重役会議

「予定していた議題は以上だが、今日はもう一つ重要な議題がある。天使の微笑み問題だ」


 会議室に緊張が走ります。天使の微笑みが会社の浮沈に連動していることは、嫌と言うほど経験しています。


「微笑みの輝きが増している原因はやはり恋だった」

「順調なんですよね」

「親への紹介とか、結納は済んでますよね」

「結婚式の日取りは決まってますか。その時には社長も出席されますよね。あれだったら費用は当社持ちでも私は大賛成です」

「新婚旅行も」

「いや新居も」


 とにかく前回の失恋事件の時に、どれだけ痛い目にあってるか誰もが知っており、天使の恋が問題なく実って欲しいの思いが噴き出します。


「それが、現在はアプローチ中で、交際にも至っていないようなんだ」

「でも、あの小島君ですから、すぐにでも相手は『うん』と言うに決まってます」

「男の方が優柔不断なだけですよね。気後れして告白できていないだけですよ。間違いありません」

「あの小島君ですよ。あの小島君に迫られて、NOという男が、いるはずがないじゃないですか」


 皆の念頭にあるのはただ一つ、もしこの恋が実らなかった時の恐怖が話の先取りをひたすら競わせます。


「君たち、話の腰をあまり折らんでくれ。小島君はある男性に恋をされているが、それこそ生涯をかけるような大恋愛と見て良さそうだ」


 『大恋愛』と聞いて、誰もが衝撃を受けます。


「それだけじゃないのだ。小島君の恋にはライバルまでいる」

「小島君にライバル? まさか、いるわけないじゃないですか。もしかしたら、すごく年下とかですか」

「いや、同い年だ」

「相手が若ければともかく、同い年で小島君とライバル関係になれるような女性がこの世にいるとは思えません」

「そうですよ。小島君は入社した時点で当社のダントツのナンバー・ワンですし、今でさえ小島君に並べるような女性は現れていません。いや当社以外でも見たことがありません」

