第4話 朝子が彼氏とうちに挨拶に来て以降も、しばらく暇だった。

 朝子が彼氏とうちに挨拶に来て以降も、しばらく暇だった。

 あたしは毎日トレーニングは繰り返したものの…あまりの暇さに…


「ちょっと散歩行って来る。」


 母さんにそう言って出かけた。



 散歩なんて。

 たぶん、した事ないよ。

 今までは暇があれば部屋でごろごろしてるか、姉ちゃんと買い物に行ったり、兄貴に仕事を教わったり…

 常に、兄姉に密着。的な。


 なのに、ここんとこの暇続き…

 あたし、この一ヶ月でどれだけ散歩しただろ。

 もはや隠居した気分だよ。



 姉ちゃんちに遊びに行く手もあるんだけど…

 今行ったら、絶対朝子の結婚の話になって…

 その流れで、あたしの事も聞かれるに違いない。

 そう思うと、ちょっと面倒になった。



 ゆっくりと階段を上がって、いつもの石のベンチに行こうかなと思ってると…


「…あっ。」


 階段の上に、猫がいた。


「わー…こんな所で猫見るなんて、珍しいや…」


 つい声に出して言ってしまった。

 それほど、あたしは生で動物に会う事がない。


 足取りをゆっくりにして、ちゅちゅちゅ…って、よく猫を呼ぶ時にする音を口にして。

 そのまま上まで行くと…


「にゃー。」


 は…

 か…可愛いっ!!


 白と茶色と黒と…って、何だか複雑な模様の猫。

 目は空色っぽく見えて…ビー玉みたいって思った。


 その猫、あたしの事を怖がりもせず…座ったまま尻尾を揺らしてる。


「ちょ…ちょっと、そこに座らない?」


 猫相手にドキドキしながら話しかけて、あたしは石のベンチを指差した。

 言葉なんて分からないはずの猫は、あたしが歩いて行くと…それに着いて来て。


「えへへ…はじめまして…」


 あたしがそう言いながらベンチに座ると。

 ストン。と、ベンチに上がって…あたしの腕にすり寄って来た。


 ぎゃああああああああ!!

 可愛いーーーーー!!



