第4話 草原にひとり


 頬を撫でるそよ風。鼻腔をつくのは湿った土と青臭い草の匂い。肌を舐めるのは燦々さんさんと燃える太陽。


 ……ふと気が付くと目の前には草原が広がっていた。

 唯は自分が置かれた状況を把握するために瞬きを繰り返した。

 しかし、何度、瞬きを繰り返しても目の前の草原は変わらず広大で、それより遥か向こうには米粒ほどの大きさだが街のようなものが見える光景は変わらない。


「……嘘でしょ」


 現状を理解し、口からは重々しいため息がひとつ。


「これは夢だ」


 夢に違いない、と自分に言い聞かせる。

 上下左右が曖昧な白一色の空間もそうだが、神と名乗る少年も非現実的だった。先ほどは夢ではないととりあえず納得はしたが、いかんせん人という生き物は一縷いちるの希望があればすがり付いてしまうものだ。

 今の唯にとっての希望とは夢であるということだった。


「どうせ、すぐ夢から覚めるはず」


 無意識に独り言を呟きながら試しに腕をつねってみた。


(痛い)


 次に爪をたててみた。


(痛い)


 これでも覚めなかったので次は頬を叩いてみた。


(うん、痛い)


 力を込めれば込めるほど、痛みは強くなる。真っ赤な爪痕を残す腕と熱が集まる頬の感触が否応なしに現実だと囁く。囁きから耳を逸らすため、唯は両手で耳を覆った。


「夢よ。夢。誰でもいいから夢って言って」


 何度も繰り返すがなんとなく自分でも分かってた。ここが夢ではないということを。「自分は神だ!」とまくし立てていたあの少年の言っていたことは本当だということを。

 唯は顔をあげた。夢でなければこれから自分はどうすればいいのだろう。


 急に不安に駆られる。


 少年は「生き抜くため」や「仲間同士で協力しないため」と言っていた。そのセリフからこの世界は危険であると想定できた。

 それも死の可能性もある。

 そう考えると胃がきゅっと締まった感覚がした。元々ストレスに強くない体は先を想像する度に悲鳴をあげる。

 唯には自然界で生き残るためのすべはない。何の取り柄もない女子高校生が異世界でサバイバルできるかと聞かれれば、ほとんどの人間は無理と答えるだろう。

 路頭に迷う、という言葉が痛いほど身に染みて、唯は頭を抱えた。草原で生き残るのはリスクが危険すぎる。


 どうするべきかと思案していたその時、ふと、少年の言葉が脳裏を過ぎる。あの真っ白な空間で彼は自分に【職業】や【スキル】を与えてくれた。それに「生き抜くため」とも言っていた。ユイは足元に転がっている本へと視線を落とす。


(この二つを使用すればこの世界で生き延びれるの?)


 そこまで考えてから、その思考を放棄するように唯は自嘲じちょうする。


(いや、無理。だって、で生活なんてできるわけない)


 唯は本を拾い上げると最初のページを開いた。古びたページに刻まれた文字は先ほど見たものと一文字一句変わらない。





『種族:人間 個体名:ユイ


 基本ステータス

 レベル:1

 体力:7

 魔力:181

 攻撃力:4

 防御力:3

 知力:8

 運:7


 職業:娼婦』





 続いて次のページを開き、二ページと三ページ目にも目を通す。





『スキル:

【房中術】

 習得方法:経験人数千人以上

 必要レベル:30

 必要魔力:15

 効果:性行相手のステータスを一時上昇及び、異常状態を解除することができる。自分よりレベルの低い者を魅了することが可能になる。


【淫魔の手管】

 習得方法:「娼婦」の職業を持ち「房中術」を習得した後、十年が経過

 必要レベル:75

 使用魔力:200

 他者の深層心理に働きかけ、相手を操り魅了する。他者の魅了にかからなくなる。』





 四ページ以降は白紙が続く。文章が書かれているのは最初の三ページのみだった。


「あはははは」


 つい、乾いた笑いが口から溢れた。今、自分の顔は笑っているけど笑っていないだろう。


(これってどういう意味なの)


 魔力が驚くぐらい高いが他のステータスが低過ぎる。レベルを見るに一桁が普通で魔力が高すぎるということか。

 それに加え、スキルの必要レベルと使用魔力もよく分からない。必要レベルという文字からスキルを使用するには、まずレベルを該当数字まで上げる必要があるようだ。

 つまり、(使おうとは微塵も思っていないが)今の時点でスキルは一つも使えないと考えられる。


(それよりも……)


 唯は職業の隣に書かれている文字を睨みつけた。

 やはり、何度見ても書かれている文字は同じだ。

 そして、その意味は唯が知っている限り、一つだけ。


「身体を売るってこの草原で?」


 唯は深く息を吐き出した。平凡な自分が娼婦なんて何かの間違いだと現実から逃避する。こんな自給自足に最も適さず、使えないスキルを貰っても嬉しくなんてない。それどころか奈落の底に落とされた気分だ。


 しかし、と唯は表情を引き締め前を見た。


 どんなに絶望しても、嫌がっても夢でないのならばこの現状を打破することはできない。ならば唯が起こす行動は一つ。この世界で生き延びてあの四人と合流する。

 それが今、唯ができることだ。

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