18.荒ぶる山羊の群れ

 ドドドド……という振動と共に広場になだれ込んできたのは、放牧に出したはずのヤギの群れだった。

「おおいっ誰か、誰か止めてくれえ!」

 牧童の一人が裏返った声で追いかけてくる。広場は瞬く間に、逃げる人間の悲鳴とヤギの声と足音で騒然となった。

「なんだこりゃあ。犬はどうした、牧羊犬は」

「犬もダメだ、跳ね回って白目むいて倒れちまった」


 一頭の山羊がでたらめに跳躍しながら舞台に突っ込んできた。ただでさえ甲高い声のメイジーのが金切り声をあげる。

「おおいっ子どもらを避けさせろ、蹴られるぞ」

 村人達は衣裳のままの子供らを連れ、てんでに逃げ惑った。

 もう芝居どころではない。

「メイジー、メイジー、なんとかしろよ。おまえ五月女王なんだろ」

「そうだよ女王がシメろ」

 混乱した精霊役の子たちが言い立てる。

「知らないもん!」

 逃げ回っていたメイジーは、ステファンとぶつかると、何を思ったかおさげ頭から花冠を外し、押し付けてきた。

「もういや、五月女王なんてやめる。ステファンやって!」

「はあ? なにいってんだよ」

 呆気にとられるステファンを置いて、メイジーはウォレンさんの店に走り去った。


 ヤギたちは明らかに普通ではない。何かを振り払うように頭を振り、メェメェバァバァわめきながら跳ね回り、ところ構わず頭突きをかます。危なくてとても近寄れたものではない。

 ステファンは杖を使うかどうかを迷った。というか、ヤギの群れを止める魔法なんてあったっけ……


 晴天に突然の雷鳴が響いた。

 暴れていたヤギたちが全員、びくりと動きを止める。


「先生、ユーリアン!」

 いつの間に来たのか、ユーリアンに支えられながらオーリが立っていた。銀髪を逆立て、空に指を向けている。

「ステフ、よく眼を凝らせ。ヤギに何かとりついていないか」

 言われて、ステファンはヤギにじっと視線を集中した。凍り付いたように動きを止めたヤギたち。だがその耳の奥に、もぞもぞと動く小さな影がある。

「見えた、トゲの妖精だ。耳に入ってるんだ」

「でかした!」

 嬉しそうにユーリアンは言って、指を弾いた。灰色の煙が指先から生まれ、ヤギの耳に吸い込まれる。と、緑灰色の虫のような妖精が転がり出てきた。途端にヤギは『凍り付き』から解かれ、ぶるぶると首を振る。ユーリアンは指を弾いては煙を次々とヤギたちの耳に送り込んだ。


「ステフ、妖精を逃がすな。こいつに閉じ込めるんだ」

 オーリが青いガラス瓶を投げてよこした。

「ど、どうやって?」

「『キャッチつかまえた』は得意だろう。ヤギを止めておけるのはあと数秒だ、急げ!」

 ああそうかとステファンは理解した。魔法使いは人前で杖を使ってはいけない。せいぜい指を弾いて軽い魔法をかけるくらいしかできないのだ。その限界が、数秒。

 ステファンは息を深く吸い込み、わらわら逃げて行くトゲ妖精たちに向かって声を放った。

「トゲ妖精、つかまえた!」



 ◇  ◇  ◇


 ヤギたちの興奮が収まり、大人しく群れを成して牧童に連れられていく。こわごわと広場に人が戻って来るのを見計らって、オーリが明るく声をあげた。

「皆さん! 誰も怪我はなかったかな。騒動はおしまいだ。誰かがトゲの妖精を仕掛けて悪戯をしたらしい」

 隣でユーリアンが続ける。

「ヤギもとんだ迷惑をこうむったよなあ。誰か、やつらにも一杯奢ってやる?」

 どっと笑い声が起こった。

「いたずら妖精のお仕置きは、我々魔法使いと守護者エレインにお任せあれ。どうぞ安心して祭りを続け……」

「どうだかな」

 話を遮った者がいる。郵便局のドラ息子、ディヴィッドだ。

「この騒ぎ、あんたら魔法使いが仕掛けたんじゃねえの?」

 広場にざわめきが起こった。


「俺は前からうさんくさいと思ってたんだ、魔法使いなんて。なーにがトゲ妖精だよ。瓶の中、空っぽじゃねえか」

 まずい、とステファンは思った。ディヴィッドはこの前オーリにやり込められたことを根に持っているらしい。けれどガラス瓶が空っぽに見えるのも確かだろう。魔力のない者に妖精の姿は見えないのだ。実際には、瓶いっぱいに詰め込まれた妖精たちが押し合いへし合いしているのだが。いっそディビッドの頭の上で蓋を開けたら信じるんじゃないか、などと思っていると、オーリの暢気な声が響いた。


