第47話無敵な結衣の宣誓 

気付けば衛はくぐもった街頭に照らされる小さな公園へと来ていた。

幼い頃によく通っと公園だ。

遅い時刻に訪れるのは果たしていつ以来のことだろう。


途中から自分の足がここに向いていることには気付いていた。

その歩みに任せて公園まで辿り着き、今目の前には静止したブランコがあった。

そのブランコから”お前のために空けてあるよ”と言われているように衛は感じた。


いやそれだけではない。

ブランコだけではなく、鈍い街頭の光も、木製のささくれ立ったベンチも、塗装の禿げたブランコも、今はブルーシートが掛けられ使用できない砂場も、みんな衛のことを待っていてくれたように感じられた。


マリオネットの糸が切れ崩折れる人形のように、衛はブランコに乗った。

別に肉体は疲れてなどいなかった。

それでも腰を下ろしてしまうと足には力が入らなかった。


地面を蹴ってブランコを漕ぐことは、この先永久にできないように思われた。


頭を垂れる衛の視線は自然と足元を見つめることになる。

これまで多くの子どもたちが蹴ったことでえぐれた地面は、周りとは違う土の色をしていた。

遠くの方から街頭がそっとくれる光がその違いを教えてくれている。


(結衣と紅美と一緒に順番交代で乗ったっけ……)


2台しかないブランコを3人で楽しく乗った幼い日のことが思い出された。


(あの頃は……良かったな…)


公園には衛1人しかいない。

 

(みんなに迷惑掛けて一体何やってんだろ、俺……)


不意に雫が2つ溢れ地面に吸い込まれていく。


「……う…うぅ……っく…」


みるみる潤い歪む景色と声が漏れる。

涙はともかく声だけは決して溢すまいと強く念じ、必死に口を閉じる。

それでも漏れる声に両手で塞ぐ。

しかしそんな自分の仕草が余計に哀れに感じてしまい、ますます涙としゃくりあげる声が出てしまう。


傍らには弱く無知な、けれども無垢な幼い頃の衛が佇んでいるような、そんな気配がする。


(こんなことなら家にいればよかったの!!……何で外で泣いてんだろ……誰かに見られたらどうするんだよ!!)


「くそ……うぅ…止まって…お願いだから!…止まってくれ……」


必死に自分の理性に声を掛けるが、そうすればそうするほど、勢いよく涙は出た。


まるで楽になりたいかのように。

まるでいっそのこと弱い自分を誰かに見られたいかのように。


若葉泉を泣かせてしまった。

光流たちに2人でいるところを見られたらイジられるのは、分かっていたはずなのに……


佐藤悟に言わせてしまった。

伊藤志信や出口俊介もいずれ耐えきれずに庇ってくれたことだろう。

自分がいつまでも勇気を持てなかったせいで、代わりに友人に言わせてしまった。


一番情けないのは自分だ。

悟は勘違いしている。

ただ臆病なだけなのに、それを優しさだと勘違いしている。


外見なんて一番簡単な記号でしかない。

自分の考えを力の限り声と・体と・表情と・涙で・伝えようとした悟の方が、余程アニメの主人公だ。

他人(ひと)のためにそこまで行動できるのだ、悟の内面は自分よりも真っ直ぐで輝いているはずだ。


(俺は一体何なんだ!!!吹き荒れる嵐に無防備に立っているだけで何もできてない!!)


羽柴結衣と一緒に登校することを決めて一歩前進した気になっていた。


(考えが甘かった……)


どうやら光流たちはとことん自分のこと貶めたいようだ。


(俺の何がそんなに気に食わないんだよ……何でここまで追い込まれないと行けないんだよ…分からない。光流たちが同じ人間とは思えない……人をそんなに簡単に傷付けることができるのか??分からない……彼らのことが…)


瞳を閉じると切り離された涙の雫が、ポタポタと勢いよく落下し足元に落ちた。

ササっと吹く風が熱い目に優しく感じ、涙の伝った箇所を涼やかに撫でる。


ふとサク…サク…と地面を歩く靴音が聞こえてきた。

すっかり考え事に没入していた衛はその足音に驚き身を固くした。


「ここにいたんだ!!」


衛の旋毛(つむじ)に少し弾んだ聞き覚えのある声が突如として響いた。


(えっ!!?……うそだうそだ!うそだ!!……なんで?…なんでいるの??)


丁度両手で顔を覆っていたこともあり、衛は慌てて目にゴミが入っているというコテコテの演技で涙を拭うことにした。

頭の中に猛烈な勢いで、恥ずかしさと情けなさが込み上げてくる。


今の自分の酷い姿を思うと顔を上げることができない。

しかし顔を上げずとも誰の声なのか分かっている。


「……」


ドッと重力が急に強まったように感じた。

まるで体中の臓器の位置が下にズレたような重さを感じる。

それはふと力が抜けてしまったせいだと、一拍遅れて気づいた。


今まで自分がなけなしの力で、少しずつ築いてきたものが、ガラガラと崩れてしまうような空白が胸に生じる。


(ああ……おわったぁ……)


声を聞いた瞬間から”おわった”という言葉は頭の中で何度も何度も繰り返されていた。

一体自分の何が終わったのか、そこまで考え及ばなかった。


キィと金属の擦れる音がする。

隣のブランコに座る羽柴結衣の姿が横目に見えた。

制服を着た下校途中のようだ。

彼女の息が随分と上がっていることに今更気づいた。


「電話しても繋がらなかったら紅美ちゃんに連絡したの。そしたら散歩に出かけたって聞いて……何となくここに来てもみようと思ったんだ。えへへ……私の第六感ズバリ当たったでしょ!?」


