終電、終点

椎須ルイ

夜景

 冷たく透き通った夜景はガラスごしにすっと飛んで行きました。時は真夜中で街はまだ起きていました。しかし、その電車に乗っていた乗客達の上には薄い眠気がやどっておりました。十両編成の内にちりばめられるように乗っていた七十八人、ある者は目を覚ましており、他は眠りこけ、ある学生は読書に耽り、大半はスマートフォンの虜で、少量は酔ったほろ甘い感覚に落ちており、又他の者たちは何を感じ、考えているのかは定かではありませんでした。少なくとも皆、家に帰ろうとしていたのです。広々としたマンション、古風の家屋、新築のデザイナーズハウス、古くも新しくも無いシェアハウス、普通の一軒家--それら全てが誰かの『家』なのでした。


 但し、この列車には『家』と呼べる場所が無い者が一人居りました。彼女が非常に疲れている事は目にとって見ることが出来ました。その少女の目は輝きを失って窪み、何処かの高校のよれた制服は彼女の細い体に掛かっており、古びた学生鞄は明るい色の座席に寄りかかっておりました。


 この車両には彼女の他は誰もおらず、タタン、タン、タタン、タタン、タ、タンと言う電車がレールの上を走るリズミカルな音以外はとても静かでした。頭上のLED照明はまぶしいくらい明るく光っていましたが、少女にとってはそれは薄暗く感じました。顔にかかる髪の合間からは運動会の旗の様にうるさい広告がエアコンではためいていました。

 

 タタン、タン、タタン、タタン、タ、タン。電車は夜の街に歌います。走っている列車と共に少女の記憶も走りました。まるでスライドショーの様に一枚、一枚彼女の苦痛の日々が飛び去って行きます。タタン、タン、タタン、タタン、タ、タン。家から通う、学校と言う牢屋。混同しあって識別出来ないクラスメイトの灰色の壁。寝るだけにある六階の新築アパートと言う檻。タタン、タン、タタン、タタン、タ、タン。千万人の人達が住む街で、彼女は孤独でした。

                ◁◿◃◯◃⭙◿▽

 聞きなれない発車メロディーで彼女は目を覚ましました。短いのに何故か泣けてきそうな曲で、卒業式とか葬式を表す音列の様でした。いつも降りる地下鉄間の駅はとうに過ぎており、外の景色はまた地上階に戻っております。九月になって冷え込む中でも容赦なくかけ続けるエアコンに困惑しながら少女は薄い濃紺のカーディガンを抱きしめました。本当に、人とは自分勝手なものです。いつの間にか床に落ちてしまった学生鞄を拾い上げる気力もなく、彼女はぼおっと座り続けました。音を立てずに扉は閉まり、涼しい夜を締め出します。目の前に過ぎて行くのは前と同じ様な駅で、全てが無限ループだったのでした。


 タタン、タン、タタン、タタン、タ、タン。二番線から列車が去ります。


 少女は世界から去ってしまいたかったのでした。

 

「もしも生まれ変わったら、雫になりたい。ただ落ちて行って何処へでも流れて行けるもの。形とか、私は誰かとか、全く考えなくても良い。そこにあるだけ。」少女は薄く伸ばした雲が黒く浮いている星空と、その下の川に反射されている住宅街のへ明かりと顔を向けました。もう街ではなく、商店街とかがありそうな町に景色は移り替わっていました。


 その情景から浮かんでくるのは祖父母の町でした。窓ガラスに頭を寄せると、懐かしい思い出がふわり、ふわりと戻って来ます。雨と草の匂いがする小さな庭があって、今にも倒れてきそうな家から突き出ているバルコニーには洗濯がいつもはためいており、そこから花火を見たりしたものです。中の間取りはどうだったか思い出せませんが、小さくて古くて暖かい空間が広がっていたのだ、そんな事を考えては口元の線が緩みます。匂いも、少し時代遅れだったっけ…。


 タタン、タン、タタン、タタン、タ、タン。


 祖父は二年生の時に脳卒中でぱったりと倒れてそれっきり亡くなってしまいました。祖母もしばらくは一人で頑張っていたのですが、急に年を取ってしまいました。その祖母が家に住む事になった時は少女は確かに飛んで喜んだのです。


 二週間も経てば祖父にお迎えなんて来なければ良かったのに、祖母を置いて、と考える様になりました。祖母は何ひとつ正しい事なんて出来無くなっていたのです。最初の方はそんなにも酷くはありませんでした。トイレに行ったかどうだか、お昼を食べたかどうだったか、そんな事でした。少し経つと、家が何処だか分からなくなり、しまいには家族を不審者呼ばわりする様になって行きました。


 正直、とても怖かったのです。あんなに気丈で元気で、お小遣いとかをくれたり、オリジナルレシピを作ってくれたり、若き日々の輝かしい話しをしてくれた祖母は消え去って、残されたのは薄く移る影でした。


 タタン、タン、タタン、タタン、タ、タン。


 その影ももう居ません。


 タタン、タン、タタン、タタン、タ、タン。


 両親が心底喜んでいるのが目に移りました。それに、少女自身も少しほっとしたのでした。


 そんな自分が嫌いでした。


 トンネルに突入する電車は他にも記憶を呼び覚ましました。それは冷たい秋風と共に吹いてきました。

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