第23話 これ以上遅くなるのもどうかと思って、まずは桐生院家に電話をした。

 〇志麻


 これ以上遅くなるのもどうかと思って、まずは桐生院家に電話をした。

 みんなが咲華と連絡がつかないと心配されていたからだ。


 その間、咲華はずっと街並みを見下ろして…小さく溜息をついていた。


 それから…手を取って歩いた。

 咲華は自分の爪先を見つめて歩いていた。

 言葉を交わしても…途中から無言になる。

 そして、俺と目を合わさなくなる…


 …そうさせたのは…俺か…



 …今まで、どんなに無理をさせていたか。

 以前、一度…電話で入籍だけでも先にしないかと言われた事があった。

 だが、俺はあの時…話しをすり替えた。


 咲華を愛してる。

 大事だ。

 なのに…自分の結婚となると、それは今のタイミングじゃない気がする。


 本当なら今日入籍すると約束したのに。

 待ち合わせ場所にいなかった時点で…咲華との距離を感じた。

 …こんな状態で、場繋ぎ的に入籍など出来ない。

 だが…じゃあ、いつなんだって言われると…


「咲華…本当にごめん…」


 俺は…自分の幸せは後回しと感じるのに、咲華を手放したくない。

 咲華から別れを告げられる事はないとでも思っているのか…

 決断を咲華に求めるなんて、無意識でも酷い事をしてしまった。



「……」


 咲華は…相変わらず無言。


「…もう少しだけ…待って欲しい。」


「……」


 俺が何を言っても…咲華は無言だった。

 時々何かを言いかけて…息を飲んでやめたり。

 …俺がそうさせた。


「…愛してる。これは本当だ。」


「……」


「愛してる…咲華。」


 俺は立ち止まって咲華の肩を抱き寄せると。


「俺だって…本当は毎日一緒にいたい…」


 耳元でそうつぶやいた。

 本音だが…

 二階堂に尽くしたい。

 自分の幸せは後回し。

 そう言ってしまった後での、そんなつぶやきは…

 何の効力も持たないと。

 俺は…なぜ気付かなかったのだろう。



「…咲華。」


 何も言わない咲華の両肩に手を掛けて、向き合う。

 それでもうつむいたままの咲華…


「…こんな身勝手な男でも、好きと思ってくれるなら…待ってて欲しい。」


「……」


「向こうから連絡もする。帰ったら必ず…時間を作るから。」


「…期待するから…そんな事言わないで…」


 うつむいたままの咲華から、小さな声が漏れた。


「どうして…今になってそんな事しようとするの?」


「…遅いか…?」


「…そうね…今更何よって思っちゃう…」


 咲華の泣きそうな声を聞いて、俺は咲華を強く抱きしめた。


 抱きしめて…


「…俺…最低だな…」


 改めて…自分の不甲斐なさを痛感した。



 正直…ずっとドライな恋愛しかしてこなかった。

 …当然だ。

 相手は全て二階堂絡みだ。

 仕事だと言えば全てにおいて理解され、深く追われる事もない。


 だが、咲華は二階堂の人間ではないし…

 深く…こんなにも深く俺の事を愛してくれた、初めての女性だ…。


 この二年以上の間、色んな葛藤があった。

 それでもこの状況に耐え、許してくれる咲華に…甘え過ぎていた。


「俺に…どうして欲しかった?」


 耳元でつぶやくと。


「…そんな事…」


 咲華は消え入りそうな声でそう言って。


「……」


 また…無言になった。





 〇咲華


「何してた!!」


 バシッ!!


