雪を見た、どこまでも紅かった。

二川 迅

第1話

 雪が降る。そして積もる。

 当たり前だ。真冬のこの時期に雪が降るなんて子供でもわかる。



 2020年の冬、僕達は最後の白い雪を見た。







「いってきます」


 返事はない。一人暮らしの僕にとって少し寂しいものではあるが、慣れたものだ。

 1月の中旬、アパートの階段を降りる僕、岸和田きしわだ 大和やまとはシャカシャカとイヤホンからの音漏れを気にせず、早足で学校へ向かう。

 この時期はよく冷える。ブレザーの下にベストなんかを着ていないと落ち着かない。道路はほんの少しだけ白く染まっていた。


「………大和」

「あぁ、宗谷。今日はまた一段と厚着してるね」


 階段を降りた先に立っていた茶髪の男性、僕にとって腐れ縁の仲である宗谷そうやひかる。身長は僕より少し高めで陸上部の宗谷はカバンが僕よりも一回り大きい。


「今日寒くねぇか?大和は逆に薄すぎだっての」

「仕方ないの。うちはこれが限界なの」


 金のない僕の家からすると、服を買うのも一苦労だ。宗谷のような金持ちの家が羨ましい。


「もう、雪の季節か……」

「早いね。つい最近まで夏祭りしてた気分だよ」

「てか、もう2年生が近いんだよなぁ……お前、進路とか決めてんの?」


 唐突に宗谷がそんなことを問うので、僕は少しだけ戸惑う。

 曇り空を見上げながら、「んー…」と喉を鳴らし、眉をひそめた。


「特には決まってないかな。高校の間にやりたいことが決まったら専門学校行くし、このままなら、四年制に行くよ。宗谷は?」

「俺は……今のところ決まってないな。多分、大和と同じかも」

「……そっか…」


 まだ進路についてそこまで真剣に悩まなくてもいいのに、少しずつ心配になってきていた。このままずっと高校生が良い。なんて、そんなタラレバの想像をしちゃうのは僕の悪い癖だ。

 そこから、ずっと他愛もない友人関係や部活の話をして、数分で学校に着いた。


 私立 宮瀬みやせ学園。偏差値も中の上程の平凡な学園高校で、スポーツに力を入れている印象がある。

 そんな学園の校門を通り、塾の勧誘をしているお兄さん達の横を早足で通り過ぎ、下駄箱の方へと向かう。すると、グラウンドの方からドタドタと大勢が走っている足音が聞こえ、そちらに目をやる。

 さすが野球部だ。こんな朝早くから走り込みをしている。こんなにも寒いのに汗が滝のように出ているのがわかった。


「うひゃ…厳しいな野球部は…」

「……まぁ、安賀あが先生だしなぁ…」


 安賀先生は野球部だけでなく、一般生徒にも厳しい人で当然、人気がある訳がない。

 そんな話をしているうちにも、安賀先生の怒号が飛び回る始末だ。


「……今のご時世だと、体罰で近いうちに辞めそうだよな」

「……だね」


 下駄箱に靴を入れ、階段を登る。そこの壁には、刀や槍がガラス張りで展示されている。

 この学校は歴史が深く、名武将の子孫や元総理大臣の孫など、凄い血筋の生徒もいる。そのため、そのような所からの差し入れというものか分からないが、名武将の刀とかが置いてあるらしい。


