// 4 アーキタイプ・チップ
「僕……さっきの大会で一勝もできなかったら、デザイナーも絵も全部きっぱり諦めようって、ずっと前から決めていたんです……。いくら練習しても僕は……自分を表現することが怖くて……自分の
一言絞り出すたびに、その言葉そのものが僕の胸をひと刺しずつ刺していき、いつの間にか視界がぼんやりと溢れ出した雫で滲んで水彩画のように淡くなる。
ぼろぼろと零すような僕の言葉を、白金髪の青年は黙って聞いてくれていたようだった。
僕が言葉を切ると、ほんの少し間を置いてから、青年はゆっくりと口を開いた。
「自分を表現するのが怖い……か。さっきの騎士君のディテールの作り込みを見た限りじゃ、とてもそうは思えないけどねぇ。デザインはシンプルだったけど、シャープな線とそれに合ったエッジの効いた塗りは、ここ最近見たサイバー系やメカ系の中じゃダントツだった。だからこそわからない。キミほど描けるデザイナーが、なぜそんなに自分を卑下するのか」
「……」
言ってしまおうか、少しためらう。
心の奥に押し込めた過去。絵を描き続ける限り、自分の首を少しずつ締め上げ続ける負の思い出を。
数秒の沈黙を挟んでから、僕は意を決して口を開いた。
「昔は、こんなことなかったんです……。絵を描くのが楽しくて仕方なくて、時間も忘れて自由に色んな絵を描いてはイラスト投稿系のサイトやSNSにアップしていました。リアルの幼馴染やネット上の絵描き仲間とイラストの閲覧数で競い合ったりして……本当に純粋な気持ちで、誰も見たことない最高の絵を描きたいって夢まで持って……。気づけば僕は、幼馴染たちやネットの仲間たちを追い越して、週間ランキングの上位常連になっていたんです。浮かれた僕は、トップをとるチャンスと思って今までで一番の最高傑作をアップしました。それはすぐに週間ランキングを駆け上がって、ついに一位になったんです。そりゃあ嬉しかったですよ。国内一有名なイラスト投稿サイトで一位って事は、一時とはいえ僕の作品が日本一になったって事ですから。仲間たちからもおめでとうって言ってもらえて、作品にも沢山コメントが付いた……。ずっとこの瞬間が続けばいいのにって思いました」
僕は、再び鼓動を早め始めた心臓を落ち着けるため、小さく深呼吸してから続けた。
「しかも週間一位の状態は、閲覧してくれた人がネット上に拡散してくれたおかげで3週間も続きました。あの時ほど、絵描きをしていてよかったと思えた時はありません。でも……3週間目の週末、作品に一つのコメントがついて、そんな日々は一気に逆転しました」
「コメント?」
「いわゆる、トレパク疑惑ってやつです。僕の投稿した作品が、他のとある絵描きさんが投稿していた作品に構図や線が酷似していたみたいで、作品を見た誰かがそれを指摘するコメントを書き込んだんです」
改めて言葉にすると、喉の奥ががっと熱くなる。あの時の混乱や怖さが蘇ってくるようで、僕はぎゅっと唇を噛んだ。
そんな僕の様子を気にしてか、白金髪の青年も少しトーンの下がった声色で問いかけてくる。
「でも、その口ぶりからするとキミはトレパクをしていないんだろう?」
「当然ですよ!僕は言われるまでトレパク元だっていう絵師さんも、その作品も知りませんでした!ただ……一部でかなり人気の絵師さんだったそうで……僕のトレパク疑惑はすぐに拡散して、比較画像とか作られて細かく検証されました……。今までそんなことなかったので、僕は怖くなって……下手に反論せずずっと成り行きを見守っていたんです。けど……いつの間にか僕を擁護してくれる人たちとパクリを指摘する人たちで言い争いみたいになって……結果、僕の作品はサイト内で大炎上しました……」