 帰ると…門の前にいた父さんに、頬を叩かれた。


「千里!!やめて!!」


 母さんが間に入ってくれたけど…父さんの怒りはかなりのようだ。


「おまえ何様だ?あ?みんなにこんなに心配かけて。」


「……」


「どこ行ってた。」


「……」


「答えろ!!」


「千里、もう遅いから…」


 母さんがそう言うと。


「…とりあえず、家ん中でやれよ。近所迷惑だぜ?」


 華音が髪の毛をかきあげながら言った。

 …近所と言っても、この辺りは大きな高い塀に囲まれたお屋敷が多いから、ジロジロ見られることはない。


 ただ…

 今の父さんの『答えろ!!』は、相当響いたと思う。


「志麻さん、ごめんなさい。迷惑かけて…」


 母さんがしーくんに謝る。


「いえ…無事で良かったです。」


「後はうちの問題だ。見付けてくれた事には感謝するが、帰ってくれ。」


 父さんの冷たい言い方に、母さんも華音も首をすくめたけど。

 しーくんは伏し目がちに頭を深く下げて。


「…失礼します。」


 そう言って…歩いて行った。



「…約束してたんじゃないの?ずっと待っててくれたのよ?」


 門から玄関まで歩きながら、母さんが小声で言った。


「…ちょっと…仕事で嫌な事があって…」


 父さんに叩かれた頬を触りながら、つぶやく。


「そっか。咲華、頑張ってるものね。嫌な事だってあるよね。」


「……」


「でも、連絡はしなくちゃ。母さん、息をしてる気がしなかった。」


「……ごめん。」


 母さんには…謝れるのに。



「あたし、もう28なのよ?」


「それがなんだ。」


 大部屋で、あたしと父さんのバトルが始まった。


「門限とか、いい加減やめて。」


「門限に対する反発なのか?」


「働いてるのよ?付き合いもあるの。」


「こんなに遅くまで仕事の付き合いをしなくちゃならない会社じゃないだろ。」


 …結局、父さんは目の届く所にあたしがいないと嫌なだけだ。

 もう子供じゃないのに。

 しーくんの事だって…露骨に嫌な顔をして…

 あたしがなかなか結婚出来ないのは、父さんのせいじゃないのかって被害妄想まで始めてしまった。



「父さん嫌い。」


「……(抜け殻)」


 あたしの言葉に、意外なほど絶句した父さん。


「……千里、本心じゃないから。咲華、どうして…一言謝れないの?」


 母さんにそう言われたけど…


「おやすみ。」


 父さんが抜け殻になってる隙に、あたしは部屋に入る。

 視界の隅っこに、首をすくめてる華音と華月が入った。



 …あたしだけ、違う。

 華音は両親と同じ道で。

 華月はモデルだけど、みんなと同じ事務所に入ってる。


 あたしだけ…普通にOLで。

 普通に結婚して、普通に幸せになるはずだったのに…

 普通って…

 どうしてこんなに難しいの?



 あたしは部屋に入ると、スマホの電源を入れた。

 そこには…家族から交代に電話がかかってて。

 メールもたくさん入ってた。


 …だけど、しーくんからの着信は一度だけ。


 メールも…ない。


 探してくれてたんだよ…って。

 いい方に考えようとしても…

 もう、頭をよぎるのは、しーくんにとってはあたしより朝子ちゃん…って事。


 …疲れた。


 ベッドに横になると同時に…スマホのバイブ。

 手にすると…しーくんからだった。


「……」


 しばらく悩んだけど…


「…もしもし。」


『咲華?』


「…うん。」


『華音さんから、咲華が部屋に戻ったって連絡もらったから…』


 …華音、そんな事したんだ…



『お父さん…大丈夫だったか?』


「…嫌いって言っちゃった…」


『それはダメージが大き過ぎる。』


「その隙に部屋に戻ったの。」


『今日、咲華が『今更』って言ったのは…本心?』


「……」


 ふいに…核心を突かれて。

 あたしは…無言にならざるを得なかった。

 ここで、イエスと答えてしまえば…しーくんを失うかもしれない。

 今までの外面の良さみたいなのは、何だったんだ!!って事になっちゃうよね…


 …だけど…


 ずっと…望んで叶わなかった事。

 恋人なのに…

 婚約者なのに…

 会いたいように会えないなんて。


 ましてや…

 …妹の朝子ちゃんの方にばかり…連絡してるなんて…

 そのうえ、『俺にどうして欲しかった?』なんて…

 そんなの…

 そんなの、聞かなきゃ分かんないの?



