五十六

 ふと。

 少女は夏の青空を見上げた。

 何かが聞こえる。

 唸り声。

 遠く、どこかで。

 いや、きっともうすぐ近くで、は遠吠えを上げている気がした。


「一体どういうことなんだ!?」


「!」


 唐突に近くで上がった怒声に、少女はびくりと肩を竦めた。

 少女は、一人の男に群がる大人たちを遠巻きにして立っていた。

 つい先刻、深刻な顔で帰ってきた両親に手を引かれ、城の近くまで連れて来られていたのだ。

 少し離れたところに群がっている大人たちは、皆が口々に、白銀の頭髪をした男を責め立てていた。

 男はこの国の狩司衆を預かる頭領だ。

 大人たちはその人に向かって、何事かを問いただしているらしかった。


「どういうことなのか説明してくれ!」


「なんでいきなり国崩しなんて……」


「明命様はどうしたんだ? あの方はどうした?」


「この国は、あの方がいる限り安全なはずだったんだろう?」


 口々に苛立ちや焦燥の混じった声を発する彼らに、少女は漠然と胸の内に不安が渦巻くのを感じた。

 大人たちが何を言っているのか、全てを理解することはできなかった。

 しかし、なにかひどく悪いことが起こりかけているのであろうことは、なんとはなしに感じていた。


「国崩し…… 国崩しだ……」


「まさか、そんな、」


「しかし、狩士たちのあの慌てよう……」


「それに、外縁に住んでる連中が騒いでる。 飢神が集まってきてるらしい」


 少女と同じく騒ぎを遠巻きにする大人たちが、ひそひそと言い合っている。

 不安というものは、冬枯れた草を焼く野火のようにあっという間に伝播でんぱする。

 暗く、恐怖すらにじむ大人たちの様子に、少女は自分の体を抱いた。



 遠く。

 どこかで遠吠えが聞こえるような気がする。

 それは確実にこの国に迫っている。

 そんな、確証もない予感が脳裏に根を張る。

 ああ、どうしよう。

 浅く息つくような呼吸が乱れる。

 全身がぼやけた不安に震える。

 怖い。

 怖かった。

 現状を理解できないこと。

 なにか、恐ろしいものが近づいている様な、そんな予感が止まないことが。

 怖くて怖くてたまらなくて、少女は騒動に加わって遠い両親を探した。

 傍にいてほしかった。

 傍にいて、抱きしめてほしい。

 大丈夫だと言って欲しい。


 怖い。


 怖いよ。








「大丈夫ですか?」


「!」


 不意に声をかけられ、少女はびくりと背をはねた。

 ばっと、顔を上げる。

 その人は、少女のすぐ横へ顔を覗き込むように屈んで立っていた。

 生糸の様な美しい黒髪を流し、涼やかな目元で笑っている。

 突然現れたその女性に、少女は狼狽うろたえた。

 初対面の戸惑いと、その惹きこまれるような目に気恥しさをおぼえ、視線をさ迷わせる。

 女性はそんな少女の様子にふっと笑うと、乱れていた少女の耳元の髪を指で撫でて、綺麗な微笑みを浮かべた。


「避難なさりに来てくださったのですか? お家の方は?」


 咄嗟とっさに群衆の方を指させば、女性は何もかも承知したかのように一つうなづいた。

 そして、


「大丈夫ですよ」


 それだけ言って、少女の頬を優しく撫でた。

 しかしその体がまだ小さく震えているのを感じた女性は、ふと寂しげに笑うと、優しく少女を抱きしめる。

 そして、優しい声で強く言い聞かせてくれた。


「大丈夫。 何が来ても、怖いものはあなたには届かない。 狩士方がきっと、みんな守ってくださいます」


 ね?

