第52話 もう…

 〇二階堂紅美


 もう…

 もう、その可愛さに、あたしは…


「ああ~やだ…離れたくないよ~…」


 仕事に行くのが嫌になった。


「…その気持ちは分かるが、仕事だ。」


 そう言ってるノン君も、リズちゃんと離れがたそう。

 リズちゃんは…なぜかノン君にベッタリで。

 みんなが羨望と嫉妬の眼差しで、ノン君を見てる。

 あんなにうるさく言ってた、ちさ兄が。


「リズ、いい加減飽きただろ。じーの所に来い。」


 そう言って手を伸ばしても。


「あーばっばっ?」


 笑って…スルーされてる。


「さ、仕事の人達はみんな支度してよ?」


 知花姉にそう言われて…あたしは仕方なく…立ち上がった。


 …て言うか…


「ノン君も仕事じゃん。」


「あ、バレたか。」


「もうっ、行くよっ?」


「何。おまえ直行?」


「うん。」


「じゃ、行くとするか。」


 ノン君は、ノン君の服をギュッと握りしめてるリズちゃんの手を離し…かけては…ニヤニヤ。


 …もうっ…

 可愛くてたまんなくなってるよね?


「パパんとこ行け。」


 ノン君がリズちゃんを海君の前に差し出すと…


「ひゃはーっ!!」


 リズちゃんは大声を出して、海君にダイブするみたいに飛び込んだ。


「ははっ。テンション高いな、リズ。」


 海君も超笑顔で…何だかこんな海君見るの初めてだし…

 あたしは、ちょっと感慨深い。


 ずっと海君の事が好きで…それが無理な事だとしても、一瞬夢見た事もあった。

 海君と…って。

 でも、咲華ちゃんが相手で良かった。

 あたしとは全然タイプ違うけどさ。

 海君、あきらかに…あたしと居た時より笑顔だし、優しい顔してる。

 愛して…愛されてるんだな…。



「んばっんばっまっあー‼︎」


「リズちゃん、すごいテンション。」


 あれだけノン君にベッタリだったのに、海君に抱っこされたリズちゃんは、テンションマックス。


「リズ、しー。まだご飯中。しー。」


 ふふっ。

 まだ伝わんないとしても、リズちゃんの目を見て口元に指を立てて言ってる海君を、ニヤニヤして眺めてしまう。

 パパだなあ…。



「ちっ。俺から離れなきゃおもしろかったのに。」


 ノン君が拗ねたような唇でやって来て。


「残念でした。」


 あたしはそれに小さく笑いながら廊下に出た。


「車出すから、裏から行こうぜ。」


 海君の周りに人だかりが出来て。

 そのおかげで…あたしとノン君が裏口に回っても、誰も気付かなかったみたい。


 まあ…あたしとノン君はイトコだし…

 ちっちゃな頃から仲良かったから、今更一緒にいる所を見られたぐらいじゃ何も…



「華音と付き合ってんの?」


「……」


 事務所に行って。

 ノン君が広報の人に呼ばれてどこかに行って。

 一人でエレベーターの前に立ってると…

 耳元で言われた。


 振り向かなくても…この声は…早乙女さん。


 な…

 なんで!?



「…えーと、おはようございます。」


 首を傾げながら、出来るだけ普通に言ったつもりなんだけど…


「おはよ。もしかして、陸に反対されるから秘密?」


「……」


 早乙女さん…こんなに鋭い人だったっけ?

 ゆっくり首だけ振り返って早乙女さんを見ると。


「ん?」


 早乙女さんは…いつもと変わらない、穏やかな顔。


「…えっと…どうして?」


「どうして分かったか?」


「……」


 まだ『付き合ってる』が正解とは言ってないのに、早乙女さんはすごく確信したような口調。

 無言で次の言葉を待ってると…


「知花が華音に『自分の結婚の時も反対されたいのか』って言った時に、華音、和室の中を見たんだよねえ。」


 下りてきたエレベーターのドアが開いて、そこが無人だったから…あたしと早乙女さんは乗り込んだ。


「俺もさりげなく和室を見たら、沙都と曽根君が紅美ちゃんを見てた。」


「……」


 さ…

 沙都ーーーー!!

 そして、曽根ーーー!!


 い…いや…

 まずはノン君だよね…


 ノン君ーーーーー!!!!


