IN THE HOUSE

ゆい さくら

第1話

 俺には世話をしてやっているヤツがいる。


 クロは朝がどうしようもなく苦手だ。いつも俺の方が先に起きる。だから仕方なく起こしてやるのだが、ヤツは嫌そうに俺を振り払う。

 俺は負けず嫌いであるから、意地になって起こしにかかって、毎朝ちょっとした争いになる。

 放っておけばいい、と言われそうだが、そうもいかない。

 俺の気に入っている場所はクロも気に入っていて、大体その位置で寝ているからだ。邪魔なのである。

 何度もそこは俺の場所だと主張しているのだが、クロは俺の話など全く理解していない。する気もないのだろう。聞こえないフリなのか、顔を背けるばかりだ。


 クロと俺の関係はとても微妙である。どちらが上でどちらが下か。

 俺はもちろん俺の方が上だと思っているが、きっとクロもそうに違いない。お互いに自分が上だと思っていることだろう。

 しかし実際のところ、俺とクロは普段の生活では生活圏がハッキリと分かれているため、同じ家に住んでいるというのにあまり関わりがない。

 視線を感じることはあるが、何も言わないし、言ってこない。俺の視界にクロが入る時も同様だ。俺の場合は特に用事があるとかではなく、たまたま見た方向にクロがいたから見えてしまった。それだけのことだ。

 大方はお互いに好きな場所で好きなことをしている。たまにその場所が被って争うことはあるけれど、大体の日は朝の攻防のみである。


 声を立てて荒げることはないが、無言の攻防であれば他にもあった。それは食事だ。

 クロは必ず食事時に、物欲しそうな顔でこちらをじっと見つめてくる。お前の分はお前の分であるだろうに。俺はとられやしないかと内心少しドキドキしている。

自然に背を向けて見られないようにするが、背中に視線を感じる。時によってはわざわざ回り込んできやがる。

 「ダメだ」とか「やらないぞ」と言ったことはある。「やめろ」とも。それでもクロは何も言わないし、言葉を交わしたことはない。

 正確に言えば、クロも何事か言葉は発することはあるが、俺にはそれが理解できない。理解できる訳がない。それは俺とヤツが別の種類の生き物であるから、全くもってそれは自然なことであった。だから朝の戦争も、お互いに何を言い合っているのかわからずに、ただただ喧しく騒ぎ立てているだけである。

 言葉の内容はともかく、そこに乗っている感情はお互い理解できているとは思う。怒りの場合は特に。しかしその他はイマイチだから、俺とクロはあまり気が合わないのだろう。

 それでも同じ家に住んでしまっている以上、仕方がないことだと割り切るしかない。俺は大人であった。


 俺がこの家に住んで何年になるのか覚えていないが、クロがきた時のことは未だにハッキリと思い出せる。当時のクロは今よりも全然小さかった。

 俺はこんな性格ではあるけれど、最初は仲良くしようと思っていた。信じられないかもしれないが、本当に。普段の俺からは考えられないことに、愛想よく挨拶だってしてみた。しかしクロはそそくさと逃げてしまったのだ。

 今になってやっと、初対面でわからない言葉で話しかけられながら近づかれて、怖かったのかもしれないと思うことができた。が、当時の俺はそれがなんだかショックであり、自分らしくないことをした恥ずかしさに襲われ、もうクロとはなるべく関わらないでおこうと決めたのだ。どうせクロから俺に何かすることもないだろう、と。

 それから月日が経ち、あんなに小さかったクロはどんどん成長していった。それと共に、かなり図太くなった。俺のことなんかちっとも怖がらず、時には反撃だってしてくるまでになっていた。こんなことなら、あの時からしっかりと教育しておくべきだった。


 リビングには天井まで届く置物がある。登ったり爪を研いだり中に入ったりできるアレだ。俺には不必要な代物。正直、邪魔だと思う。

 通り過ぎる時、その足元にクロがいた。何をしているのか気になって、ちらりと盗み見る。クロは背を向けていて手元は見えないけれど、「ニャー」という声が聞こえてきたから、まぁ遊んでいるんだろうと放っておく。

 いつものお気に入りの場所に寝そべって、食後の満腹感と共に訪れた眠気に抗わず、うとうとする。しばらくして、「ニャー!」と今度は苛立っている声が聞こえてきたけれど、俺は関わらないのが吉だとそのまま目を閉じた。


 外に出ると新鮮な空気と暖かな空気に包まれる。家の中は快適だが、外に出ないと健康に悪い。ちょうどよい季節に、眠っていた花たちが咲きだしていた。

 上機嫌になる俺とは打って変わって、クロは不機嫌そのものだった。珍しくたくさんの言葉を喋っているけれど、俺にはやはり意味はわからない。ただ嫌だという気持ちはしっかりと伝わってきている。

 クロはどうやら、あまり外が好きではないらしい。最近のこだわりなのか、前はそんなことなかったはずなのだが。

 まだ家を出て十分も経っていないというのに、あまりにも悲痛な声なものだから、このままではうるさいので仕方なく家に引き返した。

 家に入った途端、クロはぴたりと声を止めた。そのまま家の中へ駈け込んでいく。そんなに外が嫌いならずっと家にいればいいのに、と思ってしまうけれど、そうもいかないことは俺もよく知っている。

 リビングに入ると、クロは拗ねたように丸まっていた。今回ばかりは俺のお気に入りの場所だが、貸しておいてやろう。特別だからな。

 

 廊下からは話し声が聞こえてきたけれど、扉に遮られていてぼんやりとしている。

「すみません……はい、途中で……明日でも大丈夫でしょうか?」


 次の日に再度外に出た。昨日と違うのはクロがいないという点。クロは朝から見かけなかったから、今日は静かな一日の始まりだった。久しぶりの感覚で、少しだけそわそわとした気になる。

 道を歩きながら、徐々に嫌な気分になってきた。珍しく、この俺でさえ、引き返したい。家に帰りたい。それでも足を止めることは許されない。引きずられるように、建物の中へ押し込まれる。嫌な記憶がよみがえる。中からは悲痛な声が聞こえてきていた。あぁ、ここは、病院だ。

 呼ばれた名前に、仕方なく足を動かす。ぐずっていたってどうしようもない。逃げられるものじゃない。体を撫でまわす手とチクリと刺す痛みに耐えれば、すぐに終わるはずだ。そう言い聞かせて耐える。

 解放されてぐったりとしているが、まだ帰れる訳ではない。ケージからするりと出てきた猫は俺と違っておとなしく、ぼんやりとしながら診察を受けていた。


 家に帰って疲れにぐったりとしていると、いつの間にか夕方になっていた。もうしばらくは病院には行かなくていいはずだと、体を伸ばしながら考える。逆に日が空いてしまうからこそ、病院の存在をすっかり忘れてしまって、着いた頃になってようやく思い出すのだ。それがいいことなのか悪いことなのか、俺にはよくわからない。

 考えを散らせるように頭を振ると、自然に体ごと振れる。あぁ、少しはスッキリしたかもしれない。

 家主が「クロト」と正確な名前を呼びながらリビングに現れた。クロはそれに「なぁに?」とまだ幼い声で返事をする。

 手元にはクレヨンと画用紙が散らばっていて、これは怒られるぞと俺は家主の様子を伺う。

 家主の言葉はクロと違い、俺がこの家にきてからずっと聞いてきたものであるし、しっかりとした言葉だから、大体は理解できる。そして感情や雰囲気までも察することができる。

 しかし、クロの場合はまだ言葉を習得途中で、よくわからない独自の言語だから、俺には理解できない。きっと成長して普通に話せるようになったら、わかるのだろう。それには後どのくらいかかるのやら。

 予想通りに「ご飯なんだから片付けてって言ったでしょ!」という強めの言葉が家主から発せられ、クロはやっぱりよくわからない文句のような言葉を口にしつつも、渋々ながら一応は動き出した。

 それを見てから家主がこちらへ視線を向ける。

「あなたたちもご飯にしようか」

 持っていた二つの皿を床に置く。大きい方の俺の皿には、俺の好きな柔らかい肉が入ったドッグフードが適量に盛られていた。病院のご褒美だろうか。

 待ってましたとばかりに俺は「ワン」と返事をする。

 俺の後ろに控えていたもう一匹の住人が、のろのろともう一方の皿へ近づく。いつもマイペースでクロに弄られてもされるがままにしている、注射が平気なそいつは、眠たげに「ニャァ」と間延びした声をあげた。

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