小説を書き始めたきっかけみたいなもの

 僕が初めて小説を書いてみようと思ったのは、大学1年生のころだと思います。

 大学生になって何か1つ目標を作り、それを達成したいと思った僕は「1日1冊本を読む」と決めて、毎日、本と向き合っていました。

 とりあえず、本から何かを得ようとか考えずひたすら読む。読んでいく中で、心に残ったことが1つでもあればOKみたいな感じ読みまくっていました。

 実際に、本を読んでも何も残らないということは無く、乱雑に読むだけでも、物語のセリフが1つ心に残ったり、実用書に書かれてある何かが心に残ったり、全く無駄ではありませんでした。そして、そうやって心に残ったものが自分の人生を良くしてくれることもありました。



 1日1冊本を読むという目標を立てた時に、1番最初に読んだ本がなんだったのかは忘れましたが、最初の方に読んだ本にヘルマンヘッセに『車輪の下』がありました。とても有名な作品ですね。ヘルマンヘッセ自身、ノーベル文学賞を取っていますし。



 大学に入るまでの僕は、本を読むという習慣が無く、例えば学校の図書館で使う図書カードには、最初に図書室の使い方の説明をしてもらった時に借りた本が1冊記されているというだけで、その後は1冊も借りていません。図書室すら近づかない。その他の読書体験を考えてみても、夏休みの読書感想文の時、学校の朝の読書の時間以外読むことはありませんでした。



 そんな僕なので、最初にどんな本を読んだら良いか分からず、とりあえず、名作家の名作と呼ばれるものを読もうと『車輪の下』にしたのでした。

 今まで、文字が小さく大量に書かれていて、しかも昔の名作と呼ばれるものは読んだこと無かったので、読めるのかどうか不安でしたが、それは杞憂に終わりました。

 ドはまりして、1日で読み切ったと思います。

 読んだ後も、少し放心状態。読後の余韻を十分に味わった後、めちゃくちゃ『車輪の下』について考えました。自分の人生についても。



 『車輪の下』のストーリーを簡単に書くと、才能ある主人公が、とても良い学校に入って、周りの期待に応えようとするけど、学校で生活していくうちに、色々疑問に思うことが出てきて、学校にいる理由や自分の人生、その他もろもろが分からなくなっていくというものです。これは僕の読んだ印象なので、間違っているのかも知れません。

 


 うぬぼれなのかも知れませんが、その主人公と僕が、『車輪の下』を読んでいるうちにどんどん重なっていって、小説を読んでいるだけなのに、自分の高校時代や人生を考えるはめになりました。そんなこと考えるつもりも無いですし、思い出したくも無く、大学に入ったら高校時代のことを全て忘れて、新しくやり直すんだと思っていたのに。

 僕自身、大学進学を目指す高校の雰囲気に合わず、良い大学に入ることが目的に授業にも合わず、そのような価値観を持った他の人とも合わず、なんでこの高校にいるのかが分からなくなっていました。

 授業はよくサボりましたし、学校すらずる休みする日もありました。不登校に足を片一歩突っ込んでいたと思います。

 結局「このまま休み続けていたら卒業出来ない」という担任の言葉にビビッて、本物の不登校にはなれなかったのですけどね。ファッション不登校みたいなもんです。

 時には親に「学校を辞めたい」なんて言ったこともあったんですけどね。まあ、大学にも結局行ったし、嫌な事を全部忘れようと思っていました。



 それが『車輪の下』を読んで一気に考え方が変わりました。作者のヘルマンヘッセの情報を調べてみると、ヘルマンヘッセ自身あんまり社会生活になじめていなかったようで、その経験が『車輪の下』に出てるともありました。

 そういう自分の人生の嫌な事、死んでしまいたいぐらい苦しいこと、でも必死に生きていること。普通なら忘れたいことも全部、小説というものは受け入れてくれる。しかもそれが価値あるものに変換されていく、価値があると思わせることが出来る、そういった点にすごく感動しました。



 色々な人と話していて「楽しくない人生よりかは楽しい人生の方が良い」とか「辛いこと考えてないで、楽しいこと考えて」とか、ぽじてぃぶしんきんぐ、なのか知りませんが、やたら「楽しい」「明るい」部分にだけ焦点を当てて、暗い部分は見ないようにしようという風潮があるのかなと思っていました。自分の印象なので違うかもしれませんが。

 そんな言葉を真に受けて、明るい部分だけ見るようにしようと努力したこともありました。でも、無理でした。だって、僕の人生は明るいだけの人生にならなかったからです。

 そもそも明るい所があれば、影もあるに決まっています。光源があって、明るいだけの場所には何もありません。自分がありません。だって、影の出来る何かが無いということは、本当に1つも無いということですからね。僕には心がありましたから、もうその時点で影は出来ました。しかもその暗い部分が目立つので、そこばっかり見てしまう。



 どうしても暗い部分を考えてしまうのは自分が悪いからだと、落ち込んだこともあります。他の人はポジティブに考えられているのに、自分は暗くて……。そんな自分が嫌になることもありました。



 ただ、『車輪の下』を読んで、その考え方が変わりました。

 暗い部分に価値が無いなんて誰が決めたんだ。暗い部分があったって良いじゃないか、だって実際に暗い部分をちゃんと小説にして書いた人が、ノーベル文学賞作家として世間に認められてるじゃないか。

 明るいも暗いも全部認めて、それを価値に変えていくそれが大切なのではないか。そもそも、明るいとか暗いとか区別せず、人生の全てを自分の力として生かしていく、それが良いのではないか。そう考えるようになりました。明るい部分だけしか見ないのであれば、自分の人生を100パーセント力に変えていることにはなりませんからね。むしろ、資源を無駄にしている。もしかしたら、明暗2つを1つにしてちゃんと向き合えるからこそ、人よりも何かが残せるようになるのかも知れません。

 人よりも何か残せるということは、人が感じることの出来ないところまで感じられるようになるということですから、人が到達することが出来ない世界をのぞく、そんな冒険をしてみたい、だから僕は明暗2つを1つに考えて、それら全てを自分を強くする資源にしようと決めました。



 こんな感じで僕は心が動かされ、考え方を変えたわけですけど、素直にこんなことが出来る小説はすごいんだと思いました。そして、そのすごい小説を自分でも書いてみたい。明るいも暗いも全てひっくるめて、素晴らしいものを作ってみたい。あわよくば人の人生に影響を与えてみたい。そう思って、自分でも小説を書き始めました。

 なかなか思い通りにいかないで、全然上手くいかないですけどね……。



 それでも、小説を書くということが自分の人生の主軸になることは変わらないと思いますので、これからも続けていこうと思います。

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