「うわあ…あんた、どこの子?この辺に住んでるの?野良じゃないよね。」


 顎の下とか耳の後ろをガシガシとやりながら問いかける。

 返事なんてしてくれないって分かってるのに、今のあたしにはとてつもなく癒しで。

 もう今日は帰らない!!なんて思ってしまった。


 ああ…可愛いなあ。

 何かプレゼントしてあげたくなっちゃう。

 宝石のついた首輪とか…

 高級魚とか…

 いや、でもこの子には高価な物より…


「ねえ、うちの子にならない?あたしとベッドでゴロゴロしようよ。」


 抱き上げてそう言うと、猫はゴロゴロと喉を鳴らして。

 小さく『にゃっ』って言った。


「今の、イエスって事?あ~もう可愛い~っ!!」


 でも、こんなにギュッと抱きしめても嫌がらないって…

 たぶん飼い猫だよね。

 何だかいい匂いもするし。

 …でも、首輪もしてないし。

 今なら…誰も見てないよ…。

 そのうち、『猫探してます』って貼り紙が出たら…その時…


 なんて、いけない事を考えてると…


「おはじきー。」


 男の声と。


「にゃっ。」


 それに反応した猫と。


「…えっ。」


 口をポカンと開けたあたしと…。




 猫の名前は『おはじき』と言った。

 まあ…タマとかミケって顔ではないけど…

 おはじき…


 背中にある幾つもの丸い模様がおはじきみたいで…って。

 あたしの隣で笑ったのは…


 二年振りに会う薫平だった。



「今何してんの?」


 売店で買ったジュースを飲みながら問いかけると。


「俺?まあ…好きな事ばっかしてるよ。」


 薫平は…二階堂を辞めたからか、あたしには敬語じゃない。

 でも、うちを出るまでは普通に『お嬢さん』って呼ばれて敬語だったから…

 何だか新鮮。

 あたしとタメ口で話すのって…外の人しかいないし。


 …薫平も外の人…か。



「仕事は?」


「収入を得る手段を仕事とするなら、色々作って売ったりしてる。」


『おはじき』は薫平の膝でお昼寝。

 残念ながら…飼い主には敵わない。


「作って売るって…盗聴器とか発信機とか?」


 あたしが真顔で言うと。


「ぶっ…あはは、もろに二階堂の考えだな。」


 薫平は大げさに噴いて笑った。


「なっ…しっ仕方ないじゃん。あたし、二階堂だし。」


 ぷう、と頬を膨らませて言うと。


「ま、そっか。たぶん、泉から見たらえーって言うような物だよ。」


「……」


「ん?」


「…ううん。」


 …泉…って。

 薫平に呼び捨てされるのって、初めてかも。

 小さな頃は、みんな『泉ちゃん』って呼んでたし…

 10歳を過ぎると、あたしはみんなにとって『泉お嬢さん』になったから…

 あれ以降は名前だけで呼ばれた事もない。


「…あたしが、えーって言うような物って?」


「見たい?」


「え?」


「俺が作った物。」


「……」


 な…なんて言うか…

 薫平って、こんなグイグイ来るような性格だったっけ…?

 まあ…二階堂にいると、みんなあたし達本家には素の自分なんて見せないから…

 子供の頃の性格は分かっても、大人になってからのなんて…

 …分かんないよね。



「今日、休み?」


 立ち上がった薫平に続いて歩く。


「うん…て言うか、ここ最近ずっと暇。」


「平和って事じゃん。」


「まあね。」


 おはじきは、薫平の肩に乗ったり…腕に降りたり…

 薫平の事、大好きなんだなあ。



「…ここ、通っていいの?」


 薫平について歩いてる道は…

 あきらかに人の家の庭とか、住宅の隙間とか…


「大丈夫だよ。この時間は誰もいないから。」


「いないからって…」


「おはじきに教えてもらった近道なんだ。」


「……」


 猫に近道教えてもらうとか…ないから!!





「…ここに住んでんの?」


「うん。」


「一人で?」


「おはじきと。」


「あ…そう。」


 辿り着いたのは、公園から北に随分歩いた住宅街を抜けた場所で。

 薫平の家は一軒だけ、丘の上にポツンとある木造の古そうな平屋建ての家だった。


「どうぞー。」


「…お邪魔しまーす…」


 玄関入って、狭い廊下を真っ直ぐ行くと、小さなダイニングキッチン。

 …廊下の途中に部屋があるって感じ。


 右側には、50cmぐらいの段差を下りてソファーとか…テレビ。

 たぶん、この廊下をさらに奥に行った所に、トイレとかお風呂とか…

 て事は、本当に小さな家。


「わー…」


 小さなダイニングキッチンを通り過ぎた掃出しから外は、ウッドデッキになってて。


「ここ、薫平が建てたの?」


 振り返って聞くと。


「いや、高齢の女性が買い手を探してて。土地ごと買い取った。」


 薫平はお茶を入れながら少し大きな声で答えた。


「へー…」


 デッキから庭を眺めると、裸足で歩いても大丈夫そうな芝生と、その先には花壇…て言うか…

 畑だな。

 野菜とか花とか…まとまりはないけど、楽しい感じでそこに居る。



 職業柄なんだろうけど…つい、家の中をキョロキョロウロウロと探ってしまった。

 廊下の突き当たりにもう一部屋。


「あそこは寝室?」


 あたしが指差すと。


「作業場。はい。」


 薫平は、紅茶を飲みながらあたしにもカップを差し出した。


「あ、ありがと…作業場?」


「来て。」


 薫平について突き当りの部屋に行くと…


「…これ、薫平が作ってんの?」


「うん。」


「………」


 あたしは、しばらく口を開けて見入ってしまった。

 そこに並んでたのは…


「これって…」


「ビーズ。」


「ビーズ…」


 物は知ってるよ。

 知ってるけど…

 あたしは直接手にした事はない。と思う。


 作業場には、色とりどりのビーズが入ったケースとか…

 ピンセットだのペンチだの釣り糸だのボンドだの…

 それより何より…


「…これもビーズなの?」


「そ。」


 出来上がった物が一つ一つケースに入ってて。

 あたしはそれに見惚れた。

 だって…

 宝石みたい!!


