無駄遣い

雨月夜

第一話



 私は、必要と無駄の違いが判らない。


 幼い頃から、周囲の大人に「無駄遣いは駄目だよ」と教えられてきた。

 お金は勿論のこと、資源も時間も全て、限りあるモノを大切に使わなくてはいけないらしい。


 駄目というのは悪であり、悪いモノは排斥される。

 私は弱く、集団に縋りつくしか能がない。どうしても、排斥されては生きていく事が出来ないと感じていた。

 だからこそ「無駄」という言葉を、心底恐怖したものだ。


 しかし、そんな事を考え出したら何も出来なくなる。

 「良い」と「駄目」の境界線は何処なのだろうか。


 意味が在る事ならば、必要なのか?その「意味」とは何なのか?

 生命の維持に必要不可欠であれば「必要」なのか?しかし、そこまでして維持する「必要」のあるモノとは何なのか?



 それを大人に聞いたところで、「そこまで考えなくても良いよ」という様な、抽象的過ぎて意味の分からない返事しか返ってこないことを知った時、私は考えるのを辞めた。




 だから私は、大人と呼ばれる年齢になった今でも「無駄」というモノが、全く理解出来ない。





 朝、目が覚める。


 輝く朝日とは対照的な、重たい灰色の気持ちを引き摺ったまま、ベッドから立ち上がる。

 この行動も、何時か誰かが「朝は起きなくてはならないものだ」と言ったからやっているだけだ。人間とは、夜に寝て朝に起き、日中は活動しなくてはいけない生き物らしい。


 別に、私一人が寝ていたところで誰も困らない事位、知っている。バイトをサボっても、その日は騒ぎになるだろうが、「気を付けてよね」と言われるかクビになるかでお終いだ。

 しかし、そう考え出すと、寝ていれば良いのか起きれば良いのか判らないので、とりあえずの義務感で起き上がることにしている。


 だから私は、「気持ちの良い目覚め」という言葉の意味が解らない。



 惰性の様に、洗面所に向かって顔を洗う。


 目覚めの顔に冷たい水がかかるのは気持ちが良いと感じるが、洗顔料を使う必要があるのか、よく判らない。「肌に優しい」とかと言うちょっと高めのモノは「無駄」な気がして、結局いつも特売になっている、肌が突っ張る様な洗顔料を買っていた。


 「おはよう。」


 鏡に映る自分に話しかける言葉が、どこか虚しい。

 これこそ、無駄なのかもしれない。




 次に、私にとってとても難解な「食事」の時間がやってくる。


 私は今まで、空腹というモノを感じたことがない。

 低血糖症状を起こせば流石に気がつくが、そこに至るまでに「お腹すいた」という感覚が、一切存在しないのだ。ちなみに「満腹感」というのも、感じない。


 だからこそ、食事の必要性を感じない。


 娯楽としての「食」は嫌いではないが、毎日「食べなくてはならない」となったら、それはもう娯楽ではない。

 「人間は、食べないと死んじゃうんだよ」「1日3食、きちんと食べましょう」という誰かの言葉に従って、義務感で食事を摂っているだけなのだ。その言葉が嘘か真実かさえ、よく知らないけど。


 そして、食事の「内容」も、どうしていいのか解らない。


 教科書通りにいけば、野菜とタンパク質と炭水化物だ。でも、正直準備がメンドクサイし、そこまで美味しいとも感じない。


 だから、試しにカップスープだけにしてみたら、何の問題も起きなかった。

 教科書通りでなくても、別に罰せられることは無いのだと知り、迷子の子どもの様な気持ちになったものだ。しかし、手軽であることと、お金がかからない事を「無駄遣いではない」という言い訳にして、未だにその食生活を続けている。


 「いただきます。」


 口に含んだのは、賞味期限間近で叩き売られていたコーンスープだ。甘いものが好きな私としては、味に文句はない。

 それ以上でもそれ以下でもない、只の時間と金銭の浪費な気がしてならないが、まあ美味しいから良しとする。



 ちなみに、昼食はお弁当にしている。


 以前は色々工夫していたが、今は白飯と卵焼きとキャベツの千切りだけ。理由は「安いから」。安くて、野菜とタンパク質と炭水化物が揃っているのだから、きっと「無駄」ではないはずだ。


 食事にどれだけお金をかけることが「必要」なのか、私には解らない。


 友達とのランチは必要なのか?

 お弁当に「肉」を入れるのは贅沢?

 「たまの贅沢」の基準は?

 コンビニスイーツは「無駄遣い」なのか?



 全部が全部、基準が曖昧過ぎて判らない。身体にちゃんと栄養を与えてまで維持する必要が理解出来ない人間にとって「心の栄養」なんて、全く意味不明なのだ。




 「必要」と「無駄」の違いが解らないのは、怖いと感じる。

 必要な事をせず、無駄な事ばかりをしていたら、何時かきっと排斥される。知らなかったでは済まされない。それが怖いのだ。


 しかし同時に、世間一般で言われる「必要」は、私には全てメンドクサイ事の様にしか感じられない。だから私は、生きることが面倒だと感じていた。




 出かける前には、着替えと化粧も「しなくてはならない」。


 この2つも、どれだけお金をかければいいのか、そもそもする必要があるのか、よく判らない。

 服なんて白シャツに黒パンで十分だと思うし、化粧なんてしてもしなくても変わらない。つまり、それ以上は「無駄」ではないのだろうか?


