第16話:伊田さんのケガ

◆◇◆


 翌朝広志が登校すると、教室の中にまだ伊田さんの姿はなかった。


(ケガの具合はどうなんだろ?)


 広志が通学カバンを机に置いて、既に隣の席に座ってる凛に「おはよ」と声をかけると、凛もいつもの優しい笑顔で「おはよ」と返してくれた。ああ、今日の凛も可愛い。



 しばらくして、突然伊田さんの名前を呼ぶ女子生徒の声が聞こえた。


天美あまみどうしたの? 大丈夫!?」


 広志が教室の出入口に目を向けると、そこには松葉杖をついてひょこひょこと歩く伊田さんの姿があった。右の足首に巻かれた白い包帯が痛々しい。


「あ、うん、大丈夫だよー お医者さんがちょっと大げさに包帯をぐるぐる巻いちゃったから、仕方なしに松葉杖をついてるだけー」


 明るく答える伊田さんだけど、無理をしてるのがありありだ。広志は思わず凛と顔を見合わせた。


「あんな風に言ってるけど、昨日のケガ、かなり酷いみたいだな」

「うん、そうみたいだね」


 ──捻挫? 骨折? 伊田さんが全国優勝を目指してる大会には間に合うんだろうか?

 広志の頭の中に、そんなことが思い浮かぶ。


 すぐにでも伊田さんの元に駆け寄って様子を聞きたいと思ったけど、伊田さんの周りに数人の女子友達が集まるのを見て、広志は後でゆっくり話をすることにした。


(そう言えば真田は?)


 伊田さんの好きな相手は真田じゃないかと凛が言ってたのを思い出して、真田の姿を探すと、彼は自分の席に座ったまま、遠目で伊田さんを眺めている。


 同じ陸上部員なんだから、せめて駆け寄って、伊田さんを思いる言葉をかけてあげたらいいのに。


 広志がそう思ってると、真田の席の横を伊田さんがひょこひょこと歩いて通った。真田の席は広志の隣列の三席前で、様子がよく見える。


 真田は両手を頭の後ろで組んで、背もたれにふんぞりかえったまま伊田さんを見て「大丈夫か?」と声をかけた。


「あ、うん。インターハイの県予選はダメかも……」


 悲しそうに苦笑いして小さな声で答える伊田さんに、真田はフンっと鼻を鳴らして「そっか」と素っ気なく答えるだけ。


「あ、いや、そんなことない。なんとか頑張って治すから」


 伊田さんはかなり焦った表情で、慌てて言い直した。その様子を見て、広志は昨日凛が言ってた言葉を思い出した。


『真田君が、せめて全国優勝するくらいじゃないと、俺に相応ふさわしくないなんて言って、伊田さんが『頑張るから!』って答えるのを、たまたま聞いたんだ』



 やっぱり凛の想像どおり伊田さんは真田を好きで、真田は自分と付き合いたいなら相応しい女になれ、みたいなことを言ってるのかもしれない。



 人はそれぞれ色んな考え方があるし、それを受け止める側にも色んな考えや思いがある。だから広志は他の人の行動や考え方を否定したり、非難するのは好きじゃない。基本的には他人の考えはできるだけ理解しようとしている。だけど──


 もしも想像通りなら、いくらなんでも真田のあの態度は、伊田さんがかわいそすぎる。いや、付き合うとかは別にしても、ケガをして落ち込んでる伊田さんに、真田のあの態度は酷いんじゃないか。


 広志にしては珍しく、真田に対していきどおりを感じる。


(いや待て、落ち着け。ホントにそうなのかどうか、まだわからない。ちゃんと伊田さんに話を聞いてみよう)


 伊田さんは真田の横を通り過ぎて、広志の横を通り、後ろの席に行く。


「大丈夫?」

「あ、うん」


 広志がかけた声に伊田さんはそれだけ答えて、広志の後ろの方の自席に行き、不自由そうに松葉杖を持ち直しながら腰を下ろした。


「ホントに大丈夫かなぁ?」


 背後から凛の声が聞こえて広志が振り向くと、凛は「伊田さんの力になってあげてね」と囁いた。


「うん」


 広志は笑顔で答えたものの、自分が伊田さんにしてあげられることって何があるだろうかと考えを巡らせた。



◆◇◆


 一日の授業が終わって、三年A組のみんなは部活や帰宅にばらばらと教室を出て行く。真田の様子を見ると、スポーツバッグを肩にかけると、伊田さんに「じゃあ部活行くわ」とだけ声をかけて、足早に教室を出て行った。



「天美、大丈夫? 一人で帰れる?」

「うん、全然大丈夫だよー ありがとー! 私のことは気にしないで、早く部活行ってよ」


 伊田さんと仲が良い女友達も運動部の人が多いようで、口々に伊田さんに声をかけながら、部活へと急ぐ。


 豊かな才能を持つ生徒が集まる世界高校では、ほとんどの生徒が部活や個人的に音楽やクリエイター、スポーツなどの活動をしていて、授業が終わるとすぐに教室を出て行く者が多い。



 伊田さんは「よっこらしょ」と声に出して立ち上がると、大きなスポーツバッグを肩にかけて、松葉杖をついて教室の出入口に向かって歩き出した。


 もう自分と伊田さん以外には生徒がいないのを見て、広志も席から立って、伊田さんに声をかける。


「伊田さんって電車通学?」

「えっ? そうだよ。なんで?」

「カバン重そうだから、駅まで僕が持つよ」


 広志は手を伊田さんに向けて差し出した。

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