吹雪の夜に

ぴょんすけ

第1話 神田響介 はじまり

吹雪の夜に、ぼくは家出少女に出会った。


地元の大学に通うぼくは、都内に上京している彼女に会うために今駅のホームにいる。

強い風が吹き、地表に積もった雪が吹き上げられる。日頃から寒い地域に住むぼくでさえ、今回の吹雪は体にこたえる。ぼくは、コートに顔を埋めた。

ホームに立っている人はぼく以外にはいない。ぼくの耳に届く音は、強い風の音だけ。それ以外はこの世界に何もない。世界はぼくだけを取り残して、どこかに行ってしまったみたいだ。もう予定では電車はとっくに到着している時刻。焦燥感がぼくの孤独な心を引き裂く。

スマホで運行情報を確認すると、吹雪のため運転を見合わせているとのことだった。

とりあえず、ぼくは待合室に入り、運転再開を待つことにする。

待合室にも人は1人もいなかった。

ぼくは、壁際に並べられたベンチに腰をかけ、部屋中を見回す。

向かいの壁には色あせたポスターが申し訳程度に一枚だけ貼られている。

明かりのない室内は全体的に薄暗い雰囲気に包まれており、ぼくの孤独感を刺激する。それでも、暖房のついた室内はぼくの心を徐々にほぐし、いつのまにか眠りについた。


目を覚まし、時計を確認した。そこまで長く眠ったつもりはなかったが、30分ほどは眠ったようだ。窓から外の様子を見ると、まだまだ吹雪は収まる気配がない。

そこまで確認して、ぼくは、なんとなく右半身が生暖かい感じがすることに気づいた。暖かいというより、暖房のきいているこの部屋ではむしろ暑いくらいだった。


「おはようございます。いや、この時間ならこんにちは、なのかな。まあ、とりあえずおはようございます。」


右隣から突然挨拶をされてぼくは本当に飛び上がった。

少女はぼくの驚いた顔を見ても、表情1つ変えることなく挨拶の返事を待っているといった感じだった。

「お、おはようございます…。」

ぼくがそう言うと、少女は赤いマフラーに顔を埋めた。もうこれ以上話すことはないといった感じに。


制服を着た少女は高校生だろうか。前髪はまぶたの上で切り揃えられており、背中まで伸びた長い髪は薄暗い室内でもはっきりと分かるくらいにツヤがあり、サラサラしていた。スカートの丈は座っているから分かりにくいが、膝上くらいの短さで、この地域では見かけない短さだった。白くて綺麗な太ももが健康的で、視線が吸い寄せられた。

太ももを凝視したぼくを見て少女は警戒したのか、一度立ち上がって短いスカートの丈を精一杯伸ばした。その仕草は可愛かったけれど、ぼくはなんだか悪いことをしたような気がして、その場から逃げ出したくなった。

「悪いな。」

「まあ、短くしてる私が悪いですよね。」

少女はそう平坦な口調で言った。


「君はこの町に住んでいる子?」

何もない室内では声はとても響いた気がした。

少女は首を横に振って言った。

「東京から来ました。」

「遠くなかったの?」

「遠かったです。昨夜に最寄駅を出発して、やっとここまで着きましたから。」


少女は舗装された道路を走る車のようにつまらなそうに言葉を重ねる。

昨夜出発したって、終電後はどこで過ごしたのだろうか。

「ご両親は、ここに来ていることを知っている?」

「知りません。」

「歳はいくつなの?」

「ヒミツです。」

「名前は?」

「ヒミツです。」

「好きな食べ物は?」

「坦々麺です。」

少女はそう淡々と答えた。得られた情報は少女の好きな食べ物が坦々麺であることくらいであった。それでも、口数は少ないが、会話ができる子みたいで少し安心した。


少女の顔はよく見れば見るほどかわいらしい顔立ちだった。目はくりっとして、鼻はとても小さい。さらに寒さのせいか、頬が薄く朱色に染まっていることもあり余計に幼く見えた。その一方で、髪型は大人っぽい感じがして、そのミスマッチ感がとても好印象だった。


