ネリネ

@Flug_202020

第1話 向日葵と里帰り

「お盆くらい帰ってきなさいよ。仕事も軌道に乗ったみたいだし、ちょっと休憩したら?」

 受話器越しに母が言う。彼女の声の裏ではミンミンゼミが鳴いていた。


 正直夏はあまり好きではない。別に過去にトラウマがあるわけではない。ただ、外を出るだけでエネルギーを取られるから出かけるのには向いていない。散歩を趣味としている僕には辛い、ただそれだけだ。


 僕は風に揺れる向日葵たちに歓迎され、キャリーケースを引きずりながら小道を歩いた。家の前に立ち、ドアを引く。

 ガラガラガラ…

学生時代何度も聞いたこの音に少し愛おしさとなつかしさを感じた。僕も年取ったなぁ…。

「ただいまー…」



 これは、僕の忘れられない、忘れたくない夏の物語だ。



「おかえり!暑かったでしょ。麦茶あるわよ。」

 母が階段から降りてきて言った。麦わら帽子をかぶり、いかにも田舎のおばさんみたいな恰好だった。

「やっぱりここ東京より暑いね。」

 僕は冷蔵庫を開けながら言った。

「ここに来るまでで汗だくだよ。」

 僕は社会人三年目だ。仕事にも慣れ余裕もできたので、母の誘いを受け入れて帰省することにした。

「そう?意外ね。向こうのほうが暑いと思ってた。いかにもコンクリートジャングルって感じじゃない。あ、そうだ。小学校の子たちも帰ってきてるんじゃないかしら、挨拶しに行ったら?」

