第三章 罠

 菅原市のポートシティ記念公園は沿岸沿いにある公園である。この公園は菅原市の開港百年を記念して設けられたものであり、近くには巷で流行の飲食店やショップなどの商業施設が軒を連ねていた。

「来てみたはいいけど、相変わらずここは賑やかだな」

 太は記念公園に来るなり、ぽつとそう漏らした。辺りは休日ということもあってか多くの人が行き交っており、時折家族の仲睦まじそうな声も聞こえてくる。

 これだけ活気のある場所に来ていたのは調査の一環で、やはりこの近辺で不可解な現象が起きていたからである。正確にはまだ事件、ともいえないそれは、一言でいえば大きな傷痕であった。記念公園の人気のない場所、複合商業施設の裏に隠れるようにそれはあり、まるで巨大な爪にでも抉られたかのように地面に大きなくぼみが出来ていた。おそらく深夜に出来たのであろうそれは地盤沈下によるものかとも言われているが、未だ推測の域を出ず、依然調査が続いている。

 太と弓納はその事件の現場に出向くことによって何らかの手がかりを見つけようとしていた。手がかり、というのは近年起きている一連の不可思議な出来事、ひいては生野を悩ませている不可解な現象との関連性につながるものである。

「とても平和ですね。大変良いことです」

 太のすぐ後ろを歩いていた弓納は言った。遠くを見上げれば、積雲がまばらに空に浮かんでおり、その間を鳥の群れが飛んでいる。

「市民の休日って言ったところだね。ああ、僕も陽の当たる生活をしないと」

「太さん、陽の当たらない生活とはどのようなものなのでしょうか?」

「あれ、そこ食いついてしまうとこだった?」

「はい、そこはかとなく気になります」

「まあ話す程のことじゃないんだけどね。普段、物書きしている時間が多いものだから日中も室内にいることが多いんだ。そして何より夜型だから、夜に活動が活発になり、朝は低血圧も相まって動きが鈍る」

「夜型とは、妖怪みたいですね」

「はは、その感想は初めてもらった。でもそうかもね、僕みたいな人間が妖怪になったりするのかも」

 太一は笑いながら言ったが、内心少しひんやりともした。本当に妖怪になってしまったら、やはり、終いには退治されてしまうのだろうか? そこまで考えて太は自分の考えを振り払った。良い妖怪だっているのだろうから、即退治というわけではないだろう。流石にそれは理不尽に過ぎる。

「そういえば、弓納さんは何故客士に?」

「うーん、これといって特別な理由はないです。昔からそういうことを生業にしていた家、といいますか一族に生まれた者ですから、自然な流れで入ったといいますか。例えるなら、習い事やアルバイト、部活動のような感覚です」

 お小遣いも入りますし、特に不満もないですよ、弓納はそう付け加えた。

「そうなんだ。でもその一族って気になるな。一体どういう家系?」

「あまり私も知らないのですが、今ではもう名前も伝わっていない民の末裔なんだそうです。どこかの古文書では、尾の生えた人なんて書かれてたとか」

「尾の生えた人……?」

「はい。でも私、尾は生えてないですよ」

「きっと装飾用の類を見間違えたんだろうね。じゃないと妖怪だ」

「なんだかいい加減です。よく分からないからとりあえず妖怪にされたんじゃたまったものじゃありません」

 そう毒づきつつも、弓納は可笑しそうに笑った。

 二人は目的の場所に向かいつつ、しばらく談笑に華を咲かせた。二人の学生生活で起きた珍妙なこと、ツチノコのような生き物の目撃談、天野が綺麗な和装の女性と二人歩いていたことなど、とりとめのない話が続く。

「ここですか」

「そうみたいだね」

 人気コーヒーチェーン店が入っている施設スペースの裏側、その一区画は黄色いテープで覆われていた。もう野次馬も調査すべきこともないためか、見張りの警官もおらず、いつも通りの閑散とした雰囲気が漂っている。

 弓納は人目を避けるようにテープの中に入っていき、太もそれに続く。

「なんか悪いことをしてる気分だね」

「ですね」

 テープの中は話に聞いていた通り、地面が大きく抉れている。およそ人が数人すっぽりと入れるくらいのその窪みに、太はひょいと飛び込む。

「太さん、どうですか?」

「う~ん、特に何もないみたい」

「そうですか」

 警察による調査が入っているとはいえ、見落としや”普通の人間では発見出来ないもの”がないかを期待していた。しかしそんな期待をあざ笑うかの如く、ここの窪みには傷痕が残されているのみであった。

