第14話 指名手配

 少女はイェソドにここで静かにしているようにと言い含めてから、階下へと降りていく。リビングから明かりが漏れ、空き缶や空き瓶が転がる音がする。


「お帰りなさい、ケセド叔父さん。今日は早いっすね」


 リビングで酒を飲みながらテレビを観ている男に、マルクトは微かに声を震わせながら言葉をかける。直後、酒瓶が飛んできて、マルクトの真横の壁にぶつかって割れた。


「お帰りなさいじゃねえっ! 出てくるのが遅いんだよ! 俺が帰ってきたら、すぐに出迎えろっていつも言ってるだろうが!」


 皺や染みになるのも構わずジャケットを脱ぎ散らかし、よれよれのシャツを着た太鼓腹の男が酒瓶を呷りながら大声を上げる。口の端から水滴を零し、空瓶を床に転がした。


「くそっ、酒がなくなってるじゃねえか……。買っておけって言っておいただろ!」

「高いお酒ばかり買えないっすよ。缶ビールなら買い置きがあるから、それで我慢してください。それと、つまみもちゃんと食べないと、悪酔いするっすよ」


 マルクトは小さく溜息を吐き、ナッツやチーズを乗せた皿と、冷蔵庫から取り出した缶ビールとジョッキをケセドの前に並べる。

 男の平手が飛び、乾いた音が響き渡った。赤くなった頬を押さえる少女の胸倉を掴み、ケセドは無精髭の生えた酒臭い顔を寄せる。


「なに、溜息吐いて、口答えしてるんだ? てめえ、俺に何か不満でもあるのか!? 誰のおかげで人並みの生活ができてると思ってんだ、てめえは!」

「……いえ、ないっす」

「だったら、そこは溜息じゃなくて、感謝するところだろうが! 身内のないおまえの保護者になってやってる俺にもっと敬意を払え!」


 どなりながら、もう一度平手でマルクトの頬を張る。

 悲鳴の一つもあげず、少女は殴られて赤くなった顔に笑みを張りつける。ケセドは鼻を鳴らして缶を開け、ビールを呷った。味が気に入らなかったのか、渋い顔をする。


「俺はグルメなのに、安酒飲ませやがって。おまえ、バイトしてるんだろ? もっといい酒買えなかったのか? 金をちょろまかしてるんじゃないだろうな?」

「いやぁ、すみません。高校生のバイトだと、貰えるお給料に限界があるっす」

「ちっ、めんどくせぇな。とっとと高校卒業して、風俗か何かで大金稼いで金入れろよ」

「まぁまぁ、今はこれで我慢して欲しいっす」


 そう言いながら、マルクトはケセドに酌をする。

 テレビ番組をバラエティに切り替え、ジョッキのビールを飲んでいるうちに多少溜飲が下がってきたようだが、相変わらずケセドは不機嫌そうで何度も舌打ちした。


「今日はいつもより機嫌が悪いっすけど、何かあったんすか?」


 床に落ちていたジャケットをハンガーにかけ、ブラッシングをしながらマルクトが問いかける。ジャケットの懐には、警官バッチが入っていた。


「何かも何もねぇ。殺人犯の捜索だ」


 アルコールが入って顔を赤くするケセドが、苦虫を噛み潰したような顔で言う。


「ったく、ついてねぇ。制服組が捜査本部で茶を飲んでる間、俺たち下っ端は朝から晩まで走り回される。どうせ簡単に見つかるわけがねえんだからとさぼってたら、どこかの誰かがそのことをちくりやがったせいで始末書の山だ」


 完全に自業自得だが、指摘すると怒りだすので、適当に話を合わせてお茶を濁す。

 警察内におけるケセドの階級は巡査部長――下から二番目だ。年齢の割に階級が低いのは勤務態度の悪さゆえだが、ケセドは自覚がないのでそれを改めようとしないのだ。


「俺はなぁ、誰かの下で働くっていうのは性に合ってねえんだよ。俺をもっと昇進させればいい仕事するってのに、上層部の連中は何も分かってねえ無能ばかりだ」

「はいはい、そうっすねぇ。ところで、探してる殺人犯って、どんな人なんすか?」

「あぁ? ガキだよ、ガキ。イェソドとか言うクソガキだ」


 酌をする手が少し震えたが、すぐに何食わぬ顔に戻る。元より注意力が低い上に酒も入っているケセドが、そんな少女の様子に気付くことはなかった。

 そのまま、少女は何気ない様子で問いかける。


「へぇ、そのイェソドくんはどんなことをしたんすか?」

「拳銃で仲間を撃ち殺したらしい。こいつが所属してたグループはマフィアと繋がりがあったらしくてな。拳銃はそこで手に入れたんだろう」


 マルクトの脳裏に、先刻イェソドを追ってきた連中が思い浮かぶ。彼らの正体はわからないが、警察ではないし、堅気の空気でもなかった。


「大方、仲間と口論になって、勢いで殺しちまった口だろう。近頃のガキはちょっとしたことですぐにキレやがる。堪え性ってもんがないんだ。指導の為に二・三発殴っただけで、やれパワハラだなんだと騒ぎやがる」


 酔っているせいだろう。ぺらぺらと聞いてもいないことを話してくれる。ケセドはふと思いついたように、焦点の定まらない目をマルクトへと向ける。


「そういやぁ、マルクト。おまえも殺人鬼だったよなぁ。ちょっと殴られたていどで、親を殺しやがって。なぁ、お仲間なら、イェソドの居場所を知ってるんじゃねえか?」

「いいえ、まったく心当たりがないっすね」


 マルクトはにっこりと笑って、素知らぬ顔でそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る