第36話 「志麻、さっきの…聞いてたんだよね…?」

 〇富樫武彦


「志麻、さっきの…聞いてたんだよね…?」


 緊迫した状況の中。

 突然、泉お嬢さんがそう言って歩いてキッチンの奥に行かれて…

 私達の見える場所に、志麻の手を引いて戻られた。


「……はい。」


 …さっきの?

 さっきのとは…


「…迷惑なら…ハッキリ言って。だけど、少しでも可能性があるなら…」


「……」


「…あたしと…」


 …何だ?

 私が瞬きをたくさんしながら二人を見ていると。


「…ボス…富樫さん…」


 志麻が私達に向かって頭を下げた。


「…申し訳…ありませんでした…」


「……」


 ボスは…咲華さんを抱きとめたまま、無言。


「…処分は…覚悟しております…」


 頭を下げたままの志麻は、低い声でそう言った。


「…処分?えーと…何があったのかな?」


 一人、何事が起きているのか把握出来ていない曽根氏が、部屋の中を見渡して言われた。


「…処分なんてない。誤作動でシャッターが下りて、その反動で試作品が起動しただけだ。」


 ボスの言葉に志麻はゆっくりと顔を上げて。


「…いえ…人間として恥じる行動です…頭に報告して解雇して下さい。」


 言葉を噛みしめるように…言った。


「えーと…誰も…説明はしてくれない…と…」


 曽根氏が経緯を知りたそうに私の顔を覗き込んだが、無視させていただいた。

 今はそれどころではないのです。



「バカな事を言うな。おまえは必要とされている。元はと言えば…今回の事は…俺が原因だ。」


「……」


「おまえが罰されるのなら…俺もだ。」


 ボスの言葉に涙が出そうになるのを我慢して。

 志麻、心して聞け。

 もう…過ちは繰り返すな。

 と、念ずるように思っていると…


「…私は…許されるのでしょうか…」


 志麻が、一歩前に進んで言った。


「許すも何も…それは…」


 ボスが申し訳なさそうに…志麻に頭を下げようとした瞬間…


「…泉お嬢さんを…愛してしまいました。」


「……え?」


 ボスと私と咲華さん…そして、曽根氏…泉お嬢さんまでもが…同時に呆気にとられた声を出した。


「ドイツでも…ずっと不甲斐ない私を励ましてくださり…先ほど、お嬢さんからも私への気持ちを告白していただきました。」


「…泉…」


 ボスが視線を向けると、お嬢さんは…『今言うかなあ…』って小声でつぶやいて。


「…見てらんないなーって思ってたら…好きになっちゃったんだよ…」


 唇を尖らせた。


「許されるなら…」


 志麻の目に…力が戻って来たように思える。


「許されるのなら、お嬢さんと…」


 志麻は、ボスの目をしっかりと見据えて。


「お嬢さんとのお付き合いを、承諾していただけますでしょうか。」


 …それは…

 少し、挑戦的でもあった。


 そして…

 なぜか、私の胸のどこかが…少し、痛んだ。



 これはー……


 …なんだ?





 〇二階堂 海


 志麻に閉じ込められて。

 そして、そこから出て富樫と自宅にたどり着いた時。

 志麻は…俺達の死角にいた。

 咲華を連れて。



 リビングには、トシと泉がいて。

 雰囲気は…最悪じゃなかった。


 泉がそこにいてくれた事に安心した。

 そして…トシにも。

 トシがまだ家に居る事は分かっていたが、トシにはあえて連絡をしなかった。

 志麻が俺達を閉じ込めて咲華の所へ行った…なんて知ったら、トシは大騒ぎをするに決まってる。

 それより、何も知らずにいつものトシで居てくれる方が正解だ。



 咲華の名前を呼んだ時…

 咲華は俺の所に来てくれるのだろうか…と、少し怖くなった。

 志麻に会って…気持ちは揺らがなかっただろうか…などと…

 …バカだな…俺は。

 咲華は、俺を愛していると言ってくれた。

 来週には…一緒に帰国する。


 だが。


 志麻が…泉と付き合いたいと申し出た。

 愛してしまった…と。

 泉も泉で…

 志麻を好きになった…と。


 …本当か?

 芝居で志麻の事を好きと言ったんじゃないのか?

 そして志麻も…

 なぜ泉と?


 やけに挑戦的な目で見られた気がする。

 俺が咲華と結婚した腹いせに、泉と…って、俺がそう思っても仕方ない状況だ。



 富樫と志麻と泉とで本部に戻って、データ室の扉を志麻に直させた。

 始終申し訳なさそうにはしていたが…だんだん力のある顔付きに戻って来たようにも思う。


 …泉への気持ちは…本当なのだろうか…

 そして、泉も…本当に志麻の事を?



