第15話 俺の結婚報告に、目の前の富樫は涙を流してまで喜んでくれた。

 〇二階堂 海


 俺の結婚報告に、目の前の富樫は涙を流してまで喜んでくれた。


 が…

 相手が咲華だと教えると…あきらかに動揺した。

 さっきまで涙を拭いていたハンカチは、冷や汗を拭くための物に変わっている。



「こ…この事…は…」


「…まだ、誰にも打ち明けていない。」


「頭にも…ですか?」


「ああ。」


「……」


「本当は、誰にも気付かれないように解消するのが正しかったのかもしれない。だが…リズ…娘の事を思うと、ちゃんと育てたい気持ちが湧いて…」


「…彼女にも…愛情が湧いたのですね…?」


「…ああ。」


 正直…咲華には、まだ…俺への愛情はないかもしれないが…

 家族愛のような物は感じる。

 …いずれ、ちゃんとした夫婦になりたい。

 そのためにも、一つずつ…ハードルを越えなくては。



「志麻に…お話になられるのですか?」


「近い内に帰国しようと思う。彼女の家族にも挨拶をしなくてはならないし。」


「…はい…」


「その時、志麻にも打ち明けるつもりだ。」


「……」


 ハンカチを握りしめて、唇を震わせている富樫。


「…反対か?」


 賛成も反対もないが、つい…そう聞いてしまうと。


「…ボス、堂々とされて下さい。」


 富樫が低い声で言った。


「…え?」


「もう、電話ででも頭や姐さんに報告されてはどうですか?」


「……」


「祝い事ですよ。キッカケは…酔っ払った弾みだったとしても…ボスが今、どんなにご家族を大切になさっているか…」


 富樫はそう言うと、また涙ぐんで。


「…ボスの…日々の表情で…分かります…」


 ハンカチを目に押し当てた。


「…俺はそんなに分かり易いのか。」


 苦笑いをして、椅子に深く座る。


「いつも…優しい表情で、スマホを眺めてらっしゃったり…メールをされてたり…」


「…バレバレだな。」


「志麻に、後ろめたさは要りません。」


「……」


「一歩踏み出せば掴めた幸せを逃したのは、志麻本人の問題です。咲華さんは…巻き込まれた側です。」


 富樫の言う事は…もっともだと思った。

 だが、仕事でミスをする事のなかった志麻が…ミスをした。

 それはきっと、咲華との別れが原因で、集中できていないんだ。

 …それほど、後悔もしているはず…



「咲華さんが幸せになる事。これは…今まで志麻と彼女の二年以上を見守っていた、一傍観者としての願いでもあります。」


「……」


 富樫の言葉に、背中を押された気がした。

 確かに…

 咲華が幸せになる事は、みんなが望んでいる。

 …俺も、一傍観者の時は…そうだった。


「…ありがとう、富樫。」



 最近は、家を出る時に上着のポケットに入れておくようになっていた指輪。

 俺はそれを取り出して薬指にはめると、富樫に見せた。


「…私までが幸せな気分です。」


 そう言った富樫は、赤い目だが満面の笑みで。

 近い内に咲華に富樫を紹介しよう。と思った。




 〇朝霧あさぎり 沙都さと


「……」


 僕は今…ギターを担いだまま、歩道に立ち尽くしてる。

 どこの歩道かと言うと…

 うちの近く…。


 ツアーが終わって、昨日こっちに戻ったんだけど…

 スタッフ全員と大規模な打ち上げをして。

 そのまま会場のホテルに泊まった。

 曽根さんは、グレイスと今後のスケジュールの打ち合わせで、会議があるって。

 だから僕は、一足先に家に帰る事にしたんだけど…



「きゃっ。」


「あはは。リズちゃん、気持ちいいね。」


「……」


 あれって…

 サクちゃん…だよね?

 桐生院…咲華ちゃん。

 ノン君の双子の…

 だよね?


 なんでここに?

 て言うか…

 そのサクちゃんと遊んで、めっちゃ可愛い笑顔になってる赤ちゃん…

 どう見ても外人だけど…

 サクちゃん…

 えーと…

 しーくんと婚約中…だよね?


