第35話 「…咲華…」

 〇桐生院咲華


「…咲華…」


「……」


 リズちゃんを抱きしめた、あたしを見て…

 拒絶された。

 しーくんは、そう思ったのだと思う。

 ゆっくりと立ち上がって、あたしを見下ろすと。


「…咲華、一緒に…」


 うつろな目で…あたしに手を伸ばしかけた。

 あたしは小さく息を飲んで、腕の中のリズちゃんを抱きしめる手に力を入れた…瞬間…


 コンコンコン。


 ドアがノックされた。



「…お客様みたい。」


 立ち上がろうとすると、しーくんがあたしの腕を取った。

 そして、窓からは死角のキッチンに移動すると。


「ダメだ。」


 低い声で言った。


「……」


 …怖い。

 あたしの知ってる、しーくんじゃない…。



『咲華さーん。あたしー、泉ー。いるー?』


 …え?


 外から、泉ちゃんの声…

 あたしがしーくんを見上げると。

 しーくんは少しだけ外に目をやって。


「…ダメだ。」


 もう一度、あたしに小声で言った。


『…もしかして、怒ってんのかな…あたしも顔見て話し辛いから…ここで話すね…』


 …怒ってる?

 え?泉ちゃん…何?


『…昨日は…兄貴との事、大反対してごめん。咲華さんにも…酷い事言って…ごめん…』


「……」


 しーくんが…あたしを見て、そして…見えないけど…ドアの向こう側を見てる気がした。


『あたし…本当は…咲華さんの事言えない。あたし…』


「……」


『あたし、志麻の事…好きになった。』


「…え…」


 あたしが小さく声を出すと、リズちゃんが笑って…

 リズちゃんの笑い声を静めようと、しーくんがあたしの肩ごと…リズちゃんを抱き寄せた…


 …知ってる…腕…


『咲華さんにフラれて…そりゃあもう見事にヘタレな男っぷりを見せ付けてくれてたんだけどさ…』


 しーくんは表情を変えない…

 …泉ちゃん…これ、本当の話?


『なんか…出来過ぎ君の志麻の人間らしい面を見れたって言うか…』


「……」


 表情を変えないしーくんは…視線をドアの向こう側に向けたままになった。


『本人にとっては辛いばかりなんだろうけどさ…これからも…兄貴と咲華さんの事、目の当たりにする事あるだろうし…』


 …泉ちゃん…

 何を考えてるの?


『だけど。だけどね?あたし、思うんだ。これって、もしかして…あたしの腕の見せ所?って。』


 しーくんを見上げる。

 彼はあたしの肩を抱き寄せたまま…無言。


『あたし、志麻の事…幸せに出来る気がする。だから…もし本当に咲華さんの中に、志麻に対する未練がないなら…あたし…志麻に本気でぶつかっていい?』


 泉ちゃんの言葉に…しーくんがゆっくりとあたしを見下ろした。

 その目は…さっきより少ししっかりしてる…


『…言いたいのは…これだけ。』


 泉ちゃんの言葉が終わって…

 しーくんは…あたしを見つめてる。

 …未練がないかどうか…って、問いかけられてる気がする。


 未練なんて…

 もう、あたしは…海さんの妻。

 リズちゃんのママ。

 しーくんとは…終わった。



「…ごめん…」


 うつむいて小さく言うと、肩から手が離れた。



『咲華さん…答えて…くれないかな…』


 少しだけ見上げると…

 しーくんはリビングを見渡しながら…今までにない表情を見せた。


 …何?

 この感じ…

 再び、怖い…そう思った所に…



「大告白だったのに、聞いてたのが俺でざんねーん!!」


 突然、曽根君が階段を駆け下りて来て。

 バーンとドアを開けて、大声で笑いながら言った。




 〇曽根仁志


『…言いたいのは…これだけ。』


 言いたいのはこれだけ?


 おいおい…

 これだけって。

 随分告白してたぜー!?


 ズミちゃん!!



