第32話抑えきれない感情の発露 それは涙

「結局あの日からわしはただの抜け殻に過ぎなかった。作物は育ち、天候に恵まれ、山は再生した。奇跡の村と一時は呼ばれたくらいにな。だが、ミギテの儀式を実際にやることで抵抗を示す者がわし以外にも現れた。その者たちは山を下りた。いくら生きていくためとは言え、赤の他人を犠牲にしていいはずがないからな。・・・・・もしくは禁領地に足を踏み入れ山の主を見てしまったのかもな。山泰坊は見ることを禁止していたが。・・・・。儀式以降山は潤った。作物もよう実った。味も悪くない。腹は膨れることができた。村で生きていくだけなら全て満たされたような環境だったよ。だが・・・・・どんなことにも裏がある。ミギテの贄は結局山の主にしか恩恵はなかったということさ・・・」


そこで権兵衛は一度口を閉じた。

彼は今タイヨウと同じように胡座をかいて座っている。

その姿は長いこと檻に入れられた囚人のようだとタイヨウには思えた。

長いことこの山について語ったせで疲れてもいるのだろう。

隣に控える老婆と老爺は黙って話を聞いており、彼らも地面に腰を下ろしている。

彼らの姿も憔悴しきったように項垂れていた。


「稲も野菜も光り輝いとったよ。子供たちも喜んで食べとった。異変に気づいたのは2ヶ月も経った頃か・・・一向に我々の姿に変化が見られないんだよ。子どもたちも痩せ細ったまま。土気色した体のまま成長していく・・・そしてどこか覇気がない。口数少なく親の手伝いをし、子どもたちは手が空くと虚空を見つめる。親はもとより5つの村で話し合ったそうだ。わしは参加しなかった。ミギテの儀式が足りないという結論に至り、見つけたら直ぐに奉じるよう取り決めたそうだ。・・・・もう儀式への抵抗はなくなっていたんだろうな。一度味を知ってしまったら逃げることはできないのだろう。例え見せかけでも豊かな山の環境に我々は囚われてしまったのだろう」


ツーっと静かな涙が権兵衛の頬を伝う。

干からびた頬を伝うその涙は光に反射し美しかった。


「千代ばぁ、菊右衛門さんよ・・・ずっと言えんかったけど・・・・辛い現実から目を背けて長年生きてきたわしらも結局はミギテの人たち同様に死人と違わないだろうか?」


そう言うと権兵衛は完全に力を失ったようにガックリと頭を下げてしまった。

千代ばぁと菊右衛門の2人も張り詰めていた糸が切れたように、呆然と地面を見つめている。

その姿は年相応に華奢で折れそうな枯木のようであった。


少し離れた藪の中で動けずにいたツクモも泣いていた。

幼少の頃から彼らの事を知っていたのだろう。

そんな彼らの様変わりした様子に酷く心を打ちのめされたのだろう。

深く頭を下げたその両目には止めどなく涙が流れ落ちている。


「・・・ねぇ・・・タイヨウ・・・折角元気になったところ申し訳ないんだけど・・・少しあなたの力を分けてもらうわね」


遠慮するように、それでいてハッキリと言い切るとツクモは何かを決意したように権兵衛たちの元へと歩いていく。


「俺のことは心配するな」


顔中を涙と鼻水でくしゃくしゃにしたタイヨウがだみ声で答える。

いつの間にか肩にとまっていた虚も震えている。


「ありがとう」


ツクモはそう言うと目に優しい光がツクモの体から突如発する。

その光はツクモ全体を覆うと次第に形を変えて人の姿へと変化していく。

タイヨウは涙を拭う手を止めそれをポカンと口を開けて見ていた。

何が起きているのか全く分からなかった。


そこに現れたのは1人の少女だった。

豊かになびく真っ黒な髪は腰の長さまであり、純白の着物を着ている。

その上からは山吹色の羽織を着ている。

タイヨウから見える横顔は全てが小ぶりで整っていた。

そして慈しむように伏し目がちな目にかかる長いまつ毛が艶やかに感じられた。

ツクモは正座の上体で少し身を乗り出して3人と向かい合う。


突如現れた女性に遅れて反応する権兵衛たち。

その目は大きく見開かれ一言も声を発することができずにいる。


「権兵衛さん、千代さん、菊右衛門さん、お名前を聞いて思い出しました。あなたたちのことは小さい頃から知っていましたよ。それこそ生まれたその時から・・・菊右衛門さん。あなたのご両親は身重の時もこの近くまで来てくれたんです。いつもなら豊作を願われるのですが、その時だけはあなたが元気に生まれることを祈って行かれたのをよく覚えています。」


菊右衛門は話を聞く内に眉にシワを寄せ涙を堪えるような顔になっていく。


「千代さん。あなたは村でも腕白な子供でしたね。よく走り回っているのを知っていますよ。何度転んでも笑顔で・・・まるで大地を抱きしめるように大の字になってくれるのが、私は好きでした。だから・・・・一度だけ・・あなたの走る先が崖だったから転ばせてしまったことがあるの。・・・あの時はごめんなさいね」


千代ばぁは「なんで・・・・そのことを」と言ったのだろう、愕然とする顔にはみるみる涙が溢れていく。


「権兵衛さんあなたは大人しい子供でしたね。引っ込み思案でなかなか友達が作れなかったのを知っています。その度に村の外れで鼻歌を歌うあなたを見ていました。その綺麗な声に私の心も癒やされました。途中で泣いてしまうあなたが忍びなくて、少しでも慰めになればと風を送っていました」


権兵衛も話を聞く内に思い出が蘇って来たのか、項垂れた顔を上げまじまじとツクモを見る。


「わしが1人で泣いとると必ず優しい風が吹きました。それが嬉しくて嬉しくて・・・誰かに言ってしまうと次から吹かない気がして黙っていた・・・のに」


大粒の涙が乾きはじめていた涙の跡の上をなぞる。

嗚咽を我慢できず頭を下げ丸めた体は震えている。


そんな3人の様子に再び静かに涙を濡らすツクモ。


しばらくの間その場には誰も動く者はおらず、鼻をすする音が小さく聞こえるのみであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る