 抱擁の驚きに震えの止まってしまった少女を離し、女性は華咲き綻ぶように破顔した。

 その何もかも安心させてしまうような笑みに、少女はひくとのどを鳴らす。

 体にまだ残る温かさが、震えを鎮めていく。

 少女は女性にとられた両手に力を籠め、こくんと頷いた。

 それに女性は再び微笑み、


「きっと、守ってみせます」


 そう言って、騒ぎ立てる群衆へと近づいて行った。






「女子供をあの飢神の中に放り込むだって!? 正気か?」


「俺らに家族と離れろって言うのか?」


「城に残る業人は? まるでおびき寄せる餌みたいじゃないか!」


「納得できるか、そんな話!」


 大人たちの憤りが、恐怖を糧に加速していく。

 女性はその中に潜り込むと、人波をかき分け、白銀の男の横に立った。

 そして男ともに大人たちに向き合い、強く揺るぎない声で言った。


「突然のことに戸惑うお気持ち、よく分かります。 ですが、今は時間がない。 どうか、我ら狩士一同に、ご協力いただけませんか」


 いきなり表れた女性に、一瞬騒ぎが静まり返る。

 我ら?

 狩士だと? と、まるで自分自身も狩士であるような女性の物言いに、困惑が広がっていく。

 その隙を見逃さず、女性は言いつのった。


「そうです、私も狩士だ。

 あなた方を守るため美弥狩司衆に助力しに来た、左厳一門の狩士だ。

 報で知らせました通り、今この国は国崩しの手前にある。 

 最早一刻の猶予もない。

 女子供を外に逃がす策も、業人を残すための策も。

 すべてはこの国全員が生き延びるための一手。

 決して、誰かを犠牲にしようとするような選択ではない。



 ――――その代わり、



 全員が犠牲を払い合い、全員で生き延びるための道なのです」




 女性の言葉に、大人たちが一様に戸惑って口をつぐむ。

 女性はそんな彼らに、だからどうかと、深く深く頭を下げた。


「共に、足掻いてください。 共に生き延びてください。 我ら狩士一同、必ずや生き行く道を開く。


 左厳の名において、あなた方を決して飢神に食わせはしません。


 ですから、」




 深く、誠心に。

 女性の言葉に、群衆が静まり返る。

 傍に立っていた男も、女性を大切そうに見つめたかと思うと、彼女にならってこうべを垂れた。

 その真っ直ぐで覚悟漂う二つの背に、大人たちは顔を見合わせる。

 そこにはまだ、納得しきれない想いも、どうしようもない不安感も確かにあった。 

 しかし、


「お顔を、どうぞ、お上げください」


 不意に、人垣に声が上がった。

 それは、美弥城下の顔役の一人。 

 最長老の男だった。


「どうぞ、お顔を上げてください」


 言葉を重ねて二人を促した顔役は、動きの悪い足を引きずりながら、群衆の前に出た。

 そして男女の前に立ち、ぽつぽつと女性に問うた。


「この国が沈むのは、事実ですか?」


「事実です。 ですが、沈ませはしません。 我らは決して諦めない」


「女子供は非力です。 外に出して、生き延びる勝算はありますか?」


「警護には腕利きが付きます。 彼らの練に飢神が惹かれる可能性もありますが、隣国の援軍にさえたどり着けば安全です」


「城に残る者は、餌というのは本当ですか?」


「必然的に飢神を誘ってしまうため、そのようになってはしまうでしょう。 ですが、外に逃げるよりは安全と判断して、業人方は城に残っていただきます。 残る以上、我らが必ず守ります」





「……我らを守るというあなた方の言。 それは、我ら一同が信じるに値するものでしょうか?」





 最後の問い。

 それだけはひどく重みをもって辺りに響き渡った。

 そうだ。

 その問いこそが、男女と大人たちの間に横たわる、溝の深さを表すもの。

 自分たちだけでは飢神に太刀打ちできない大人たちが、唯一頼るしかない相手に持つ不信。

 この命、あなた方は預けるに値する人か?

