第18話:悪野 悪志

 焦らずにゆっくり歩くようにと気遣った広志に、伊田さんは『空野君って……とっても優しい』と呟いた。


「そんなことないよ。なんてったって、僕は悪の組織の下っ端、悪野あくの 悪志わるしだからね。優しくなんかない」

「まだ言うか〜? もういいって! あはははは、お腹が痛いっ!」


 伊田さんはけらけらと笑いながら、広志の背中をばんばん叩いた。呆れたような口調だけど、顔を見るとホントに楽しそうに笑ってる。


「空野君の優しさに甘えて、ゆっくり自分のペースで歩くよ」

「うん、わかった。ホントに焦るなよ」

「うん!」


 伊田さんは笑顔でこくんと頷く。とても可愛い仕草だ。


「でも空野君にカバンを持ってもらうなら、部活の道具なんか入れてこなけりゃよかったなぁ。ごめんね、重くて」

「なんで部活ができないのがわかってるのに、道具を入れてきたの?」

「それがさ。今日の授業が終わる頃には治ってるんじゃないかって、淡い希望が捨て切れなくてさぁ」


 伊田さんは苦笑いを浮かべてる。


「昨日お医者さんに行って、足首の骨にヒビが入ってるって言われたから、そんなのあり得ないのに。私ってバカだねぇ〜」


 伊田さんは自嘲するように言うけど、とても寂しそうな顔をしてる。伊田さんはバカなんかじゃない。なんとかして、早く練習に戻りたいって、強く願ってるに決まってる。


「そう言えば全国優勝を目指してるって言ってた大会はいつなの?」

「ああ、あれは全国インターハイで、8月の頭にあるんだ」

「じゃあまだ三ヶ月半あるし、大丈夫だね」

「全国大会は8月だけど、県の予選が5月の中旬にあってさ、そこで勝てないと終わりなんだ」

「伊田さんみたいに去年全国大会に出たすごい人でも、県予選から出なきゃダメなの?」

「あはは、インターハイに、そんなシードみたいな制度はないよ」

「そ、そうなのか?」


 広志は知識の無さに恥ずかしくなった。だけどそんなことよりも、一ヶ月後の県予選までに、伊田さんのコンディションが回復するのかどうかの方が重要だ。


「ケガの具合はどうなの?」

「まあお医者さんからは、全治一ヶ月って言われた」

「それなら、一か月後の県予選には出られるね!」


 ホッとした広志だったけど、なぜか伊田さんの表情は曇ったままだ。


「走れるようになってすぐじゃあ、体重コントロールも難しいし、コンディションを取り戻すのは無理だよ」

「いつもポジティブな伊田さんらしくないなぁ。大丈夫だと信じようよ」

「でも、全国で優勝するんだっていう動機も薄くなってきたからなぁ」

「えっ? どういうこと?」

「あ、いや、なんでもない! うん、空野君が言うとおりだ。前向きに信じて頑張るしかないね!」


 取り繕うように笑顔を見せた伊田さんは、無理に元気に振る舞うように明るい声をだした。


(全国優勝する動機が薄れてるって、どういうことだろ?)


 広志は伊田さんの表情を見ながら考えてみたが、イマイチよくわからない。


「じゃあそろそろ帰らない? 空野君、悪いけどお言葉に甘えるから、カバンをお願いしまーす」

「あ、ああ。じゃあ僕が先に出て、ゆっくり駅まで歩くよ」

「うん、よろしく!」


 広志は伊田さんのカバンを肩にかけ、先に教室を出た。少し遅れて教室を出てきた松葉杖の伊田さんが歩くペースを、ちらちらと見ながら、広志はゆっくりと廊下を進んでいく。


 伊田さんがちゃんと付いて来てるのを横目で確認しながら、校門を出て駅への下校路をゆっくり歩いた。





 駅への道を歩いている途中で、広志は神社の前を通りがかった。普段はほとんど意識することもないけど、道に面して立ってる小さな鳥居がたまたま目についた。鳥居の横に立ってる縦長の石塔を見ると『神凪かんなぎ神社』と書いてある。


 広志は思いつくことがあって、少し神社に寄ろうと考えた。神社の前で踵を返して、数メートル後ろを歩く伊田さんに向かって、今来た道を歩いて戻る。


 伊田さんに近づくと、彼女は『どうしたの?』と小声を出した。周りには多くはないけど、何人かの世界高校の生徒が歩いている。彼らに気づかれないように、伊田さんとすれ違うふりをしながら「ちょっと神社に寄ってくる。すぐに追いつくから、先に駅まで行っといて」と小声で伝えた。


「う、うん」


 伊田さんは広志の意図がよくわからない様子だったけど、素直に頷いた。


 広志はまたUターンして神社に向かうと、鳥居をくぐって境内に足を踏み入れる。小さな神社で、他に参拝者の姿はない。


 広志は境内を見回して、御守り売り場を探した。小さな小屋みたいな建物を見つけて近づくと、黒髪が綺麗な巫女さんが売り場に座ってるのが見えた。巫女さんは何か作業をしてる。


「あのう、すみません」

「はい」


 広志が声をかけると、赤い袴に白衣びゃくえ姿の巫女さんが顔を上げてにっこりと笑う。少し年上に見えるその巫女さんは、かなりの美人だ。


「あの……御守りをください」

「なんの御守りがいいですか?」

「えっと……ケガが早く治るように」

「じゃあ健康祈願の御守りは、これですよ」


 巫女さんはたくさんの種類が並んだ御守りの中から、健康祈願と書かれた御守りを指差した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る