雑感
冷たい雨が降って、吐く息が白い。
庭の真中にたって、自分がなにものであるかを失った。
なにもない。
ただ庭にたって、働いている。蟻や蜂のやうに。
虚心坦懐
いいえ、そんな、大層なものでは御座いません。
ただ己が己であるよりどころを、なにものにも見いだせなくなってしまったのです。
庭にあるかぎり、わたしは植木屋でせう。
家に帰れば、事務所では事業主、居間では旦那でせう。
仕事が、ぎりぎりのところでわたしの輪郭をたもち、生きているように錯覚させる。
仕事からはなれれば、わたしはわたしですらない。
妻が生きているから、わたしは旦那としてそこにあるので
ひとりになってしまえば、わたしは途端に、溶けて崩れる。
すべてのものごとにたいして、わたしは自信を失った。
生きていくことにも、書いてきたものにも、書いていくことにも
ひととして社会にまじわることにも、すべてに。
それなのに日々は日々わたしのもとにやってくるし、時計は律儀に秒をきざむ。
時間がくればしぶしぶ庭に赴いて、つくりわらいで唇をゆがめる。
もう死んでもいいはずなのに、命はたえず繋がってゆくし、
そこからとびおりる理由もないので、ただ漠然と過ぎるにまかせる。
明日も、昨日も、今日もいらない。
それなのに人生は続いていく、わたしのいる此処より千里、
はるか彼方で勝手にわたしの人生をつづけている、わたしを置きざりにして。
がらんどうのわたし。
おおきくあいた胸の穴に風がふいて寒い。
つららのようなゆびに息を吐きかける。ちっともあたたかくならない。
つめたいゆびで、なお筆をとる。よせばいいのに。
筆を折る、というようなたくましい苦悩ではない。
折れてしまった筆を、ゆびさきでころがしながら、
慰めきれない無聊を、深まる毒を、からまわる欲求を、
ぜんしんにもてあましている。
もう書かないかもしれない。
と、ここに書いたところで、どうせまた書くのだろう。
それ以外に、生きていく理由などないのだから。
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