5.苦手なあの子

 小さな村にも一応、広場というものがある。

 その片隅に赤い屋根の建物を見つけると、ステファンは降り立った。郵便局と言ったって、雑貨屋と兼業だ。看板にもそう書いてある。


「――そらまあ、今時の若いもんはな」

 扉を押し開けると、先客の声が聞こえた。バーリー農場のおやじさんだ。週に一度オーリの家まで食材を届けてくれる。

 郵便局兼雑貨屋のウォレンとお茶を飲みながら雑談をしていたらしいが、ステファンの姿を見るとひげ面を揺らして声をかけてきた。

「よう、ぼうず。朝からお使いかね」


「おはようございます。あの、配達のトビーが辞めたって……」

 ステファンがみなまで言うのを待たず、ウォレンは慌てて手紙の束と棒つきキャンディーの瓶を持ってきた。

「すまんなステファン。先生にも知らせとかなきゃと思ったんだが。ほれ、好きなキャンディー持っていきな」

 ありがとうを言って、ステファンはツイスト柄のを取り、話を急かすように視線を向けた。


 ウォレンは肩をすくめて、渋い顔をした。

「隣町にでっかい工場ができたんでね。若い衆は大勢、仕事を求めて行ってしまったよ。ピカピカの最新型側車つきモーター・バイクを作るんだって、やっこさん浮足立っっちまって。まあー止めたって聞きやしない」

「トビーが、バイク作るの?」

 ステファンは面食らった。もっとも、オーリとエレインの結婚話なんて聞いたら彼は落ち込んで仕事にならないだろうから、隣町に行ってたほうが平穏かもしれない。


「で、配達がいなくなったんで本局に人を寄越すよう頼んではいるんだがね。急なことだし、いつになるやら。気長に待つしかないな」

「なんだよ、あんたんとこのドラ息子に配達を教えりゃいいじゃないか」

 バーリーさんがからかうように店主に指を向けた。

「言うな。あいつも『工場組』さ。まあ熱が冷めたら帰ってくるだろう。賭けてもいい、あいつの辛抱は春まで持たんね」

「じゃ、俺は『ひと月』で賭ける。ポーカーより分がいいぞ」

 呆れているステファンの前で、二人はひとしきり笑った後、ふと淋しそうな顔をした。

「……なあに、俺みたいに散歩のついでに自分で取りに寄れば済むこった。じっさいほんの一昔前までそうしてたんだからな。手紙なんて毎日届くもんじゃなし、郵便箱が溢れて困る有名人なんぞおらんだろ?」

「そらそうだ」

 呑気に笑い合う大人たちを前にして、うちは困るんだけどなあ、とステファンは手紙の束をじっと見た。


 昨年秋の展覧会で話題になってから、画家オーリローリ・ガルバイヤンの名はあちこちに知られたらしい。仕事の依頼の手紙が何通か。あと、ステファン宛てに父と母から。宛名などいちいち確認しなくたって、ステファンにはそれが。おや、父オスカーはもう一通、オーリ宛てにも手紙を書いたようだ。他には……


「きゃあ、ステファンが来てるう!」

 キーンと響く声が飛び込んできて、ステファンは集中を解いた。思わず耳を押さえ、恐る恐る声の主を見る。赤いウールコートの上で、これまた赤いほっぺと金茶のおさげが光っている。確か村の……誰だっけ。


「オーリ先生のお使い? 今日も飛んで来たの? そのローブなんで真っ黒なの? なんか魔法使えるようになった? 学校行かないの? キャンディ好き?」

 矢継ぎ早に質問爆弾をあびせながら、おさげ髪はずいずいと近づいてくる。ステファンは思わず後ずさった。村の子と親しくはなりたいが、女の子は苦手だ。

「やめなさいメイジー、そんないっぺんに聞くもんじゃない」

 ウォレンに言われてやっと質問を止め、はぁいパパ、とメイジーは口をとがらせる。そうだこの子は雑貨屋の娘だった、とステファンはやっと思い出した。


「嬢ちゃんどうした、もう女学校は終わったんか」

 バーリーさんに問われておさげ髪はぶんぶんと揺れた。

「違うの、先生が凍った坂道で滑って腕折っちゃって。それで午前中の授業はお休みになったの」

「そりゃ大変だ。魔法使いみたいに箒で飛べりゃ、道が凍ったって困らないんだがなあ?」

 1、2秒遅れて、自分に話を振られたのだと気づいたステファンは、なんとか愛想笑いだけ返した。今や頭の中は、一刻も早くこの場を去りたいという考えでいっぱいだ。


「そうだパパ、郵便配達をステファンに頼んじゃえば? 箒に乗って村中どこへでも行けるでしょ、トビーなんかより早いんじゃない?」

 メイジーが恐ろしいことを言い出した。無茶いうな、とステファンは青ざめた。


「残念だがメイジー、配達にゃいろいろ決まり事があるんだ。子どもは無理だよ」

「だってダリオは時々運んでるじゃない。山のおばあさんとか」

 思いがけない名前を聞いて、ステファンは驚いた。ダリオの馬車がお客以外にも郵便物を運んでいるなんて初耳だ。


「あれは馬車屋の親方と契約しているんだ。お客を山まで運ぶついでに郵便も運んでもらうことになってる」

「そうそう、契約はだいじだ。俺が配達してやってもいいが、契約してない者が手を出しちゃいかん。仕事っちゅうもんはそういうもんだ。よく勉強しときな、メイジーちゃんよ」


 大人たちが説教モードに入ったのを契機に、ステファンはそそくさと店を出ようとした。バーリーの声が追いかけてくる。

「ああそうだ、昨日うちの山羊が仔を産んだよ。今なら山羊の乳があるってマーシャさんに言っといてくれ、ぼうず」

「山羊の赤ちゃん? 仔ヤギちゃん? きゃあ見たーい」

冬仔ふゆごか。季節外れは育つのが大変だろうが、嬉しいもんだね」

「ああ、何度生まれてもありゃいいもんだ」


 三人が口々に言い合うのを背中に聞きながら、そうか赤ちゃんが生まれるというのはそんなに嬉しいことなのか。と、ステファンは今朝のユーリアンをぼんやり思い出した。なんだか今一つピンとこない。でも山羊ミルクは飲みたい。


 ドアベルを鳴らして外へ出ると、今にも降り出しそうな雪雲が広がっている。その重たい雲の下、枯れた木々の隙間を縫うように山道が続いている。

 ダリオと馬のヘスティは、黙々とあの道を上って、山に点在する家まで手紙や人を運ぶのだろうか。


 ステファンは自分の箒を見た。

 仕事の道具とダリルは言ってくれたが、自分はこの箒を使って「仕事」らしきものをしているだろうか。せいぜいオーリのお使いをして、駄賃をもらっているくらいだ。あとキャンディー。


 雪がちらつきはじめた。急いで帰らなければいけない。

 箒で空に浮いた途端、くしゃみが出た。今さらながらにマフラーも手袋もなしに村まで飛んできてしまったことを悔いるが、もう遅い。

 オーリはそろそろ気づいて心配しているだろうか。


 これ、絶対風邪をひくやつだ――そう思いながら、ステファンはくしゃみを連発しつつ雪空を飛んだ。


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