 しかしその反面、女性は「おしゃれ」や「メイク」が求められ、それがマナーだとさえ言われる。この二律背反も、全くの意味不明だ。


 私は、自分で言うのもおかしな話だが、ファッションセンスが良く、化粧が得意だった。

 うぬぼれではなく、センスやメイクを褒められた経験は、両手両足の指でも全く足りない。俗に言う「可愛い女の子」なのだ。


 このスキルはよく褒められるものではあるが、それが果たして「必要」なのかわからない私にとって、その賛辞さえどう受け取って解釈すれば良いのか解らない。


 ただただ、生きるのに必要ない無駄なスキルだけを持った、欠陥品というだけだろう。




 可愛い服を着て、完璧なお化粧をして、確かにそこには「可愛い女の子」が居る。これが私の、最大限の防衛だ。空っぽの中身を隠して、人と接するための防御壁。


 なるほど、そういう意味では確かに「必要」なのかもしれないな、なんて思いながら、靴を履いて玄関の扉を開けた。


 「行ってきます。」


 一人暮らしの狭いワンルームに、なんとなく声をかける癖は、ずっと昔から。

 無駄だとは解っているが、とりあえず誰にも知られていない「無駄」だから、きっと赦されるのではないかと思っている。





 外に出たら、日差しが妙に眩しかった。というよりも、照り付ける太陽が肌に痛い。そう言えば、今日は真夏日だと誰かが言っていた気がする。


 日焼け止めは、肌に膜が張り付く感じが嫌い。かと言って、高い日焼け止めを買うのは「無駄」な気がする。でも、肌が痛いのも嫌。


 空っぽな私だが、唯一「不快感」は理解できるので、その「不快感」を取り除くのは、きっと無駄なことではないと思う。だから私は、いつもちょっと高めの大きな日傘を差していた。





 アスファルトの照り返しがしんどくて、何となくゲンナリした気持ちになった時、ふと腕時計を見ると、バイトまでまだ時間があることに気がつく。


 こういう時は、コンビニに駆け込むのが私の定番だ。



 「不快感」しかないような私だが、唯一「甘いもの」は好きだった。

 甘いものを食べている間は、モルヒネでも打たれたかの様に安心する。完全な甘いモノ中毒だ。


 だから、世間一般では「無駄遣い」と言われがちな「コンビニスイーツ」や「アイス」が、私の唯一の癒し。



 間食にかけるには「高い」と言われそうな、300円以上するスイーツとアイス、ゼロカロリーのコーラを購入して、イートインスペースに座り込む。

 この無駄遣いは、私を知る人には誰にも知られていないのだから、きっと赦される。どんな罪業も、露見しなければ只の現象だ。


 それに、仮に見られたところで、ランチ一食分だと思えば、大差ない。

 この癒しのためなら、食事なんて喜んで抜こう。と言うか、そもそも「食事」の必要性を感じないのだから、義務より私欲を優先する時があっても良い筈だ。


 「いただきまーす!」


 甘いものを食べている時が、一番安心する。脳内に快楽物質がドバドバ放出されて、色んな事がどうでもよくなる。お手頃価格の麻薬みたいなものだろう。


 ケーキのホイップクリームが、濃厚な抹茶アイスが、私の幸せを保障してくれる。

 たとえその瞬間だけだとしても、私にとって苦痛のない「幸せ」を感じさせてくれる甘いものは、神さまみたいな存在だった。



 でも、その「幸せ」は、長くは続かない。

 食べ終えたら、また意味不明な世界に逆戻り。



 飲みかけのゼロコーラを手に取って、私はコンビニを出る。ちなみに、人工甘味料中毒でもあるので、コーラは普通のよりゼロカロリーの方が好きだ。


 コンビニ店員の「ありがとうございましたー。」という間延びした声を背に、青空の下に戻る。




 空は、綺麗だと思う。

 自然も、動物も。ただそこに在るだけでとても美しい。無駄などは一切存在しない。


 こんな、空っぽの欠陥品の「私」を除いて、世界はきっと美しい。




 そう、本当は解っている。


 私にとって「無駄」とは、私自身の存在であり、その存在の一挙手一投足は全部「無駄」でしかないのだ。

 そんな欠陥品が「必要」を生み出す等、只の滑稽話だ。どれだけ足掻こうとも、無駄からは無駄しか生まれない。



 何だか苦しくなって、私はゼロコーラを一気飲みする。

 この行為も、無駄。栄養もなければ、意味もない。私が息をしていること自体が、そもそもの無駄なのだから。




 でも、人間なんて、本当はそんなものじゃないかと思う。


 全部が全部、無駄。

 「意味がある」なんて顔して生きている人の方が、私から見れば、ずっと頭がおかしい。



 そう思うと、何だか楽しい気持ちになる。正確には、ラリッている感じなのだろうけど、私にとっては大差はない。


 今日の帰りには、新作のハーゲンダッツを買おう。2つ出ていたから、一緒に買って食べ比べだ。

 そして、夕飯はまたカップスープで済ましちゃおう。



 私の無駄遣いは、バレなければ良い。

 お金も資源も命も、全部浪費して、私は生きている。


 それを隠すための「可愛い女の子」のフリで人を騙し、何時の日かの断罪を恐れる、只の欠陥品の生命だ。





 「早く、バレちゃえばいいのに。」


 断罪されれば、きっともう、私は「生きる」資格はなくなる。

 そうすれば、もうこの「意味不明」の世界にしがみつく理由がなくなるのだ。


 だから、ちょっとだけ悪いことがしたくなって、飲み終えたペットボトルを放り投げた。




 そのペットボトルが、まるで漫画の様に道端のごみ箱に収まったのを見て、どうしようもなく自嘲い出したくなった。






無駄遣い

(生命を浪費するだけの存在)

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無駄遣い 雨月夜 @imber

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