 意味がないかもしれないとは思いつつ、弓納もその窪みに入ろうとした。

 しかし、背後にいいようのない違和感を感じた。咄嗟に弓納が後ろを振り向く。

「弓納さん?」

「太さん、います」

「え? 何が?」

「多分、妖怪です」

 妖怪、という言葉を聞いて全身を緊張が伝うのを太は感じた。

「さっき物陰に隠れてしまいましたが、まだ近くにいます」

「もしかして、そいつはここに様子を見に来たのかな」

「分かりません。ですが、たまたま通りかかったとは考え難いです」

「追う?」

「ええ。すみませんが太さん、ここの調査は一旦中止して、さっき行ってしまった妖怪を追いましょう」


「あの人です」

 人の行き交う道にて弓納がそれとなく指で指し示す。その先には、紺のスーツにブラウンの鞄を提げた男が遅いとも早いともいえない速度で道を歩いていた。尾行を気にしているのか、時折周りを見回すように頭をしきりに動かしている。その微かな間に窺える顔は浅黒く、少し健康的な印象を太に与えた。

「見た感じ、ビジネスマンが歩いているようにしか見えないけど」

「いえ、あれは少なくとも人間ではありません」

「それはまたどうして?」

「微かに漂う匂いや雰囲気が人間のものとは違うんです。具体的に上手くいえないのですが、人間と違ってもやっとするといいますか」

「凄いね、全く分からないや」

「いえ、そんな大げさなものではないです。それより、彼を見失わないよう気を付けましょう」

 二人がさりげなく男を見張っていると、男は徐ろに携帯電話を取り出して誰かと話し始めた。

「妖怪って、電話持つんだ」

「人間に近い個体なら十分ありえます。戸籍を持っている例もありますし」

「なるほど、興味深い」

「あ、どっか行こうとしています。追いましょう」

「あ、弓納さん。歩きながらでいいんだけど」

「はい、何でしょう?」

 太は潜めていた声を更に潜めて、弓納に話し始めた。


 菅原駅の北に位置する旧市街は古くから菅原市に存在する城下町である。正式には和泉いずみと呼ばれるその一帯が旧市街という通称で呼ばれるようになったのは戦後からで、それは戦後菅原駅の南に新市街が発展したからである。元々街の中心地であった旧市街は埋め立てを伴った南の発展によって遂にその座を明け渡すことになったが、今でもこの地に愛着を持っている者も多く、通な店や伝統的な町並みを求めてここを訪れる者も少なくない。

 記念公園にいた怪しげな男は公園から北へ歩き続け、菅原市のランドマークである菅原駅を過ぎて旧市街に向かっていた。弓納と太もそれを追って旧市街へとたどり着く。

「結構記念公園から離れちゃったね」

 通り抜ける車を横目に太は言った。

「そうですね。でも、彼が今回の件に繋がっている可能性は高そうです」

「だね。ところで、あの人どこまで行くんだろう」

「分かりませんが、徐々に人目に付かないところに向かっているのは確かみたいですね」

 やがて男は通りを離れて雑居ビルの間にある路地の中に入っていく。

「路地の中か。いかにも怪しい」

「ええ」

「このまま行く?」

「はい。太さん、私から離れないようにお願いします」

「分かった」

 弓納と太は男を追って路地を突き進む。角を曲がり、道を進むにつれて次第に人気が消え、薄暗くなっていく。無造作に置かれていた自転車や原付きも姿を消し、ただ灰色と肌色の壁に囲まれた殺風景な景色になっていった。