 昨夜は、沙都君とズミちゃんと、沙都君の叔父さんのわっちゃんさんとで飲んで。

 その後、俺だけ女の子のいる店に飲みに行った。

 ニカとサクちゃんのイチャイチャぶりに、俺も女の子を抱きしめたくなったからだ。

 だけどお店の女の子達は、ハグさえしてくれねー!!

 俺、そんなにイケてねーのかー!?


 キリが連れて行ってくれたストリップに行こうかなーって思ったけど、さすがにもう店も開いてなくて。

 トボトボと…朝方帰って、随分ゆっくり寝てしまった。

 オフだし、もっと寝ても良かったんだけど…



『あたし…志麻の事、好きになった。』


 いきなり、窓の外から告白が聞こえて来たんだ。

 そりゃあ目が覚める。

 しかも、小憎たらしいズミちゃんの告白だし!!


 沙都君誘って聞き耳立てようとしたら、沙都君の部屋はもぬけの殻。

 仕方なく、一人で階段に座ってニヤニヤしてた。

 て言うか、これってサクちゃんに許可もらおうとしてるって事だよなあ?


 サクちゃん、男前に未練なんてあんのかな?

 なんでズミちゃん、外で告白してんだろ。

 はっ…もしかして、昨日何か無礼があって、サクちゃんがご立腹とか?


 有り得る。

 ズミちゃんて、本当にニカの妹か?ってぐらい失礼な奴だし!!


 あー!!

 何で最初から聞いてねーんだ俺ー!!

 俺の事をパシリ扱いするズミちゃんの弱みを握る、絶好のチャンスだったのに!!


 …いや、まだ間に合う!!



『咲華さん…答えて…くれないかな…』


 その言葉にも、サクちゃんはドアを開けない。

 つーか、居ねーのかな?

 赤子の声も聞こえねーしさあ。

 だとしたら、ズミちゃん…

 こ…こ…こっぱずかしーーーー!!



 俺はダダダッと階段を駆け下りて。


「大告白だったのに、聞いてたのが俺でざんねーん!!」


 玄関のドアを開けて言った。


「…そっ…」


 案の定、ズミちゃんは面食らってる。


 はっはー!!

 どうだ!!

 悔しいだろう!!

 昨夜散々俺の事をバカにした罰だーーー!!



「曽根ー!!なんであんたが居るのよー!!」


 してやったり。

 な俺だったのに。


 いきなりズミちゃんがポカポカと俺を殴りながら、家の中に入って来た。


「なっなっ…何でって!!俺んちでもあるし!!って…痛い!!痛いっつーの!!」


「バカー!!あたしの告白返せー!!」


「あっははーん!!聞いたもんねー!!ズミちゃんも面食いなんだねえ~!!あー録音しときゃ良かったー!!」


 ズミちゃんに叩かれながらリビングに移動して。

 何か飲むー?って聞いてやろうとしてるのに…


「だから…痛いって!!」


 ずっと俺を叩き続けてるズミちゃんの腕を取る。

 俺だって、やられてばっかじゃねーんだぞー!!


「うわっ!!」


「きゃっ!!」


 そんなに強く腕を取ったわけじゃないのに。

 なぜか俺とズミちゃんは絡まってひっくり返って、キッチンにゴロゴロと転がった。


 おいおい…

 昨夜、ズミちゃんがトイレに行ってる間に、沙都君とわっちゃんさんが言ってたぜ?

 おまけに、以前ニカからも聞いたぜ?

 仕事の出来る女だ。ってな。

 なのに、こんなに簡単に転がるのか!?



「あいたたた……って……えっ?」


 顔を上げると…

 キッチンから納戸に行く通路に…


「……」


 深刻そうな顔をしたサクちゃんと…


「……」


 えっ?

 こいつって…もしかして…男前!?


 えー!?

 どうした!?その風貌!!

 髪の毛はボサボサだし、ヒゲ!!

 不精ヒゲ!!

