第58話:おしぼりが飛んできた訳

 なぜか見音みおんに、おしぼりを顔に投げつけられた広志は、一向にわけがわからない。


(何か見音を怒らせるようなことをしたか?)


 必死に思い返すけど思い当たるふしがない。左右の凜と伊田さんを見たら、彼女たち二人も訳がわからないようで、見音の行為に呆然として、固まっていた。


「あ……あのう……八坂さん?」

「はい?」

「僕、何か八坂さんの恨みを買うようなことをしたっけ?」

「あ、いいえ。何も」


 見音は冷や汗をかいたような苦笑いを浮かべて、彼女も固まってる。何もしてないのに、なんでおしぼりを投げられたんだ? 広志は益々意味がわからない。


「じゃあなんで?」

「いえ、ついつい」


 ついついおしぼりを他人の顔に向かって投げる人なんて、絶対にいないって断言できる。


「おほほ〜 ついつい手が滑ってしまいましたのぉ〜」


 見音はわざとらしく笑ってる。いや、ホントに適当に言い訳してるのがありありだ。やっぱり何か自分が見音の怒りを買うようなことを知らず知らずにしてたのかと、広志は不安に思う。


「あの、お嬢様。差し出がましことでございますが、それはあまりに失礼な行為ではございませんか?」


 黒田さんはたしなめるように見音に言った。執事という立場とはいえ、さすがに大人。うん、毅然とした態度がカッコいい。


 さすがに高飛車な見音とはいえども、きちんとした大人にきちんとしたことを言われ、肩をすぼめて頭を下げた。


「あ、ホントにごめんなさい。ついつい試したくて……」

「試す? 何を?」

「空野君だったら、華麗によけるかなって思って」

「華麗によける? 僕が? なんで?」

「きっと運動神経バツグン、スポーツ万能なんだろうと」

「いや、スポーツはからっきしダメだし」

「そ、そうなの?」


 きょとんとする見音の姿を見て、横で凜がぷっと吹き出した。


「ホント、そうよねぇ。ヒロ君はスポーツ苦手だもんねぇ」

「こら、凜。嬉しそうに言うな!」

「ああ、ごめんごめん!」


 広志が凜の頭をぽかりと殴るふりをすると、凜は広志の手を大げさな動作でけながらくすくすと笑う。凜は楽しそうだ。まあ広志もこうやって凜とじゃれ合うのは、もの凄く楽しいんだけど。


「あ、仲良さげ」

「ホントだ。うらやましい」


 鈴木と佐藤がホントに羨ましそうに呟いてる。それを見て広志は急に恥ずかしくなって、凜とのやり取りをやめて見音に向き直った。


「あ、八坂さん。そういうことならまあいいや。おしぼりを投げたことは、全然気にしないで」

「わかったわ。ありがと」


 見音は少しホッとした表情で答えた。それでまたほのぼのとした空気に戻った。微笑みを浮かべた黒田さんが、見音に近づいてうやうやしく尋ねる。


「お嬢様。フルーツを持って参りましょうか?」

「ええ、セバスチャン。よろしく」


 またすました態度になった見音が、なんだかおかしい。セバスチャンってセリフもやっぱりおかしい。そんな見音に、伊田さんが不思議そうに尋ねた。


「ところで、なんで八坂さんは空野君がスポーツ万能だって勘違いしたのー?」


 そりゃそうだ。今まで広志がスポーツが得意なんて話題が出たことがないし、そう感じさせる身のこなしなんて広志にはまったくないんだから。


(あっ、そうか。もしかして)


 さっきの話で、広志が金持ちのお坊ちゃんではないということは、見音も納得した。次はスポーツの才能があるのかってことを試したんだ。


 それに気づいた広志は笑顔を浮かべながら、見音に優しく語りかける。


「あのさ、八坂さん」

「え? 何かしら?」


 ツンとすまして、素知らぬふりをしようとしてるのがわかると、そんな見音も可愛く見える。


「前も言ったけどね、正直言って僕はお金持ちでもなく、スポーツの才能も芸術的な才能もないよ」

「じゃあ歌は? 既にデビューしてるとか?」

「それは天河てんかわヒカルだ。僕は……きっと結構な音痴だと思う」

「あっ、わかった! お笑いのコンテストで高校生ながらにして決勝ステージまで進んだとか?」

「あのう、八坂さん。僕にお笑いの才能があると思う? 僕って面白い?」

「いいえ、そう思わない」


(思わないなら言うな~!)


 と広志はずっこけかけたけど、ここは冷静に、冷静にと自分に言い聞かせる。


「でしょ。だからさっきも言ったとおり、僕には人に凄いって言われるような才能なんかないんだ」

「ふーん……」


 相変わらず見音の視線は懐疑的だ。いったいどう言ったら信じてもらえるのか。わからないけど、正直に誠意を持って言うしかない。


「ホントに僕には、特に凄い特技も才能もないよ。何も隠してないから」


 見音は無言で広志を見つめた後、ふと確かめるように凛の顔を見た。


「あ、うん。ヒロ君の言う通り。ヒロ君は何か特別凄い才能があるってわけじゃない……」


 そこまで言って凛は、ハッとした顔で広志を見る。「あはは」と苦笑いしながら、広志に向かって焦った声を出した。


「ごめんねヒロ君! 別にヒロ君をディスってるわけじゃないから!」

「大丈夫だよ凜。僕も自分で言ったことだし、ホントのことだから」

「ふうーん、どうやら嘘じゃないみたいね」


 ようやく見音が納得した様子を見せたけど、横から鈴木がまたまた失礼なことを言い出した。


「イケメンじゃなくて大した才能もない空野が、美少女の涼海すずみさんや伊田さんにモテるなんておかしい。何か裏があるに違いない」

「裏? 裏ってなに?」


 ワケがわからなくて広志は素直に訊き直した。すると鈴木は何かひらめいたような顔をした。


「あっ、わかった! きっとモテない空野に涼海さんが同情して、好きだってことにしてあげてるんでしょ? 二人は幼なじみだって聞いたし」

「えっ?」


 鈴木の吐いた言葉に、凜は目が点になっている。そういえばクラス委員長選挙の時にも、青山が凛の票を同情票だろって疑ってた。


 やっぱり凜のような超美少女が平凡男子を好きだなんて言うと、同情だと思うのが普通なんだろうか。


「なるほどそんなに慈悲深いなんて、涼海すずみさんって美人なだけじゃなく、性格もいい天使のようなひとだなぁ」


 鈴木が笑顔で凜を褒めたもんだから、見音がキッと鈴木を睨んだ。西洋系とのハーフのような顔つきの見音に鋭い目線で睨まれたら、気の弱い男子ならきっと心臓が止まって死んでしまう。


 幸い鈴木は死にはしなかったけど、青ざめた顔つきで動きが止まってしまった。


「こらバカっ、鈴木! 見音様の前で、他の女の子を褒めるヤツがあるかっ!」


 佐藤が慌てて鈴木をたしなめると、鈴木は焦って「いえ、見音様がもちろん一番天使のようですっ!」と震える声で取り繕ってる。見音をとりなそうとあたふたする鈴木に、凜が声をかけた。


「あのう、鈴木君。ちょっといいかな?」

「えっ? あ、ああ」

「同情なんて全然違うから。私はそんなんじゃなくて、ヒロ君が好きなの」

「ホントに?」

「うん」

「嘘だろ?」

「ホントよ」


 にっこりと笑う凜を見て、鈴木は言葉を失ってる。なぜイケメンでもない平凡な男が、こんな美少女に好きだといわれるのか? 彼の感覚ではホントに理解できないみたいだ。

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