 えーと…ええと…



 僕が何度も瞬きをしながら立ちすくんでると。


「あら、サト、お帰りなさい。コンサートだったんですってね。」


 お隣のスーザンが、僕を見付けて声をかけた。


「あっ…た…ただいま…そう…コンサート…」


 そしてスーザンはうちの前庭にいるサクちゃんと赤ちゃんを見て。


「ああ、もう天使みたいな二人ね。毎日私達も笑顔になれて幸せよ。」


 まるで…もう長い事、サクちゃんがここにいるみたいに…言った。


「えーと…いつから?」


 僕が前庭を指差して言うと。


「あら、知らないの?ウミの奥さんでしょ?」


「………え?」


「毎朝キスして出かけてくウミ、とっても幸せそうよ?」


「………」


「最初は赤ちゃんを見て、サトの奥さんかしらって思ったのよ。」


 確かに…海君とサクちゃんじゃ、金髪の青い目は産まれないよ…

 クォーターの僕が一番、外人顔だから…まあ誤解はされるかもだけど…

 いやいや、僕でもあんなに見事な金髪と青い目は…

 って…


「えーと…毎朝キスして出かけてくの、本当に海君?」


 しーくんと間違えてないかな?と思ってスーザンに問いかける。


「ええ、ウミよ。もう、本当にハッピーな三人。」


「……」


 留守にしてる間に…

 何があったのかな…?

 もしかして、サクちゃんが二階堂の捜査に協力してる…とか…?

 いや…いやいや、まさかね…


 確かに、連絡しない僕もいけないんだけど…

 まあ…ここは海君ちなわけだから…

 結婚して子供が産まれてても…

 …いや、サクちゃん…産んでないよね?

 養子…?



「…沙都ちゃん?」


 視線をスーザンから声がした方に向けると、サクちゃんが赤ちゃんを抱っこして僕のそばに来てた。


「あ…あっ、サクちゃん…」


 ふと、サクちゃんの左手を見ると…

 薬指に…指輪。


「……」


「あー…ごめん…海さんから連絡とか…ないよね?」


「う…うん…」


「……」


「……」


「とりあえず、おかえり。お茶でもしよっか。」


 サクちゃんはそう言うと、赤ちゃんの手を持ってスーザンにバイバーイってして。


「沙都ちゃん、早く早く。」


 僕を振り返って笑顔で言った。

 そんな、笑顔のサクちゃんとは裏腹に…

 頭の中がこんがらがりそうな僕は。

 数学の公式、どれを使っていいか分からなくて、紅美ちゃんに困った顔をしてた時を思い出してた。



 海君‼︎

 僕もここで暮らしてる事、ちゃんと覚えてる⁉︎



「ごめんね?留守の間に色々…物が増えちゃって…」


 サクちゃんがそう言って、片手で赤ちゃんを抱っこしたまま…

 手際良くカップを出したり、クッキーの缶を出したり…


「……」


 ギターを置いて、リビングをぐるりと見渡す。


 …ベビーベッド…

 タオル生地の小さな人形…

 ノン君がいた頃は普通にあったけど、僕らだけになってからはなかった花瓶の花…

 キッチンには、ミルクの缶とか哺乳瓶も。

 僕は甥っ子の廉斗れんとので見慣れてるけど、ここにこういう物があるのは…やっぱ違和感だなあ。

 だって、結婚と出産って事に無縁の男三人だったんだもん。

 一番それに近かった海君は…何だか残念な結果続きだったし…


 ふと、暖炉…とは名ばかりで、そこはテレビをすっぽり収めてるんだけど…

 その上の写真が目に入った。

 …ノン君と紅美ちゃんのツーショット!!