「泉。」


 泉が一人になったのを見計らって、声をかける。


「え?」


「…本当に、志麻を…?」


「ああ…うん。」


 泉は少し照れくさそうに前髪をかきあげると。


「実はさー…ドイツでも二人で部屋に入り浸ったりしちゃってさ…」


 俺を上目使いに見て言った。


「最初はあたしの愚痴をずっと聞いてくれてたんだけど、咲華さんとの事…少し話してくれたり…なんか、もどかしくてイライラもしたけど、気持ち…分かる所もあって。」


「…ああ…」


「…志麻は…不器用なんだよ…」


 それから泉は、指をもてあそびながら…時々唇を尖らせながら、志麻の事を語った。

 そこには、俺の知った志麻もいたし…知らない志麻もいた。


 小さな頃から一緒だった。

 だが…志麻は小さな頃から二階堂に忠実な人間で。

 10歳の時に誰もが受ける訓練を終えてからは…俺の部下でしかなくなった。

 あれからは、幼い頃にもあまりなかった大口を開けて笑うような顔も…見せた事はない。

 泉には…そう言った面も見せるのだろうか…。




 〇曽根仁志


「あー。」


「…サクちゃん。」


「……」


 俺はキッチンから、サクちゃんと赤子の様子を眺めた。


 ズミちゃんが男前に告白して、そこへニカとガシが帰って来て。

 男前とズミちゃんを連れて「本部」とやらへ帰って行った。

 残された俺とサクちゃんと赤子は…



「うぇ…?ぷー…ぱぁ?」


「サクちゃん、赤子がそれ欲しがってるけど…」


 ソファーに座って、赤子にタオル生地の…俺から見ると、あんまり可愛くない…むしろ少々気味の悪い人形をプラプラさせてるサクちゃんは。

 俺の言葉にも無反応。

 さっきから赤子がその気味の悪い人形に、必死で手を伸ばしてるのに。


 意地悪か?

 わざとなのか?


「サクちゃん。」


 キッチンからリビングに移動して、サクちゃんの前に立つと。


「え…えっ?」


 まるで今までの俺の問いかけは全く聞こえてなかったのように…

 て言うか、俺の存在気付いてなかったのか?


「それ、欲しがってるけど。」


 俺が気味の悪い人形を指差して言うと。


「あ…あっ、ごめんごめん。これ、お気に入りなのよね~。」


 サクちゃんはそう言って、赤子に人形を持たせた。


 …なんでこんなのがお気に入りかな。

 目が離れすぎてるし、唇なんてタラコより太い。

 これを買ったサクちゃんと、それを何とも言わずに手にして赤子をあやすニカのセンス、俺は疑うぜ。



「…男前とズミちゃんが付き合う事になって、動揺してんの?」


 麦茶を入れたグラスを持って椅子に座る。

 肘を着いてサクちゃんに問いかけると…


「……」


 意外にも、サクちゃんは複雑そうな顔をした。


 えー!?

 そりゃないだろ!?

 自分はニカと幸せいっぱいなのにさ!!



「…曽根君。」


「あ?」


「泉ちゃん…本気で彼の事…好きなのかな…」


「はっ?だって本人が告白してたじゃん。」


「そうだけど…」


 俺は足を組んで首を傾げると。


「何だよ。爽やか男前がワイルドになって現れて、今になって惜しくなったのかい?」


 少し嫌味っぽく言った。

 するとサクちゃんは目を細めて。


「…あなたに彼女が出来ないのが分かる。」


 一瞬キリかと思うような口調で言った。


 …んっ?

 彼女が出来ないのが分かる!?

 なんでだよーーーーー!!



「泉ちゃんは…うちの聖と付き合ってたの。」


『うちの聖』とは、サクちゃんちの複雑な家族構成の中で…


 えーと…

 サクちゃんとキリより年下の…叔父さんだな?

 妹の華月ちゃんと同じ歳ってやつ。


 妹の華月ちゃん…

 超…イケてるんだよなあ…


『可愛い』『美人』『クール』『キュート』『ビューリフォー』どれも当てはまる。

 さすがモデル。


 キリとサクちゃんは双子だけど、コピーみたいにそっくりって言うよりは、瞬間的に『うおっ!!双子!!』って気付かされるって感じで。

 前髪を伸ばしてる時のキリは、超クールでかっちょいい親父さんにソックリ。


 かたやサクちゃんは、ふわっとしてるのに歌うと豹変するグレートなお母さんの、ふわっとしてる時に似てる。


 で、その超クールなかっちょいい親父さんと、ふわっとしてるグレートなお母さんの両方に似てるのが、華月ちゃん。


 うーん…桐生院家…

 整い過ぎだぜ…


 …で。

 その、叔父の聖君は。

 キリが愛して止まない、あの少し…いや、かなり変わったおばあさんの…息子なわけで。

 キリのグレートなお母さんの弟なわけで。

 俺からしてみると、親父さんとかキリの濃いインパクトのせいで目立たないけど、聖君は…


 …実はイケてる男なんだよなあ。


 キリ曰く、頭もいいらしくて。

 高等部の頃は、撮影で休みがち(本人は学校にバレずにモデルをしてたらしいけど)だった華月ちゃんに、勉強を教えてたらしい。

 地味に努力家で、地味に家族想いで、地味にモテて…とにかく地味なんだ。

 って、キリは言ってたけど。

 なんたって、今はスプリングコーポレーション社長。

 地味でも目立つ。

 それに俺は、聖君を地味とは思ってないし。



「…聞いてる?」


 俺がうわの空で聖君の事を思い出してると。

 目を細めたままのサクちゃんが、俺の顔を覗き込んだ。


「聞いてるよ。ズミちゃんと聖君が付き合って…」


 ……え?


「えっ?ズミちゃんと聖君?」


 え?え?

 あの、俺から見たら野蛮人としか思えないズミちゃんと?

 イケてる男の聖君が!?


「なんでっ?なんであの二人が付き合ってたんだ?ぜんっぜん似合わねーっ!!」


 つい力を込めて言ってしまうと。


「…沙都ちゃん…早く帰って来ないかな…」


 サクちゃんは大きなため息をつきながら、赤子と額を合わせてそう言った。


 なんでだよ!!

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