彼女はどっちだ!?

橘トヲル

第1話 思い出せない記憶


 目の前に、裸の美少女がいる。

 背中まである長い茶味がかった髪は、湿気を帯びて煌めいて、真っ白な肌は纏った水滴を滑らせる。なだらかに続く肩から鎖骨にかけてのラインを下りると、大きく実った双丘へと目が落ちる。

 そんな少女が謎の光や、異常に濃い湯気に体の一部を隠されることもなく、呆然とした表情で固まっていた。 

 それも当然だ、彼女は今浴室から出てこようとしたところで彼――玲斗が扉を開けてしまったのだから。

 いきなりの事態に少女同様固まっていた玲斗だったが、見惚れていた少女の顔がトマトのごとく赤くなっていくのを見て、何やら心の中に罪悪感のようなものが膨れ上がっていくのを感じた。

 その心に従って、後ろを振り向く。


「わっ悪い! 中にいるとは思わなかったんだ!」


 口から出るのはそんな謝罪の言葉。

 それと同時に自分がとんでもないことをしてしまった気がして、背中から嫌な汗が滝のように溢れ出す。

 少女に背を向けたままでいると、不意に背後の少女が動く気配があった。

 戸口から手が伸ばされて、玲斗の足もとに置かれた籠からバスタオルを取り上げる。

 背後からの気配を感じ取るに、どうやら浴室の中で少女は体を拭き始めたようだ。

 確かに浴室から出るには体を拭く必要がある。

 だが。

 扉を開けたままで拭く必要があるのだろうか?


「……」


 少女は依然何も喋らないままだ。黙々とただ体を拭いている。

 なんとなく気まずい。

 背中を向けているとはいえ、瞼の裏には先ほど見た光景が張り付いて離れない。ほんのちょっと、後ろを振り返れば同じ光景が見られる。その迷いを断ち切るのに玲斗はとんでもない精神力を必要とした。

 やがて、少女は体を拭き終わったのだろう。

 籠へとタオルを戻す。

 そして代わりに今度は籠の中から小さな布きれを手に持っていくのが一瞬目に入った。

 瞬間の逡巡ののちに回答は出た。

 パンツだ!

 白い飾り気など一切ないシンプルなそれが、視界の端から消える瞬間に見えた。

 後ろでごそごそと衣擦れの音がする。

 なんの罰ゲームなんだ、これは?

 生殺し、そう生殺しだこれは。

 あんな美少女が同じ家の中にいる。

 これはギャルゲーかハーレムマンガなのではないか、そんな疑いを持ってしまう。

 そもそも――


「なぁ、あんた……誰なんだ?」


 口から出た問い。

 この家には今玲斗しかいない。

 母親は海外だし、父親は仕事でほとんど帰ってこない。その父親が今日は珍しく帰って来る予定になっているが、断じてこんな美少女ではなかったはずだ。

 親戚に同じ年頃の女子はいないし、かろうじてはとこに女の子がいるが、あれは絶壁な上にまだ小学生だ。

 故にこれは事故であり、覗きの事件であり、不法侵入の現場なので自分に非はない――はずだ。

 玲斗の問いかけに、少女は――なぜかはっと息を止める。そんな気配だった。


「ボク、のこと、覚えて、ない、の?」


 小さく、とぎれとぎれでかすれた声だった。

 だが、きれいな声だと思った。

 その声が、驚いたような、少し悲し気な音で耳朶を叩いた。


「あんたは……」


 だから微かに脳裏に引っかかる記憶があった。

 こんなに綺麗な声を忘れるはずがない。

 もうずっと昔、毎日この声を聞いていた気がする。

 あと少しで思い出せる、その予感と共に思わず振り返りそうになって、


「リナっ!? どこにいるのっ!」


 目の前の、廊下へと続く扉が乱暴に開けられて飛び込んでくる人物がいた。

 息せき切って飛び込んできたのは少し茶味がかった髪をショートにした女の子だ。

 短いスカートから覗く膝がまぶしい。上に着た白いブラウスは、外の雨に濡れたのだろう、ところどころ張り付いて気持ち悪そうだ。だから分かったが胸はすらりとした地平線を描いており、背後の少女とは対照的だ。だが、細くしなやかに伸びた手足は程よく日焼けしており、健康的な美しさを見せつける。

