第25話 エリーゼ


 現在、月涙亭の営業開始時刻をだいぶ過ぎた深夜。娼婦目当ての客は今宵の愛方と二階へと消えていき、残っているのは遅めの夕食をとりにきた客が数人。その中に紛れるようにユイとメイアの二人は夕餉をとっていた。メイアは今日一日休暇のため、ユイはエリーゼが「今日の給仕はやめさせて」と凄みながらユージンに進言したからだと人伝に聞いている。元々ユージンも相応のレベルになっても魔物狩りへ行かせた当日に働かせる気は毛頭ないらしく、給仕は明日からでいいとなった。


「あんたとエリーゼ姉さんってどんな関係なの?」


 泡がたっぷり山盛りになっているジョッキを勢いよく喉の奥に流し込みながらメイアは周囲に聞かれないように声を小さくさせて向かいの席に座るユイに問いかけてきた。この世界は十六歳から成人とみなされ飲酒もタバコも解禁されるが、二十歳で成人と決められている日本生まれの日本育ちのユイからしたらとても違和感ある光景だ。


「会ったことないよ。……多分」


 スパゲッティを巻いたままのフォークを皿に置き、口元の汚れをナプキンで拭きながらユイは答えた。多分とつけたのは自分の記憶力がそこまで良くないからだ。今のクラスメートだって三ヶ月通ってやっと顔と名前が一致したぐらいで、知人からは「興味がある分野以外は鳥頭」と例えられたこともある。それにエリーゼはユイのことを知っている様子だった。


「エリーゼ姉さんが誰かを気にかけるなんて初めて見た」

「ねえ、メイア。エリーゼ姉さんってどういう人?」

「……よく分からない。この一言に尽きるかな」

「どういうこと?」

「あんたと同じレベルの謎人間ってこと」


 メイアはジョッキをテーブルに置くと体を前のめりにさせてユイの耳元に唇を寄せた。ユイがレアスキルと黒瞳持ちということで周囲の意識が自分達に集まっているからだ。


「あたしが知っているのはここのオープニングメンバーってこととオーナーとは旧知の仲で売り上げナンバーワンの超売れっ子ってことぐらい」

「じゃあ、ユージンさんとはけっこうな付き合いなんだ」

月涙亭ここであの人にあんな気安く話せるのなんてオーナーぐらいだろうね。私達はよく分からないの。さっき言った三つ以外は年齢も出身も好きな食べ物、嫌いな食べ物に魔導書の外見、中身に至るまで誰も知らないわ」

「本当に謎なんだね」

「そう。あと、怖い人でしょ? なんかオーラが違うというか……まるで人間じゃないみたい」


 それは分かる。先程、エリーゼに詰め寄られた時、心臓を鷲掴みにされたように体が強ばり、動くことができなかった。彼女が稀有けうな美しさを備えているからではなく、内面から滲みでる風格のせいで恐ろしく感じた。


「なんで私を気にかけているんだろう?」

「それがさっぱり分からんのよね。みんな、不思議に思って噂してるもん。あのエリーゼ姉さんが初めて誰かを気に入って、気にかけているって」

「初めて? 私が?」

「ええ、そうよ」

「ユージンさんはエリーゼさんにはつまみ食い癖があるって言ってたけど、それって気に入ってなくてもつまんじゃうの?」

「つまみ癖?」

「可愛い子とかに目がないって。だから二人っきりにならないようにって言われたよ」


 言葉を重ねるにつれ、緑瞳が大きく見開かれ、そこには「嘘だろ」という疑惑と「そんなわけない」という否定の色が浮かぶ。


「あたしが知る限り、そんな話は聞いたことないけど」

「じゃあ、ユージンさんの冗談かな……」

「どうだろう」


 ジョッキに残った最後の一口を飲み干し、頬杖をつく。


「初対面相手にそんな冗談言わなそうだけど……」


 手持ち無沙汰なのかテーブルの端を指先でこつこつ叩きながらメイアは店の奥まで届く声量で「サナ姉!!」と叫んだ。遠くでタバコを嗜む妙齢の女性へ視線を向けて、大きく口を開いた時点でこうなるとは察してはいたが流石に至近距離で急に叫ぶとは思わなくて耳を塞ぐのが間に合わず、ユイは震える鼓膜を守るように両耳を覆った。


「ちょっと、まだお客さんがいるんだよ?!」


 様々なマナーが元の世界と比べてだいぶ緩いこの世界でも食事中の大声はマナー違反だとされている。相手がどんなスキルや魔法を所持しているのか目視できないので争いになるのを回避するためだ。特にガルダの街は冒険者や戦闘系の職業、スキル持ちが多く集まるので「絶対に相手に喧嘩をふっかけないように」とユージンからキツく言い聞かせられた。


「大丈夫よ。みんな、帰ったし」


 周囲を見渡しながらメイアは答えると呆れ顔でこちらに近づいてくる女性に向かって手を振った。


「サナ姉。ちょっと聞きたいんだけどいい?」

「次からは年下のあんたがこっちまで来な」


 現れたのは緩やかに波打つ青髪と澄んだ青空色の瞳を持つ女性。歳は四十を少し過ぎた頃だが若々しい見た目から三十半ばにも見える美女——サナは言葉では咎めるが娘のように歳が離れているメイアが相手だからか「仕方がないねぇ」と肩を持ち上げてみせた。


「どうかしたのかい?」

「エリーゼ姉さんって今までお気に入りつくったことある?」


 考える仕草は微塵も見せず、サナは迷わずユイを指さした。


「この子」

「の前にはいなかったの?」

「ずっと一緒にいるけど誰もいないね。エリーゼは一人が好きだから、誰かに固執するなんてなかった」

「客に媚びたりもしないしね」

ユイあんただけだよ。あたしが知っている限りでエリーゼが心配してオーナーに詰め寄るなんて行動をとったの。エリーゼはいい子なんだ。これからも仲良くしてやってくれ」


 それがどういう意味か、言葉通りなのか聞く前にサナは咥えていたタバコに手をかけて、火がくすぶる先端を指でぎゅっと潰す。


「——さて、じゃあ、早く食べて部屋に戻んな。こっちはそろそろ帳簿付け始めたいんだよ」


 どこからか帳簿を取り出すとサナは階段を指さした。早く出て行けと顔に書かれていた。


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