// 2 逃避


「やっぱり使い慣れたソフトとか機材の方が、絵描きはパフォーマンスを発揮できると思うし」


 なんだか負け惜しみ気味なセリフをぶつぶつと零す僕に、ユーリはいささか物足りない胸を反らしてどやっとばかりに左腕を差し出してくる。白くて細い手首には、光沢のある水色のフレームで組まれた流線型のデバイスが巻かれていた。


「そ、それってもしかして……?」


「んっふふーん……この前ちょっとしたデザインの仕事を頼まれちゃってね~。報酬がよかったから、奮発して最新モデルにアップデートしたのよーん」


 ユーリの左腕に巻かれていたのは、二か月ほど前に発売されたばかりのNinephニンフの最新モデルだった。Artsアーツとの相互通信の精度がアップした上、スタイラスペンの筆圧認識やインターフェースも使いやすく刷新された次世代機。そのぶんかなり値が張るはずで、一介の中学3年生である僕やユーリには手が届かないもののはず……なのだが。


「私も次の大会には出ようと思ってるからねー。最高の機材で最高のコを描きたいなって思ったのよ」


「中学生のデザインで渋沢さん十枚もくれるって、どんな仕事さ……?僕にも紹介してほしいよ」


「あれー?使い慣れた機材の方が~とか仰ってたのは誰だっけー」


 そう言って意地悪く笑いかけられてしまえば、ぐぬぬと口ごもるしかない。


「ま、仕事は紹介できないけどさ、コレの実力は見せてあげられるよ。実は昨日、大会に出そうと思ってる新しいコ、ラフ画だけど描いてみたんだよね。まだ学習ラーニングが足りなくて細かい動作ができないんだけど、動き回るくらいはできると思うから」


 ユーリはおもむろにNinephニンフ側面の外装を外して左耳に引っ掛けると、手首のホルダーに差してあったスタイラスペンを引き抜き、空中に数字の4とアルファベットのZを組み合わせたような軌跡を描いてみせた。

 モーション・キーによってNinephニンフのロックを解除したのだ。


「うわっ、もしかして外装がヘッドセットになるの!?」


 ARヘッドセットと言えば、腕時計型のNinephニンフ本体とは独立したものしか僕は知らない。Ninephニンフ身に着けて持ち歩くウェアラブルのを前提に作られているだけに、ヘッドセットと本体が一つにまとまればかさばらないし無くさないし、どんなにいいことかと常日頃から思ってはいたが、その問題もすでに解決済みだったとは。これはいよいよ僕も機種変を考えなければならないかもしれない。


 驚嘆の声を漏らす僕をよそに、ユーリはスタイラスペンを宙に何度か滑らせてから、ペン先をNinephニンフの上部にある細長いスライダー部分に持っていき、手首のスナップをきかせてペン先でスライダーの上をなぞった。

 すると、ピポンッという跳ねるような効果音がNinephニンフから発せられ、ユーリが得意げに頬を綻ばせる。


「よし、デフォルメ完了!ススムの机の上にいるよ」


 ユーリがスタイラスペンの先でひょいと机の上を指す。僕は机の脇に掛けておいたリュックからイヤーフックタイプのARヘッドセットを取り出して、左耳に引っ掛けた。裸眼のまま見れば変わらず何も乗っていない天板があるだけだが、こうしてヘッドセットを通すことで、現実の背景に重なったArtsアーツの姿を視ることができるはずだ。


 ヘッドセットが起動すると同時に、色とりどりの半透明ウィンドウが次々に表示され、あっという間に視界を埋め尽くした。そういえば、明け方までかかった新作Artsアーツの描き込み作業の後、そのまま力尽きるように寝落ちしてしまったのでイラスト用のアプリケーションを開きっぱなしだったんだっけ。

 僕はNinephニンフからスタイラスペンを引き抜き、視界にごちゃごちゃと投影されているウィンドウやらインターフェースやらの周りをぐるっと囲むようにペンを滑らせた。宙に光の線を残しながら筆跡を最初の一点へと繋げて輪にすると、視界の中央に「全てのウィンドウを閉じますか?Yes/No」と簡素な確認メッセージが表示される。当然、Yesのボタンをペン先でタップ。

 すると、十枚以上は重なっていただろうウィンドウの群れはシャボン玉が弾けるような飛沫のエフェクトとともに消滅し、窮屈だった視界が一気に開ける。


 視線を目の前の机上へと動かすと、そこには小さくかわいらしいミニキャラにデフォルメされた、ハイファンタジックな衣装を纏う女性キャラクターがちょこんと立っていた。

 柔らかそうな短い金髪と整った顔立ち。青のヴェールと金色の装飾を纏い、背中にはハープのような多弦の弓らしきものを背負って、目を丸くしながら見下ろす僕に無邪気そうな笑顔を向けてくる。


