第六章 炎の巨人①

「流石にここで襲いかかってはこんだろ。ふー、にしても酷い目にあった」

 時を遡ること数日前。天野は駅近くの小じんまりとした休憩所で大きく息をついていた。そっと横にいる、楽しそうに自分を見つめている少女を見る。

「何だ、何かついてるかよ、嬢ちゃん」

「いいえ、何も。でも見ていて面白かったから」

「はあ、わけが分からん」

 呆れたように天野は言った。

 傍にいたのは坂上結という少女であった。彼女は以前、その特異性から魔人などと称され、『真統記』と呼ばれる禁書を巡って争った間柄であったが、今は刑事である坂上の養子となって日々を元気に暮らしている。彼女は養子としての結という名以外にたまきという名を持っており、その名を結という名と同じくらい気に入って、というより大事にしており、太などはたまきと呼んでいた。

「あら、それが助けてくれた人に対する態度かしら。おじさま」

 結は薄っすらと笑みをその顔に浮かべながら言った。

「う。ま、まあ、助けてくれてありがとうな。嬢ちゃんが助けてくれなきゃ、どうなってたことか」

「よろしい。ちなみに私が来なかったらきっと黒焦げになってたと思うわ。そんなんじゃ鴉もついばんでくれなくてよ」

「うへ、勘弁してくれ」

 天野は心の中苦笑いした。全くもって末恐ろしい少女ではあったが、同時に彼女には感謝していた。何故かは分からないが、彼処に居合わせ、自分を助けてくれたのだから。

 更に時を遡ること約数十分前、天野は見知らぬ神社にて勘解由小路晴などと名乗る魔女の姿をした変な少女に絡まれた。魔女かどうかは不明であったが、実際問題、彼女は天野の目の前で魔術のようなものを駆使して天野を丸焼きにしようと火炎弾のようなものを放った。結界で閉ざされた神社から逃げることの出来ない天野は脱出を諦め、何とかその理不尽な襲撃からその身を守ろうとしたが、間一髪、結界の外側から伸ばされたたまきの手に引かれ、結界の外側に出ることで難を逃れたのだ。

「ましかし、よくあの結界を破れたな。もう殆ど力は残っていないって聞いたんだが」

「あれに力は必要ないわ。だってあれ、完全に内向き用に作られた結界だもの。いいえ、結界というより牢獄ね」

「どういうことだ」

「あれはね、内側にはえらく強固に作用するもので、神霊の類にも簡単に打ち破れないようになってるんだけど、その半面、外側からの刺激には驚くほど弱いのよ。まるでお豆腐みたいな強度だから、仮に私でなくとも、そこらの幼稚園児でも簡単に打ち破れたわ」

「なるほどな、そういうカラクリか」

 入る者拒まず、去る者逃さず。中に入るのを防ぐのではなく、入って来たものを確実に捕らえるためのアリジゴク。だが、おそらく勘解由小路と名乗るあの女の子が予想だにしていなかったであろう少女による介入でその牢獄は脆くも崩れ去った。

「しかし、随分とおざなりだな。他人が入ってきたらなんて、十分有り得るだろうに」

「いいえ、おじさまを襲った子は考えていたと思うわ。神社にはあれとは別に簡易な人よけの結界が貼られていたし、そもそもそれ以前に、神社に夜に来るような人は滅多にいないもの」

「悪かったな、夜にのうのうと神社に行くような馬鹿で」

「あら、おじさまのことを責めているわけじゃないわ。貴方は彼処に誘われてしまっただけですもの。おじさまにとっての幸運であり、その女の子にとっての不幸は、たまたま私が彼処を通りかかったことね」

 どちらにしても、うっかり誘われてしまうような阿呆ではないか、と天野は内心項垂れた。

「にしても一体、勘解由小路晴とかいったか。あれは一体何のつもりなんだ」

「勘解由小路?」

「ああ、そう名乗ってた。それがどうかしたか?」

「そう」

 少女は口に手を当てて少し考えた後、「やっぱりそうとしか考えられない」と一人納得した。

「一人で納得しないでくれ。一体何が考えられないんだ」

「おじさま。私ね、『真統記』に辿り着く迄に色々なものに手を出してたの。それで、勘解由小路家ってご存知ないかしら?」

「あ、ああ、そうだな」

 天野は自らの知識を探る。

 勘解由小路、確か何百年も昔に何処かの貴族がそんな名を名乗ってなかっただろうか?