二人の間に沈黙が流れる。

少女は寒そうに、セーターの袖を伸ばし、「はー」っと息で指先を温めていた。その仕草は小動物のようだった。


よくよく考えてみれば、少女がまとっているのは制服のブレザーに赤を基調としたチェックのマフラー、そして、下は短いスカートにローファー。そんな軽装では都会の冬は越せても、この町の冬は越せない。

恰好からも少女がこの町を目指してきたのではないことが類推できた。


寒そうにしている少女を見かねて、ぼくは外にある自動販売機でホットココアを購入し、少女に渡そうとした。

しかし、少女が欲しがったのは、僕が自分用に買ったブラックのコーヒーだった。

「私、甘いの苦手なので。」

そう言って、少女は缶コーヒーを受け取り、指先を温めた。

十分に指先を温め、少女はプルタブを引っ張った。

「ありがとうございます。いただきます。」

少女はそう言って、一口、苦いブラックコーヒーをすすると少し顔をゆがめた。

苦手なのは見るからに明らかだった。

この子は意外と背伸びをしちゃう子なのかもしれない。チビチビと飲んでは顔をしかめる様子がほほえましかった。

少女は、ぼくに見られていることに気づき、

「な、なんでしょうか?」

と缶コーヒーを両手で持ちながら、上目遣いで尋ねてきた。

「交換してあげようか?」

そう言うと、少女の顔は一段と赤く染まっていった。

「何でですか?」

少女が少し食い気味に尋ね返した。

「いや、だって苦そ……」

「この苦味が癖になるんですよね!」

と言うと、少女は一気にコーヒーをあおった。

飲み干すと、一度顔をしかめそうになるも、それに必死に耐えた。

「おいしかったです!ごちそうさまでした!」

ぼくは、それ以上何も言えなかった。女子高生、おそるべし。

まあ、体は温まったようだし、何よりだった。


ぼくもホットココアを飲み終え、少女から空き缶を受け取りごみ箱へ捨てに行った。

まだ、電車は来ないものかと、スマホで運行情報を確認する。ようやく、運転再開したらしい。到着予定時刻から1時間近くが経過している。

「運転再開したらしい。」

「そうですか。」

さっきのやり取りで距離が縮まったと思ったが、帰ってきた返事はそっけなかった。


再び流れる沈黙。


意外なことに、沈黙を破ったのは少女だった。

「お兄さんは、どこに行くんですか?」

「東京。」

「どうして?」

「人に会いに行く。」

「彼女ですか?」

「うん。」

「人は見かけによらないんですね。」

「やかましいわ。」

そう言うと、少女はくすりと柔らかく笑った。

「君はこのあとどうするの?」

「さあ、何も考えていません。ただ…」

「ただ…?」

少女は窓の外に視線を移した。

その表情はどこか物憂げで、あれほどの柔らかい笑みを見せた人物と同じものには思えなかった。

「私は逃げてきたんです。理想と、そして自分自身から。だから、行き先はありません。私の目的は自分自身から逃れることです。」

そう言うと、彼女は付け加えるように、

「私は家族も好きですし、愛されている自負もあります。友人にも恵まれて学校も大好きです。だから、もう今日の夜には帰ることにします。」

少女はとって張り付けたようなぎこちない笑顔をぼくに見せた。


そんな笑顔は見たくなかった。

少女の顔にそんな表情は全く似合わなかったし、その表情はぼく自身のものと相通じるところがあると直感的に感じたからだ。


『ごめんな…。』


ぼくの声が脳内にこだました。

嫌なイメージはお決まりのパターンを持っている。

スマホに表示される『不合格』の三文字。

彼女の気の毒そうな顔。

そして、励ましの言葉。

それから始まるつまらない大学生活。

ぼくは大した人間でもないのにいつも他人を見下してばかり。

ろくに友達も作らず、バイトに出て、授業に出席する。

そんな単調な日々を惰性的に送る。