「うわぁ、いい出来だなぁ!相当気合入ってるのが伝わってくるよ!」


 僕が感嘆の声を上げると、ユーリは照れくさそうに歯を見せて笑った。


「でしょー!ディテールの詰めはまだだけど、ラフの段階でAIがかなり学習してるから、完成する頃には相当頭良くなると思うんだー。シンクロ値も自己ベスト更新するかも。このコはきっと、あたしの最高傑作になるわ!」


 嬉しそうなユーリの笑顔からは、机の上に凛と佇む『彼女』を心から愛し、創造を楽しんでいる気持ちがありありと伝わってきた。

 実際、この乙女型Artsアーツのデザインは見事と言うほかない。ユーリ自身はラフだと言っていたが、多用されている曲線には迷いの欠片も感じないし、各部位・衣装のデザインもファンタジー好きのツボをよく押さえていると思う。

 何より、ユーリのデザイナーとしての武器である『表情』については、本当に実体があるのではと思わず疑ってしまうほど生気にあふれていて、創造者であるユーリの想いの強さが伺える。


 そう。創作とは本来、こうあるべきなのだ。


 義務でも強迫観念でもなく、純粋な欲求と衝動をインクにして夢想を描く。心の内側に閉じ込めた『自分』を余すところなく解き放ち、自分だけの理想を、途方もない夢を、見失いそうな希望を、抑えられない情動を、魂を表現することこそ創作という行為の本質であり、そしてきっと、人の心から生まれるArtsアーツの本質なのだ。


 だからこそ、僕は僕のために証明しなければならない。

 クリエイターとして、デザイナーとしての僕は――――まだ死んじゃいないんだってことを。


「ススム?」


 一瞬心をよぎった暗い感情を、ユーリの鈴のような声が掻き消した。


「え?あ、ごめん……ユーリの新作がすごすぎて、つい見惚れちゃって……」


「なんかやらしいんだけど、その言い方……」


 ぼーっとしてたのをごまかそうと慌てて作品を褒めてみたつもりだったが、なにやら想定外の受け取り方をされてしまい、僕は首を縮めた。ユーリのじとーっとした視線が眉間に突き刺さる。


「純粋にすごいって思っただけだってば、ほんと……。いかにArtsアーツを、その……え、エロく描くかに情熱燃やしてる人たちもいるけど、僕はArtsアーツをそんな風には見れないよ」


「ふーん、どうだか。ススムだって中三の男の子だし。家でこっそりやらしー絵とか描いてArtsアーツ化したことあるんじゃないのかしら」


「い、いや、無理だって!僕はサイバー系の出身だし、だから生身の感じとかユーリには敵わないし……ていうか、そんなArtsが描けるってことは僕の頭の中が真っピンクってことじゃないか!」