 早乙女さんが気付いたぐらい(ああ…鈍いって言ってるわけじゃないんです!!早乙女さん!!)だもん…

 父さん…気付かなかったかな…

 いや、でも確か…父さんはノン君の隣に…



 あたしが口を真一文字にして眉間にしわを寄せてるのを覗き込んだ早乙女さんは。


「…結婚、意識してる?」


 あたしに目線を合わせて…真顔で言った。


「…け…っこん…?」


「ん。」


「……」


 ど…どうしたの…早乙女さん。

 もしかして、何か父さんに…


「陸、紅美ちゃんの事可愛くて仕方ないからさ…相手が誰でも…もしかしたら神さんより難癖つけるんだろうなあ。」


 早乙女さんは小さく溜息をつきながら、そう言って。

 点滅して変わっていくエレベーターの数字を見上げた。


「…父さんから、あたしの事について何か…?」


 何となく、そうとしか聞けずにいると…


「んー。飲むと結構愚痴ってるよ。帰りが遅くなったとか、自分には相談しないとか。」


「相談って…」


「出来ないよねえ。陸、すぐ反対するし。」


「…はい…」


「…俺ね。」


「…はい…」


「出来れば、想い合ってる恋人同士には、結ばれて欲しいって強く願ってる一人だから。」


「……」


「応援するよ。困った事があったら、いつでも言って。」


 想い合ってる二人には…結ばれて欲しい。

 早乙女さんにそう言われると…胸がギュッとなった。



 早乙女さんと織姉の間に生まれたのが…海君。

 だけど、二人は色んな理由で結ばれなかった。

 今はお互いそれぞれ幸せになってるけど…

 それでも、きっと…あたしには知り得ない苦悩は多々あったはず。

 …あたしと海君が…結ばれなかった時のように…。



「…ありがとうございます。」


 あたしが小さく御礼を言うと。


「本当に、みんなが幸せになれるといいよね。」


 早乙女さんは…すごく『らしい』事を言った。



 海君とサクちゃんの幸せを目の当たりにして…すごく羨ましく思った。

 あたしも、ノン君と…あんなふうに幸せになれるかな…って。

 あたしの生い立ちとか、過去とか…そんなのはどうでも良くて。

 今、大事に想ってるノン君と…

 幸せになれるかな。



 …幸せに、なりたいな。



 〇桐生院咲華


「本当に…なんてお詫びしたらいいか…」


 あたしが頭を下げてるのは…

 しーくんのご両親。


 今日、急遽海さんのご両親が戻って来られる事になって。

 あたしは…この機会に、しーくんのご両親に挨拶をしたいと思った。

 婚約解消の時も挨拶に来ないで…今更な上に。

 海さんと結婚なんて、しーくんのご両親から見たら…面白くないに決まってる。



 二階堂に来てすぐに、あたしは海さんに口添えしてもらって…武道場の向こう側にある、東家にお邪魔させてもらった。



「咲華さん、元はと言えば…結婚に踏み切らなかった志麻が悪いんですから。そんなに気にしないで下さい。」


 お母様がそう言って下さったけど…あたしは顔を上げられないままだった…けど。


「それに…変な言い方ですが、実は…少しホッとしてます。」


 続けて言われた言葉に…少しだけ顔を上げた。


「…え?」


「…坊ちゃんが、お幸せそうで…良かったって。」


「……」


 それには…お父様も頷かれて。


「坊ちゃんが朝子と婚約していたのはご存知でしょう?朝子の我儘で婚約を破棄して…色んな不運が重なってしまっていた坊ちゃんには、私達もどう償えばいいのかと…ずっと胸を傷めていました。」


「あなた、それはちょっと言い方がおかしいわ。」


「どうして。」


「志麻と別れて坊ちゃんと結婚してくれてありがとう、みたいに聞こえるもの。」


「それはおまえが勝手に思ってるだけだろ?」


「そんな風には思ってないわ。でも…お二人とも幸せそうで良かったって、心底ホッとしてるのは確かよ。」


「それは…俺もだ。」


「あっ…ごめんなさい。二人でこんな事をベラベラと…」


「…いいえ…」



 今まで何度か…お会いした事はあるけど。

 その時、あたしはあまり歓迎されていなかったように思った。


 二階堂の者は二階堂の者と。

 それは…きっと、本家の人達だけの話じゃなかったんだと思う。

 しーくんのご両親も、ずっと二階堂で働いて来られた人達だ。

 だから…彼があたしと結婚したい…とご両親に話しても…

 あたしは、なかなかお会いする事が出来なかった。


 仕事の都合で。とは言われていたけど…

 避けられていたと思う。

 …でも、仕方ないとも思う。



「そろそろ頭がお帰りになる時間ですよ。本家の方にお戻りください。」


 お母様が時計を見て言われて…あたしはもう一度深くお辞儀をして…家を出ようとした。

 すると…


「…咲華さん。」


「はい。」


「…これからも、志麻に会う事があるかもしれませんが…堂々と、幸せでいらして下さい。」


「……」


「志麻は志麻の幸せを…見付ける日が来るはずです。その時には、坊ちゃんの隣で…祝福してやって下さい。」


 ご両親は…優しい笑顔でそう言ってくださった。



 しーくんを傷付けた。

 その罪は消えないとしても…

 それでもあたしは…あたしの幸せを生きる。


 心の片隅で、ずっと…

 しーくんの幸せを…願いながら。

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