 そして、その顔は後ろの少女にも負けず劣らずかわいらしい。

 と言うよりもほとんど一緒だ。

 ただし、その目に浮かぶのは背後の少女と真逆の強い意志。

 目が合った瞬間見せたのは焦り。

 次いで脱衣所から浴室へと視線が走り回り、目当てのリナを玲斗の背後で見つけたのだろう。安堵した表情になる。

 そして最後に、緩んだ表情から一転、少女同士をふさぐ位置に立つ玲斗へと視線が向けられ憤怒の炎を宿す。


「あなたっ!」


 ずかずかと大股で脱衣所へ入り込んでくる。


「ちょ、ちょっと待った! これは事故で……」

「うるさいっ! この変態っ!」


 そういうなり左足を軸にして大胆にも右の足が宙へと伸びる。体と同時に短いスカートもふわりと持ち上がり、カモシカのような細くしなやかな足が遠心力も加味されて空を切る。


「こぴょっ!?」


 綺麗な足とめくれ上がったスカートに一瞬思考を奪われていた玲斗は、一直線に飛んできた回し蹴りをまともに首へとくらい吹き飛ばされる。

 倒れる直前、しっかりとスカートの中を目に焼き付けながら。

 黒のレースをふんだんにあしらった、サイドに紐のついたやつだった。

 倒れた先で床に頭をしたたかに打ち付ける。

 意識が明滅し、目を開けていられなくなった。


「お姉ちゃん、やりすぎ」

「でも、こいつが悪いのよ! 信じてたのにっ!」


 遠のく意識の中、耳に届くのはよく似た綺麗な声。

 ただしそれらは性質を大きく異にしていた。

 懐かしい、そう感じながら玲斗の意識は暗転した。




   ◇


「おい! 親父、どういうことだよこれは!」


 スマホの通話口に向かって玲斗が噛みつくようにして叫ぶ。


『いやー、すまんすまん! 急に決まったもんだから伝えるのが遅くなってな!』


 ケータイからは玲斗の父親の能天気な声が聞こえてくる。

 反対に、リビングのソファに座った少女たちのうち一人の視線は恐ろしく冷たい。

 茶味がかった髪をショートにした、スカートと白いブラウスを身に着けた少女。

 もう一人はと言えばリビングのテーブルに突っ伏すようにして、さっきからスマホで何かゲームをしているようだ。ゲームの内容以上に服の上からでもわかる、テーブルに押し付けられている二つの見事な双丘が気になってしかない。風呂から上がった後ちゃんと服は身に着けており、今はなぜか上下ジャージ姿だ。