知らぬ間に目尻に滲みだしていた涙の粒をフードジャケットの袖で拭いながら、僕は噛んだ唇に力を込めた。鉄くさい血の味が、わずかに口内に広がっていく。
「でも、それだけ聞くとよくある炎上事件に聞こえるけどね。創作界隈でトレパク疑惑なんて珍しいことじゃないし、そこまで炎上するものかな?それに、あんなよくできた
青年は、まるでこの話の続きを見透かしているように指摘した。
そう、それだけなら、僕だって気にも留めなかった。今後は構図やデザインについては事前に被りがないか調べてから描こうと、ちょっとした教訓と苦い思い出を得るだけで済んだはずだった。
それだけであってほしかったと、これまで何度思っただろうか。
「自殺したんですよ。トレパク元だっていうその絵師さん」
「……!」
突然の物騒な言葉に、これまで飄々とした雰囲気でゆるく微笑んでいた青年の顔からすっと笑みが消える。
「最初にトレパクを指摘したコメントが書き込まれてから一週間くらいしてからでした。トレパク元の絵師さんのリアルでの友人だっていう方が突然現れて、その絵師さんがトレパクされたショックで自殺したって書き込んだんです。最初は事態をもっと大きくするために煽ってるだけの、タチの悪い嫌がらせだと思ってたんですが……直後にトレパク元の絵師さんの顔や本名がアップされて……これはただ事じゃないと思った人たちがすぐに特定を始めました……。そしたら……翌日のニュースで若手イラストレーターが自宅で自殺したって報道があって……例の友人という人の書き込みの内容が報道と一致したんです……。トレパク元の絵師さんがSNSで住んでいる地域を明かしていたこともあって、本当に自殺したんじゃないかってことになって……僕はもう……それ以上コメントを追うことはできませんでした」
頭のずっと奥に押し込めた暗い記憶が、どっと心の内側へと溢れ出して心臓を握り潰そうとするのを、僕は胸に手を当てて必死に抑え込んだ。あの日、怖くなってベッドの上で毛布にくるまり震えていた時に感じた、どうしようもない混乱と焦燥、恐怖が蘇ってくるようだった。
「もちろん、自殺したイラストレーターがトレパク元の絵師さんである決定的な証拠もないですし、ただ住んでいた地域と職業が一致していただけかもしれない……。けど……もし本当に、どこかで誰かが死んでしまっていたら?僕が楽しんで描いた絵のせいで、誰かを殺してしまっていたら……?僕のせいじゃない、偶然から起きた不幸な事故なんだって、あの事件を自分の中で正当化しようとすればするほど……僕は自分の絵を描けなくなりました……。自分の内側をさらけ出して、もしまた人が傷ついたらって考えると怖くなって……自意識過剰って思うかもしれないですけど、自分の創作物が人を殺したかもしれないなんて聞いたら、誰だって……描くのが怖くなるでしょ……」
血を吐くような僕の言葉を、青年はただ黙って聞いていた。力なくうなだれていた僕には、彼がどんな表情でこの忌まわしい話を聴いていたのか確認することはできなかったが、少なくとも隣で聴いてくれる人がいるだけで、黒い水に満たされた心がわずかに軽くなるような気がした。
「もう5年も前の話ですけど……それ以来、僕は絵を描く僕を心から信じることができないんです。たとえそれが濡れ衣だったとしても、あのニュース報道と作品に書き込まれた罵詈雑言がちらついて……心の込もった作品が描けないんです……。
最後の一言を消え入るように絞り出し、僕はそこで言葉を切った。改めて、ひどく情けない話だと思う。他人の絵を真似て描いた作品で週間ランキングの順位を上げたなどというのは全くの言いがかりだが、それに大した反論もせず、怖さのあまり傍観していたのはまぎれもなく自分自身だ。もしあそこで何か反論しておけば、また違った結果になったのかもしれない。もしかしたら濡れ衣と誤解が晴れて、トレパク元とされた絵師さんも自殺などせずに済んだのかもしれない。