 長い沈黙が続いて、あたしは意を決して…


「…うん。」


 小さくつぶやいた。


「もっと…会いたいっていつも思ってた。」


『…当然だよな。』


「だけど…仕事を頑張るしーくんが好きなのも本当だから…我儘は言えないって思ってた。」


『……』


「…でも…連絡ぐらいは…してくれてもいいのにって…」


『…そうだよな…』


 電話の向こうから、深い深い溜息が聞こえた。

 あたしは胸がギュッとなるのを我慢して。


「…言えなくてごめん…」


 肩を落として言った。



 もう疲れた。

 もう限界。

 もう無理。


 …そう思うのに…

 こうして声を聞くと、やっぱり…しーくんの事が好きだって思う。

 こんなに気持ちまでがすれ違ってしまうのは、あたしが物分かりのいいフリをしてしまい過ぎたせいだ。


 もっと早く…寂しい気持ちを素直に口にしてたら…

 しーくんにも決断は出来たはず。

 あたしに決めろなんて言わなくて済んだのに。


 もう…今度こそダメだ。

 重い女だと思われたに違いない。

 そう思いかけた時…


『アメリカは…いつもの現場とは違うから、連絡する。必ず。』


 しーくんが…優しい声で言った。





『今何してる?』


 渡米したしーくんは…

 本当に、連絡をして来てくれた。


「現場…大丈夫なの?」


 気を遣わせてるのかなと思って、遠慮がちに問いかける。


『大丈夫。こっちは朝の八時。コーヒー片手に本部に向かってる所。』


「…へえ…」


 何だか…想像と違って、少し戸惑った。

 朝から神経をピリピリと張り巡らせてるイメージがあったから…

 今回の現場は少し違うからとは言ってたけど、こんなに違うなら…いつもアメリカがいいな…なんて思ってしまった。


 それからも…


『今日はすごくいい天気だ』


『仲間とランチに行った店の隣に花屋があって、咲華を思い出した』


『咲華は花に例えたら何だろうって考えたけど、名前が分からない』


 その他…諸々…

 ビックリするぐらい…メールが来た。

 だけど、すごく嬉しくて。

 あたしはそのメールを何度も読み返した。


 まるで恋人同士みたい。

 なんて返信しそうになって…やめる。

 嫌味みたい。


 …でも、本当にそう思ってしまった自分が悲しい…


 しーくん…変わろうとしてくれてるのかな。

 だとしたら…

 今度こそ、帰国したら本当に…ちゃんと向き合って話して、入籍できるかな…



 あたしはあまりマメにスマホをチェックしないけど、朝とお昼と仕事終わりが楽しみになった。

 だけど、スマホを手放せない自分に…少し違和感も覚えた。


 …慣れないだけだよね…。



 ところが…

 四日目になって、連絡が途絶えた。

 あたしから連絡するのも、催促みたいでイヤだなと思って…

 仕事中も気になって、悶々とする自分がいた。


 どうして急に…?

 もしかして、現場で何かあったの…?

 思い切って電話をしてみたけど、電源が入ってないみたいで…

 あたしは仕事が終わるとダッシュで『あずき』に向かった。

 朝子ちゃんには、何か連絡が入ってるかもしれない。



「こんにちは…」


「あら、いらっしゃい。」


 おかみさんは、今日も笑顔で出迎えてくれた。


「あの…おかみさん。」


「なあに?今日はうな丼がお勧めだよ?」


「あ…じゃあ、うな丼…」


 言われるがままにオーダーをして、席に着く。

 そして…


「あの…朝子ちゃん、いますか?」


 厨房を気にしながら問いかけると。


「朝子ちゃんは17日からアメリカに行ってるんだよ~。」


 水とおしぼりをあたしの前に置きながら、言われた。


「…アメリカ?」


「そ。顔の傷、手術する検査に行ったの。」


 鼓動が…逸った。

 それって…

 17日からって…


「あっ…そっか。彼が…アメリカに行くって言ってたの、朝子ちゃんの付き添いだったんだ。」


 頑張って笑顔でそう言うと。


「そうそう。ほんっと仲のいい兄妹だよねえ。」


 おかみさんも笑顔で、そう答えた。


「…ほんと…見習わなきゃ。」


 おしぼりで…手を拭いた所までは覚えてる。

 だけど…

 後は…

 何も覚えてない。

 どうやって帰ったのかさえも。


 やっぱりしーくんは…


 あたしより、朝子ちゃんなんだ…。

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