第9話 月涙亭(2)


 次は二階の案内という時、階段の上から綺麗な紫紺しこんの髪を持つ女性が見下ろしているのに気づく。

 ユイが上を見上げると視線に気付いたユージンも不思議そうに同じ場所を見た。女性はユージンの視線に気づくととろけるような笑みを浮かべ、ゆっくりと階段を降りてくる。


「エリーゼ。休まなくていいのか?」

「ええ、たっぷり休んだから」


 見た目とは違い、やや低音でしっとりとした声で囁くように言った。

 視覚にも聴覚にも刺激的な美女の登場に、ユイはどきっとした。同性でも見惚れる美女——エリーゼはユイの前に来ると身長の差を埋めるため膝をおる。黒のバスローブから深い谷間が覗いた。その大きさにユイは生唾を飲み込み、すぐに自分の胸に視線を落としてダメージを食らった。胸は何を食べたらこんなに大きくなるんだろう。


「あらあら」


 わざとらしく視線が投げられる。

 上から下。下から上まで舐められるように見られユイは身体を強張らせた。

 美しさは暴力だ。エリーゼを見ているとそう思う。少女のようにあどけないその美貌を飾る、ウェーブがかかった紫艶の髪。憂いを帯びる濡れた瞳は海より深いブルー。ふっくらと柔らかな唇は「新入りさん?」と抑揚を感じさせない声で問う。


「そうだよ!」


 ユージンはユイの両肩を掴むと前に押し出した。美貌が前にきてユイは顔を真っ赤にさせた。


「新入りだ! 期待のね!」

「可愛らしい子。攫ってきたの?」

「きちんとスカウトしてきたんだ」

「本当? 貴方は人の話を聞かないから心配だわ」

「ひどいなぁ」

「日頃の行いが悪いのよ。新入りさん、これからよろしくね。私はエリーゼ」


 ふわり、花のようにエリーゼは微笑んだ。


「ユイ、です。よろしくお願いします」


 頭を下げるとユージンさんが「うちのナンバーワンだよ」と耳打ちしてきた。でしょうね。こんな美人がナンバーワンじゃないと可笑しい。

 さっき「頂点を取れる」って息巻いていたけど無理だとユイは察した。こんな美人を押しのけて一位に立てるわけない。……立とうとも思わないが。

 エリーゼは不思議そうに宝石の瞳を丸くさせると両手でユイの頬を包みこんで顔を近づけた。


「本当に可愛い子」


 興味津々にユイの両目を覗き込む。ブルーの、深海のような色合いの瞳に困ったような自分の姿が映る。


「ちょっかいだすなよ?」


 困って固まっていると強い力で引っ張られた。頭上には笑顔だけど、どこか怒った様子のユージンの姿。


「出した事ないでしょ?」

「いいパートナーだけど、お前のつまみ癖は信用できないなぁ」


 ユージンは形のいい眉毛をふにゃりと下げた。


「あら酷い」


 それを見てエリーゼは小さく笑うとユイへと視線を下げて、ひらひらと手を振る。


「困ったことがあったら頼ってね。新入りさん」

「あ、はい」


 最後に頬をひと撫でするとエリーゼは階段をあがっていった。

 その姿が見えなくなるとユージンが困ったようにため息をこぼす。


「いいやつなんだよ。ただ、可愛いもの、綺麗なものには目がないっていうか……。食いたがり、えっと雑食っていうか……。二人っきりにはならないでね! もしなっても近くに誰かいるはずだから大声で呼ぶんだよ!」


 ちょっと怖い単語が聞こえたけどスルーさせてもらう。変わった人みたいだけど二人っきりにならなければいいだけだ。

 ユージンは気分を変えるように咳払いすると上の階を指差した。案内の途中だったと思い出す。


「次は上ね。段差に気をつけてね」


 再度、構造を覚えるためにユイも気を引き締めた。

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