「ライバルは気にする必要はないんじゃないですか。小島君が相手なら、じきに退き下がりますよ。端から勝負になるわけないじゃありませんか」


 争って楽観材料を並べる役員たちに対して、社長が悲壮な表情になり、


「実はそのライバルも判明している」

「誰なんですか?」

「フォトグラファーの加納志織だ」

「加納志織って、美人フォトグラファーで有名な」

「そうだ。アイドルや女優より、遥かに美しいと評判のあの加納志織だ。私も改めて写真で確認したが、加納志織の美しさはたしかにタダ者ではない」

「私も知っていますが、まさか小島君の恋のライバルが選りも選って加納志織とは。加納志織以外なら小島君なら文句なく圧勝のはずなんですが・・・」

「ちなみに二人は高校の同級生でもあったのだが、小島君の高校の時のあだ名が天使で、加納志織は女神様と呼ばれていたそうだ」

「天使のライバルが女神様って、なんという三角関係なんだ。正直な話、その男が羨ましすぎる」


 重苦しい空気が会議室に漂います。


「勝てそうなんですか。と言うか、負ける可能性はあるのですか」

「形勢は互角らしい」

「それほど微妙なんですか」

「前回の失恋事件の時からのライバル関係らしくて、この辺の経緯は複雑なので簡単には説明できないが、どちらが勝ってもおかしくないとだけは言える」


 これ以上はないぐらい会議室の空気は重くなります。


「もし小島君が負けたら・・・」

「まず確実に天使の微笑みは消えうせる。それも長期に渡ってだ。とにかく大恋愛らしいから、年単位だって可能性もあるし、そのままって事さえ危惧される」

「となると・・・」

「我が社の経営危機は間違いなく訪れる。倒産してもおかしくない。いや確実に倒産する」

「前回の時のように、せめて作り笑いぐらいはお願いできないでしょうか」

「難しい可能性が高い。それぐらいの大恋愛としか判断しようがない」


 しんと静まる会議室。そこに悲痛な声で、


「なんとか事前に回避する手段はないのですか」

「なんともならない。たとえ社長命令で小島君の恋を中止させることが出来たとしても、それを悲しむことまで中止にできない。恋はもう始まってしまっているのだ」

「では、悲しんだ時に前もって対策しておくとか」

「天使の微笑みが絶えた時、どんな対策も無駄だったのはこれまでの経験でわかっている。もちろんそうなれば出来る限りの手を尽くすが・・・」


 あちこちで『もし負けたら』の恐怖のささやきが広がります。


「とにかく小島君が勝つように祈るしかない」

「ああ、なんてこった。あの小島君に、それも同い年で互角の勝負を挑める女性がこの世にいるなんて。信じられない」

「でも、加納志織が相手なら小島君が必ず勝つと確かに言いきれない」

「相手の男性を買収できないですか」

「恋愛に買収は通用しないと思う」


 誰かが思ついたように、


「恋愛に買収が通用しないのは社長の仰る通りですが、側面援助は可能じゃないでしょうか」

「具体的にはどういうことかね」

「当社に引き抜いて、総務部に配属にするのです。恋愛はやはり近くにいる方が有利です。無事結婚されたら、その男性を役職待遇に昇進させて、小島君は円満退職に持ち込むのはどうかと」

「ユニークな提案だが無理だ。相手の男性の職業は医者らしい。引き抜いて総務部に配属するなんて不可能だ」


 引き抜き策は無理なのはハッキリしました。


「では加納志織の方を買収できないですか。手を引く代わりに仕事を回すぐらいで」

「加納志織への撮影依頼は殺到している。まともに依頼したら何年先になるかわからない状況だ。そのために企業や芸能事務所は必要な時期に合わせて撮ってもらうために、撮影料の上乗せ合戦をやっている」

「そんなに・・・」

「我が社でも加納志織にポスター撮影依頼を考えた事もあったが、加納志織の事務所が設定している特別枠の奪い合いに参戦したものの、あまりの撮影料の高騰に断念した。加納志織に関しては、仕事を回してやる云々は論外で、どうやって撮ってもらうかに誰もが苦心惨憺している状況だ。つまりは買収など不可能だ」


 加納志織の買収も不可能です。


「社長、なにか出来ることはないのですか」

「ここにいるメンバーは天使の微笑みの威力を認識している」

「はい」

「そのために業務で天使の微笑みを遮る行為は厳重に取り締まっている」

「そうです」

「しかし恋愛にまでは、いかに社員であっても立ち入ることはできない」

「そりゃ、そうなんですが・・・」


 誰かがヒステリックに


「いっそ、小島君を解雇すればどうでしょうか。解雇してしまえば、小島君が微笑もうが泣こうが関係なくなるんじゃ・・・」

「小島君は入職以来、なんの問題もなく勤務されている。仕事は出来るどころじゃないし、後輩の人望も厚い。また上司の信頼も確かなものだ。たしかに小島君の微笑みが我が社の業績と連動しているのはたしかだが、そんなものを解雇理由にすれば世間の笑いものになる」

「それは私もよく存じていますが、退職金にたとえ一億払ってでも円満退社にするのは」

「それもリスクは高い。なぜなら、そうした時に我が社がどうなってしまうかの予測は誰にも立てられないからだ。君や私、いやこの会議室にいる全員が責任を背負ったぐらいで済む話ではないのだ」


 手詰まり感が会議室を満たします。


「小島君が恋をするのは誰にも止めることはできない。恋は実ることもあれば、実らないこともある。我々にできることは、小島君の恋が実る事を祈るしかないと思う。ライバルの加納志織はたしかに強敵だが、小島君が負けるとは限らない」

「そうです、小島君が勝って、その相手の男性と無事結婚されて幸せな家庭を築かれたら、当社の未来は順風満帆になります」

「そういうことだ。それと小島君がもし負けて、悲しみに沈まれても、今度は以前のような事は起らないかもしれない」

「それは甘いんじゃ・・・」

「甘いかもしれんが、我々に出来ること、我々が期待できることは、それぐらいしかないと私は思う」

「勝ってくれ」

「小島君が幸せさえつかんでくれたら・・・」

「負けるとは限ってないんだ」


 こうやって底知れぬ恐怖に怯えながら会議は終りました。

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