怪盗少年『RANMARU』

冷門 風之助 

PART1

『頼む、この通りだ!』


 9月の上旬もほぼ終わりかけ、ようやく残暑と言う奴から解放されされかかった、ある日曜の午後、彼は俺の事務所を訪れるなり、壊れた水飲み鳥のように頭を下げた。


 こげ茶色の地味な背広に開襟シャツ。上着と同色のズボンという、至って軽装ななりをしている。

 俺が以前勤めていた探偵社の元上司から、

『ちょっと相談に乗ってやってくれ』と電話で頼まれたのである。


『いきなりそう言われたってね。取り敢えず座って何か飲んでみちゃあ?もっとも頼みの綱のコーヒーは切らしちまってるから、今はコーラしかないが』


 彼は『じゃあ、それでいい』と言い、俺が買いためておいた1ℓボトルを持ってきてコップに注いでやると、一気に飲み干してから、再び、

『頼む、この通りだ』ときた。


 彼の名前は吉岡慎太郎という。こう見えてもこの男、かつて新宿南署の生活安全課の主任、歳は‥‥確かもう60は越している。つまりは元刑事という訳だ。


 生活安全課、といえば、俺達のような稼業とは、一番密接な仲だ。

もっとも、警察であることには変わりないので、出来ればお付き合いは避けたいところだが)


 彼とは俺がまだ自衛官を辞めて私立探偵社にいた頃から、何度かやり合ったことがある。


 頑固で意固地なところはあるが、決して悪い人間ではない。



 彼は今警察を退職し、接骨院と柔道の道場を経営しながら、保護司の仕事をしているという。


『保護司』というのは、まあ簡単に言えば、刑務所を出所してきた人間や、犯罪を犯した少年少女の更生を援助するのを主な仕事としている。


 仕事、とはいったが、報酬は実質ゼロに近く(最近は実費ぐらいは出るようになったらしいが)、いわば慈善事業に近いものだという。


 生活のために現在いまの仕事を選んだ、俺のような男には、とてもじゃないが真似はできない。


 その彼が、俺の目の前で必死の形相ぎょうそうで頭を下げている。


『「RANMARU」って名前を聞いたことがあるか?』


 吉岡は三杯目のコーラを飲み干した後、俺の顔を見ずに言葉をひねり出した。


『あの、近頃世間を騒がせてるかい?』


 彼は黙って頷き、それから四杯目を要求した。


 俺はボトルを持ち上げ、グラスに注いでやる。


 彼はしばらくグラスを握り締め、じっと黙っていたが、口もつけずに卓子テーブルに置くと、上着のポケットから写真を一枚と、折り畳んだ新聞の切り抜きを取り出して、広げて俺に見せた。


 

 写真はどこかの学校か施設なのだろう。

 学生服に制帽を被った少年が、桜の木の下に立って、まっすぐにこちらを向いていた。


 新聞記事の方は、

『「RANMARU」又しても出没!』と大見出しに、偶然捉えたと思われる写真が添えられていた。

 

 身体にぴったりと貼りついたタイツのようなものを着た人間が、どこかの屋敷のフロアのような場所を走り去ってゆく姿が捉えられていた。


 恐らく防犯カメラだろう。目が粗くはっきりとは確認できないが、体型からして、若い少年か少女ということは分かる。


『で?これをどうしろっていうんだ?』


『捕まえてほしいんだよ。あんたに!』


 彼は四杯目を一気に開け、絞り出すような声を出した。




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