第7話 「よく飲むなあ。」

 〇二階堂 海


「よく飲むなあ。」


 リズにミルクをやりながら、その愛らしさに笑顔になる。

 …酔っ払って結婚して…リズを引き取った。


 有り得ない。

 有り得ないのだが…俺は癒し満たされている。

 有り得ない妻と…有り得ない娘に。



「えっ…と、海さん…」


 テーブルの上に料理を並べながら、咲華さんが遠慮がちに言った。


「ベッドの…事なんですけど…」


「…ベッド?」


「今日、配達に来られましたけど…」


「え?誰が?」


「業者さんが……え?海さんがオーダーされたんじゃないんですか?」


 咲華さんは眉間にしわを寄せてサイドボードに置いていた配達票を手にして。


「あ…。配達先しか見てなかった…」


 小さくつぶやいた。

 リズにミルクを飲ませながら、咲華さんの隣に立ってそれを覗き込むと…


「…富樫?」


 なぜか、富樫から…ベッドが送られて来ている。


「二階に?」


「はい…海さんの部屋に。」


 ミルクを飲み干したリズを連れたまま、ゆっくり階段を上がってみる。

 部屋のドアを開けると、そこには…何とも立派なベッドが…


「…富樫という男がここに来ましたか?」


 後ろに着いて来てた咲華さんに問いかけると。


「いえ…業者さんしかいらっしゃいませんでした。」


 …だよな。

 富樫は今日、俺とデータ処理をやっていたんだ。

 どういう事だ?

 なぜ富樫が俺にベッドを?

 しかも…こんな大きなサイズ…



「…先に食事にしましょうか。腹ペコだ。」


 困ったような顔をしている咲華さんにそう言うと。


「あ…そうですね。」


 笑顔になった。



 テーブルに並んだ和食は、今日もとても美味かった。

 今日二人が出かけた話を聞きながら、笑顔になれる自分がいた。


 何なんだろうな…この穏やかな空気は。

 咲華さんには…独特な雰囲気があると思う。

 志麻が惹かれたのが…分かる。


 サイドボードには花。

 華音もそうだったが…花の家に育った彼女も…きっと花がないと落ち着かないのだろう。

 そして…その隣に俺の指輪が。


「……」


 咲華さんは、指輪をしたまま。


 だから…と言うわけでもないが、指輪を手にして左手の薬指にはめた。

 今はまだ…夢を見ていたい。


 顔を上げると咲華さんと目が合った。

 指輪をはめた左手を見せると、彼女は少しだけ…幸せそうに笑った。




『はい、富樫です。』


「俺だ。あの贈り物にはどういう意味が?」


 食事の後、一人で外に出て富樫に電話をかけた。


『あっ、あれはボスに良い睡眠を取っていただきたく思いまして…』


「……」


 富樫の声が笑っているように思える。


「それだけじゃないだろ?」


『えっ!?』


 全く…

 仕事は出来る奴なのに…どうしてこう、分かり易いんだ。


『べっべ別に他意はございません!!』


「あんなに大きなベッドに俺一人で寝ろって贈ったわけじゃないだろ?」


『う…』


 やはり…

 富樫は何か知ってる。


『じ…実は…』


「なんだ。」


『…昨日の朝、ボスと連絡がつかなかったので…心配になってご自宅まで行ったのです。』


「……」


 俺の顔から血の気が引いた。


『その…ボスが…ソファーで…』


「それでどうしてベッドを?」


『私が家の中に入った事さえ気付かれないほど、安心してお休みになられていたのですよ?ボスが、とても大事そうに抱きしめておられた女性に、どれだけ心を許されているか分かるじゃないですか。』


「……」


 俺はベンチに座りながら頭を抱えた。


『もう、いつご一緒に住まわれてもいいように…大きなサイズにしておきました。』


「……富樫。」


『はい。』


「この事は、他言無用だ。」


『分かっております。』


「…頼む。」


『承知いたしました。』


 富樫との電話を切って…深く溜息をついた。

 まさか…見られてたなんて…!!