あらゆる記憶を流れて、そして今のぼくの姿へと最終的に収斂する。


「おにいさん?大丈夫?顔真っ青だよ。」

少女の心配そうな声でぼくは気を取り直した。

肌には、暖房が効いているにもかかわらず鳥肌が立っていた。

「いや、すまんな。」

「おにいさんも多分、私と同じ感じなんだろうね。」

少女はどこか安心したように言った。

「まあ、そうなのかもしれんな。」

ぼくは、少女になら言ってもよいと思った。それは、ほんとうに直感的なもので、なぜそう思ったのかを言葉で説明するのはとても難しかった。共通点があったかもしれないし、少女がおそらく一度しか会わない人だからなのかもしれない。ただ、ぼくは話したくなっただけだ。

「ぼくは、東京に彼女と別れるために行くんだ。」

「ふーん、なんで?」

少女の言葉は追求するものであったが、どこかそれを強要しない感じで聞いた。別に無理に言わなくても良いよという雰囲気なのだが、どうでもよいというわけでもなく、ちょうどよかった。

「もしかしたら、ぼくも自分に逃げたいからなのかな。」

ぼくは言葉を重ねる。

「でも、それはおそらくぼくの場合、『過去』の自分からの束縛なのかもしれない。正直よくわからないんでけど、ぼくはこのままじゃいけない。」

少女は時折、相槌を打ちながら優しい表情でぼくの話に耳を傾けた。その所作はとても年下のものには見えなかった。

「じゃあ、やっぱりおにいさんも私と同じだ。」

少女はにやりと笑った。そのいたずらっぽい笑顔は、年相応でとてもかわいらしかった。


電車のアナウンスが待合室の外で響いた。


いつの間にか、待合室にもぼくと少女以外の人がちらほらとベンチに座っていた。

「そろそろ、電車が来るみたいだね。」

「そうだな。」

気づけば、少女から敬語は抜けていた。女子高生と友達になれるあたり、ぼくも捨てたもんじゃないかもと思った。

待合室のドアを開けて外に出ると、冷たい風がぼくの頬に突き刺さった。

ぼくはコートのチャックを締めて顔をうずめた。

少女もぼくの後ろについて、外に出た。やはり、スカートから出た生足がとても寒そうでこの場には不適切な感じがした。

「ほんと、お兄さんは足が好きみたいですね。」

少女はあきれた顔でぼくに言った。

「心外だな。どっちかっていうと、寒そうだから心配していたんだぞ。」

「ほんとかな~。」

少女は疑いの目をぼくに向ける。

本当だとも。八割、いや、七…六割くらいは。と心の中で思っても言わなかった。

遠くから、電車の走る音が鳴った。

それを聞いたぼくらが電車の来る方に視線を向けるとすぐに、電車のライトが降りしきる雪を切り裂いてホームに届いた。

「一緒に東京行こうか。」

「どちらかというと、東京に住んでいる私のセリフだと思うんだよな~。」

少女は不満そうに頬を膨らませそう言った。

「でも、お願いしようかな。お兄さん良い人そうだし、度胸なさそうだから変なことされなそう。」

少女はにやりといたずらっぽく笑う。

ぼくは、それにやれやれと思いながらも、どこか憎めない笑顔に自然と笑顔がこぼれてしまった。


『じゃあ、やっぱりおにいさんも私と同じだ』

そう言う少女が何を抱えているのかは分からない。そして、何がぼくと似ているのかも謎のままだ。

それでも、ぼくはこれから何かが変わり始める予感を感じていた。それが具体的に何なのかはこの時点では説明できない。それでも、直感的に期待してしまう。

電車がぼくらの目の前に止まった。

少女がボタンを押してドアが開き、人工的な明かりと暖房のもわっとした空気がぼくを電車へ誘った。

ぼくは、少女と一緒に電車に乗り込んだ。

踏み出した一歩は靴底に雪がついていたにも関わらず、いつもより軽いような気がした。



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