 それはさておき、僕と宗谷はクラスに入る。スライド式の扉を開け、教室に入るとほぼ大半の生徒が登校し、友人と談笑していた。


「おはよ、岸和田、宗谷」

「おう」

「おはよ」


 僕の席の隣には真っ黒な髪が背中まで伸びた少女。秋橋あきはし 依央梨いおりがいた。


「見てよ岸和田。岸和田のお陰でまたレアドロップしたよ」

「あのやり方良いでしょ?」

「うん、マジで感謝しかないよー」


 秋橋は個人的に綺麗な容姿をしているが、見ての通りゲームが好きなインドア派なので、あまりクラスの中心という訳では無いが、影で人気があるらしい。

 俺は自分の椅子を引き、秋橋と同じソーシャルゲームを起動する。

 ホームルームの予鈴が鳴ったのはそれから5分後の事だった。




「……今日は連絡事項は特にないので、以上でホームルームを終わります。今日も一日頑張ってください」


 驚くほど短い相原あいはら先生の話に、僕は毎回ホームルームなんて無くても良いんじゃないかなと思ってしまう。

 1時間目は数Ⅰだ。僕は少しだけガッカリする。

 ちょうど一ヶ月後には学年末テストが控えていると言うのに、数Ⅰだけ驚くほど分からないのだ。そのため、これ以上テスト範囲を広げられたら困るという訳だ。


「……ね、岸和田」

「ん?どしたの?」


 少し慌てているのか、焦燥しょうそうが見える顔で、秋橋は小さな声で僕に聞いた。


「数Ⅰの教科書見して……」

「また忘れたのか…」


 秋橋は頭の方が相当乏しいようで、忘れ物も多い。それなのにあまり先生に怒られないのは、毎回僕が貸しているからだ。

 僕は誰にでも断れない性格で、人に流されやすい。大して仲良くない人のグループでも、一言「行こう」と言われたら自然に頷いてしまう。これもまた、僕の悪い癖だ。


 相原先生が出ていくのと入れ替わるように数Ⅰの山田先生が姿を現した。薄汚れた眼鏡をかけており、少しだけ白髪が現れ始めている。

 そして直ぐに授業開始のチャイムが鳴り響いた。


「はい、号令」


 今日の日直が号令を出し、僕達はいつものようにノートと教科書を開いた。


「き、岸和田ぁ……ここどーやって解くのぉ?」

「どこ?」

「じゃあ……秋橋、xの値は?」

「えっ……えっとぉ……」


 僕に質問している間に、秋橋は先生に指名されたようで、戸惑う。

 チラチラと僕の方を見ながら、助けを求めてきた。これもまた日常である。僕はため息をついて、秋橋にだけ聞くこえるような声で呟いた。


「……14」

「じゅ……14です」

「正解。で、このことから……」


 秋橋は落ち着いたように溜息を吐きながらストンと座る。するとすかさず僕に礼を言った。


「助かったよ岸和田ぁ」

「うん、たまには自分で解こうな」

「は、はい……」


 あまりに秋橋が問題を解けないので、僕は少し心配になった。

 窓際の席の僕は授業中、ふと外を見る。今日は雪が降っているので、いつもとは違う雰囲気だ。


 このまま、ボーッと外を見ていたい。そんな気分に駆られた。

 僕はこの真っ白な景色が好きだった。






 突如、その真っ白な風景に赤色が差し込んだ。


「?」


 不思議に思った僕はそれをじっと見つめた。どうやらそれは何かの「赤い液体」だった。上から重力にしたがって1階の方へと落ちていく。


「……」


 少しずつ嫌な予感が濃くなった。いつもの景色に「イレギュラー」が入り込んできたのだ。嫌な予感の一つはするだろう。


 そして、その嫌な予感は見事に的中してしまう。


「っ!?」


 その「赤い液体」は量が増し、ダバダバと滝のように流れてきた。


「な、何?」


 どうやら、クラスも全員が気づいたらしく、動揺が現れる。これには先生も驚きをかくせていないみたいだ。

 そして、一瞬だけ、「何か」が落ちてきた。そう、きっと、これが「赤い液体」の源。


「うわあああ!?」

「っ!?」


 僕の前の男子が悲鳴をあげた瞬間の窓の外には、「頭のない人」が逆さになって落ちていった。そしてそれからまもなく、雪の積もった場所に「ボフッ」と音をして落下した。