 あんなことがあった後だというのに落ち着いていて、彼女が視界に入るたびに風呂場での光景がリフレインしてしまう玲斗の方が落ち着かなかった。

 ちなみに玲斗も今は服を着替えている。

 元々、下校の途中にゲリラ豪雨に見舞われて急いで帰ってきたところだったのだ。

 服はもちろん下着までびしょびしょ。

 しかし誰もいないはずの風呂場に明かりが点いていて、泥棒かと思い開けたところ先の光景に出くわしたというわけなのだった。

 現実逃避気味に意識を失っていたのは数秒だけだった。

 現実を取り戻した玲斗が二人に尋ねれば、


「小父様から聞いてないの?」


 という一言。

 今はのんきに風呂なんぞに入っている場合ではないと思い、部屋で服を着替え体はタオルで拭くだけにとどめている。

 3人ともリビングに移動して、とりあえずお茶とお菓子などを出して急いで父親に電話を掛けたところなのだった。


『あー、玲斗。実はお前に朗報があるんだ。何と! 今日からお前と一緒に可愛い女の子が二人一緒に生活することになったぞ! おめでとう!』

「おめでたくねえんだよこのハゲ親父!」


 電話の向こうの、こちらの状況を一切顧みない父親の言葉に本気の罵倒を返す玲斗。


『は、ハゲとはなんだハゲとは! 実の父親に向かって! 俺がハゲならお前もいずれハゲるんだぞ!?』

「じーちゃんはハゲてないから俺はハゲないよ!」

『言ったなこいつ!』

「あんだと!?」


 ドン、という音がリビングに響く。

 思わず振り返れば、ショートの少女が飲みかけの湯飲みをテーブルに叩きつけた状態で、しかもどうやって作っているのかわからないが底冷えのする笑顔で言うのだ。


「いいから、話を進めて」

「……はい」


 電話の向こうにも聞こえていたのだろう。

 父親も黙っている。


「で?」

『ああ、実はな……』


 父親の言うことをまとめると、どうやら彼女たちが居候になることは間違いないらしい。

 二人の父親は、玲斗の父と仕事のつながりでできた友人同士だそうでしばらく前に知り合ったのだそうだ。

 何度か家にお邪魔するうちに娘二人とも仲良くなり、よく玲斗のことも話していたのだという。

 そんなある日、彼女らの父親が海外へ転勤が決まったのだそうだ。


『海外へ行くのは彼女たちも不安がっていたのでな。そこでよければ家に来るかと提案してみた』

「せめて、相談くらいしろよ……」

『ハハハ、今日するつもりだったぞ!』

「もう来てるじゃん……」


 肩から力が抜ける。

 この父親の適当さ加減には本当にいつも振り回される。そう思うと今更だという気もしてきた。

 とはいえ、同じ年頃の女の子と3人きりで同居、と言うのはさすがに問題な気がする。


「で? 今日帰って来る予定だったんだろ? いつ帰ってくんの?」

『あー、それなんだがな、スマン無理』

「は?」

『いやー、本当は俺もしばらくは家にいるつもりだったんだがな。母さんから今すぐロシアに来て欲しいって連絡があってな。今成田なんだよ、ハハハッ』

「ハハハじゃねーよ、どうすんだよこの状況!」

『玲斗、俺は息子のお前を信じている。避妊はしろよ』

「そうじゃねーよ!」

『心配するな、明日には二人の荷物も届くし、お前の高校に転校の手続きも済ませてある。明日からは学校に三人で通えるぞ』


 ああ、もう無理だ。

 そう思って思わず天を仰ぐ。


『それに、別にお互い知らない仲と言うわけでもないだろう』

「は?」

『それじゃ、あとは任せたぞ。ヨロシク!』

「あ、おい待て親父!」


 通話口からはツーツーという音だけが聞こえている。


「で、大体事情は理解できた?」


 冷たい視線を途切れさせていないショートの少女が尋ねてくる。


「まぁ、な。あと、親父はこっちに来れなくなったそうだ」

「そう。小父様にも困ったものね」


 はぁ、とため息をつく。

 その様子に慣れたものを感じた。もしかしたら既に何かしら、この二人にも迷惑をかけているのかもしれない。


「うちの親父が馬鹿でなんかすまん……」

「いいわ。慣れてるもの。それに、面白いお父さんじゃない」

「……まぁそこは否定しない」


 日本中あちこち飛び回って仕事をしている自由人な父親で、向こうで作ったトラブルが家まで降りかかることもたまにあるが、それでも憎めない面白い父親だ。認めるのが業腹なので、頷くには時間がかかったが。


「とりあえず、あんたたちがここに住むことになったのはわかったよ」

「……そのあんたってのやめてくれない?」


 玲斗の言葉にショートの少女がムスッとした表情をする。


「って言ってもまだ名前聞いてないし」

「はぁ!? あなたっ―――!」

「お姉ちゃん、説明。必要」


 一瞬で沸騰しかけた少女を止めたのは、ロングヘアの少女の方だ。

 手元のスマホから一切目を上げずに、短くつぶやくように言う。

 ショートの少女はその言葉に一瞬「うっ」と唸りながら、


「そうね、久しぶりだものね。仕方ないわよね」

「うん、仕方ない」


 少し悔しそうな顔で言うショートに、なだめるようなあやすようなロング。


「何の話をしてるんだ?」

「こっちの話よ」


 大きく2、3度深呼吸をする。

 何か、落ち着きがない。

 じっと見つめてくる二対の目には、何かの期待が見え隠れしていた。


「私の名前はリゼ、二條リゼよ。こっちは双子の妹で―――」

「リナ」


 短い挨拶だった。


「これからよろしく頼むわね―――」


 そして二人同時に桜色の唇が開く。


「「れーくん」」

「!」


 名前を呼ばれた瞬間、頭の中を電流が駆け抜けたような気がした。

 そうだ、俺はこの二人を知っている。

 二人で遊ぶ様子のイメージが幾つも流れては消えていく。

 大切な記憶だったはずだ。こうして急に思い出した一つ一つの記憶に胸を締め付けられるように感じるのだから。


『れーくん、今日何して遊ぶ?』


 鈴を転がすような、きれいな声。


『れーくん、あれなぁに』


 いつもそばにいた。


『今日学校でねっ』


 お互い親が夜遅くまで帰ってこなくて家が近所だったから、いつも二人で遊んでいた。

 そしてある日急に引っ越していなくなってしまった。

 二人?


「あれ?」


 そうだ、二人だったはずだ。

 彼女と、自分で二人だった。

 彼女たち、ではない。


「りー、ちゃん?」


 恐る恐る、覚えている名前を口に出す。


「覚えて、くれて、たんだ」

「あら、まだ覚えてるとは思わなかったわ」


 二人が同時にそれぞれの反応を返してくる。

 だがその表情は正反対のものだ。

 前者はケータイをテーブルに置いてふわりと笑顔を咲かせ。

 後者は腕を組んで睨み付けるような視線を突き刺してくる。


「りーちゃん、なんだよな? 小学校の一年生くらいの頃、一緒によく遊んでた」

「そう、だよ。また、会える、の楽しみにして、た」

「ま、私はそんなことなかったけど」

「お姉ちゃん、素直に、なろ?」

「リナ、何度も言うけど私はっ―――!」

「はいはい、分かってる、よ」

「もう……」

「なぁ」


 少し気が引けたが、聞かずにはいられなかった。

 二人の視線が玲斗の方を向く。


「俺の記憶違いか? 遊んだ記憶はいつもりーちゃんと二人っきりだったんだけど……」


 そんな玲斗の問いに、リゼが呆れたような溜息をついて、


「間違ってないわよ、それ」

「え?」

「あの頃私たち、交互にあなたと遊んでたから」


 なんだよ、それは。

 愕然とした思いで、二人を見つめる。

 すると、リゼがいたずらが成功した子供のような笑顔で言うのだ。


「あの頃私たちは今よりももっとそっくりだったのよ。だから入れ替わってお互いの振りをするのがあの頃の私たちのいつものお遊びだったわけ。髪の長さも好みもみんな一緒だったから、お父さんとお母さんも服が違わなければ絶対気付けなかった。それが面白かったのよね」

「それじゃ、俺の前に来た時も……」

「そういう、こと、だよ」

「あなたも最初は気が付かなかったけどね。でも毎日遊ぶようになって―――最後には気づかれちゃった」


 くすり、とこぼれた微笑に玲斗は息を呑む。

 そうだ、あの頃もこんな笑い方をする子だった。


「それでも変わらず『りーちゃん』って呼んで遊んでくれて。だ、だから私たちは、その」

「?」


 急に歯切れが悪くなったリゼの顔を見ると、なぜか真っ赤に染まっている。

 口をもごもごさせて、言葉にするのを何か恥ずかしがっている様子だ。


「だからその時に」

「ボク、はれーくんと約束した。大きくなったら、結婚しようって」


 リナが今日聞いた中で初めてはっきりと喋った。

 だが、その声と内容は玲斗の耳を右から左へと流れていく。


「は? 今なんて言った?」

「はぁ、私とその時『大きくなったら結婚しよう』って約束したのよ」


 ため息とともに、今度はリゼがはっきりと言う。

 結婚だって?

 いや、それよりも―――今それぞれ自分とって言わなかったか?


「なぁ、どっちと俺は約束したんだ?」


 その問いに、二人は一瞬顔を見合わせて、


「「もちろん」」


 二人の声が重なって。


「私とよ」

「ボク、と、だよ」


 別れた。


「……」

「……かなり混乱してるみたいね」

「当然、だよ。お姉ちゃん」


 情けなくも口をパクパクさせているだけの玲斗を見て、二人が微笑む。


「そういう、訳で、来た」


 来た、じゃない。


「ちょっと、待て。会ったのは10年も前の話だぞ? 今まで一度も会わなかったのにいきなり結婚なんて―――!」


 そんなのは普通じゃない。


「まぁ、そのとおりね。でも小父様から聞いたあなたは全く変わってなくて、だから結婚は行き過ぎでも……付き合うのはありかなって、ね」


 おいおい正気か、と思って見ればリゼの顔は笑顔であっても何か不自然なものだった。作り物めいた、笑顔だった。


「ボク、は今すぐにでも結婚しても、いい、よ」

「いや、俺に選択肢はないのか!?」

「結婚の約束をしてきたのはあなたの方だったじゃない。思い出せないの?」


 そう訊かれて、必死に頭を抱えてみるも、幼いころ一緒に遊んでいた微かな記憶しか思い出せない。その子のことが好きだったのかも思い出せないのだ。


「なるほど、これは、深刻」


 少しばかり悲しそうな声でリナが呟く。


「そうね、予定外だけど」


 リゼはと言えばなぜかさっきよりも少しばかり機嫌がよくなっている気がした。続けて「好都合だわ」という呟きが微かに耳に入る。


「それじゃ、新しく約束をしましょう」


 どういう意味だ? と言う言葉は、リゼの言葉によって遮られた。

 その顔には、先ほどまでなかった小悪魔的な笑みが浮かんでいる。


「約束?」

「10年前の約束を思い出して、改めて好きになった方と付き合って」

「そう、だね。お姉ちゃんとボクは、そのために、来たんだから」

「んなっ!」

「どっちと約束したのか、頑張って思い出してね?」


 そう言って、再び絶句した玲斗の顔を見て心から楽しそうに笑うのだった。

 どちらの少女も見た目はそれぞれがそれぞれの可愛さを持っている。

 クラスにいれば必ず人気上位に入るだろうほどの容姿だ。

 だが、だからと言って子供の頃の口約束を理由に好きになるなどは―――


「それとも、思い出す自信がない?」

「何だって?」


 リゼの馬鹿にするような口調に、反射的に反応してしまう。


「ああ、ごめんなさい。これだけしっかりと据え膳が出されているのに手をつけようとしないなんて、あなたもしかして男の子の方が好きな人なの?」

「だったら、ボク、髪切る」

「リナは黙ってて!」


 コントじみたやりとりを目の前にしながら、玲斗はふつふつと自分の中に感情が湧き上がってくるのを感じていた。

 脱衣所では事故であるにもかかわらず蹴り飛ばされ。

 父親は勝手に居候を決め。

 自分たちが覚えている約束を一方的に押し付けて。

 さらには男同士が好きな人かと疑いの目を向けられている。


「分かったよ。思い出して、付き合えばいいんだろ。いいとも、どっちも可愛いんだから! どっちにしたって俺にとっちゃ好都合だからな!」


 感情に任せてヤケクソ気味に言い放つ。

 そうだ、何も悩む必要なんかない。

 思い出せた方と少し付き合って、あとは合わなかったから別れましょうと言えばそれでいい。ちょっと一緒に生活するのがつらくなるかもしれないが、ここはもともと自分の家。居づらくなって出ていくのは二人の方だ。


「覚悟しろよ! 絶対思い出してやるからな」


 思っていることを言い切って、せいせいした玲斗だったが、なぜか目の前の二人は頬を染めていて、リナに至っては床の上をもだえてもぞもどしていた。


「……どうした?」

「いや、あなた、自分が何言ったか―――いえ、何でもないわ……」

「れーくん、かっこいいよぅ……」


 よくわからなかったが、とりあえず男好きの評価は取り下げられたようだ。

 どうにか宣言出来てほっとする。

 そうすると急に腹が減っていたことを思い出した。

 時刻は既に20時を回っている。


「とりあえず、夕飯にするか。えーと……リゼとリナって呼んでいいか?」


 かつては「りーちゃん」と二人とも呼んでいたわけだが、それでは区別がつかない。名前で呼ぶのが順当だろう。呼び捨てにするかは少し悩んだが、自分を好きだと言ってここまで来た二人にそんな心配はいらないか、と思う。

 そんな内心の葛藤を見透かしたのか、リゼは一つ嘆息しただけで頷いた。


「いいわ。玲斗」

「あれ? れーくん、じゃないのか?」


 そう言ってリゼを見やると、ぎらつく眼光を返される。


「お互いもう子供じゃないんだから、距離感は必要でしょ」

「そ、そうだな」


 なんだか距離感が少し遠のいた気がする。

 だが記憶の中の少女とのズレが玲斗の心にぴりっとした痛みを走らせる。

 そう思っていると、かすれた小さな声が上がる。


「ボクは、れーくんで」


 再びゲームを始めたリナだ。

 風呂で出くわした時も思ったが、どうにもマイペースな娘の様だった。


「ちょっと、リナ!」

「私は呼びたいように、呼ぶだけ、だよ」

「もうっ!」


 何故か耳を赤くしたリゼが頬を膨らませている。そして玲斗のことを鋭く睨み付けてくる。

 なぜ?