そんな益体もない空想を浮かべては、僕は自分という人間の小ささをどうしようもなく自覚してしまうのだ。そしてそれもまた、自分を否定する理由へと繋がってしまう負の連鎖。
ふと、なんでさっき会ったばかりの人にこんなこと話しているんだろうと我に返る。あの頃の話は、必死に庇って気にかけてくれた幼馴染二人ともなるべく話さないようにしているのに。
こんなこと、いまさら誰かに吐露したところでどうにもならない。衝動的に
僕は隣で口を閉ざしたままの青年に別れの言葉をかけようと、乾いた口を開こうとした。が、それよりも一瞬早く、青年の透き通るようなテノールが隣から問いを投げてくる。
「キミさ、
「……え?」
唐突な質問に、僕は思わず困惑した声を漏らした。
「な……なんでそんないきなり……?」
「いいからいいから」
そう言って青年は、先ほどと同じように人懐こい笑顔を僕に向けてくる。その笑みに乗せられるまま、僕は脳内で
「いや……そんなに詳しく知らないですけど……。開発元のヴァーヴス・エンライト社のCEOが、ずっと昔のニューラルネットワーク構造を基礎にして人間の精神のコピーを作る研究をしていて……その時使ってた医療用生体スキャナが
「うん、その通りだね。けど、なぜ彼はそんな研究をしていたんだと思う?」
「なぜって……知りませんよ……そんなの」
「ふむ、まぁ正解を言うと、彼は自分の分身と一緒にゲームをしたかったんだそうだ」
「げ、ゲーム?」
予想外の言葉に思わず顔を上げると、青年はその整った顔に愉快そうな笑みを浮かべていた。
「サンフランシスコに住むゲーム好きの大学生が、ある日講義でニューラルネットワークとそれを元にした人工知能モデルのことを知り、『自分の分身と一緒にゲームをしたい!』なんて子供じみた思いつきから、人間の脳構造を元に人工知能を生み出す研究を始めた。けど、人工知能の世界ではすでに一歩進んだディープラーニングやカプセルネットワーク技術の方が主流でね、ニューラルネットワークは前時代の遺物だったのさ」
「しかし彼は数人の仲間と共に研究を続け、創作中の人間の脳から活動を読み取りそれをリソースに簡易人工知能を生み出す技術を確立した。それが後の
「やがて彼らは小さな会社を立ち上げ、
「そ……そうなんですか……」
雄弁な語り口に思わず聴き入ってしまっていた僕は、少し間を置いてから青年の横顔に問いかけた。
「それで……なぜ僕にそんな話を?」
「ずいぶんと幼くて、純粋な夢だとは思わないかい?世界中からクリエイターが集まるこのアトリエを、席巻し続けている一大コンテンツの発想のスタートにしてはさ」
そう言う青年の薄青い瞳が、真っ暗な海から隣の僕へと流れる。
改めて近くで見ると、青年の相貌はとてもよく整っていて、まず間違いなく日本人以外の血が幾らか入っているだろうと確信させる。
「でも、幼いからこそ純粋だ。飾らないからこそ偉業を成せた。僕らデザイナーだって同じさ。ぐちゃぐちゃ考えないで、心に従って描くからこそArtsにも心が宿るんだ。しかし話を聞いた限りじゃ、キミの創作は心ではなく焦燥と強迫観念でいっぱいだ。
青年は言うなりくるりと身を翻し、うつむく僕へと向き直った。肩にまでかかる白金色の長髪が、ゴムで止められた房を揺らして空中に光の線を描いて流れた。
「でも、キミは運がいい」
青年は意味深につぶやくと、なにやらジーンズのポケットから一枚の小さな板を取り出した。親指の爪くらいの大きさの小さな板は、道路橋の照明に照らされてなお色褪せたようなグレーのフレームに包まれており、表面にラベルや文字らしきものは書かれていない。
意図を測りかねてただその様子をじっと眺めていた僕へ、白金髪の青年は取り出した板を気負いなく差し出してくる。
