葵 悠静

恋愛プログラム

「私はあなたに興味はない」

「僕は君に興味はない」


一切の感情がこもっていない義務的な口調でお互いに声を出し、そういう。


その瞬間頭の中で何かがはじけたような、体の中心部、まるで心臓を締め付けていたものがふっとゆるむような錯覚に陥る。


目の前に立つ彼の青い瞳にすっと色が褪せたような気がする。

私も同じような目をして彼をみつめているのだろうか。


二人は互いに背を向けて歩き出す。

それは私と彼の恋は終わりを告げていた。


2×××年、アンドロイドは世間に普及し人類は自らの頭の中にチップを埋め込むことに抵抗がなくなりつつある時代。

昨今ではたいていの感情、記憶はメモリーチップとして保存できるようになっていた。


そのメモリーチップを活用して、アンドロイドに感情を模倣させて作られた擬似人間。


その感情実験の一つとして実行されていたのが「恋愛プログラム」

恋愛感情を記憶したチップを頭に埋め込まれ、アンドロイドに擬似恋愛をさせる。


その実験体に選ばれたのが私と彼。


チップを埋められて、プログラムが開始されてからというもの、私と彼は実に有意義な日々を過ごした。

一緒の景色を見て笑い、同じものを食べて感想を言い合い、同じ映画を見て感動する。

なんてことない単純な日々だったのに、そのどれもが輝いて特別に思えた。


どうして恋愛感情は標準付与されていないのだろう。こんなに素敵な感情があれば、

アンドロイドも人類ももっと平和な世界を目指せる、作っていけるはずなのに。


研究長にそれを尋ねたことがある。そうすると研究長はこう答えた。


「恋愛感情なんてのを抱くと、その種族に待つのは破滅だよ。神も、人も、機械も「恋」には勝てないんだ」


研究長のその返答にいろんな思考をめぐらしたが、最終的には「ひねくれた人」といった印象を持つ程度で、聞き流していた。


そしてチップを埋められてから昨日で一年「恋愛プログラム」の実験期間が終了した。


そう終了したのだ。終わってしまえばあっけないものだった。


翌日、彼は私と過ごしていた日々のことなんて忘れてしまったかのように、目の前で黙々と仕事をこなしている。


対して私は、彼と過ごした一年間の記憶が頭の中で反芻し仕事にいまいち集中することができなかった。

こんなことは今までは一度もなかった。

それも当たり前だ。仕事に集中できなくなるようなプログラムには作られていない。

仕事をミスするようなロボット設計はされていないのだ。

それだというのに私はすでに今日三回も仕事においてミスをしてしまっている。


頭の中から彼の笑顔が消えない。


私に向けてくれたあの無邪気な笑顔、優しいほほえみ、そして私の赤い目とは対照的な吸い込まれそうになる深い深い青い瞳。


彼のそんな些細な表情、思い出が頭の中にこびりついて離れない。


その日の夜、私は研究長のもとを訪ねた。


「ほう「恋愛プログラム」の時の記憶が流れ続けていて、仕事に集中できないと?」


研究長は少し驚いた様子を見せると、すぐに考えだし独り言をぶつぶつといい始める。


プログラムの異常だとかバグだとかそういった言葉が端々に聞こえるが、私自身そんな言葉ではなんだかしっくりこない。


「もうちょっと、様子を見ようか」


そんな言葉をかけられ、研究長室を追い出されてしまった。


それから三日がたち、私自身日が経てば通常通りの仕事ができると思っていた。


これは彼に恋愛感情を持つように組み込まれたプログラムの影響が残ってしまっているだけ。

彼との記憶が掘り起こされる度、必死にそう思い込んだ。


そんな思考など関係なく、記憶の反芻は日に日に増えていっていた。


もはや彼以外のことは考えられない。考えたくない。そう思うと同時に体の中心部分が熱く、もやもやと霧がかかったような感覚に陥る。

ただ嫌な感覚ではない。むしろそれを心地よく感じていた。


相も変わらず彼はそんな私の状態などつゆ知らず、黙々と目の前で作業をしている。


目も合わせてくれない。


そんなことを考えるたびに、胸が締め付けられるような錯覚に陥る。


私はこの感覚を知っている。

いや覚えている。


