第4話 非モテ男、バレンタインチョコをもらう

 樹の正月休みも終わり、再びせわしない勤め人生活が始まった。

 天は毎日帰りを待っていて、甲斐甲斐しく家事などを行ってくれた。それだけでも、有難いことこの上なかった。帰りが遅くなるとむくれた表情で待っていることもあるが、それもまた可愛らしい。

 帰れば天が迎えてくれることを思うと、仕事で辛いことがあってもすぐに元気を取り戻すことができた。乾いた生活に、天が潤いをもたらしてくれた。

 休日には、天を連れて、色々な場所に出かけた。せっかくの休みだからごろごろして体を休めたいという思いもあったが、それでも天と一緒に出掛けるのは楽しかった。天の、あの、この世の幸せを存分に噛みしめているかのような満面の笑みを見るのが、樹は好きだった。

 最近、勤め先で褒められることが多くなった。他者から見ても、樹のパフォーマンスは目に見えて向上していた。先輩からも度々「目つきが変わった」「頼もしくなった」などと、好意的な評価を賜った。

 職場では、天のことは一切話さなかった。そりゃ当然だ。神様が転がり込んできてるなんて、話した所で頭がおかしいとしか思われないだろう。けれども、樹の変容ぶりに、「お前もしかして彼女でもできたのか?」なんて言ってくるような鋭い嗅覚を発揮する同僚もいた。それでも、樹は天の存在については隠し続けた。


 二月十四日。バレンタインデーである。

 職場から帰った樹の鼻を、甘い匂いが包んだ。そして、その目に移ったのは、台所にいる天の姿であった。彼が台所にいる自体は、別段奇異なことではない。いつも夕飯を用意して待ってくれているからだ。

 ただ、一つ、彼の姿が、いつもの巫女服ではなく所謂裸エプロンであったことを除けば。

「ちょっ……お前何て格好を……ってかその服どうした?」

 目の遣り場に困る。その小さなお尻など殆ど丸出しであり、悪戯したくなるのを堪えるので精一杯であった。脇腹から背にかけては、頬に入っているのと同じ赤色をした文様状の文身いれずみが施されている。帰る時間を見計らって、このような扇情的な姿を見せつけようとしたのだろうか。

 それにしても、天の体は、女性のそれとはまた違った色気がある。薄い胸板に小さい尻、細い首や手脚は、匂い立つような艶めかしさを感じさせるものだ。

「……出来た! これ、バレンタインのプレゼント!」

 天は、大きなハート型のチョコレートを樹に差し出した。

「え、これ天が作ってくれたの?」

「えへへ、そうだよ。樹のために作ったんだ」

 樹は、少しく戸惑いを覚えつつそれを受け取って食べた。口の中に甘みが一杯に広がる。心がほっこりするのは、恋人からチョコを受け取るなどということとは縁遠い人生を送ってきた樹が、ようやくそのような機会に巡り会えたからであろうか。

「美味しかった。ありがとう」

「そうでしょ? 所で……」

 天の小さな手が、いやらしい手つきで樹の股間をまさぐり始めた。

「随分と張り詰めてるね……僕の裸エプロンに興奮しちゃった?」

 樹の一物が興奮でその身を硬くしているのを、天は目聡く見つけた。天の言うことは全くの図星であった。

「僕と……したい?」

 そう問われた樹の胸の鼓動は、にわかに速度を増した。血流は下半身に集まり、そこは痛いほどに張り詰めている。

 樹は黙って、天に対して頷いた。


 歯を磨き、シャワーを浴びた後、二人は寝室に入った。いつもは二人一緒に寝ているが、今、二人が寝室に共にいるのは、違った意味合いを伴っていた。

「初めてだからあんまり上手くできないかもだけど……」

 樹は経験のなさ故に、つい卑屈になってしまう。

「大丈夫。僕がついてるから、そんな暗い顔しないで?」

 不安がる樹の右手を、天が握った。幾分か、その不安も和らいだ気がした。

「本当に……僕が初めてをもらっちゃうんだ……」

 二人は生まれたままの姿になって向かい合った。天のほっそりとしたしなやかな肢体と、その各所に施された文様状の文身いれずみが、樹の目に入る。そして、二人は唇を重ね合わせた。天の唇は、ふんわりと柔らかく、そして収穫したばかりの果実のように瑞々しかった。

 そしてその晩、二人は、互いを情熱的に求め合った。


 深夜、草木も眠る丑三つ時のこと。

 天は、樹から愛された証を後庭から垂らしながら起き上がった。そして、樹が床に無造作に放置している鞄の中を漁り始めた。そこから取り出したのは、樹が職場でもらってきた、ビニール袋に詰め合わせられた市販品のチョコレートであった。所謂義理チョコである。

「僕のチョコがあるんだから、こんなものいらないよね……」

 途端に、天の声が低く威圧を含んだものに変わった。そして、その顔に怒色を浮かべながら、義理チョコを固く握りしめ、ゴミ箱に思い切り叩きつけ、そのままゴミ箱に被せられていたビニール袋の口を縛ってしまった。

 翌朝、樹は鞄の中にあった義理チョコがなくなっていることに気がついた。

「あれ……どっかに置いてきちゃったかな……」

 一瞬、怪訝に思ったものの、結局はさして気に留めることもなかった。

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