第24話 割れたボトル
どこから落ちたのか知るために視線をあげると
「た、ただいま帰りました……」
なんとなく話しかけれる雰囲気ではないのは分かるが帰宅し、対面したとなれば挨拶はかかせない。しかも、ユージンは真っ直ぐ自分を見つめている。この状態でのスルーは少々手前勝手の気があるユイも流石にできなかった。
とりあえず、下げていた頭を上げると早足で自室へ戻ろうとする。もうすぐ月涙亭は営業開始時刻となるのでその前にシャワーを浴びて、このボロボロの衣服から給仕用の制服に着替えよ思ったのだがユージンに腕を掴まれたのでそれは叶わなかった。
「あの、ユージンさん?」
視線は合うが酸欠の魚のように口を開閉させるのみで何も答えてはくれない。
もう一度、名前を呼ぶがやはり返答はない。迷ったユイは助けを求めるべく周囲を見渡した。開店準備のため店内を駆け回る給仕係や食材を裏に運ぶ料理人、騒ぎを聞きつけたのか階段から身を乗り出してこちらを見つめる娼婦の姿は見えるが誰も助けにきてくれそうにはない。誰もが信じられない、とでも言いたげな表情をして固まっていた。
(やっぱり、格好がなあ……)
自分の今の格好を見下ろしたユイは深く息をはいた。アリスから借りたタオルケットのその下は昼間の地獄の無限ループのため、衣服はドロドロのボロボロのズタズタ。邪魔にならないように髪も一つに束ねていたが戦闘の際に髪紐が解け、蟲に攻撃を受け、切れたり溶けたりして短くなった部位もある。アリスの治癒魔法のおかげで肌には擦り傷ひとつ存在しないが、それ以外は誰が見ても目を背けたくなるような
どうこの状況を
「なんか割れる音したんだけど、どーしたの?」
ひょこり、と柱から顔を覗かせたのはメイアだ。まず、ユイとユージンを見てから割れたボトルの欠片を見つめ、眉を寄せると野次馬で集まっていた娼婦と給仕係、料理係を見た。
「……オーナー? なに割ってんの?」
一番気になったのは割れたボトルだったようで、もっと眉間の皺を深くした。
「床も
「ち、ちが……」
ユージンはどうにか話そうと口を開くが動揺しているためかそれ言葉となってはいない。しばらく、もごもごと口を動かし続けて、決心したのか息を深く吸って吐き出した。
「……メイア。君はこっちにきなさい。少し話があるんだ」
「話なんかないわよ」
「私にはあるんだ」
額を押さえて唸るユージンは「いくよ」と手招きをしながら奥へと向かっていった。流石の
一人残されたユイはどう動くべきか判断に迷った。このまま自室に戻るという手もあるがユージンに断りも入れていないのに勝手に動くのはできない。かと言って、この場にずっと留まるわけにもいかない。
とりあえず、床に散乱する硝子を片付けようと思い立った。掃除道具を持ってこようと考えたがそれらを保管してある場所は教えてもらっていないので分からないため素手で拾うことにした。細かい破片は無理なので大きな破片を拾い集めていると周囲が騒めきはじめたのに気付き、面をあげる。
「おかえりなさい」
ゆっくりと階段から降りてきたのは紫艶の髪を持つ美女。
「……エリーゼ、さん」
名前を呼ぶとエリーゼは口元に笑みを浮かべた。
「ただいま帰りました」
「これ、あの人が落としたのかしら? ずいぶんと粉々にしたものね」
ちらりとボトルの破片を一瞥すると、続いて視線はユイの手に。
「手を離しなさい。怪我をするわ」
「けど、掃除を」
しないと、と続ける前にエリーゼは「手を離しなさい」と強く言った。
たじろぎつつも素直に破片を床に戻す。それを見たエリーゼは満足そうに微笑んだ。
「この子に掃除をさせるつもり?」
続いてふっくらと真っ赤な唇からでたのは冷たい声。まるで寒空を思わせる冷たさに周囲の人間が息を止めたのが聞こえた。
「貴方、暇なら早く掃除をしなさい」
エリーゼは一番近くで固まっていた給仕係の男を指さして命じた。
給仕係は飛び跳ねるように駆け出すと
そんな男を冷めた目で見下ろしたエリーゼはユイの手をとる。
「ねえ」
今度は心配そうな声だった。
エリーゼは細く美しい指先をユイの指に絡めつつ、心配そうに顔を覗き込んできた。急に人形めいた美貌が近づき、ユイは距離をとるため後ろに下がろうとするが絡み合った指のせいで動けない。
「昨日と今日、草原に行ったと聞いたわ」
「えっと、レベルを上げるために行きました」
「メイアちゃん達と三人で? 私も誘ってくれれば貴女にこんな怪我なんてさせないのに……」
エリーゼは睫毛を伏せると空いた手をユイが着ている衣服の穴が空いた部分に這わせた。傷が本当にないのか隅々まで確認する動きがくすぐったくて、ユイは身をよじり、その手から逃れようとする。
「貴女はそんなことしなくていいのよ」
「いえ、でもレベルはあげないと……」
「スキルを入手するため? 貴女は働かなくていいの。お金が足りないのなら私が助けてあげるから」
「いえ、そこまでして貰うのは申し訳ないので……」
「気にしないで。彼だって、貴女のためならお金に糸目はつけないわ」
「……彼?」
「私の大切な人よ」
含みのある言い方だ。恐らく彼とはユージンではないことは文脈と態度から察した。
「だから安心してちょうだい」
脇腹を撫でていた手は徐々に上に上がってきた。胸をなで、肩にたどり着き、首筋を通り、頬を包み込む。蒼く深い瞳に宿るのはほのかな劣情と執着。
(怖い)
目の前の人物が考えていることが分からない。
そう感じているのはユイだけではないらしく、視界の端で息を殺す人々も同様に恐怖で顔を歪めていた。
(意味が分からない。なんなのこの人)
昼間の蟲狩りとは違う不安と緊張感。大量の蛇に睨まれている気分になる。
黙って青瞳を見つめているとエリーゼはわざとらしく視線を泳がせた。
「……今度ゆっくりお話ししましょう」
その言葉を残すとエリーゼは二階へと上がっていった。
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