第六章 5 『交錯する想い』

 ユイが作り上げた罠は期待以上だった。

 これでもう後には戻れない。

 これがソラを殺す道具になるとは疑問にも思わなかったようで、ユイに礼まで言われた時はケイジの胸は酷く痛んだ。

 ケイジは周囲を防壁に囲まれた場所にユイを隠れさせ、ツカサを探すために罠を後にするのだった。




 ソラを確実に罠にはめるためには餌が必要だ。

 この場合の餌とはツカサの中にあるという《防壁を無効化する鍵》と言うことになる。

 ツカサに対しては二つの大きな懸念があったのだが、ひとつの懸念である《ツカサの発見》については簡単に払拭されることになった。

 腰から下を宵闇と融合させて巨大化したソラが何かを追い回しているのだ。その視線の先にツカサがいるに違いない。行く手を阻んで袋小路に誘い込むように追う様は、依然ツカサに教えてもらった牧羊犬の羊の追い込みのようだった。

 ケイジはソラの挙動を予測し、先回りするようにツカサの目前に回り込んだ。


 二つ目の懸念が何よりの障害である。

 ………つまり《ツカサにどんな説明をすればいいのか》ということだ。

 ツカサはユイと異なり、ケイジの力について相当深く把握してしまっている。ソラを救う手段をケイジが持っているはずないと、簡単に気づくに違いない。


「くそ……。頭を使うのは俺の仕事じゃないだろう? 慣れないことばかりで嫌になるぜ。」


 ケイジは入り組んだ路地裏に身を隠し、接近するツカサの姿を見つめ続けた。

 全く思考がまとまらない。

 考える間に、すでにツカサは目と鼻の先だ。




 その時ケイジは一つの違和感を覚えた。

 とっさにツカサの目前に躍り出たケイジは、その行く手を阻んで問いかける。


「お前………カルマだな?」


 唐突に現れた人影を前にして、ツカサはとっさに足を滑らせるように止まる。


「ほう。なぜわかった? 消耗するから霊装も解いたこの状態。一見違いはないと思うが?」

「これでもツカサと一緒に暮らしてたんだ。ツカサとお前は全く目つきが違う。………まるで戦場から帰還した兵士のような険しさだ。そんな奴、ギャングの中でもなかなかいないよ。今、ツカサの意識はどうなってるんだ?」

「ふん……。彼奴なら話を聞かんから、私がちょいと心臓を捻ってやったら気を失いおったわ。……それよりそこをどけ。今は貴様に構っている暇は無い。」

「そうか……それは良かった。」


 ツカサの意識が眠っていることはケイジにとって幸いだった。

 問答に時間を取られることも邪魔されることもない。怖いように状況が揃っていく。




 ケイジはソラの追っ手から逃れつつ、人形の少女に手短に作戦を説明した。

 彼女は不愛想な冷たい視線で黙ってケイジの言葉に耳を傾けている。外見はツカサのままなのに、体を操る魂が変わればここまで印象が変わるものかとケイジはしみじみとその横顔を眺めた。


「あんたはソラ……いや、宵闇を誘導するだけでいい。何よりもあんたが持っている《鍵》を奪われるわけにはいかない。罠の奥に隠れる隙間があるから、そこに入って待機していてくれ。………宵闇は……俺が殺す。」

「そうか。……では健闘を祈るとしようか。」


 少女は路地の隙間に見え隠れするソラを見つめ、小さくつぶやいた。








 逃げる二人を追いながら、ソラは呆れていた。


「人間の体って不便だねえ。」


 体の大半がカルマに変化してしまっているソラにとって、防壁の機能を持たないスラム街の小屋の壁など無いも同然なのだ。

 ツカサの体はまだ大部分が人間のままなので人工物を避けて進まざるを得ないようだが、ソラは体の状態を変化させることで建物程度は簡単に素通りでき、最短距離を悠々と進んでいた。

 視覚も光学的に世界を捉えるばかりでなく、人間の持つ魂の光をあたかもサーモグラフィーのように視覚化して見ることが出来る。例え建物の陰に身を隠そうとも、目をカルマ化させれば簡単に居所を察知することが出来た。

 ソラは自分の目を宵闇の赤い目に変化させて周囲を見渡す。

 するとかなり離れた場所に左腕がカルマの霊殻に変化した人影を見つけることができた。ソラの追跡を撒こうとしているのか、体を平たくしたり四つん這いになったりして狭そうな場所を進んでいるようだ。