「ほう我々の仕業と。君はそう思うんだね?」

 面白がるような口ぶりに、ディヴィッドは苛々と言い立てた。

「『思う』んじゃなくてそうなんだよ。魔法使いがやらかしたんだ。違うってんなら証明してみろよ!」

「うーん、無いものを証明ねえ。悪魔の証明ってやつだねえ」

 ユーリアンは茶化すように答えているが、その間にもオーリの額には汗が滲み始めている。表情にこそ出さないが、傷が痛んでいるのだろう。ステファンは気が気ではなかった。


「ディヴィー!」

 割って入ったのはウォレン氏だ。

「失礼なことを言うんじゃない。まったくお前というやつは」

「俺だけじゃないだろ。そう思ってる人間は多いんじゃんねえの」

「黙りなさい。帰るんだ」

 ウォレン氏はオーリたちに謝りながら、息子を家に追い立てた。

 ようやく解放された魔法使い二人は、舞台役者のように大げさな身振りで一礼し、薄煙と共に姿を消した。

 

 ステファンがほっとしたのも束の間、ウォレン父子と入れ違いのようにメイジーが飛び出してきた。

「スノーちゃん! わたしのスノーちゃんが」

 そして広場に面した赤屋根の建物を指さす。かつて村役場に使われていた、背の高い廃墟だ。その壊れかけた屋根の上で白い子ヤギがたよりなく鳴いている。


「まだヤギがいたのか。群れからはぐれたんかね?」

「違うの、わたしが飼ってる子よ。さっきの騒動を怖がって逃げ出したの」

「どうやって上ったんだ、あんな高いところまで」

 村人が騒ぎながら見上げる赤屋根の脇に、布で飾った柱が見える。昨夜の嵐で台無しになったメイ・ポールだ。祭りが終わるまで処分することもできないから、斜めに立てかけてあったやつだ。

「あれを伝って屋根に上ったのかよ……だから山羊なんかペットにすんなっていったのに」

 一度帰ったはずのディヴィッドが、めんどくさそうに舌打ちしながら梯子を持ってきた。


 いや梯子では無理だろう、とステファンは思った。いつも箒で飛びながら見ていたからわかるのだが、あの赤屋根は他の屋根より高さがある。案の定、梯子は軒下までしか届かなかった。その間にも、怯えた子ヤギはますます高い場所に上ろうとして、たびたび足を滑らせる。そのたびに朽ちた屋根材が落ちて危険なことこの上ない。

 箒を取って来るべきか、とステファンは思った。広場の隅の花壇に隠してあるはずだ。本来は公道で箒飛行をしてはいけない決まりだけど、こういう緊急の場合は別ではないだろうか。そもそも『公道』じゃないし。広場だし。


「てっふにぃたあん!」

 聞き覚えのある声に、ステファンは振り向いた。ユーリアンの長女、チビ魔女のアンナプルナが広場の隅から手を振っていた。

「アーニャ、なんでここに」

 慌てて周囲を見回したが、トーニャの姿はない。ユーリアンはさっき帰ったばかりだし、ということは……

「もしかして、一人で来ちゃったの?」

「うんっ。アーニャ、とべるもん」

 得意そうに胸を張る小さな魔女は、いつものロバのぬいぐるみではなく、枕を持っている。これで飛んできたというのか。


 ステファンの脳裏に、とんでもない考えが閃いた。

 手にはメイジーから押しつけられた花冠がある。五月女王のしるし、白い花の冠だ。ステファンは膝をかがめ、小さな魔女の頭に載せて言った。

「アーニャ、手伝って」

 


 

 

 


 


 



 






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