 それをただす問い。

 しかし、その問いへ容易に答えること言葉など、きっとない。

 答えはない。

 しかし、聞かずにはいられない。

 だって、どうしても生きたい明日。

 その全てを賭けて守ってほしいと願うほかない相手だから。

 女性は、問いの重みも、それを言う卑怯を顔役が理解していることも、全て承知しているようだった。

 そして、



「信じてほしいなど、本当は簡単には言ってはいけないのでしょうね。 それは、難しいことですから」



 狩士というには穏やかすぎる笑みを浮かべ、目を伏せた。



「でも、私は、あなた方の命が惜しい」



 再び開かれた目に、埋火うずみびが揺らぐ。

 女性は顔役を真っ直ぐに見つめて断じた。



「私は…… 私はまだ、あなた方に明日を迎えてほしい。 共に、この危うい夜を越したい。 朝焼けを見たい」



 この人が、守りたい国だから。

 そう言って女性は横の男を見遣り、ひどく美しく笑った。

 男はそんな女性を眩しく見つめ、その眩しさに少しだけ目を細めた。

 男は女性の言葉を大切に受け止めたように顔を伏せると、顔役に向き直って再び頭を下げた。


「この人の言う通りです。 どうか我らに、あなた方を失わせないでください。 どうか、共に足掻くと…… 我らに許しを下さい」


 男の言葉に、顔役はどんな顔をしたのだろう。

 顔役の背しか見えない少女には、それを見ることはなかったけれど、


「顔を、お上げ下さい」


 柔らかに男を促した顔役に、その場の全員がはっと身じろいだ。

 顔役は若い男女を眺めると一つ頷く。

 それから、悪い足をさすって言った。


「私も業人だ。 けれどこの足では、逃げようにも、それもできますまい。 それでもまだ…… こんな年になってもまだ、生きたいと思ってしまう」





「生きることを、諦めたくない」





 顔役は、そばにいた小さな子供を引き寄せ、「この孫の大きくなる様を、できる限り見ていたい」と声を震わせた。


「こんなにも生きぎたない。 それでも、こんな我らでも、守って下さりますか?」


 年枯れた背を寂しげに丸める顔役。

 その背を女性は支え、男は肩をなでた。


「あなた方が諦めぬ限り、共に」


 男の言葉は、決して答えにはなりえない。

 それでもその場にいた全員の胸を打った。

 顔役は孫を抱き寄せ深く頭を下げると、濡れた声で「この子を守ってください」と呟いた。


「どうか、我らをお守りください。 我々には、飢神に立ち向かう術はない。 あなた方に頼るほかない。 あなた方に全てを投げ出す我らを、お許しください。 それでも生きたい。 この罪を、お許し下しください」





「……その罪があるとして、我々は、許す立場ではありません」


 狩士ばかりに危険を投げ寄越す罪を恥じる顔役に、女性は首を横に振った。

 そして、埋火は確かな炎となって決然と告げる。


「ともに生きぎたない道を行く同胞です。 共に罪を負うものです」


 あなた方が生きる意志を持ってくれねば、一緒には進めない。

 共に、生きましょう。


 そう強く言った言葉を、誰もが息を止めて聞いた。

 顔役はもう一度だけ頭を下げ、


「あなた方に、全て預けます」


 それだけ言って、覚悟を固めたようだった。

 それまで騒いでいた大人たちも、顔役の決定にそれ以上を求める気概は失せていた。

 ぽつぽつと、集まっていた人々が頭を下げる。

 その様を、中心にいる男女は真剣な目で受け止めていた。

 少女はその全てを見ていた。




 決意は、行動への狼煙のろし

 その時が、迫っていた。

 民も、狩士も。

 全ての人が生き足掻く、その時が。






 *






 銀正と香流は、城のやぐらから外の状況を見ていた。

 遠目に、野山の景色が広がっている。

 その木々が生い茂る奥。

 そこへ何かがうごめいているのが、二人にも分かっていた。


「まだまだ来ますよ~ あれは。 もう、伝鳥飛びっぱなしだ。 分かりやすくて結構ですけどね」


 傍に立つ真殿配下の狩士が笑う。

 この男は間者として香流に接触してきた相手だ。


「もう半刻も持たんでしょうね。 四半刻、あっちの辛抱が続けばいい方って感じだ」


「外への避難は開始されましたか?」


「さっき第一陣が出ました。 もう二陣も用意できてる。 三陣も、奴らが雪崩れ込んでくる前にギリギリ出られるかどうかってとこかなぁ」


「奴らが動きを見せる前に、間に合えばいいですが……」


 外をにらみながら香流が男と言い交していると、


「おう、どーよ?」


 櫓に上ってきた真殿が、呑気そうに外へ目をやった。

 「あーあ、湧いてやがる」と笑う兄に、香流が守備の配置内容を問いただす。


「城は近衛組に任せる。 奴らを最後の盾にしとけば、外周りで俺らも暴れやすいからな。 城下はきっぱり捨てるぞー あれだけの飢神の数じゃ、残っている狩士で町全体を囲うには壁が心許ないからな。 奴らを城下に誘い込んで、狩場とする。 それは左厳うちと美弥狩司衆、あと間者連中で受け持つ」


「わー 守るとしてもギリギリですね~」


 配下の言う通り、配置とその戦力数では、おびただしい飢神相手に厳しい戦いを強いられるのが目に見えるようであった。

 いくら狩士といえど、一昼夜継続的に戦い続けるだけの体力などない。

 交代で休息をとりつつ、一定の戦力を維持する必要がある。

 それができるかと言えば、正直厳しい布陣なのだ。


左厳うちはまぁ、動き続けるのにはある程度慣れがあるが、おそらく美弥の衆はそこまで期待できんからな。 そうだろ?」


 言って水を向ける真殿に、銀正は厳しい顔で頷く。


「そうですね。 これほどの規模で長時間の防衛など、そうあることではありませんし、平素の狩りも、それほど難しいものをこなしていたわけではない」


 持久力という点で、美弥狩司衆は難がある。

 だから、


「後方支援等々、その他の仕事は全部美弥の衆に請け負ってもらう。 その方が、この国の事情にも通じているぶん、やりやすいだろうしな」


「え~ じゃぁ、俺らぶっ通し? きっついなぁ~」


「全部じゃねーわばーか。 んなもん、飢神にやられる前に疲れ死ぬっての。 ……飢神共だって、継続的に襲い続けては来ねぇはずだ。 襲ってくるのにも、波がある。 それをしのいでいきゃあいい。 近衛組にも外周りに人員割いてもらってっし、休息交代の手筈てはずもつけてる。 お前らも後で確認しとけよ」


 そう言って真殿が手をひらひら振った時だ。


「よしとぉー」


 櫓の下から、香流を呼ぶ声がした。

 「はい!」と香流が柵から下を見れば、濃紺の衣装の崩渦衆たちが手を振っている。


「我らの準備が整いました!」


 香流たちが降りてみれば、先頭の男が背後のものを示して言う。

 見れば、香流が渦逆との一戦で使用していた爆薬が山積みになっていた。

「よくこれだけ持ってきましたね」と香流が眉を上げれば、「里の在庫、根こそぎ持ってきました!」と嬉しげな返答。

 結局この爆薬がよく分かっていない銀正が、山を示して「あの…… 結局これは、どういったものなんだ?」と香流に問うと、


「崩渦衆特製、門外不出の『炸裂丸』です」


 とびっきりいい笑顔で答えが返る。

 「炸裂丸……」と銀正が繰り返せば、香流は子供が秘密を語るようにきらきらとした目で内容を教えてくれた。



「これは、近年異国で開発されたばかりの安定性の高い爆薬を使用したものでして、それを輪型に整え、内に金属片を仕込んでいます。 それが炸裂時に周囲へ飛び散り、深い手傷を負わせる寸法です。 そしてその着火方法ですが、使用の直前に輪の中心に『甲種の活牙かつが』を仕込み、これに別個体の活牙を投げ当てることで……」



「まてまてまてまて、待ってくれないか!?」



 咄嗟に銀正は口走っていた。

 どうしても聞きづてならない言葉が聞こえた。

 どーしても、それはない。

 それはないぞ!? という言葉が聞こえた。

 え? まって?



