グリコのおまけ

吾妻栄子

グリコのおまけ

「あっ、お人形さんだ!」

 グリコキャラメルのおまけ用の小さな紙箱を振った五歳の和子かずこは目を輝かせた。

 お盆で泊まりに来た母方の祖父母宅の茶の間では畳特有の井草の香りと祖父の吸う煙草の匂いが漂っている。

 焦げ茶色の座卓の上には、大きさにして三センチ程の、紫が勝った赤のカンカン帽と洋服を纏い、深緑の髪とブーツで真っ直ぐに立った格好のプラスチックの人形がコロコロと微かに揺れていた。

 座卓の傍らに置かれたレースカバー付きの扇風機がゆっくり首を反対側に向けるのと連動するように人形の揺れも止まる。

「お人形さん、やっと出たよ」

 おかっぱの黒髪をぴょんぴょん跳ねさせながら、赤の半袖シャツと薄茶色のキュロットスカートの少女はまるで珍重な宝石でも見付けたように手にしたプラスチックの人形を傍らの母親や祖父母や二つ上の兄の昭行あきゆきに見せる。

「当たりが来たのかい」

 祖父は切子の灰皿に吸いかけの煙草の先を押し当てながらカラカラと笑った。

「あら、ハイカラなお人形さんだねえ」

 祖母は老眼を凝らして微笑む。

「俺はまた悪魔シールだったよ。今後こそ天使シールかと思ったのに」

 七歳の兄は引き当てたばかりのシールを卓上に置いてウエハースチョコを齧り始める。

「良かったね」

 母親は苦笑いする。

 先週スーパーでグリコキャラメルを買って帰ってきた時には

「また同じコンロが出てきた。二つも要らない」

 と娘はひとしきり泣いて騒いだのだ。

 七歳の昭行にとってのビックリマンチョコが付属のシールが本尊である一方、五歳の和子にとってグリコキャラメルは「おまけのおもちゃ」こそが本体だ。

 そして、その中でも女の子の人形こそが至上、次点がペンギンで、タンスだのコンロだのいうミニチュアの家具は雑魚の扱いだ。

 七歳の兄はビックリマンチョコでいわばハズレくじの悪魔シールを引き当ててもコレクションの一部として受け入れる。

「友達に悪魔シール五枚を天使シール一枚と交換してもらった」

 というような融通も利く。

 だが、五歳の妹にはまだそれが難しい。二つある雑魚扱いのコンロでも和子は決して捨てたり他人に譲ったりはしないのだ。

 家の子供部屋はいつもおまけの小さな鍋の蓋やら皿やらで散らかっている。

「でも、ちょっと違うお人形さん」

 母親の思いをよそに空の小さな紙箱と小さな人形を見比べた和子は首を傾げた。

 パッケージに描かれたお人形は赤いトンガリ帽子、ワンピースに薄い茶色の髪とブーツだ。

 今しがた箱から出てきたばかりのお人形は帽子のてっぺんは裁断したように平らだし、やや毒々しい深緑の髪とブーツだ。

 服の赤のトーンもパッケージのお人形のそれより一段階暗い印象を受ける。

「これも色が違うんだよね」

 和子はキュロットスカートのポケットに手を入れる。

 取り出した人形は黄色のトンガリ帽子、ワンピースにサーモンピンクの髪とブーツを持ち、しかも足を投げ出して座る体勢を取っていた。

 一月前に近所の公園の砂場に落ちていて拾ったこの人形を和子はまるで懐剣のようにどこに行くにも持ち歩いている。

「きっと、色んな色の組み合わせやポーズのお人形があるんだよ」

 全ての色とポーズの組み合わせを集めるのは恐らく無理だろう。

 ミニチュアの家具も以前と最近で良く見掛ける色の組み合わせが明らかに変わって来ている。

 そこからすると、このパッケージに描かれた赤帽子に茶色の髪のお人形さんはもう今の生産ラインでは作っていない可能性もある。

「この赤いトンガリ帽子に茶色の髪のお人形さんが一番欲しいんだけどな」

 既に手に入れた二つの人形とパッケージを眺めて少女は呟く。

「このお人形さんが欲しーいー」

 小さな指がパッケージで笑う赤いトンガリ帽子を示す。

 たった今、手に入れて狂喜したはずのおもちゃはこの子の中でもう色褪せ始めているのだろうか。

「いつも欲しいおまけが当たるわけじゃないよ」

 いつの間にかウエハースチョコを食べ終えた兄はそう窘めると祖母がグラスに入れた麦茶を啜った。