「少し思い出した。室町あたりにいた貴族の家名だった筈だ、それは。だがとっくに途絶えたと聞いてるんだが」

「そうね。確かに勘解由小路家の直系はとっくの昔に終わりを迎えているわ。ですけど、それは血縁が、という場合の話」

「はあ、一体何を言ってるんだ」

「勘解由小路という家名は一旦途絶えた後。しばらくしてとある陰陽家が密かにその家名を受け継いだの。途中、傍流とのいざこざが遭って賀茂家と名乗ったこともあったそうだけど、結局、今はその陰陽家がその名を受け継いで今に至っている。ちなみにだけど、おじさま、勘解由小路家は貴族でもかつては陰陽師の中では名門と謳われた一門よ」

「ああ、そうだ、そこら辺も思い出したぜ。一時は土御門なんとかと宮廷陰陽師の勢力を二分していたんじゃなかったか。だがそれにしてもだ、そんな由緒ある家名を何故そのとある陰陽家が拝命出来たのかね」

「それも前調べた時に分かったわ。現勘解由小路家も元を辿れば一介の民間陰陽師の一つにすぎなかった。平安時代に端を発したその一族は、でも、戦国時代にとある秘術を完成させたの」

「秘術、ね」

「秘術、というか正確には儀式なのだけど。その儀式の名前は”五道玄の儀”」

 五道玄、確かもう一つの名前みたいに少女が言っていたことを天野は思い出した。

「ほお、まるでどっかの書家の名前みたいだな。で、秘術って言うからには驚きの効果があったんだろう」

「ええ。それは凄いものよ。何せ、生まれた子供に先代が習得してきた全てのものをそっくりそのまま受け継がせるものなのだから」

「ん、何だそれは?」

「そのままの意味よ、おじさま。一般に術なんていう超自然現象を起こすそれは陰陽師に限らず、呪術を生業とする者、果ては西洋の魔術師に至るまでが一から長い時間をかけて習得していくものよ。まあ、物という形で残しておくことによって、初心者でも先代が学んできた術のいくつかを扱えるようにしておく家系もあるみたいだけど、これにはそんなものは必要ない。不可思議な現象を起こすために習得すべき全てのものを生まれた時に受け継ぐ。無論、先代から受け継いだものもそのまま子に受け継がれる。つまり、代を重ねればますます術者としての株は上がっていくということ。そんなものだから、元々そんなに名のある家系じゃなかった現勘解由小路家は術が生まれてから百数十年はまだ可愛いものだったけど、次第にその力は計り知れないものになっていったの。表舞台には出なかったし、百数十年前に色々揉めたようだけど、今じゃ立派な弓司庁の一員よ」

「じゃあ、何だ。あのお嬢さんはその後継者で――」

「生まれながら当代最高の陰陽師の一人、といってもらっても差し支えないでしょうね」

「滅茶苦茶だな。だが、にしてはそんな凄そうには見えなかったが」

「あら、あわや丸焼きにされそうになった方の言うことかしら」

「勘弁してくれよ。でも、実際そうだったんだよ。何というのかね、どことなく幼稚というか間抜けというか」

「それは多分先代や先々代が得てきた経験や精神性までは受け継いでいないからじゃないかしら」

「なるほどな。あくまで中身はうら若き女子高生、ってか」

 そう言って時計を見上げる。時刻は八時過ぎを回っていた。そういえば、車を置いてきてしまったが、大丈夫だろうか。ひょっとすると、あの魔法使いにぼこぼこに……ぞっとすると共に、ふとある疑問が湧いた。