「……」


 ゆっくりサクちゃんを振り返ると。

 僕がその写真に釘付けだったのを見てたみたいで…


「あれ…あたしが撮ったやつなの。華音、わざわざ送ってたみたい。」


 首をすくめた。


 …サクちゃん…知ってるのかな…

 海君と紅美ちゃんの事…



「はい、沙都ちゃん。座って?」


 僕がごちゃごちゃ考えてる間に、サクちゃんはお茶の用意をしてくれてて。


「お砂糖いる?ミルクは?」


 って、目の前に色々並べてくれた。


「あ…うん…ありがと…」


 久しぶりに…帰って来たけど…

 何だか、緊張…しちゃうよ。

 よその家に来てるみたいだ…



「…何で?って…思ってるよね?」


 サクちゃんは、赤ちゃんにオレンジ色の柔らかそうな物を食べさせながら僕に言った。


「う…うー…うん…」


「……」


「……」


「…ザックリ言うとね?」


「ザ…ザックリ?」


「うん。ザックリ言うと…待ち疲れて…婚約破棄したあたしが、傷心旅行でこっちに来て海さんと出会って…結婚して…この子を引き取った…って感じ。」


 サクちゃんの言った、ザックリなそれは…

 すごく…普通に納得な感じではあった。かも。


 でも…


「サクちゃんが待ち疲れたの?」


「…うん。」


「…サクちゃんが待ち疲れて…って、意外かも。」


 お茶を口にしながら言う。

 だってさ…サクちゃん、すごく…しーくんの事、好きそうだったし。

 ノン君も言ってたもん。

 ほったらかされてるのに、すごく一途だ…って。



「…婚約して二年以上結婚しないって、縁がないとしか思えないでしょ?」


 そう言ったサクちゃんは苦笑い。

 確かに…それ、辛いよね…


「でも、こっちに来たのって…僕らがツアーに出てからでしょ?出会ってすぐ結婚決めたって事?」


「そ…そうなの…」


「ふうん…ノン君、ビックリしだたろうね。」


「…まだ…言ってないの…」


「…え?」


「まだ…お互いの家族にも…誰にも言ってないの…」



 ツアーから帰って来た僕は…口を開けて瞬きをする。

 その繰り返しだった。




 〇曽根そね仁志ひとし


「あー、ただいまー。打ち合わせ早く終わって良かったー。」


 何ヶ月ぶりかの我が(もとい、ニカの)家‼︎

 一緒に帰りたかった沙都君が先に帰って、まあ…仕方ないよな、俺はマネージャーだから。

 って、自分で自分を慰めながら…やっと家に帰り着いて。

 沙都君、俺のためにビールなんて出してくれないかなー。

 って、玄関のドアを開けると…


「……」


「あ、曽根さん、おかえりー。」


 いつもの…数時間前に別れた笑顔の沙都君と…


「…おかえりなさいー…」


 小声で、バツの悪そうな顔でそう言ったのは…


「…サクちゃん?」


 いや、俺、そう呼んだ事ないけど…

 俺の親友、キリの双子の妹…桐生院咲華が…

 なぜか、沙都君とお茶飲んでる。


 で…

 なぜか…

 沙都君の膝に…


「あー。」


「……何かな?その…可愛い赤ちゃん…」


 近付いて見てみると…


「可愛いでしょ。僕の子供。」


「!!!!!!!!!!!!」


 俺は目を見開いた!!

 そっそそ…そう言われると…

 つぶらな瞳は…似てる!!気がする!!


「いっいいいっいっいつの間に!?て言うか、相手誰だ!?こんなのスクープされたら…!!」


 グレイスに叱られる~!!

 色んな事が頭の中を駆け巡って、俺は膝から崩れ落ちた。


 沙都君!!

 頼むから、そういうのは全部俺に話しておいてくれよ~!!!!