 この子は家では妹と同じようなアニメキャラクターのプラスチックコップを使うのに、他所だと大人と同じ器を自然に使うようになった。

「せっかく新しいおもちゃ買ったんだろうが」

 紫煙を吐き出した祖父の顔には微かに苦いものが滲む。

 孫には基本的に甘くおもちゃやお菓子をむしろ進んで買い与えたがる祖父だが、その一方で今の子供は物を大事にしないとよくこぼすのだ。

「今、持っているお人形さんを大事にしようよ」

 母親は忘れられたようにテーブルの隅に置かれた赤い箱を取り上げた。

 白地にハートやおもちゃの絵が赤くプリントされた紙で捻り包装されたキャラメルを一つずつ取り出して、幼い娘とおもちゃの人形たちの間に置いていく。

 キャラメルというよりキャンディじみた捻り包装を施された粒は全部で八つだ。

 定価六十円に小さな愛らしいおもちゃと八粒のキャラメルが詰まっている。

 親としてもありがたいお菓子である。

「そうだね」

 和子は急に疲れた風に頷くと、キャラメルを一つ摘まみ取ってカシャリと包装の捻りをほどいた。

 ふわりと甘く乳臭い香りと共に出てきたのは、小さく丸みを帯びた薄い褐色のハート。

「柔らかい」

 小さな頬の中で噛み締めながら、和子は笑う。

「暑い中、持ってきたからね」

 冷房の効いたスーパーから暑い外に出て車で帰ってきたが、スーパーのロゴ入りのテープを貼った箱を五歳の手がずっと握っていたわけだから、キャラメルはどうしても柔らかくなる。

「でも、柔らかい方がいいな」

 和子が二粒目に手を伸ばした。

 今、食べ過ぎるとこの子は夕飯が入らなくなる。

 一瞬、そんな懸念が母親の頭を過るが、自分が気を逸らすためにキャラメルを出した以上、口には出しかねた。

「後は明日、食べる」

 意外にも、和子の方から言い出す。

「じゃ、お夕飯があるからお菓子はもうおしまいね」

 娘の気が変わらない内に残りのキャラメルを回収する。

 ふわりと独特の甘い、乳を含んだ香りが鼻先を通り過ぎた。

 グリコのキャラメルは牡蠣のエキスを入れているそうだが、この特有の匂いはそのせいだろうか。

「じゃ、皆で遊ぼう!」

 和子は黄色いトンガリ帽子と赤のカンカン帽の人形を手に奥の間に駆けていく。

 テーブルの上には赤いトンガリ帽子の人形が描かれた紙箱が残された。

「グリコのキャラメルって私の頃は木のお人形だったんだけどね」

 木造りのキリンや小鳥のお人形が出た時は嬉しくて棚に並べて飾った。

 当時は福島の田舎から東京の動物園になど滅多に行けるものではなかったから、自分だけの小さな動物園が作れた気がした。

「私の時は絵カードでキャラメルの箱に一緒に入ってたな。ハイカラな絵が多くて集めてた」

 祖母がグラスに四半分ほど残っている麦茶を見詰めながら微笑む。

 この祖母は生まれも育ちも東京だが、戦争で福島に疎開してそこに草鞋を脱いだ格好になった。

「でも、戦争で全部焼けちゃった」

 空になった紙箱の赤いトンガリ帽子の笑顔を見下ろして祖母は目尻の皺をいっそう深くして寂しく微笑んだ。

「今も時々あの頃のおもちゃを集め直したくなるわ」

 グラスの残りをぐいと飲み干すと、祖母は立ち上がる。

「お夕飯の用意にしましょう」

 母親も続いて席を立つ。

「天ぷらは私が揚げるから」

 茶の間に残された祖父は黙ってテレビのリモコンを押した。

 ブラウン管からパッと明るい色彩とコマーシャル特有の騒々しい音楽が流れ出す。

「今日はキョンシーやるからそっちにして」

 壁時計を見やった昭行は思い出した風に祖父に告げた。

「こんにちは。私、不思議の国から来たの」

 奥の間に一人座った和子は黄色いトンガリ帽子と赤いカンカン帽の人形を向かい合わせて笑う。

「私たち、お友達になりましょうね!」(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

グリコのおまけ 吾妻栄子 @gaoqiao412

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