「え、あの……?」
「ヘコんでいるキミに、ボクからプレゼントだよ」
そう言って彼は僕の右手を取り、柔らかな笑顔とともに板を僕の手に握らせた。中学生男子にしては頼りない掌の中の板をよく見ると、それは記憶とは少し異なるが間違いなく見憶えのあるものだった。
「これ……旧型のアーキタイプ・チップ……!?しかも、これって最初期のモデルじゃ……!」
「おお、よく知っているね。コイツが出回っていたのはまだ
掌の中のチップを見つめながら嘆息する僕に、青年は感心した様子でくすくすと微笑む。
「すごい……初めて見た……もうとっくに生産終了してて、ネットでも秋葉原のジャンク屋にも並んでないはずなのに……」
「もちろん、中身は白紙のままだ。まだなんの
それを聞いて、チップを乗せた手にじんわりと汗が滲み出す。絶版となっている最初期のアーキタイプチップといえば、一部のコレクターの間では伝説級の激レア品だ。性能は最新版のチップとは比べるべくもないが、希少性という一点においては市場に氾濫している次の世代のチップよりも遥かに高い。おそらく、ネットオークションにかければ一枚で最新モデルの
「も、もらえません、こんな貴重なもの!それに……言ったでしょう?僕はもう今日限りでデザイナーを辞めるんです……こんなもの持ってても……腐らせてしまうだけですから……」
「別に、それならそれでいいさ。いっそ売り払って、次の目標なり夢なりに投資したっていい」
慌てて返そうとする僕に、青年はいたずらっぽく笑ってそれを拒む。初対面の相手にこんな貴重なものを、お菓子か何かでも手渡すようにあげてしまうなど正気を疑うほどだ。
しかし、ほわほわとゆるい態度の一方、青年のクリアブルーの瞳だけはごく真剣に、僕の眼をまっすぐ見返しているように見えた。
「でもキミは、きっとまた筆を取るよ。ボク、人を見る目にはちょっと自信があるんだよね」
彼は僕の手に握られたチップを一瞥してから、もう一度僕の眼を見て微笑む。
「もしキミがそのチップで自分の納得できる
青年の澄んだ瞳の奥で、一瞬、小さな光が瞬いたような気がした。しかし、それを確かめる間もなく彼はくるりと身を翻すと、道路橋の歩道をゆったりした足取りで歩き始めた。
数メートル離れた所で我に返り、すらりと痩せた彼の背中に向かって、僕はわけもわからないまま夢中で声を絞り出した。
「あ、あのッ!」
白金髪の青年は振り返らず、照明のスポットの下でピタリと足を止めた。
「ぼ、僕ッ!
舌の回らない、ただ勢いに任せただけの声が、二人の立つ道路橋にわっと響いた。
返事はすぐにはなかった。そのままやけに長い数秒が過ぎ、一台の自家用車が僕らの脇の車道を通り過ぎていく。
そして、青年は背を向けたまま顔半分で振り向いて、先ほどと同じ澄んだテノールで僕の問いに応えた。
「――――
そう言って、ユウというらしい白金髪の青年は口元を小さく綻ばせてから、今度こそ照明の向こう側をとっぷりと満たす夜闇の中へと消えていった。
聞き慣れない、珍しい名前を口の中で反芻しながら、僕は彼が居なくなった照明の下をしばらく見つめ続けて居た。
ふと、いつのまにか握り込んでいた右の掌を胸の前で開く。手汗の滲んだ掌の上には色あせた長方形のアーキタイプ・チップが変わらず鎮座していて、未だ多くの疑問を処理しきれずに戸惑いの表情を浮かべる僕を、愛想なく見返していた。
まるで、僕を試すかのように。
閑散とした道路橋に、さっきよりも暖かさの増した風が一陣、僕の顔を打つように吹き抜けた。
とっさに細めた視界の、乱れる前髪の向こうで、掌のチップが、わずかな金色の燐光を放ったような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます