いつか出逢ったあなた 42nd

ヒカリ

第1話 …私の名前は、富樫武彦…

 〇富樫武彦 


 …私の名前は、富樫とがし 武彦たけひこ

 二階堂という、警察の秘密機関で働いている…

 いや、もうすぐ秘密機関ではなくなるのだが…


 アメリカでの勤務が主で…

 ボスと呼び、尊敬してやまない二階堂にかいどう うみさんの片腕になりたくて…

 目下…

 日々…

 努力と…

 勉強と…



「……」



 ……余計な事は考えるな。

 考えるんじゃない。


 今…目の前に広がる光景に…

 私は…大いに動揺…しているが…

 落ち着け…落ち着くんだ…



 昨日、かなり難航していた現場の捜査が終わり…

 夕べ、ボスは…珍しくお酒を嗜まれた。

 普段は、部下が気を使うから…と、下の者が集まる店には来られないが…

 夕べは皆の働きに労いの言葉をかけ、乾杯をして下さり…それから、私と一緒に違う店でも少し。

 その後、まだ一人で飲みたい気分だから…と、本当に珍しく…お酒楽しむ夜を過ごされた…


 久しぶりに地元に帰り着いた安心感も手伝われたのかもしれない。

 あんなに飲まれるボス…私は初めて見た。


 そのお気持ちは、鈍い私にも…察する事が出来た。

 ボスが、ずっとお慕いされていた…二階堂にかいどう 紅美くみさん…

 いや…この情報はボスから直接聞いたわけではないが…


 二階堂紅美さんがボーカルを務めるバンドのライヴに行ったり、打ち上げに参加させていただいて…

 ボスの視線や周りの言動で、そうだったのか…。と、気付いた。


 そして、ライヴと打ち上げに同行していた同僚であるひがし 志麻しまにさりげなく。


「ボスは…紅美さんに片想いされているのか…」


 と聞いた所…


「…私に聞くのですか。」


 と渋い顔をされた。


 ……ハッ!!

 志麻の妹は、ボスの許嫁でありながら婚約を破棄したツワモノ!!


「ボスの名誉のために言いますが…ボスは片想いではなく紅美さんとはお付き合いされてましたよ。」


「えっ!?」


「…ですが、うちの妹が怪我をしたり色々ありましたからね。」


 ……ハッ!!

 わ…私は…

 墓穴を掘りまくったのか!?


「す…すまん…余計な事を聞いた…」


「…いいえ。」



 と…ともあれ…

 紅美さんは…ボスの親友となられた、ギタリストの桐生院きりゅういん 華音かのん氏の彼女となり…

 先日…とても仲睦まじいお二人の写真が届いた。


 私としては…

 桐生院氏が、嫌がらせのように送って来ているとしか思えない。

 しかし、桐生院氏を親友としておられるボスは…その写真をリビングに飾られた。


 …涙ぐましい…


 ボスはまだ…

 きっと…



 ……だが。

 今、私が動揺しているのは…



 今朝、ボスにメールで連絡すれども返信がなく。

 電話をしても、お出にならない。

 心配になった私は、ボスの自宅へ。


 ここは以前、桐生院氏もシェアされていた時期があり。

 今はボスと、現在ワールドツアーという事で不在だが、元桐生院氏と同じバンドだった朝霧あさぎり 沙都さと君と、そのマネージャーの曽根そね氏もお住いだ。

 だが、もうしばらくはボス一人のはず…


 なのだが…



 もし何かあった時のために、私はボスから合鍵の在処を知らせてもらっている。

 今まで使う事はなかったのだが…

 逸る鼓動を抑え、その鍵を手にしてゆっくりと玄関のドアを開けた。


 電話にもメールにも応答がない。

 もしかすると…想定できない事態に…と思い、チャイムは鳴らさなかった。

 ボスに限って人質に取られるような事は有り得ないが…

 夕べは随分とお酒を飲まれただけに…



「……」


 玄関のドアを入ってすぐに二階への階段。

 そして左側に広がるリビング。

 …ここからでも、階段の途中に靴が片方…あるのが見える。

 何かがあったに違いない。


 一応…銃は忍ばせている。

 何かあった時は…身を挺してボスをお守りしなくては…


「………」


 …リビングにある大きなソファーに……横たわる……人の姿…


「…………」


 …ゴクリ。


 つい生唾を飲みこんでしまった。

 なぜなら…

 ソファーのそばに…脱ぎ捨てられた服の数々…


 し…下着も…



 そして…

 ソファーの上には…

 ボスがいらっしゃる…


 裸で。


 そのボスは…

 同じく裸の女性を…抱きしめて眠ってらっしゃる…

 大半はシーツで隠れてしまっているが…

 そこから、ニョキッとのぞいている…男女の絡み合うような…脚…


 トレーニングの時等に見慣れているボスの、細いけれど筋肉質な腕に抱きしめられている白い背中…

 顔は見えないが…

 だけど確かに女性だし、見えている範囲は…スタイルの良さを感じさせる。

 男好きしそうな身体だ…!!


 …はっ…よ…余計な事を…!!


 …ボス!!

 し…失礼いたしました!!



 私はそっと玄関を出て、そそくさと少し離れた場所に停めた車に戻る。


 …ボスが…

 女性と一夜を共にされたとは…

 酒の席で意気投合し、自宅に連れて帰られたのだろうか。

 一夜限りの関係ならば、ボスが自宅に連れてお帰りになるとは考えられない。


 となると…


 すでに心に決めた方がいらして、夕べ私と別れた後に落ち合われたのかもしれない。


「きっとそうだ…」


 そうなると、今日は何としても仕事を休んでいただこう。

 大事そうに抱きしめておられた彼女と、ゆっくりお休みになられた方がいいに決まっている。

 私はそう思い、本部に帰ってボスの分も仕事に励む決意をした。



 〇・・・


「……」


 あ…頭が…

 なんだろう…これ…

 ふ…二日酔い…?


 今までに経験した事のない頭痛と、何とも言いようのない気分の重さ。

 幸い吐き気はないけど…この…この重たさは…何?


 あたし…前髪を…かき…かきあげ…う~ん…

 ちょっと…身体の向きを…

 変えた…い…


「……」


 向きを…変えようとしたんだけど…

 何か…何かが…あたしの身体…巻きついて…る…?


 まるで、糊でくっつけたみたいに…開かないまぶた。

 何度かギュッと目をつむって…それから『バリバリッ』て音を立てる感覚で…目を開けた。


「…っー…」


 うっすら…開いた目。

 そして…そこに飛び込んで来たのは…


「……」


 至近距離に。

 顔。


「……」


 一度、違う方向を見て…もう一度…見る。


 …う………嘘でしょ…。

 あたし…

 だ…

 抱きしめられてる…って事?


 しかも…


「……」


 ど…どう考えても…

 裸だよね…この人…

 ……て事は。


 あたし…

 あたしも…



 必死で視線を自分の身体に向けてみる。

 ようやく視界に入ったあたしの胸は…


 …は…だ……


 裸ーーーーーー!!


 あっ、あ…こっこれって…えー…えーと…

 えーと…!!

 あたし、この人と…

 やっちゃったの!?


 えーーーーー!?



 パニックになりながらも、至近距離のこの人を起こさないように…

 まず…手を…

 腕をそっと持ち上げて、離れようとした、その瞬間…


 バッ。


「!!」


 突然、その人が起きて…

 あたしの腕を押さえ付けて上に乗った!!


 きゃーーーーーー!!


 声を出したくても、出ない!!

 怖いーーー!!



「………え…っ?」


 その人は…あたしの顔を見て…目を丸くして。

 一度部屋の中を見渡して…


「………は…?」


 あたしに…そう言った。


「あっ…ああああの…」


 や…やっと声が出た!!

 胸が丸見えであろうあたしは、首を振って訴える。

 あたしから降りてーーーー!!


「はっ…!!す…すみません!!」


 その人は大きな声で謝ったかと思うと、素早くシーツで…あたしの身体をくるんでくれて。

 …とりあえず…二人して…背中を向けて座り込む。



「……どうして…こんな事に…?」


 背中で、低い声でそう言われて。


「…あたしも…知りたいです…」


 そう…答えるしかなかった。


 そう…どうして…こうなったの?