 僕は急いで窓を開ける。そして、落ちた場所を見る。


「う…そだろ……」


 僕は絶句する。分かってはいたが、その落下物は案の定「人」だった。しかも、制服からして学校の生徒だ。

 それを見た他の人は口を塞ぐ者、腰を抜かす者、悲鳴をあげる者、大勢が大混乱に陥った。


「落ち着きなさい!」


 先生の声が届き、静寂を取り戻した。先生は顔を顰めながらも状況を説明した。


「とりあえず、授業は中止です。恐らく、状況が分かるまで、ここで待機しましょう」


 当然の処置だ。山田先生は教室を出て、屋上へと向かった。

 もしこれが殺人事件であったら、無闇に動いて犯人に鉢合わせてしまうより、ここで待つ方が安全だ。


「……大和」

「そ、宗谷……」


 椅子に座って落ち着こうとする僕の所に宗谷が来る。どうやら、宗谷は完全に落ち着いているみたいだ。


「首が無いってことは…事故ではないよな」

「うん、殺人なのは確実だよ…今先生が状況確認に回っているから、もうすぐわかるでも……誰が…」


 ここは最上階の5階だから、屋上から落としたのは確かだ。きっと、防犯カメラにも犯人の顔は映っているはずだ。


「今は何を考えても仕方ないよ」

「だな…」

「岸和田ぁ…どうなってるのこれぇ……」


 秋橋が涙を流しながら、僕の方に来た。秋橋は少しだけ涙を流していた。


「分からないよ。とりあえず、涙拭きなよ」


 僕はハンカチを取りだし、それを秋橋に渡す。秋橋は「ありがと」と短く伝えて涙を拭いた。


 その途端、またポタポタと「赤いもの」が垂れ始めた。


「なっ!?」


 そして、今度は直ぐに、首なし死体が落ちてきた。そしてまた、1人目の近くに落下する。俺はまた窓から下を覗き、歯を食いしばる。


「2人目…って……なんでだよ」


 しかも、今の服には見覚えがあった。先程までこの教室で見ていた気がする。


「山田……先生…」


 僕達の数Ⅰの担当、山田先生が落ちていったのだ。今度こそ、誰もこの混乱を止めるものはいなくなった。恐怖に押し潰され、大半の生徒は全速力で階段を駆け下り、学校を出ようとした。


「お、おい!」


 宗谷が止めようとするが、誰をそんな指示は聞く耳を持たない。残ったのは僕と宗谷、秋橋とその他の生徒5人程だけだった。


「ったく……」


 宗谷は呆れたように額に手を当てる。その間、僕は少しだけ考えを深めていた。


「ね、宗谷」

「なんだ?」

「本当に人が殺したのかな?」


 僕は宗谷に問う。宗谷は首を傾げて、僕に問い返した。


「どういう事だよ?」

「だって、山田先生が教室を出て、首なし死体になるまでの時間が早すぎる気がするんだ」

「……」

「人間の首を切るには、太い血管などがあるからなかなか切れないんだよ」

「何か危険な道具を使ったんじゃ…チェーンソーとか…」

「そういった人体をすぐ切れる程の道具なら、窓越しでも何か音がする筈だ。ここは屋上のすぐ上なのに、何も音がしなかったんだよ?」


 宗谷は「たしかに……」と言って少しだけ考える。しかし、どれだけ考えても、何も思いつかない。


「直ぐに首を切れて、道具を使わない………」

「…人じゃない」


 僕がそう呟くと、僕自身を含めた全員に悪寒が走る。

 そう。その可能性が一番高いのだ。人で出来ないことを平気で出来る化け物は存在しているかは分からないが、もうこの際、それしか考えられないのだ。


「……おいおい…冗談はやめてくれよな…」

「嘘でしょ……私…ここで死ぬの?」


 冷静沈着な宗谷もこればっかりは恐怖に染められた。秋橋に関してはまた涙を流し、腕を抱いて震えていた。





 この日から、僕の日常は変わった。

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雪を見た、どこまでも紅かった。 二川 迅 @Momiji2335

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