終了コマンドは確かにあの時はっきと言った。

あなたに『興味』はないと。


でも頭の中では考えていた。終了コマンドを言いつつも『興味』じゃなくて『恋』している。

組み込まれていたプログラムなどとうの昔に関係なくなっていた。

そんなこと分かりきっていた。


あなたを愛している。


そう確かに考えて、感じていた。



その日の夜珍しく研究長に呼び出された私は研究室を訪れた。


「君、最近仕事のミスがひどいね。原因は何だい?」


開口一番率直に本題に入った研究長の口調はかなり不機嫌そうだった。


私は少し考えた。研究長に素直に話すべきかどうか迷っていた。


「隠し事はなしだよ。ここは相談室じゃない。ちゃんと報告をするんだ」


「……恋です」


「は?」

「原因は、恋です。私彼に恋をしています」


私はまっすぐと研究長の目を見て言い放った。


どこか期待していたのかもしれない。

この彼へのあふれ出る想いを誰かに伝えれば彼に伝わるかもしれない、また彼と一緒にいられるかもしれない、と。


しかし研究長の口から出たのは長い溜息だった。そして頭を抱えこう言い放った。


「……廃棄だ」

「……え?」

 

それは一切予想していなかった言葉だった。


廃棄? どうして? 

私は彼に恋をしているだけ。彼と一緒にいたいだけなのに。


「がっかりだ、君には期待していたのに。まさかバグるとは」


「ば、バグなんかじゃありません! 私は正常です! ただ恋をしているだけなんです!」


「毎日毎日仕事のミスをして、しまいには恋をしているなんてプログラムされていない感情を持ち出す! これのどこがバグじゃないんだ! そんな機械がいてたまるか!」


「好きな人を想い、身の回りに手がつかない。好きな人のことを考えて、相手にしてくれなくて胸が痛くなる。これはいけないのことなのですか? 普通のことではないですか?」


「四日前までなら至って普通のことだったよ。両手を振って喜ぶべきことだった。だが今は違う。君にその感情プログラムは残っていないはずなんだ。残っていてはいけない」


「私は恋をしてはダメなんですか? 機械が恋をして誰かを想うのは悪いことなんですか? 恋をしただけで、彼を愛し続けているだけなのに私は欠陥品なんですか?」


「……そういうことだ。だから私は反対だったんだ。機会に恋愛感情を覚えさせるとろくなことにならないといっただろうが……。恋愛感情なんてこの世に不要なんだ。愛憎は世界を破滅に導く……」


その言葉はすでに私に向けられたものではなかった。

そして研究長はどこかへと連絡を取り、そのあとすぐに複数の人間が私を取り囲むように現れた。


でも私にとってそれは最早どうでもいいことだった。


恋をしたからバグっている。彼を愛し続けたから欠陥品。


「はあ……非常に残念だ」

「いかがいたしますか」


「分解して、設計部分の脆弱性を確認しろ。その後に、廃棄だ」


研究長の冷たい視線が私に刺さる。

私は複数の人間に取り押さえられどこかに連れて行かれる。


恋愛感情を与えられ、その恋を知った。

そして私は彼を心から愛した。愛し続けた。


その結果私は廃棄される。


私は引っ張られながら彼のことを思い返す。


私の頭を撫で、しっかりと強く手を握ってくれた彼の大きく暖かい手のひら。

顔を真っ赤にしながら初めてキスをしてくれた日。

私を愛していると言ってくれたあの日。


しかしそれは全て過去の記憶。彼との記憶がまた紡がれていくことは、もう二度とない。

どれだけ願っても考えても彼は私の隣にはもう戻ってくれない。


彼は正常だから。プログラムが終わって恋愛感情を失った正常なアンドロイドだから。

彼が無事なら私はそれで構わない。

でもどうしても考えてしまう。願ってしまう。


そして私は想ってしまう。


「もう一度あなたの顔が見たい」

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恋愛プログラム 葵 悠静 @goryu36

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