「そういうことになるね。ススムのスケベ」


 理不尽だ。

 有無を言わさないスケベ認定によって反論する気力を折られた僕は、額に滲み始めた嫌な汗を袖で拭いつつ、ただうつむくしかなかった。

 女の子に直でスケベ呼ばわりされるのって、なんでこう絶望感というか、精神的ダメージが大きいんだろうなぁ。


「冗談だってば、そんな下向かないでよー」


 ユーリはけらけらと笑いながら僕の肩をスタイラスペンの先でつつく。

 家が近所同士で仲良くなった幼稚園時代からずっと、ユーリにはこうしてからかわれてばかりだ。


「ススムに褒められると素直にうれしいよ。ススムは昔からずっと、私の目標だかんね」


「そんな……僕はユーリに目標にされるような絵描きじゃないよ……」


「そんなことないよ!今はスランプっぽいけど、昔のススムは日本で――――!」


 ひゅっと、喉の奥が小さく鳴った。

 ユーリの、次に続く言葉を想像しようとすると、呼吸が浅くなる。心臓が、見えない手で握られたように縮こまる。

 気づけば、僕はうつむいたまま、両の拳を膝の上で握りしめていた。


「……ごめん。昔のことは、話さない約束だったよね……」


 ユーリは数秒前までの咲くような笑顔を薄れさせ、申し訳なさそうに小さく頭を下げた。

 いったい今、自分がどんな顔をしているのか、想像すらしたくない。


 気心の知れた幼馴染にここまで気を遣わせて、あまつさえこんな悲しそうな表情にしてしまう奴が、彼女に目標などと呼ばれていい道理などない。


「……ごめん、僕そろそろ行くよ。今夜の出張大会の準備しなきゃいけないから……。来週の公式大会で勝ち進むためにも、絶対落としておきたくないんだ」


 言い訳がましい言葉を並べ立て、僕は机脇からリュックを取り立ち上がった。

 すぐ側に立っているユーリの顔を見る勇気は、僕にはなかった。


「あのさ」


 ユーリの脇を通り過ぎ、教室のドアに指先を掛けた瞬間、少しトーンの下がった鈴声に呼び止められる。


「……今夜の大会、頑張ってね。私も、ツバサと一緒に応援しに行くから」


 幼馴染が精一杯絞り出した励ましの言葉を、僕は振り返りもせず黙って聞いていた。

 気丈な声の奥に一滴だけ混じる哀切の色が、ひどく、痛かった。


「……勝つよ。絶対」


 短く答えて、僕は今度こそ、逃げるように教室を出た。

 ユーリの言葉に報いることができる返事は、それしかないと思った。


――――そう。勝つんだ。

――――今度こそ。


 心に纏わりつく暗い記憶を振り切るように、 僕は昇降口に向けて走り出した。




 数時間後。

 僕は熱狂する観客たちの中に埋もれながら、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 一週間かけて描き上げた騎士型Artsアーツは、対戦開始一分もしないうちにデザイナーである僕の脳とのシンクロがうまくいかなくなり、文字通りブリキのおもちゃロボットみたいに緩慢でカクついた動きを始めた。


 AIの元となるアーキタイプ・チップには予めArtsアーツの造形に応じた動作用アルゴリズムが仕込まれており、人型ベースなら二足歩行、獣ベースなら四足歩行といった具合に、一から歩き方や動き方をAIに学習させなくても動作するようプログラムされている。

 しかしデフォルトの歩行は人間の自律歩行よりも遥かにぎこちなく、走ったりジャンプしたりといった高度な運動は相互通信しているデザイナーの脳から繰り返し学習させるか、デザイナーが直接動きを頭のなかでイメージし、Artsアーツの動作をアシストしてやるしかない。


 デザイナーの脳と、それを元に生み出されたArtsアーツの知性が同調し互いに情報を共有し合う状態を《シンクロ》と言い、その値が高いほどArtsはデザイナーからの命令や動きのイメージを細かく学習し、より高度な知性と動作を発揮することができるのだ。


 逆に言えば、シンクロ率が低いデザイナーとArtsアーツはどれだけ秘めているポテンシャルが高くともそれを発揮することはできないし、Artsアーツの動きはぎこちなくなり、指示を認識することもできず、ただの出来の悪いプログラムへと退化してしまう。


 つい数分前、小学生の竜人型Artsアーツに為す術もなく真っ二つにされた、僕の騎士型Artsアーツのように。


 何度も人にぶつかりながら観客でごった返すゲームセンターを出、四月のまだ肌寒い空気に満たされた街道を、僕はただ全部から逃れるためだけに走った。


 ユーリの姿を探すことはしなかった。

 一緒に来ているはずの、もう一人の幼馴染も。


 彼女らに合わせる顔などない。

 Artsアーツは本来、元となったデザイナーの脳とは親和性がとても良いはずで、別のデザイナーでもない限りArtsアーツとのシンクロは安定するはずなのだ。

 だから、創造者であるデザイナーとのシンクロ値が低い原因はArtsアーツ側ではなく、必ずデザイナー側にある。


 デザイナー、つまり僕自身。

 そしてArtsアーツは、僕の心が描いた、僕の分身。


 敗北の原因は単純明快だ。

 デザイナーである僕が、心の何処かで、頭の片隅で、自分自身を否定しているからだ。

 自分を否定することは、その内側から生まれたArtsアーツをも否定することに他ならない。


 作品じぶんを心の底から信じてやれない僕が、あんなに美しくて生き生きとした作品じぶんを描くことのできる彼女らとどうして一緒にいられるだろう?


 励ましの言葉が痛い。劣等感で潰されそうになる。

 無邪気に、夢中に、ただ思うがまま自由な絵を描いていた頃の自分を知っている彼女らから、同情あるいは失望の視線を向けられるのが、どうしようもなく怖かった。


「……――――ッ!!」


 だからせめて、僕は振り返らず懸命に走った。


 ぐちゃぐちゃに塗り潰された頭の片隅で、ただユーリの励ましの言葉だけが、いつまでも繰り返し響いていた。

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