「と、とりあえず、何食べる?」

「ああ、それじゃこれ食べましょう」


 そう言って、持ってきた荷物と一緒に置いてあったスーパーの袋からある物を取り出す。


「そば?」

「引っ越しのご挨拶、と言えばこれでしょ?」

「なんとまた古風な」


 とはいえ調理も簡単であることだし、異論はなかった。

 テーブルに突っ伏したリナの方も「そば、好きー」と言っている。


「分かった。んじゃ仕度するから」

「手伝うわよ?」

「いいよ。それより荷物置いて来いよ。二人の部屋は……少し片付けないといけないから今日は親父たちの寝室を使ってくれ。二階に和室があるから」


 父親が二人の居候を快諾するくらいには部屋は余っているのだが、いかんせんその父親が仕事先から送り付けてくるガラクタのせいで散らかっている。片付けなければ使うことはできなかった。


「あと、リゼも風呂入って来いよ。雨のせいで服も少し濡れただろ」

「……ありがと」


 玲斗の勧めに、リゼは少し押し黙ると少し口を尖らせながら短く礼を言った。


「お、おう」


 そんな反応に玲斗は少し面食らう。

 このはねっかえりの姉の方なら「とーぜんでしょ!」くらい言ってくるかと思ったのだが、意外と素直だ。

 頬まで少し紅潮させて礼を言ってくる姿に玲斗は少し心臓を跳ねさせてしまった。


「リナ、自分の荷物は自分で運びなさい」

「うぃ……」


 不承不承と言った体でリナがゲームをストップ。

 二人は二階へ上がっていった。

 それを見送って水の入った鍋を火にかける。

 冷蔵庫を開けると、生野菜はあった。

 レタスときゅうりとトマトを取り出して水で洗う。付け合わせのサラダにするつもりだ。

 と、お湯が沸騰したので鍋にそばを投入。タイマーをセットして、鳴るのを待つ。

 あとは固まらないように時折かき混ぜるだけ。


「ん?」


 そう思っていると、鍋の前に立つ玲斗のふくらはぎに違和感。

 と言うか重みを感じる。


「……何してるんだ?」

「ゲーム?」

「いや、やってる内容じゃなくて……」


 ちらりと見下ろすと、リナが膝を抱えて座った体勢で背中を玲斗のふくらはぎに預けている。手に握られているのは相変わらずスマホだ。

 リゼとは違って、やけにスキンシップが多いというか距離が近いように感じる。


「り、リゼはどうした?」


 動揺を押し隠しながら尋ねると、短い答え。


「お姉ちゃんは、お風呂」


 そう言えば自分で風呂を勧めたのだった。


「なぁ、そこにいられると料理しにくいんだけど……」

「私は、楽」


 いや、あなたはそうでしょうとも!


「れーくん」

「なんだ?」


 あと少しで茹で終わろうかと言うとき、リナは口を開いた。


「れーくんは今、幸せ?」

「唐突だな」


 見下ろすと、これまでのおっとりとした動きとは真逆の真剣な瞳とぶつかる。

 そのことに息を呑みつつ、答える。


「別に、不幸ではない、と思う」

「そう」


 真剣な表情の割に、あっさりとした答え。

 そう思っていると、足もとに座っていたリナが急に立ち上がり、


「じゃあ、これから、ボクが幸せにして、あげる、ね」

「!?」


 背中、ぴったりと密着している感触。

 暖かくて、柔らかな感覚。

 ふわりと、いいようのない女の子の匂い。

 そして背中に当たる柔らかい二つの感触があった。


「な、んな!?」


 生きてきて16年、覚えている限り女の子と付き合った経験の欠片もない玲斗にこれは刺激的に過ぎた。


「ボク、は今でもれーくんが、好き、だよ」


 そして耳元で蠱惑的に囁くのだ。

 背筋をぞくりとした感覚が突き抜けていく。


「な、何で―――」

「ん?」


 誘惑に抗う様に、玲斗は訊いた。


「何でそこまで好きになってくれるんだ? 子供の頃の約束だろ?」

「それは、ね」


 ふふっ、と耳元でリナがふんわりと笑う。


「れーくんが、ボクも、お姉ちゃんも、助けてくれた、から、だよ」

「え?」


 どういう意味だ、と尋ねようとした玲斗だったが、その言葉はタイマーの電子音に止められてしまう。


「のびる、よ」

「……ああ」


 リナが背中から離れ、テーブルへと移動する。

 仕方なしに口をつぐみ、そばをお湯から引き上げる。

 背中の感触がなくなったことがもったいなく感じてしまうのは仕方ないことだろう。

 そこへちょうど風呂から上がったリゼも戻ってきて、結局さっきの話の続きを聞くことは出来なかった。

 もやもやとした感覚を抱えながらだったが、双子の姉妹と囲む食卓は、やけに賑やかだったことだけが印象に残った。


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