「おかしい。そろそろ向かいの通りに出る筈なのに、一向に路地から出られる気配がない」

「はい。やっぱりといいますか、罠ですねこれ。……太さん?」

 弓納が振り向くと、太が辺りをキョロキョロしていた。

「ああいや、何でもないよ」

「大丈夫です。貴方は私が守ります」

「……恥を偲んでお願いします」

 緩やかな坂になった道を進み、突き当りの角を曲がる。

「あれ、行き止まり」

「そして誰もいませんね」

 弓納は行き止まりになっている道を見上げる。壁には窓らしい窓はなく、ただ切り取られた空に雲が浮かんでいるのが伺えるくらいである。

「大人しく戻った方がいいかな?」

 太が弓納に問いかける。

「そうですね。彼の気配が漂って――下がってっ!」

 弓納は太を行き止まりの道の方に突き飛ばし、反対の方を見据える。

「のこのこと付いてくるとは。少年少女よ、冒険心もいいが、少し度が過ぎるようだ」

 そこには、弓納と太が追っていた筈の男が立っていた。どことなく人を食ったような男は少し軽薄そうな笑みを浮かべて、ゆっくりと太、弓納と視線を移す。

「ご忠告、ありがとうございます。太さん、すみません、大丈夫ですか?」

「いてて、だ、大丈夫」

「そうですか、よかった」

「大丈夫なものか。君達がここに入ってきた時点で、既に”大丈夫”という言葉は何の説得性を持ち得ない言葉となってしまったのさ」

「そんなことはないです。それを今から証明します」

 弓納は少し後退し、男から距離をとる。弓納がを右手を下にかざすと、男は腕を組んで薄気味悪い笑みを浮かべる。

「何をするつもりかな?」

「答えません。それよりいいんですか? そんなに悠長に構えて」

「別に構わんさ。それより何が起きるのかの方が気になる」

「そうですか。では遠慮なく」

 弓納の手から紅い枝のようなものが伸びていき槍状に紡がれていく。その様子を見ていた男は眉をひそめる。

「随分と珍妙なことを。いや、それはどこかで見覚えが――」

「行きます」

 柄が捻れた紅い槍を掴んだ弓納はゆっくりと前のめりになる。そして足に力が入ったと思いきや前方に大きく跳躍し、瞬きもしないうちに男の足元に着地する。

「やっ!」

「むっ」

 男は体を反らし、斜めに振り上げられた弓納の得物を躱す。そのまま後ろにバク転する。

「ふん、少々甘く見ていたか」

「今更ですが、貴方の目的は?」

 弓納が槍を男に向かって突き出しながら尋ねる。

「答える義理はないねえ。が、君達、特に、その青年には用があるとだけ」

「僕に? 何故」

「それは駄目だ。教えられない」

「じゃあ記念公園にいたのは」

「さあ、何のことだか」

「そうですか。この質問は後で懲らしめてから聞きましょう」

「いや、そう簡単にいくかな」

 男の様子が変わっていく。目は赤く光を放ち、その瞳孔は針のように鋭くなった。それは顔貌、ひいては男の印象に変化を与え、およそ人でないものと認識させるのに十分すぎる程であった。

「行きます」

 男の変容に少しもたじろぐ様子を見せず、弓納は低く屈んで持っていた得物を使って横に凪ぐ。男は右手を使ってそれを受け止めるが受け止めた反動で体のバランスを崩す。

「やあっ!」

 弓納は全身に力を込め、そのまま男を壁に打ち付けようとする。しかし男は体を回転させてその力を殺し、後ろに大きく跳躍した。弓納はすかさず距離を詰め、男に反撃の隙を与えないよう得物を、足を駆使して攻撃を繰り出す。

「うわ、凄い。これが、弓納さん」

 太は地面に指を当て何かの文様をなぞるようにしながらも、固唾を飲んでその様子を見守る。弓納の動きは文字通り人間離れしていた。おそらく格闘技を生業としている人間であっても、その弓納の動きについていくのは困難を極めるであろう。そうしたことに疎い太であっても、それくらいは十分に理解出来た。

 何故少女である弓納に尋常ならざる動きが出来るのか。それは単純な話である。彼女は呪術によって自らの身体能力を大幅に飛躍させているのだ。それ故に、これまで人ならざるもの共とも渡り合うことが出来た。

 詰まるところドーピングみたいなものです、彼女はそう言っていた。しかしそれでも、そこから繰り出される技は弓納の元々の身体能力の高さがあればこそなのであろう、そう太は思った。

 やがて二人は膠着状態になる。

「はは、想定外だ。これでは全く手も足も出ないではないか。それにしてもそれは人間の出す動きではないが、一体どういう仕組みか。呪術か?」

「貴方の目的を答えてくれましたら、答えます。なので教えてください」

「んー。残念だがそれは出来ない」

「じゃあ教えません」

「そんなケチくさいことを言わないで、少しくらい頼むよ」

「駄目です。教えません」

「そうか、全く強情だな」

 そう言って、男はチラと上空に視線を向ける。

「このままではお互い埒が開かないだろう。一旦退くとしよう」

「いいえ! させません」

 男は思い切り跳躍して後方にある雑居ビルの一角に跳び上がると同時に、弓納は前足を踏み出し、持っていた得物を男の着地点目掛け投擲した。

「うおっ!?」

 右腕をかすめながらも、男は間一髪でその投擲を躱す。目的地を失った槍は自分の存在意義を失ったかのようにそのまま消えてしまった。

「ふふ、誤算かね? お嬢さん。こんなことになるんだったら槍に呪いでも仕込んでおくんだったな」

 男は傷を負った腕を押さえながら言った。弓納は何も答えず、黙ったままである。

「ではまた合う日まで。次はこうはいかぬ故、心してかかるがいい」

 男の背中の辺りに鴉のような羽が生えていく。そして、その羽を羽ばたかせたかと思うと、あっという間に男の姿は消えてしまった。太が弓納に駆け寄ると、弓納が振り返った。

「あ、太さん、大丈夫ですか?」

「もちろん。ていうか、それはこっちのセリフだよ」

「いいえ、私は特に大したことはしていませんので」

「いや、おおごとなことをしていたよ」

「そうですか?」

 弓納は首を傾げる。

「あまり自覚がないんだね」

「へ?」

「いや、まあいいや。それより、さっきの男は結局なんだったんだろう」

「私も分かりません。でも太さん、中々策士ですね。上手くいったみたいです」

「いえいえ、お褒めに預かり光栄です。でも弓納さんの活躍あればこそだよ」

 太が言うと、弓納は少し照れくさそうに「ありがとうございます」とだけ言った。

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