第31話:伊田さん、暴走する

「あの、伊田さんいいかな」

「うん、ぐすっ、なに?」


 伊田さんは何度も鼻をすすってるから、鼻の頭が真っ赤だ。


「伊田さんが僕の彼女に立候補したいなんて、それこそドッキリかと思うくらい信じられないけど……」

「いや、ホントだから」

「うん、ありがとう。ホントならめちゃくちゃ嬉しいんだけど、僕はやっぱり凛が……涼海すずみさんのことが好きなんだ」


 広志の真面目で真剣な口調に、ようやく伊田さんも理解したようで「あっ……そっか」と彼女は呟いた。


「あっ、ホントに私、何を変なこと言ってるんだろ。テンパっちゃって、ごめん。そうだよね。空野君は凉海すずみさんのことが好きなんだもんね」

「あ、うん。そうなんだ」

「だから私と付き合うなんて無理だぁー!」


 伊田さんは両手でショートカットの髪の毛を掻きむしって、悔しそうにしてる。そして急に、何かハッと気づいたような顔をした。


「少なくとも、今はそうだ。だけど将来はわからない」

「はっ?」


 広志は伊田さんが何を言ってるのか、一瞬わからなかった。


「あ、いや、私にも常識はあるから安心してよ。凉海すずみさんから空野君を略奪しようとか、そんなことは思ってないから」

「えっ? あ、ああ」

「でも私が空野君を好きでいることは、いいでしょ?」

「え?」

「そしたら状況はいつ、どう変わるかわからない」

「あの……伊田さん?」

「諦めたらそこで終わりだけど、諦めなければ奇跡が起こるかもしれない!」


(い、伊田さんって、なんてポジティブ思考なんだ)


「空野君は、私が好きでいることも迷惑?」


 伊田さんは泣きはらした目を細めて、懇願するような声を出した。


「いや、迷惑というより、伊田さんの気持ちに応えられないのが申し訳ない」

「いや、それは私が勝手に空野君を好きっていうだけだから、気にしないで。だって世の中には、片想いなんて山ほどあるんだから」

「それはそうかもしれないけど、やっぱり伊田さんに申し訳ないよ」

「空野君が私に、そうやって優しい言葉をかけてくれるだけで、私は嬉しいんだぁ。だって真田君へもずっと片想いだったけど、そんな優しいことは言われたことがない」

「あっ……」


 伊田さんは真田とのことで、心がすり減ってるのかもしれない。きっと優しさに飢えてるんだ。


 広志は苦笑いする伊田さんを見て、そう感じた。


「だから空野君は気にしないでいて。私が勝手に空野君を好きで、空野君のファンでいるから」


 伊田さんはにっこりと笑ってる。


(この子、信じられないほど、いい子だ)


 広志はジーンときて、涙が出そうになる。

 ──が、しかし。


「伊田さん。ホントにありがとう。嬉しいよ。だけど僕は、凛が心配するんじゃないかと思うんだ。凛には不安な思いをさせたくない」

「あっ、そうだね。凉海すずみさんは、私のことをうとましく思うよね」

「いや、凛はそんなヤツじゃない。凛なら伊田さんのことを認めるし、何も嫌には思わないはずだ」

「そ、そうなの?」

「うん。だけどそれでも、伊田さんみたいな魅力的な女の子が僕を好きでいてくれるって知ったら、やっぱり凛は不安に思うじゃないかと……」

「いいなぁ、いいなぁ、凉海すずみさん」


 伊田さんは先程まで泣いていた顔に笑顔を浮かべて、両手の握り拳をぶんぶん振りながら羨ましそうにしてる。


「何が?」

「だって凉海すずみさんは空野君を凄く信頼してそうだし、空野君も凉海さんをとっても気遣ってるし」

「う……うん。そうだね」

「それが凄く羨ましいって思った」

「そ、そうかな。ありがとう」

「よし、わかった!! 空野君!」

「えっ?」


 わかったって何が? 伊田さんは何かを決意したように、キリッとした顔で広志を見つめてる。


「心配しなくてもいいってことを──私は無理矢理凉海さんから空野君を奪うとか、まったく考えてないってことを、ちゃんと凉海さんに言うよっ!!」

「へっ?」

「ただ単に、私が一方的に空野君を好きでいさせてくださいって、お願いするー!」


 ああ、伊田さんの暴走が止まらない。どうすりゃいいのかと、広志はパニックにも似た感じになる。


「いや、あの、伊田さん。急にそんなことを言われたら、凛も驚くと思うし」

「あっ、そっか。だよね! でも大丈夫。ちゃんと凉海さんに挨拶して、友達になってから言うからっ!」


(いや、そういう問題じゃなくて……)


 広志が戸惑っていたら、伊田さんは少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「やっぱ私なんかが、空野君を好きでい続けたらダメなのかなぁ?」

「いやっ、そんなことないよ! それは凄く嬉しいんだ!! だけど……」


「じゃあ、お願い、空野君……好きでいさせて」


 伊田さんは潤んだ瞳で広志を見つめた。広志は胸がキュンとなる。こんな目で見つめられたら、さすがに広志もダメとは言えなくなった。

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