ふ~~っと大きく息を吐く彼女はここまで走って来てくれたのだろう。

どうやら手でパタパタとうちわを作っているようで、その姿はいつも衛に見せる姿よりも自然体に感じた。

そんな結衣の姿が少し頼もしく見えた。

そして心配を掛けさせた自分に罪悪感を覚えた。


「……ごめん…その………………。もう暫くしたら少しはよくなるから……そしたら家まで送るから」


一瞬”今は会えない”と口に出そうになった。

しかしそれよりも、こんな夜遅くに結衣を一人で帰らせたくない、という気持ちの方が頭を占めた。


「……こんな時まで私の心配しなくていいよ………優先することが違うよぉ」


衛の声を聞き結衣のトーンが下がる。

遠慮気味になる。

彼女は酷く悲しんでいる。

衛の何かを哀れんでいるようであった。


「こんな姿見たくなかったよね……ごめん…でも自分でもちゃんと分かってるから!?……情けないなって」


「違うよ!!そんな風に思うことないよ!?衛くんは別に何も悪いことしてないし……そんなに自分を責めないで…」


少し俯く結衣の最後のセリフは小さな悲鳴のようであった。


「ううん……情けないよ……それに俺は空っぽだ。自分が何者かすら分からない……。俺、授業中に自分で用意したプリントを読むんだ。興味のある単語を調べて。何でそこまでするのか自分でも不思議だった。……俺には何もないからなんだって……それが今分かったんだ。一生懸命情報を詰め込めば……何者かに成れるのかもしれないって思ってたんだ……ずっと…」


”バカなヤツだな”と声にならない言葉が衛の口から漏れる。


「”最低なやつだろ”とかって言葉を続ける?」


ふいに横から聞こえてきたセリフに、いつか衛が結衣にそんな言葉を言った時があったことを思い出した。

ふと顔を上げ隣の女の子を見る。

少し苦しげに苦笑して必死に明るい調子で言っているのが、表情から伝わってくる。


「今は…それよりも……もっと酷いんじゃないかな。友達や……好きな人の前で醜態を晒してるんだから…」


観念して悪事を自供するような、そんな気持ちに衛はなった。


「でも……格好悪いところを見られちゃいけない法律なんてないよ」


そういって優しく笑う結衣は”私は何度も見られてきたと思うけど?”と添えてこちらを見つめてくる。

子供をあやすような、そんな包容力のある優しい笑みだった。


「いや……でも…今日の俺を見て失望しなかった?何も……何も言い返せなかったんだから」


「ううん…私はそうは思わない。衛くんの良いところはそんなところじゃないもん!」


ブランコで項垂れる衛に結衣は明るくそう断言する。


「…………………何でそう言い切れるの?」


いっそのこと突き放してしまいたい気持ちで無機質に問う。

俺のことなんて何も知らないだろ?と言外にそう気持ちを込めて。


「えへへ………これでも……ずっと目で追ってきたから……」


そう恥ずかしそうに、でもいたずらのタネを明かす子供のような無邪気な笑みで告げる。


「……………」


そんな表情で言われたら何も言い返せないだろ!?と衛は心の中で唱えることしかできない。

少しの間に色んな彼女を知った気になった。



「………。えっとね……この際だから言わせてもらうね……私なりの宣誓」


ぐっと体に力を込める様子が衛にも伝わってきた。

そして緊張も。

こちらを見つめる彼女の瞳と目が合った。


「私は衛くんのことが好き!………でも、だからって何か施して欲しい訳じゃないの。これは私の意思だから……。それに衛くんがこれから先……例えば飲んだくれのニートになったとしてもこの気持は変わらない!!でも、それを衛くんが負担に思うことはないよ。…だって好きになった時に思ったの……人を好きになる責任は自分にあるって!!それにその覚悟を持とうって!」


真っ直ぐ見つめるというよりも、射竦められるような迫力が結衣の双眸には宿っていた。

B組の教室で初めて告白された時を衛に思い出させた。


「何でそこまで……」


”俺を好きになってくれるの?人を信じられるの?”という言葉は衛の口から出てこなかった。

それは結衣に対する侮辱に感じられたから。

いつの間にか随分と人として大きくなっていた幼馴染が眩しく感じた。

直視することが躊躇われてしまうほどに……


「衛くんが自分のことをどう思ってるか分からないけど、私は凄く繊細な人だと思ってる。……だから今の姿を見ても失望したりしないよ。えへへ……私も最低だから衛くんの弱気な姿を見れて嬉しいみたい……本当はもっと頼ってもらいたいんだけと…」


(俺はどんな表情をしたらいいんだろう…)


嬉しい言葉、可愛らしい彼女、惨めな自分、色々な感情が一度に湧き上がり困惑するしかできない。


そんな衛の様子をどこか満足したような顔で結衣は見届ける。

そしてふわっとまるで羽のような動作でブランコから立ち上がる。

その時生じた反動を利用し、くるりと回るような動作で衛の前で立ち止まる。


街頭を背にする彼女の顔はそれでもその笑みがはっきりと映った。

動作に合わせて光沢のある長い髪が揺れる。


「今の私ね…最強だよ!!何も怖くないもん」


衛には結衣のその一連の動きがスローモーションのようにハッキリ見えた。

”お邪魔しちゃってごめんね”そう言い残して結衣は衛に背を向け歩き出した。

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