// 17 剣《つるぎ》

 宙に白い残光を残しながら弾丸のような速度で踏み込むユニに、僕は全神経を集中してその動きを追った。

 並行して、視界の下側へと移動させたアートボードへと半自動的にスタイラスペンを滑らせる。


 極端なスピード偏重型であり、かつ小柄で軽量なユニなら、踏みこみに関しては高確率で先手を取ることができる。それが、アルデバランのような大柄なパワータイプならばなおさらだ。

 その貴重なチャンスを逃す手はない。きっと、ユニもそう考えているはずだ。


 ユニと僕の脳はNinephニンフを介してリンクしてはいるものの、厳密に言えばそれは事実上一方通行のものでしかない。僕の生体脳をモニタリングして得たデータを、Ninephニンフを介してユニの人工知能が読み込んでいるだけで、生体脳と人工知能が直接繋がっているわけではない。


 ゆえに、ユニは僕が考えていることがわかるはずだが、生体脳の僕は人工知能であるユニの考えを頭の中で読み取ることはできないのだ。

 ユニの考えを知るには言語モジュールを組み込んで言葉を発せられるようにするしかないが、言語モジュールの公式ソフトは一介の中学生はおろか、社会人でも手に取るのをためらうほどべらぼうに高価なので、ユニが言葉を発するようになるのは当分後のことになるだろう。


 現時点で、ユニの意図をリアルタイムに確認する方法は僕にはない。

 しかし、仮想のアートボードに筆を走らせる僕の右手に、一切の迷いはなかった。


「昔の僕なら……そうするはずっ……!」


 たとえ相棒の考えがわからなくても、混乱しながら言うことを聞かそうとしていた数分前の、もしくはこの一週間の僕ではもうない。昔の自分ならどうするか。それを辿ればユニの考えに追いつくことができるはずだ。

 なぜならユニは、もう一人の僕なのだから。


 一瞬でアルデバランの懐に踏み込んだユニは、短いサイドステップでフェイントをかけながらアルデバランの強靭な両足の間をするりとすり抜けた。突進の勢いを殺し切れなかった真紅の巨牛は、前につんのめりながら股の間を抜けていくユニを捕まえようと腕を動かすが、その太腕はあえなく空を切る。


 瞬く間にアルデバランの背後を取ったユニは、土煙を上げてドリフト気味に鋭く切り返すと、鋭い角の付いた頭部が自分の姿を捉える前に思いきり地面を蹴りつけて、真っ赤なマントがなびく広い背中に向かって跳び上がった。



 ――――今だ!



 僕はその瞬間を逃さないよう素早く右手のペンを閃かせて、目の前のアートボードをNinephニンフのスライダー部分へと動かす。Ninephニンフ本体へとアートボードのアイコンが吸い込まれたのを確認してから、すかさずスタイラスの側面にあるボタンを押してオブジェクトの目標位置を自分のArtsアーツの現在位置へと設定した。


 間髪入れず、ばしゅっ!という鋭い射出音がフィールド手前のディメンションゲートから発せられ、銀色の光を放つ物体が、空中に身を躍らせるユニへと向かって猛スピードで飛び出した。

 風を切り裂く鋭い音を発しながら宙を滑る銀色のオブジェクトに、体育館内の全ての視線が一気に集中する。

 スローダウンする時間感覚。やけに長く感じる一瞬の静寂を経て、銀のオブジェクトは宙を舞うユニの小さな身体目がけて飛んでいき。


 ぱしぃっ!


 確かな手ごたえと共に、空中でひるがえったユニのケーブルのような尻尾がオブジェクトをしっかりと掴みとった。一瞬遅れて、会場中からユニの曲芸じみたキャッチを称える歓声がわっと湧き上がり空気を震わせた。

 対戦開始時とは比べ物にならないほどの歓声に、ユニはしかし目もくれず、長細いオブジェクトを捉えた尻尾を回転の勢いに乗せながらしならせ、眼下の一点だけを狙い澄ましていた。


 ユニの跳躍が最高到達点に達し、ぴたりと空中で静止する。引き伸ばされる一瞬の中で、背後に回ったユニに対応するべく、振り向きざまに斧を振り回そうとするアルデバランがその真紅の瞳を光らせた。


 が――――遅い。


 ズバァッ!っという、鋭く、そして決定的なサウンドエフェクトがフィールドに鳴り響き、ユニの小さな白い身体がアルデバランの巨体の上を一回転しながら真っ直ぐに駆け抜けた。尻尾のしなりを回転のモーメントへと変換して、小さな身体を大きくひねり一直線に地面めがけて滑り降りる。


