紗南さんが憑依します!
海老の尻尾
第1話 ドアとカレー
「それじゃあ今日の授業はここまで。皆気を付けて帰るんだぞ」
担任教師の一声で学生たちは散り散りに学校を去る。放課後に部活に励む者、バイトに明け暮れる者、はたまたデートだと胸躍らせる者様々であった。そんな中、このヤンキー風の見た目をしている男
「うわ、見ろよ。千乃宮だぜ」
「見るからにヤンキーって感じ。私部活行く前なのに……」
「そういえばアイツ、輩と闘って全員ねじ伏せたって話だぜ。今は臨時の総長務めているとか」
「えー、それ本当!? 関わりたくないなぁ」
「頬の傷もその時できたらしい」
廊下を通るたびに聞こえてくる話し声。ただでさえ190cmもの威圧感のある体躯を持ちながら金色の頭髪に加えて右頬に入った十字の傷跡。どこからどう見てもその筋の者が抗争に日々取り組んでいる。皆揺るぎない真実であると思っていた。
学校から家に帰る一本道。河川を横目に堤防沿いを歩いていた彼は誰もいないのを確認してから大きくため息を吐いた。
「僕、ヤンキーでもなんでもないんだけどな……」
彼は筋者でも総長でもなんでもなく、ちょっと身長の高い本当にただの一般人である。金髪はハーフである母親の遺伝であり、つり上がった眼は父親譲りであった。ではそんなクォーターの市護はどうしてそんな根も葉もない噂が流れてしまっているのか。それは本人が弁解しないからである。
「あぁ……今日こそは皆の誤解を解きたかったけどなぁ。勇気が出ないな……ダメだな、僕って」
市護は極度の人見知り兼ビビリあったからである。今まで何度も自分は一般人であると言おうと思ったものの緊張で足が竦んでしまっていた。口も普段から滅多に動かさないため表情筋がガッチガチで周りからは不機嫌であるように見られていた。高校一年生の五月になった今でも友達はおろかまともに話しかけた相手すらいない。
市護の家は河川近くにあり学校からもそれほど離れていない。3LDKのやや大きめの一戸建てに住んでおり日々の生活に支障はない。いや嘘である。実は……
「ただいま」
「…………」
いくら大きな声で挨拶をしても返事は帰ってこない。この家には市護しかいないのである。共働きで今の時間帯だけ両親がいないというわけではない。市護の両親は高校進学の直前に交通事故で亡くなったのである。市護はそれ以来より一層塞ぎがちになってしまい、人見知りに拍車をかけてしまった。一応生活費や家のローンなどは親戚が負担してくれているので苦学生というわけではない。市護の両親はそれなりに稼ぎもよく、アルバイトなどは別段する必要はない。
「はぁ……」
帰ってすぐに手洗いうがいをキチンとし学校から出された宿題に手を付けた。今日は金曜日なのでいつもよりも多めであるため早く済ませておこうと考えていた。見た目に反してとてもしっかりしているのでこの姿をクラスメイトが見たらさぞ驚くだろう。
ピーンポーン! ピーンポーン!
「ヒッ! だ、誰だろう……」
夕方のこの時間帯にはあまり勧誘などは来ない。それが逆に不安を煽った。ビビリな市護の苦手な物第四位は家のチャイムである。不可侵領域を侵されるような感覚が彼にとっては苦痛であるらしい。もちろんインターホンは設置されているので恐る恐る覗き込んだ。すると……
「あれ? 誰もいない」
画面には外のタイルしか映っておらず誰もいない。しかしチャイムの音は確かに聞こえた。
「あ、あれか。なんだ、ビックリした」
市護が出した結論はピンポンダッシュということであった。この辺りには小学生も何人か住んでおり、その子たちがしたのだと思った。安堵の息を吐いた後、ビックリして落とした鉛筆を拾い上げて中断していた宿題に取り掛かった。
……千乃宮家には超絶怖い魔物がいるってよ! この辺りの子どもたちの共通認識であり、余程のことがない限りこの家には近づかないはずであるが……
チャイムが鳴っておよそ二時間が経過した。気付けば休日をかけて終わらせるはずの宿題を片付けていた。何か予定が入っているわけでもないがすぐに終わらせてしまうのは、明日風邪引くかもしれない、とかどこかに間違いがあるかもしれない、とか急にこの家が襲われたり、とか考えているからである。ビビリであるが故に極めて慎重なのである。本来ならば一時間程度で済むはずのこの宿題であるが見直しにかなりの時間を費やす程であった。
「お腹空いたな。カレーでも作ろうかな」
一人暮らしであるため他の同級生のように家に居たら料理が出てくるなんてことは無い。自分で全て作るのである。冷蔵庫にあった人参、玉葱、牛肉、そしてカレールウ等を用いて手早く調理に取り掛かった。三十分もかからずにカレー、および味噌汁とサラダを完成させた。だが今日の反省を思い出しながら作ったのか分量を間違い、いつもよりも多く作ってしまった。
「あー、ちょっと多いかな……まぁ大丈夫だよね」
もちろん食べる直前にはしっかり加熱して食中毒にならないようにはするつもりだろう。時期的に大丈夫だろうがビビリなので確実にする。
食器とグラスを準備して食べようとしたその瞬間、ふとあることを思い出した。
「あ! ポスト!」