 …それもワイルドでかっちょいーけどさあ!!

 俺的には、前の爽やかな男前の方が好きだぜ!?



「ひゃはっ!!」


 いきなり赤子が手を叩いて笑い始めた。

 俺とズミちゃんの様子がおかしいらしい。


「し…志麻…どうして…ここに…?」


 はっ…そうだ。

 なんでここにいんだよ。

 サクちゃんに会いに?

 だとしたら…おいおいおいおい…

 ニカは知ってんのか?

 不倫なんかすんなよ?


 頭の中ではごちゃごちゃ言えるんだけど、面と向かって言えね~…

 だってさ…

 男前…

 あの爽やかさはどこへ行った?

 なんか…こえーよ…



「…聞いてたの?」


 ズミちゃんが起き上がりながら、唇を尖らせた。


 おっ、そうだよ。

 ズミちゃんの告白、本人が聞いたって事だもんな。

 て言うか…

 ニカとサクちゃんだけでも十分複雑なのに…

 ニカの妹と、サクちゃんの元彼…


 おいおいおいおい…

 これ以上、関係図を複雑にすんなよー!!




 〇富樫武彦


「ボス…!!ドアが…」


 ボスの自宅が見える所までたどり着くと、玄関のドアが開きっ放しになっているのが見えた。


「どうしますか?」


 私が小声で問いかけると。


「…普通に家の前に停めてくれ。」


 ボスは険しい顔のまま、そう答えられた。



 スピードを緩めて、家の前で車を停める。

 そこには、いつもの光景があるとしか思えなかった。


 穏やかな風通りの良い前庭。

 三人掛けのベンチの横に置かれた、丸い寄せ植えに咲く小さな花々。

 リズちゃんのお気に入りだと言う、大きな木の木陰。

 その心地良い木陰の向こう側、玄関ポーチへと続く道を挟んだ場所には、以前はなかったが…リズちゃんと咲華さんのためにボスが作られた花壇。


 私が初めてこちらにご訪問させていただいた時とは…全く違う。

 愛を感じる庭だ。

 ボスが…お二人を想えばこその…この空間。

 私は、この庭を見るだけで幸せな気分になる。



「……」


 さりげなく…家の中に視線を向けると…

 リビングに人影が…一人…二人…


「…小細工はなしだ。堂々と入ろう。」


 ボスがシートベルトを外して言われた。


「…大丈夫でしょうか…」


「泉が来てるはずだ。」


「……」


「大丈夫。」



 ボスはゆっくりと車から降りられて。

 小さく深呼吸をして、家の中に入られた。

 私もボスの後に続く。


 そこには…



「あれっ?ニカ。え?ガシも?今日何事?」


「……」


 リビングでは、曽根氏がキョトンとした顔をされている。

 曽根氏がご在宅とは…ボスはご存知だったのだろうか。

 曽根氏を見ても、表情一つ変えられない。

 その隣には…泉お嬢さん。


 そして…

 ここからだと見えないが…

 恐らく、キッチンに…咲華さんと志麻がいる。

 …リズちゃんの姿も見えないが…

 あれだけいつも笑っているリズちゃんの笑い声が聞こえないのも…



「…咲華。」


 ボスが死角にそう声をかけると。

 しばらくして…


「海さん…」


 リズちゃんを抱えた咲華さんが、小走りにボスに駆け寄られて。

 二人を抱きとめたボスは…小さく安堵のため息をつかれた。

 咲華さんの腕に抱かれたリズちゃんには、この状況など分かるはずもなく。

 ボスの顔を見て、ただただ…笑顔だ。

 そのリズちゃんの笑顔に、ボスは優しく二人を抱きしめられた。


 咲華さんも不安から解放されたのか…

 ボスの胸に顔を埋めて、少しだけ微笑まれた。

 それを見て…安心したと同時に…私の腹の中は煮えくり返っていた。


 …志麻!!

 おまえはなんて事を…!!

 最低だ!!

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