 だが…咲華さんとはバレてないし、リズの事も知られてはいないようだった。


 …俺はこの先…どうしたいんだ?

 こんな現実逃避にも似た夢のような時間を…

 終わらせなくてはならない事を、頭では分かっているのに…。





 〇桐生院咲華


「…寝ましたね。」


「…そうですね。」


 あたしと海さん、ソファーで眠ったリズちゃんを見下ろして。

 その寝顔に見惚れた。

 本当…なんて可愛いの!?



「少し話せますか?」


 あたしがリズちゃんにメロメロになってると、海さんが小声で言った。


「あ…はい。」


 いよいよ…今後の事、決める時が来たのかな…なんて思って。

 あたしはお茶を入れて、海さんと向かい合って座った。


 まだ二日だけど…あまりにも心地良すぎて。

 この生活を手放したくないって思いが強くなり始めてるあたしがいる。


 …うん…ダメだよね…


「思うのですが…」


「はい…」


「リズ用のベッドを下にも置いた方が、咲華さんが家の事をしやすいかなと。」


「……え?」


「ソファーだと寝返りを打って落ちてしまう心配があるし、バスケットも這い上がって出てしまいそうですから。」


「……」


「って…家の事にリズの事、本当に全部押し付けて申し訳ないのですが…」


「いっいいえ、それは全然…」


「…どうでしょう?」


 は…話って…

 この事?


「あ…そうー…ですね。確かに…」


「贅沢かもしれませんが、上にも。」


「…え?あの大きなベッドに…じゃなくて?」


 だって、あのベッドなら三人でも余裕で…


「…俺自身が寝返りを打ってリズを潰してしまわないか、不安なんです。」


 海さんは苦笑いしながら額に手を当てた。


「ふふっ。本当は暴れん坊なんですか?」


 笑いながら問いかけると。


「…暴れん坊と言われた事はありませんが、寝相がいいという自信もありません。」


 海さんは首をすくめた。


「おまかせします。」


「分かりました。あと…」


「…?」


「もうしばらく…この生活を続けても、咲華さんは差し支えないですか?」


「え…」


 それは…

 夢のような言葉だった。


 リズちゃんと…海さんと…

 家族ごっこでしかなくても…


「…はい。あたしは…構いませんけど…海さんは…?大丈夫ですか…?」


 カップを手にしてお茶をゴクリと一口。

 ああ…何だか緊張して喉が渇く…


「俺は…」


 海さんもお茶を一口飲んで。


「…二人に癒されてますから。助かってます。」


 伏し目がちにそう言った。


「えっ?」


 …癒されてる?

 って…

 二人?

 リズちゃん…だけじゃなくて…

 あたしにも…って事?


「……」


「……」


「……」


「……二人の食いっぷりの良さには、本当に…」


「そこ!?」


 つい大声を出してしまって。


「あっ…しー…しー…」


 起きかけたリズちゃんのお腹を、海さんがゆっくりとポンポンってしてる。


「す…すみません…」


 もう…恥ずかしい…!!


 あたしが眉間にしわを寄せてるのを見て、海さんはクスクス笑ってる。



 …あたし…

 もうしばらくこの生活を続けていいかって言われて…

 嬉しかったよね。

 この気持ちって…何なんだろ。


 しーくんと別れて、空っぽになった気がした。

 だけど元々空っぽだったんだ…って思うと、ますます空っぽになった。

 そんな空っぽのあたしが海さんと出会って…

 たった二日なのに…

 …あたしこそ、癒されてるよ。

 リズちゃんの笑顔や仕草に…


 そして…海さんの頼りがいのある所とか…

 時々見せるおかしなギャップとか…

 …リズちゃんを見つめる優しい目とか…


「…って、聞いてます?」


 顔を覗き込まれて、あたしは我に返る。


「……もう一度お願いします。」


 目を見て答えると、海さんは少し笑いを我慢した顔で。


「月末に、三人で施設に来るようにと連絡がありました。」


 って…


「…わ…分かりました。」



 あたしは…少し浮かれてしまったのだと思う。

 この夢みたいな生活を…手に入れたような気分になって。

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