大事なことを忘れていた。ネット通販で注文していた商品が今日の昼頃に到着する予定であった。市護はスプーンを置いて扉を開けた。ポストに入っていたお気に入りのDVDを手に家に戻ろうと思ったその瞬間、目を疑った。
「すぴー、すぴー……」
「ん? ……ふぇっ!?」
家のインターホンから死角になる位置に女の子が座り込んでいた。寝息を立てているようでぐっすりと眠っていた。銀髪ストレートでセーラー服を羽織っており、白い肌に豊満な胸を持っておりお世辞抜きに美少女であった。だからこそそんな人が自分の家を背もたれにして眠っているのが恐怖でしかなかった。
「ん……? あれ、寝てた?」
市護の驚いた声に気付いたのか目を覚まし始めた。大あくびをして眠気を覚まそうとしている目の前の少女。市護はその間ただ立ち竦むことしかできなかった。
「あれ? 君…… そうか、君か」
市護からの視線を感じた少女は何やら自分の中で納得した後、ゆっくりと立ち上がって市護に近づいた。
「ねえ! 君、私のこと視えるんでしょ?」
「へ? あ、あの……は、はい」
互いの顔と顔が接近し、思わず市護は顔を背けた。随分パーソナルスペースが狭いのだと思い、距離を取った。
「じゃあちょっと家上がらせて。少しお話もしたいし」
「え、ええっと……す、すみません。ごめんなさい」
家は神聖なる領域。よく分からない人どころか知っている人でさえ極力入れたくないので急いで扉を閉めて施錠した。
「なんだったんだろう……あの人」
そう呟いたのも束の間。後ろにあるはずの壁に背中を叩かれた。
「ふぃっ!?」
「もー、話くらい聞いてもいいんじゃないのー?」
「うわああああああ!!」
恐る恐る振り向くとさっきの少女が扉を透過して家の中に侵入してきていた。何も悪びれる様子もなく当然の様に人間離れした技を見せつけていた。市護はただへっぴり腰になって悲鳴をあげるしかなかった。30cm程身長差があるはずなのに今は市護の方が見上げていた。
「ああ! ついうっかり扉抜けてきちゃった。いつもの癖で」
「あの……えと、ど、どなたです、か?」
市護は再び彼女をじっくり見た。ただ単に色素が薄いだけの肌だと思いきや生気の感じない程の色であり、しかも足もよく見たらほんの少し地面から浮いていた。それに先ほどのするりと障害物を透過した技術。信じられないが架空の存在ではなかった。
「自己紹介が遅れたね。私は
「あ、は、はい。千乃宮、市護……です」
「そっかそっか市護君か。よろしくね!」
「は、はい……」
人見知りにとって自身を名乗ることは非常に緊張することである。それは相手が人間だろうと幽霊だろうと関係ない。それに頭が一杯だったので色々突っ込みたいことは頭の片隅に追いやられていた。
「えっと……紗南さん? どんな御用でしょうか」
目の前の人が幽霊かどうかなど市護にとっては問題ではなかった。ただ知らない人とトークするのが苦痛であり早く終わらしたかった。
「君にしか頼めないことがあるんだけどー、いいかな? 人助けだと思って……ね?」
「……分かりました。どうぞ、こちらに」
うるうるとした上目使いに敗れたわけではない。人助けというフレーズに非常に弱いからである。小さい頃から困っている人には手を差し伸べるように教育されてきた市護にとっては効果は抜群であった。まあ人ではなくて幽霊であるが。
「やったー! お邪魔しまーす」
靴を脱いで客人用のスリッパに履き替える。リビングに紗南を座らせて話を聞くことにした。先ほど食べようとしていたカレーの匂いが漂ってきている。
「あ、カレーだ。良い匂いだね」
幽霊に嗅覚はあるのかと思ったが無粋なことは考えないようにした。そんなこと言ったら他の感覚も考慮する必要があるからだ。
「よ、良かったら……食べますか」
「うーん、嬉しいけど味覚はないみたいだからいいや。ありがとう」
味覚はないらしい。不思議である。
「それでだね。君は本当に私のこと視えるんだよね?」
「あ、はい……しっかりと」
理屈はよく分からないが知覚できているのは紛れもない事実である。今までそういう心霊系とは無縁の人生だったため市護自身が一番不思議がっている。
「私さ。さっきも言ったけど三年前に交通事故に巻き込まれてね。それで体が動かなくなったんだよ」
「は……はい」
途中で言葉を入れずにしっかりと紗南の話を聞く市護。常識離れしているがこれも事実なのであろう。
「でもその後処置してもらって今は実は植物人間としてとある病院にいるんだよね」
「しょ、植物人間ですか……」
「まあ普通はそんな反応だよね。私も最初はびっくりしたもん。あれ? 目の前に私がいる、って」
つい反射的に口を出してしまったので口を押さえる。今目の前にいる彼女は正確には幽霊ではなく幽体だけが離脱している状態と言うわけである。というかこの人は自分のことなのによくそんな他人事のように喋ることができるなと市護は思っていた。
「で、ここからが本題なんだけど……市護君。つきあってくれないかな?」
十六年生きてきて告白されたのは初めてであった。しかも当然人間以外なのも初めてだった。
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