 



『ヴモオオオオォォーッ!!』



 背中と肩に長大な切創を刻まれた真紅の巨牛が、そのダメージ量を物語るかのように身体を仰け反らせて絶叫した。そして、その叫びを掻き消さんばかりの喝采が、フィールドを囲むギャラリー席からどっと沸き上がる。


 びりびりと空気が震える中、それを引き起こした小さな幼獣型Artsアーツは剣を握った尻尾をバランサーに使いながら、苦悶の表情で地面に膝をつくアルデバランから再び距離をとって相手の様子を窺っていた。



 想像イメージ通り……いや、それ以上の結果だった。

 先制攻撃を仕掛けるユニに対して僕がとっさに描いたオブジェクトは、これまで何度となく騎士や戦士などのArtsアーツを描いてきたことで手が描き慣れていた、銀色の刀身を持つシンプルな長剣だった。それも西洋風の両刃剣ではなく、僕の得意とするサイバーチックなデザインを取り入れた片刃のもの。

 各所は直線的な造形で、透明感のある刀身には薄緑色の光のラインが流れる。恐ろしくエッジの立った刃は、触れただけで鋼鉄さえ断ち切ってしまうような鋭い輝きを放っている。


 軽量で力のないユニには、相手方のアルデバランのように攻撃力の高い大型の武器は扱えない。加えて、四足獣型のユニには細かい動作が可能な指がないため、銃器類をはじめ扱いが難しいトリッキーな武器は向いていない。


 しかし、ユニには一か所だけ、妙に器用な部分があることがこの対戦の中でわかった。

 あのLANケーブルに似た、細長くしなやかな尻尾だ。


 先刻の落下ダメージ作戦中、ユニはその尻尾を使ってカンフー映画のような手招きの挑発や、アルデバランが投げた斧を空中で回避するのに尻尾で急制動をかけるなど、生まれて間もないArtsとしては神業的な芸当をやって見せた。

 その長く器用な尻尾に軽量な近接武器、ナイフや剣などを持たせれば、ユニの体躯とスピードで攪乱しつつ、大ダメージが入る首や心臓などの部位を尻尾の一突きで攻撃できるのではないか――――僕はそう考えて、一番描き慣れた剣を描いてユニへと託した。


 その考えは、どうやら大正解だったようだ。ユニの細長い尻尾はしっかりと剣の持ち手に巻き付いて、銀色の刀身を煌めかせながら自在に振り回せている。それどころか、ユニは与えられた武器の性質を即座に理解して、空中で回転しながら斬りつけるという離れ業さえやってのけた。

 途中で反応しかけたアルデバランに何もさせないほどの速度で攻撃するその技のキレ。ユニの高度な知性があってこその、器用な武器の取り回し。

 もしかしたら、これこそがユニの本当の能力なのかもしれない。


 フィールドの中央で再び向かい合う形で距離を取る二体のArts。しかし、その状況は数十秒前とは完全に異なっている。

 肩口に赤いダメージエフェクトを煌めかせながら、膝をついて鼻息を荒らげるアルデバラン。その正面に、さながら怪物に対峙する勇者のように油断なく、尾に携えた剣を構えるユニ。

 視界の上部に投影されたお互いのArtsアーツのHPゲージを確認すると、ユニが残り8割、アルデバランが残り9割といったところか。そのうちの何パーセントが牙による噛みつき攻撃ぶんなのかは気になるところだが、とりあえず1割も減らすことができたのは悪い結果ではない。


 しかし、大手を振って喜べる状況ではないこともまた事実だ。

 一見すればユニが押しているように見えるこの状況だが、実際ユニの防御力と体力が極端に低いという弱点が解消されたわけでは全くない。攻撃力が低すぎる問題はなんとか武器でカバーできることが証明されたが、システム的な内部値であるArtsのステータスまでは単なるオブジェクトではどうしようもできない。


 回復アイテムをオブジェクトとして生成できないか試すデザイナーは少なくないが、成功例はまるで耳にしない。ゲームシステム的にそういう設定なのか、それとも描く側が込めた気持ちの問題なのかは定かではないが、アトリエ中に千人以上いるデザイナーがこれまで一人も成功していないことを考えれば、この場で付け焼刃的に描いて成功する確率は限りなく低いだろう。


 結局、相手が有利な状況は変わらない。相手は高い膂力とタフネスを併せ持ち、環境ダメージも通らない。体力だってまだ9割も残っている。

 対してこちらは、これだけ動き回ってやっと1割ダメージを与えただけ。体力は大して減っていないように見えるが、手を離れた斧に少しかすっただけで2割も削られているのだ。あの強烈な角や斧の一撃をまともに受ければ、即座に体力全損は必至。ノーダメージ縛りのディスアドバンテージ・ゲーム不利な戦いだ。