 僕の小学校は一学年二十人弱という、すごく小さかった。だからみんな仲良しで、中学に入っても定期的に遊んでいた。まあ今となっては忙しくて連絡すら取れてなかったけど。

「はい、これ。うちでとれたスイカよ」

 目の前に差し出されたスイカはまるで太陽のように真っ赤だった。

 まあ食べ終えたら、散歩がてら行ってみるか。



 散歩は普段見落としていた小さな幸せに気づける。虹を見つけたり、猫の集会を見かけたり。たとえ天気が悪かったとしても、気分が落ち着くから散歩は好きだ。

 そんなことを考えながら、小学校の通学路を歩いた。

 昔鬼ごっこをした道は真っ黒に塗装され、小学生の有り余る好奇心の標的になっていた空き家は、人が賑わうコンビニに転生していた。

 コンクリートをまるでランウェイのように野良猫が歩いている。

「こう見るとずいぶんと変わったもんだな」

 思わずつぶやいた一人ごとを聞き、野良猫はあきれたようにこちらを見た。

 なんだ人間、昔を思い出して悲しくなっているのか。

「いやー違いますよ先輩。ただ昔の面影もずいぶん無くなって、時の流れを実感しているというか…」

 若いな、人間。まあせいぜい時にしがみついて振り払われぬように。

 野良猫のファッションショーは終わったようだ。すぐに草むらに入り消えた。

「はい、僕頑張ります。」

 茂みに向かい敬礼をした。

 違う、僕は小芝居をしに来たんじゃないんだ。散歩だ散歩…って言っても流石に矢のように降り注ぐ日光は容赦がない。

「あっつ…。」

 天を仰いでも、青いキャンバスに雲は一つもない。


 その時だった。夏にしては冷たい、キンモクセイの香りを乗せた秋の風が吹いた。

 僕は思わず風上に顔を向けた。

 天使だ、と思った。一瞬目を疑った。真っ黒なコンクリートの上で、神のお使いで下界に来た天使が微笑んでいる。幼稚園くらいの女の子を連れて。

 いや、実際は真っ白いワンピースを着た女の人が立っていただけだ。


「シオン、君…?」

 見惚れていたが、名前をを呼ばれてハッとした。どうやらこの天使は僕に向かって話しかけているようだ。

「は、はい。そうですけど…。」

 僕のマヌケな返事に美女は困ったように目を伏せた。

「えっと、私のこと覚えてない…?」

 大きい瞳、横に流された前髪、後ろで縛られた真っ黒で真っすぐな長い髪、肌麦色に焼けた肌…。

 そうだ、思い出した。

「もしかして、未花みか…?」

 家が近くにあるということで赤ん坊のころから仲良くしていた。高校に入ってからはお互い忙しくなって話す機会は減っていった。

「うん。覚えててくれたんだね。」

「そりゃ、もちろん忘れるわけがないよ。」

 だって、ずっと好きだったから…なんて口が裂けても言えない。

 僕は彼女の横にいる女の子に目を向ける。

「そ、それでその女の子は…?」

 女の子は恥ずかしそうに未花の後ろに隠れた。人見知りなのかな…。

「夏鈴ちゃん。私の姪っこちゃんだよ。」

 確か未花には年が離れたお兄さんがいたっけ。よく遊んでもらった記憶がある。

 僕は女の子に目線を合わせるようにしゃがんで話す。

「夏鈴ちゃんこんにちは。」

「こん、にちは」

「挨拶できて偉いね。このひとはシオンお兄さんっていうの。」

 夏鈴ちゃんは麦わら帽子を深くかぶっていたが、未花に褒められてかうれしそうだった。

「じゃあ私たち家に帰るね。シオン君ってしばらくこっちにいるの?」

「うん、四日位。また明日あいさつしに行くね。」

「楽しみにしてる、じゃあね。ほら夏鈴ちゃんも、ばいばいって」

 夏鈴ちゃんは相変わらず未花の後ろに隠れたままだったが、手を振ってくれた。

 また、夏に似つかない冷たい風が吹いた。

「天気悪くなりそうだな…、帰るか。」

 確か未花とよく話したのもこの道だった気がする。



「みかちゃーん何してるの?」

「お花探してるの。」

 未花は僕のことをそっちのけで地面を見続けている。僕は虫かごを顔まで近づけた。

「ねえ、ミンミンゼミ捕まえたんだけど見る?」

「見せて見せて!」

 僕はしゃがんで未花に虫かごを近づける。ミンミンゼミは逃げ出したいのか暴れだした。

「わっ!」

 未花は身をのけぞらせた。僕の興味はは未花の右手に握られている花に移った。

「ねえ、そのお花なんていうの?」

 未花は口角を上げ、嬉しそうに答えた。花は未花の頬と同じような、綺麗な桃色をしている。

「この花はね――――」



 なんとなしにコンビニに入る。一面に広がる山の景色のなかに水色の看板があるのはとてもミスマッチだった。

「おっ、シオンじゃん」

 名前を呼ばれ振り返ると、好青年スマイルが目の前にあった。こいつは、確か…

「畑中か、久しぶり。」

「おう、久しぶり。」

 畑中はごつごつとした手のひらを振った。

 畑中は小・中学校の同級生で、昔よく虫取りをして遊んだ。中学を卒業した時は僕より背は小さかった記憶だが、今じゃすっかり逆転されている。

「お前の職業当てていいか?」

「お、いいぞ。なんだと思う?」

 鍛えられた身体、日焼けした肌、一八〇センチはありそうな背丈…

「消防士だろ?」

 畑中は首をふった。

「残念、プログラマーだよ。」

 その風貌でデスクワークしてるのか。なんかちょっとシュールだ。「完全に体使う仕事してる奴の体格してるけど。」

「いやー筋トレにはまっちゃってな。シオン、どこで働いてんの?良かったらいいジム教えようか。」

 い、いや俺は今はいいや。忙しいし。

「ところで、みんなは元気?」

「おう、うちはみんな元気だぞ。」

 どうしてポージングをしながら言うのかは謎だが、元気ならよかった。

 それから世間話をした。適当なチョコレート菓子を買って、僕はコンビニを出た。


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