「なあ、お嬢ちゃん」

「何かしら?」

 ベンチに座っている天野を見下ろしながら、結は髪をかきあげる。

「さっき、俺を襲ったやつを陰陽師って言ったよな」

「ええ、紛うこと無く言ったわ」

「あれは魔女の格好してたんだが、何なんだあれは。魔女じゃないのか」

 話の前提を全て覆すような発言だが、実際問題としてあの金髪の少女は仰々しいまでに魔女だった。加えて付け加えるならば、行使されたそれもいわゆる魔術のそれであった。

「何だ、そんなことかしら。至極簡単なことよ。それは擬装カモフラージュ。本来陰陽術で行使しているものを、上辺だけ塗り替えていかにもルーン魔術などの類に見せてるだけなの。だから、彼女が行使しているものはあくまで陰陽道に根ざしたものよ。もっとも、彼女に魔術の才があって、必死に習得した、っていうのなら話は別だけど」

「なるほど。擬装、ね」

 擬装というものについて天野も心当たりがあったが、あまり良いイメージを持ってはいなかった。そういうものに興味を持つのは大抵が悪党か良くて変人である。何故ならば、真っ当な術者にとってそれを学ぶことによるメリットはほとんど皆無だったからであり、せいぜいが術式を他人のものに置き換えることによる責任転嫁としての悪用や、術式の装飾くらいしか使い道がなかったからだ。

 加えて言えば、この擬装によって幾度か騒動があったことも天野に対するイメージを一層悪くしていた。

 この国には外国由来の魔術を学ぶ者が一定数いた。彼らは彼らで独自の組織を結成しており、客士とは過度の接触を避けつつ持ちつ持たれつでやってきていたが、呪術師や魔術師の中にはお互いの領分を侵して利益を得ようとする者が幾度か現れることがあった。そういう時、彼らはこの擬装の術を使って、呪術師あるいは同じ魔術師に罪をなすりつけようとしたことが何度かあったのだ。

「わざわざ面倒な術式を組んでまでそんなことをして、何か目的でもあるのかね」

「ないと思うわ」

 結はキッパリと言い切り、天野は唖然とした。まさか、他人への心象を悪くしかねない術を行使するのに、気が向いたから使ったとでも言うのか。

 そんな天野の心情を察してか、結は「これも多分だけど」と言葉を続ける。

「単なる西洋趣味なんでしょう。最近は魔法使いが出て来る映画も流行ってるし、その辺りの影響を受けたのかもしれないわね」

 言われて、確かに、十分ありうる、と天野は思った。彼女はどこか軽薄そうな子であった。おそらくあの目も、金髪も陰陽術が得意な性質変化を応用したものであろう。要するに、なりすましではなく、なりきりたかったということか。

「ほんと、とんでもねえな。そんな子が最高の陰陽師だって? 悪い冗談だ」

「何でも使いたい放題、ってわけじゃないと思うわ。だって分別のないままに制限なく使わせてしまっては、うっかり大惨事が起きてしまいかねない。その辺りは家の制度か何かで良いようにやってると思う」

「まあな。というか、そうあってほしい」

 仮にあの子が恋をしたとして、痴情のもつれに陥って感情を制御出来ずに他人を巻き込み始めたとしたらどうだろう。考えるだけでもぞっとする、と天野は勝手に妄想して身を震わせた。

「おじさま。これからどうするの?」

「そうだな、とりあえずあの子何とかしないと。大学はともかく、おちおち神社にも顔を出せやしない」

「そう。なら決まりね」

 結はやんわりと微笑む。天野はその笑みを見て、怪訝な顔をした。

「決まり、とは」

「ええ。あの子、付け入る隙なんていくらでもあると思うの。私も協力するから、魔法使いさんを懲らしめちゃいましょう」

「はえっ」

 その唐突な申し出に、思わず裏声が出てしまった。

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