第3話 メキシコ皇帝マクシミリアン

昔、メキシコに皇帝がいたことがある。何とハプスブルク家出身の皇帝である。

時代は19世紀。フランスでは、1852年に皇帝に選出されたナポレオン3世による第二帝政華やかなりし頃……といってもこの政権、既にあちこちに綻びが始まっていた。

ナポレオン3世は国威発揚(いわゆるボナパルティズム)のためにフランス国民の目を海外へ向け、内政への不満を逸らそうと考えた。彼は保守派と共和派の間で激しい内戦の続くメキシコに目をつけた。武力介入の上、フランスの息のかかった政権を樹立しようとしたのである。

1863年、ナポレオン3世はオーストリア皇帝の弟のマクシミリアン大公に話を持ちかける。マクシミリアンは迷った。メキシコ皇帝位は魅力的だが、引き受ければオーストリアの皇位継承権は放棄しなければならない。

迷うマクシミリアンの背中を決断へと押したのは、妻のシャルロッテであった。彼女はベルギー王女で、英国ヴィクトリア女王の従妹にも当たる名門の出。気位が高く、皇后になれるチャンスに飛びついたのである。

1864年、マクシミリアンは遂にメキシコ皇帝即位を受諾。太平洋を渡った。

マクシミリアンとシャルロッテは、さっそく様々な改革に取り組んだ。しかし、メキシコ共和派がフランス傀儡の皇帝を受け入れる筈もない。ほどなく再び内戦が始まる。

シャルロッテは戦いの最中、フランス等への援助を乞うべく単身帰欧。しかし普欧戦争(1866)を終えたばかりで尚普仏戦争(1870)を前にしたフランスにマクシミリアンを救う余力はない。様々な工作も悉く失敗、前途に絶望したシャルロッテは遂に発狂してしまう。

1867年5月、遂に皇帝マクシミリアンはベニート・フアレス率いる共和派に捕えられた。

同年6月銃殺刑。ナポレオン3世の威信は地に落ちた。

その後、メキシコではフアレスが大統領に就任(1967~72)→ディアス独裁体制(1877~1911)→メキシコ革命(1910)→憲法制定(1917)と、激動と試行錯誤の道を歩みながらも少しづつ、自国の民主化を実現していく。

一方、正気を失ったシャルロッテは故国ベルギー王家に引き取られ、夫の死後、尚60年を生きた。彼女は死ぬまで、再びメキシコ皇后として帰還する日を夢見ていたという。


※参考文献:

「ハプスブルク家の人々」菊地良夫 新人物往来社(1993)

「詳説世界史」 山川出版社(2003)

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