 その健気な逃亡劇を眺めているとソラはおかしくて仕方がなくなった。

 ツカサの体を動かしている人形はともかくとして、ケイジはこのカルマの特性に気が付いていない可能性もある。


「工場の時とか間抜けだったなあ。ちゃんと見張ってたつもりらしいけど、工場の壁が守りに役立つなんて思い込んでるあたり、人間の認識って穴だらけだよね。あの時は工場の壁が死角を作ってくれたおかげで、僕は呆気なく壁をすり抜けできたわけだしさ。」


 みるみるとソラとツカサ達との距離が詰まっていく。

 ツカサを捕まえれば、後はゆっくりと自分の霊殻で染め上げるだけ。

 周囲の街並みは全く気にならなくなり、ソラの目はツカサの後姿を追い続けた。


「あはっ! 捕まえた!」


 袋小路に追いつめたツカサの前に立ち塞がり、逃がすまいと退路を塞ぐソラ。




 その表情に満面の笑みが浮かんだ瞬間だった。

 ケイジの叫びが響き渡る。


「ユイ、今だ!」


 ケイジの掛け声と共に、突然ソラの周囲に防壁が出現した。

 ソラの前後には幾重にも重なったフェンスが落ちて簡易的な檻と化す。

 フェンスには配管が溶接で固定されており、その配管自体もカルマの動きを阻む防壁の効果を発揮し始めた。

 突然の出来事にソラは慌て、目を人間の眼球に戻して周囲の状況を見渡す。


「なんだよ、これ! 水道管?」


 ソラはようやくここが水浴び場だと気付いた。

 入り組むように配置された配管が部分的に取り外され、本来はここになかったはずの装置と繋がっている。それは防壁の内部に詰め込まれているパーツだった。見覚えのある球体の金属容器も混じっている。


「まさか……水道管の中に防壁の溶液を流したって言うの?」


 すると、侵入口を塞ぐフェンスを固定しにユイが姿を現した。


「そう。保管容器のパーツを使って即席で組み立てた防壁。この場所には配管が多かったし、うまくカモフラージュもできたと思う。……ソラ君の体も大きくなっちゃったけど、水道管の一部を流用して容積も増やせたし……。」

「お前はカルマの目を頼りすぎだ。」


 フェンスの奥でケイジが睨みつける。


「……まあその目が必要になるように逃げたんだけどな。」


 ソラは逃れようともがくが、即席の割には檻は頑丈にできていた。

 宵闇の体の一部を硬化させて工具のようなものを作り出そうとも、配管は溶接されており分解が不可能になっている。水浴び場が作られている高層都市の支柱の周囲はそもそも頑強な造りになっていて、防壁の効力がある限りはカルマの力で破壊することも抜け出すことも困難になっていた。


「くそくそくそ! ユイ姉が作ったのか? ユイ姉はこんなことしないって思ってた! ユイ姉は僕の味方だって思ってたのに、信じてたのに!」


 怒りの形相で叫ぶソラを見上げながら、ユイは頭を振りながら後ずさる。


「………ちがう。違うよ、ソラ君。私はソラ君を助けようと………。」


 ソラの意識がユイに向いた瞬間、ケイジはフェンスの隙間に手を通してソラの頭部に霊殻を発生させる。

 今使える最後の力。

 ケイジは気力を振り絞って霊殻の中に檻を作り出した。


「俺が騙したんだ。俺は……ソラを殺す!」


 ケイジは雄たけびを上げ、出力を上げていく。

 その力が臨界を迎えようとした瞬間、ケイジの背後からツカサが飛びかかった。


「ソラは俺が守る!」

「な……! お前、ツカサか? 眠ってたんじゃ……。」

「うるさい! ソラがいくら街を壊そうとしていても、たくさんの罪を犯したとしても、だからと言って俺たちが見離していいはずがない。ケイジに殺させはしない!」

「離せ! こんなことしてると……。」


 ケイジが言いかけた瞬間、周囲が眩いばかりの光に覆われた。

 ケイジの精神介入の力がツカサさえも包み込んで膨らんでいく。




 すべての体の感覚が消え失せ、ツカサの意識はソラの精神世界へと落ちていくのだった。

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