「集中しろ…………」


 小さく自分に言い聞かせながら、僕はスタイラスを持つ右手に力を込めて、相棒の小さな後ろ姿を見守った。

 ユニの思わぬ一撃にひるんでいた様子のアルデバランが、再びその巨体を持ち上げてぶしゅーっと鼻息を噴いた。視界隅のワイプを見ると、対戦相手であるゴズ氏も心なしか緊張感の増した表情をその精悍な顔に浮かべていた。

 きっと、さっきのようなラッキーパンチはもう起きない。油断なく、どっしり構えてユニの攻撃に対応してくるはずだ。


 先に飛び出したのはユニだった。乾いた地面をザンッ!と鋭く蹴りつけ、一条の光線となってアルデバランへと突っ込む。先刻と同じ、超高速での特攻。

 対してアルデバランは、先ほどと同じく斧を持った腕を振り上げはするが、自分から動こうとはしない。燃えるような眼光を突っ込んでくるユニへと集中させ、迎撃のタイミングを測っている。

 やはり、カウンター狙い。さっきは自分の突進の勢いが重なってうまく反応できなかったようだが、今度はじっくり狙いを澄ませての確実な一撃を狙っているのだろう。


 しかし、ユニはその前にもアルデバランの腕をかいくぐって首筋に噛み付いた前例がある。ユニの反応速度と器用さを持ってすれば、来ると分かっているカウンターならば避けるのは難しくないはずだ。躱した所にもう一度、今度は首や胴体に大きな一撃を加えられれば、さっきよりも大きなダメージを与えることができるかもしれない。


 そんな僕の考えが相棒に伝わったのか、ユニは直線的なダッシュの中に左右のフェイントを織り交ぜて、的を絞らせないようにしながら標的へと突進する。ものの数秒で距離を詰め、アルデバランの間合いがすぐ近くにまで迫る。


 その距離が、残り3メートル、2メートル、1メートルと近づき――――


 瞬間、アルデバランの懐に入ったユニが、その牛の頭部とすれ違うようにして飛び上がり、しなやかな尻尾を鞭のように閃かせた。

 横薙ぎに向かってくる銀色の刃に対し、アルデバランは避けるでもなく、腕で受けるでもなく、その太い首を動かして逆に剣へと突っ込んだ。


 がつんッ!という、金属同士が打ち合わされるような音が空気を震わせ、ユニとアルデバランの周囲の空間をぐにゃりと歪ませる。

 ユニが斬り込んだ剣とアルデバランの槍のような角が真っ向からぶつかり合い、斬り結んだ一点からオレンジ色の火花を散らした。


 剣を角で受け止めるという豪快な防御によってユニの攻撃を回避したアルデバランは、間髪入れずに右手の斧を振りかぶり、宙に流れたユニの身体へと横薙ぎに払う。

 反射的にアートボードに真円を描き、それをNinephニンフ本体ではなく視界脇のショートカットアイコンへと素早くドラッグ。


 すると、ユニの身体の周辺に薄く透き通る球状の膜が発生し、アルデバランの斧の刃に間一髪でぶつかった。一瞬の静止の後、ばきゃん!という破砕音が上がり、球状の膜は斧の一撃によって呆気なく砕かれてしまうが、即席のバリアが生み出したその一瞬でユニは宙に流れた身体をひねると、猛烈な勢いで薙ぎ払われた肉厚の刃の上を転がった。斧が振り抜かれる方向に合わせて身体をひねり、回転によってその必殺の一撃を受け流す。


 胃が痛くなるようなギリギリの回避によって、アルデバランの斧はユニを捉えることなく、ぶおんと重苦しい音を立てて空を切った。慣性によって体勢を崩すアルデバランの、背後を取る形でユニが一足先に着地する。


 尻尾に握った剣をバランサーにして体勢を整え、今度はアルデバランの大木のごとき両足の間を潜るようにして地面を蹴る。股の間をすり抜けざまに尻尾を横に一回転させ、円形の軌道を描いて剣を薙ぎ払うと、屈強そうな両膝の裏側から内側面にかけて赤い斬撃のダメージエフェクトが走り、同じく赤い光の粒子が血のように勢いよく噴き出した。


 ――――いける!


 ユニの斬撃によって膝から崩れ落ちるアルデバランの様子を視界に捉えながら、僕は確かな手応えと共に心の中で小さく快哉を上げた。

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