 ついには仰向けになって、絶望的な展開を妄想し始める。

 今クビになるとしたら…俺が責任を取って…

 沙都君の子供を、俺の子供として育てるためには…



「あはは。倒れちゃった。おじさん、面白いねーリズちゃん。」


「ひゃははっ。」


「あ~可愛いなあ。廉斗のお嫁さんにどう?」


「あたし達が決めたって。」


「それもそっか。朝霧家は周りが使いまくった許嫁制度に参加してないしね。」


「曽根君、沙都ちゃんの子供だなんて嘘だから。」


 二人の会話を聞いてると、サクちゃんがそう言って俺の顔を覗き込んだ。


「…う…嘘?」


「嘘よ。座って。紅茶でいい?」


「う…うん…」



 正直…

 キリの事を週刊誌にリークして以来…

 キリの家族とは、顔を合わせ辛い。

 …当たり前だけどさ。


 でも、キリの大好きなおばあちゃん、さくらさんはすごくいい人で。

 俺をここに呼んでくれた張本人。

 芋づる式に、沙都君ともニカとも仲良くなれて。

 ついには…キリに懇願されて、ソロデビューした沙都君のマネージャーにもなった。


 …でも。

 サクちゃんは…今も俺を良くは思ってないと思う。

 いつもは柔らかい雰囲気の子だけど…

 さっき、目が合った瞬間は…

 機嫌が悪い時のキリそっくりだった。



「で…この子は…?」


 沙都君の膝で、めちゃくちゃ可愛い声を出して笑ってる女の子。

 うちは、二人の兄貴もまだ結婚してないし…

 俺が仕切ってた二号店も、近所も店ばっかだから赤ちゃんとか子供にあんま免疫ないんだよな~。

 本店には子連れの常連とかいたけど、俺って…

 もしかしたら、ちょっと子供苦手なのかも…


 でも…


「あー。」


「曽根さん、抱っこしてみる?」


 沙都君がそう言って、女の子を俺に渡そうとする。


「いやっ…怖い。小さすぎる。」


「大丈夫だよ。膝に乗せるだけだし。」


「いやいやいやいやいや…ほんと…てか、誰の子なんだよ。」


 沙都君からのプリーズを拒否して、サクちゃんと沙都君を交互に見て言うと。


「…あたしと海さん、結婚…しまして…」


「………はっ?」


「その子は…リズって言います。宜しく。」


「………」


 俺は口を開けて、サクちゃんと沙都君とリズちゃんとやらを忙しく見て。


「サクちゃんて…確か…」


 あの男前!!

 あの男前は!?

 フィアンセって言ってたよな!?


「…縁がなくて。」


 目の前にアイスティーが出された。

 ビールが良かったけど、これはこれで美味そうだ。

 俺はグラスを手にすると、グビグビとアイスティーを喉に流し込んだ。

 残った氷がグラスでカランといい音をたてて。

 急いで飲んだせいで少し口からこぼれたアイスティーを腕で拭うと、それを見た『リズちゃん』が大笑いをした。


 …よく笑う赤子だ!!


「いや…まあ、めでたい事だけど…その…」


 俺が言葉を探してると。


「まだ僕達しか知らないみたいだから、ノン君には内緒だよ?」


 沙都君がニコニコして言った。


「はっ!?結婚した事、家族に内緒にしてんの!?」


「あー…ちょっと、タイミングが…」


「タイミングって…」


「ちょっと、ほんとに…色々。」


「……」


 キリは…真面目なんだか不良なんだか…って、掴みどころないイメージあったけど。

 そこがカッコ良くて。

 だけどサクちゃんは、おとなしくて柔らかくて、真面目なイメージしかなかった。

 なのに、家族に黙って結婚。

 しかも…相手は…


「…その…ニカって、元婚約者の上司だよね…?」


 男前とは、一緒にDANGERのライヴ観に行った事もあるし、ちょっと仲間意識勝手に持っちゃってたから…

 感情移入しちゃうじゃんかよ!!

 サクちゃんもニカも、酷くないか!?


「…だから、色々あったの。」


「色々あったとしても、さあ…」


「もう…うるさいっ。曽根。」


「なっ…」


 サクちゃんは立ち上がって。


「親友をゴシップ記事に売るような奴に言われたくない。」


 そう言うと、キッチンに立った。


「……」


 い…今…

 サクちゃんが悪魔に見えた。

 いや…俺が悪いんだけど…そうだけど…


「曽根さんの負け。もう詮索しないの。」


 沙都君がクスクス笑う。

 腑に落ちなくないのか!?


「今夜はパーティーだね。サクちゃん、僕何か作ろうか?」


 沙都君はそう言って、サクちゃんとキッチンに並んだ。


「沙都ちゃんが料理してたの?」


「僕がしたり海君がしたり。」


「今夜何食べたい?和食で良ければ作るけど。」


「わー。めっちゃ食べたい。ツアー中、恋しかったんだー。」



 キッチンで盛り上がってる二人を恨めしそうに眺めて。

 俺は…とりあえず…

 ニカが帰るのを待つ事にした。

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