 花の形のイヤリングとか、ネックレスにブレスレットに…指輪もある。

 極めつけは…


「このティアラも?薫平が?」


 まるで真珠とダイヤ!!

 あたしがそれを手にしようとすると。


「気を付けて。それ、すっげ高価だから。」


 薫平は紅茶を飲みながらクスクス笑った。


「……」


 ゴクン。

 薫平に…こんな事が出来るとは…


「これがしたかったから、二階堂辞めたの?」


 紅茶を一口飲んで言うと。


「興味を持った事は全部やってみようかなって。」


 薫平は首をすくめた。


「…て事は、他にもしてるの?」


「してるよ。」


「何を?」


 薫平はカップを置くと、部屋の隅にあるカーテンをザッと開けた。

 そこは本棚で…


「これとか。」


「…写真集?」


 しかも…

『おはじき』の写真集!?


「って…これ…」


「俺が撮ったやつ。」


「……」


「他にも、庭に出来た物の写真とかさ。結構売れてる。世の中癒しを求めてる人間が多いんだな。」


 カメラマンの名前は…バレたくないからなのか。

 高津薫平とは書いてない。


「あとは、ホームページ作ったり、愛猫家の喜ぶグッズ作ったり…」


「…で?最終的には何をするつもりなの?」


 薫平は足元に来たおはじきを抱えると。


「王国を作るんだよ。」


 小さい頃に見た事があるような笑顔になった。





「王国を作るんだよ。」


 そう言って笑った薫平。

 あたしはキョトンとしたまま、何も言えなくなった。

 だって…

 薫平なら、本当に作っちゃうんじゃないかって思ったから。


「あれ?笑わないんだ?」


「作るんだろうなと思って。」


「あはは…二階堂を出て話した人間には、だいたい笑われたけど。」


「あたしは外の人間じゃないからね。」


「……」


 薫平の腕で、おはじきが欠伸をした。

 居心地がいいんだろうなあ。

 薫平自体が。


 薫平は置いてたカップを手にすると。


「あっちで話そ。」


 部屋の向こうを指した。


 二杯目の紅茶を入れてもらってデッキに出ると、おはじきがお腹を見せて寝転がって。

 それがすごく可愛くて、つい笑顔になった。


「癒されるだろ。」


「うん。」


 二人で笑顔になってその様子を見てると。


「こいつ、捨てられてたんだ。」


 薫平が、おはじきのお腹を触りながら言った。


「燃えるごみの日に…箱に入れられてさ。」


「ひどい!!何それ!!」


 あたしが大声を出すと、おはじきがビクッとして身構えて。


「あっ…ごめんごめん…」


 あたしはペコペコと頭を下げて…薫平は右腕で口元を押さえて、あたしの反対側を向いて笑ってる。


 …ちくしょー…



「俺…孤児のための王国を作りたいんだ。」


「……」


 笑いがおさまった薫平が、風に前髪をなびかせながら言った。

 その前髪の隙間から…額に残る銃の傷痕。


「特殊な訓練なんてない、ただみんな同じように学んで笑って夢を持って…誰とでも恋が出来る環境を作りたいんだ。」


 それは…

 まるで二階堂とは正反対な気がした。

 それを語る薫平が眩しくて、羨ましい気がした。


「…そんな王国作るのに、ビーズ細工や写真集の稼ぎで間に合うの?」


 羨まし過ぎて…少し嫌味っぽくなってしまった。

 ああ…やだな、あたし。って後悔しかけてると。


「あれはあくまでも趣味。王国作るための資金は他で作ってるよ。」


 薫平はクスクスと。

 あたしより女の子らしい笑い方をして。


「…この事、二階堂のみんなには内緒な?」


 そう言って、あたしに小指を差し出した。

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