 あたし…

 確かに…夕べは飲み過ぎたかもしれないけど…


「……」


「……」


 背中を向けてても分かる。

 あたし達…きっと、同じように頭を抱えてるよね…。


「…とりあえず…聞いていいですか。」


「…はい…」


「…どうしてここに?」


「…あたしが聞きたいです…」


「…じゃあ…」


 背筋を伸ばすと、少しだけ背中が触れて…慌てて離れる。


「…志麻とは?」


「……」


「…婚約中のま」


「別れました。」


 あたしは……海さんの言葉を遮って答えた。


「…別れました…もう…関係ないです。」



 桐生院きりゅういん 咲華さくか、28歳。

 長い婚約期間に見切りをつけて…


 愛するしーくんを…




 捨てた。




 〇二階堂 海


 たぶん…今まで生きてきた中で、一番の驚きと動揺だと思う。

 早乙女さおとめ 千寿せんじゅが実の父と知った時より、だ。

 …いや…でも…

 紅美の妊娠を知った時は…もっと驚いたし…動揺もしたし…

 …後悔もした。



「…ここは…どこですか?」


 遠慮がちに、桐生院咲華が言った。


「…俺が住んでる家です。」


「…シャワー…お借りしていいですか…?」


「…どうぞ。そこを右に出て左です。」


「…どうも…」


 桐生院咲華の気配が背後から消えて。

 俺は大きく溜息をついてうなだれた。



 …ああああああああああ…


 よりによって…

 志麻の…

 部下の…婚約…元…婚約者で…

 華音の双子の妹…と…なんて……!!


 それにしても、志麻が婚約破棄したなんて話…俺には来てないぞ…

 別れたって…本当なのか?



 落ちていたバスタオルを腰に巻いて、横になる。


 …夕べ…何があったんだ…


 天井を見ながら、必死で記憶をたどった。

 難航していた捜査を終えて本部に戻って…

 近くの店でみんなと飲んだ。

 その後、富樫と二人で飲んで…富樫と別れた後…だよな。

 あの後俺は…どうした?


 目を閉じて、自分の行動を思い返す。

 確か…富樫と別れた後…本部から少し離れた場所の小さな店に入った。

 常連しかいなさそうなその店に入ったのは…

 入り口に、赤いバラのドライフラワーが飾ってあったからだ。

 …花を見ると…紅美よりも華音を思い出す。

 そして…今、我が家のリビングに飾られている…華音と紅美が仲睦まじく抱き合った写真も。



 それから…?

 店の中は…どうだった?

 確か…常連と思われる輩でいっぱいで…

 だが、気のいい人間ばかりで…


「奇遇だな!!今夜はもう一人日本人が来てるぜ!?」


 パッ。


 目を開けた。


 …そうだ…

 俺が行った時、すでに…桐生院咲華はそこにいた。

 そして…


「あっ!!もしかして、二階堂 海さーん!?」


「え…えーと…君は…桐生院咲華さん…?」


「当たりー!!わー嬉しいー!!こんな所で知った人に会えるなんてー!!」


 そう言って、俺にギューっとハグして来た彼女は…

 すごく…

 …酔っ払っていた…。


 いや…

 俺も、軽く…酔ってはいたが…

 彼女ほどでは…



「さ!!飲もう飲もう!!」


「いや、えーと…なぜここに?」


「楽しいからよー!!」


「…意味が分からない…」


「かんぱーい!!」


「…乾杯…」


 気が付いたら、店の連中とも盛り上がって…

 何て言うか…

 彼女がこんなに明るい女性だとは、思わなかった。

 …さくらさんに似てる。と…思った。


 以前、ほんの数回…

 志麻絡みの事で見かけた時は…おとなしいイメージしかなかった。



「……」


 溜息をつきながら、テーブルに置いてあるスマホを手にする。

 画面には、富樫からの着信とメッセージがいくつも…


「…マジかよ…」


 前髪をかきあげながら、大きく息を吐いた。

 …なんて言い訳しよう。

 小さく咳払いをして、富樫に電話をかけた。


『も…もしもし…』


「ああ…悪い。夕べ悪酔いしてしまって…何か急な」


『それはいけません。ボス、今日は…いえ、三日ぐらい…いえ、一週間はお休みになられた方がいいと思います。』


 突然、富樫が俺の言葉を遮って言った。


「…は?」


『ボスが悪酔いだなんて…相当なストレスですよ…幸い、現場は片付いた事ですし、存分にお休みください。』


「……」


 相当なストレス…か。

 確かに、夕べは俺らしくなかったかもしれない。

 まだ正気だったと思うのだが…もしかして、富樫に…愚痴でもこぼしたのだろうか。

 …もしそうだとしたら、最悪だな…



「一週間も休むわけにはいかない。とりあえず、今日は…休む。」


 そう言いながら、部屋を見渡す。

 だらしなく脱ぎ捨てられた服…

 あー…本当、何やってたんだ俺は…



『是非お休みになって下さい。どうか…ごゆっくり。』


 ごゆっくり?


 富樫の言葉に目を細めながらも。


「ありがとう。」


 そう言って電話を切った。



 富樫との通話を終えて再びソファーに横になる。


「…ん?」


 横になったものの、最後に見た画面が気になって、起き上って再びスマホを手にする。


「…な…何だこれ…」


 つい…画面を見入って独り言。

 スマホの画面には…

 俺と桐生院咲華が…


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