「『甲種の活牙』と言ったか……?」



 眉間を押さえて問う銀正に、香流はキョトンと首を傾げる。


「ええ、そうですよ? どうかしましたか?」


「……いや、どうかしているのは、その炸裂丸とやらだ……」


 完全に頭を抱える銀正。





 ――――ここで、補足をする。


 『甲種の活牙』とは、まさしく生きた甲種から切り落とした、一の殻・牙のことだ。

 それは甲種という相手の手強さと、生え揃う中から切り落とさねばならない条件から、入手することが非常に困難な代物の代名詞にもなっていたりする。

 そして驚くべきはその市場価格だ。

 一本なんと…… いや、こればかりは定価など言うことはできない。

 完全に時価なのである。

 想像いただくために大まかに言うとすれば、この国一番の花街で最高級の遊女相手に一晩豪遊しても、ぜんぜんおつりがくるんじゃないかな? ……というくらいである。

 そもそもなぜ甲種の生牙がそれほど価値があるのかと言えば、活牙は死牙(=飢神が死んだ後の牙)がそれを示さないの対して、あの『牙炎反応』が生ずるからだ。

 牙炎反応は別個体の活牙同士でなければ発生しないが、希少価値とその特異な反応から活牙を欲するものはそれなりに多く、供給に対して需要が大きく越しているために目玉が飛び出すような値段で取引されるのだ。

 


 …………もう一度言う。

 どえらい価格で取引されるのである。






「活牙を…… つまり、牙炎を着火の火種に……?」


 目元を覆ったまま銀正が確認すると、香流は「流石御当主、ご理解が早い」と嬉しげに肯定する。

 ということはつまり、あの炸裂弾の山…… もとい、その中心にはまって準備できているらしきあの物体は、全部の甲種の活牙なのか。


 あれは、金の山なのか……?



「(あれを木っ端微塵に吹き飛ばすというのか……?)」



 まさしく大金を爆散させる所業だ。

 頭を抱えて受け入れがたいものを飲み込もうとする銀正。

 そこへ、



「活牙だけじゃねーぞ?」


 なぜか遠くを見ながら寄ってきた真殿が、コソコソというには、


「あの爆薬ってのもな、ほとんど黒みたいな筋から買い揃えてんだよ。 しかも元々の価格も馬鹿にならん。 それを海渡って輸入するもんだから、まー値が張る値が張る。 あれは全部が金でできてるみたいなもんなんだ」


「おかげで近年左厳家の家計状況は逼迫ひっぱく。 衣食住全てが倹約を迫られ、出稼ぎの狩士たちは死に物狂い金を稼がねばならないのが実情です。 来る日も来る日も茶碗に薄粥……ってか、ほとんど白湯さゆ三昧…… ううう……」


 真殿の横で顔を覆う配下の嘆きに、銀正はその窮状を察する。

 大金がかかるとはいえ、崩渦衆の相手はあの渦逆だ。

 背に腹は代えられなかったのだろう。

 そんな男たちを横目に、香流は「つまりは、別個体同士の活牙をぶつけ合うことで、着火するわけですよ」と楽しげに言って、崩渦衆の一人から残存組に残された炸裂丸の量と振り分けについて話し合い始めた。

 付け足すように真殿が、「ここにあれだけ運んでくるのも俺たちだけじゃまかなえなかったから、人を借りて運んだんだぜ?」(配下「うう、また借金……」)と乾いた声で笑った。


「崩渦衆の戦力についてのお値段は……?」


 最早諦め交じりで銀正が問えば、よし来たとばかりに復活した真殿が「これくらいで!」と指を立てる。

 その数に視線を遠くして、銀正はつい思った。

 早まったかな、と。

 しかし、命には代えられないなと痛む頭を切り替え、真殿に美弥狩司衆と左厳一門の配置について問うた。

 真殿は懐に入れてあった城下の簡単な図を取り出すと、それを指し示して説明をくれる。


「基本的に前線は俺らだ。 んで、街中はあんたらが。 伝令役は陣営ごとにもう決めている。 あとで配下に聞きな」


「我らが外に張らずとも大丈夫ですか?」


「崩渦衆がいるからな~ 奴らの炸裂丸が底を尽きたら、配置に変更の合図が出る手筈だが、それまではあんたらは崩渦衆の近くに居らん方がいい。 炸裂丸との距離の取り方が分からんだろうからな」


「炸裂丸が尽きた後は、崩渦衆の方々は後衛へ?」


「いや、そのまま前線だ。 動くのはあんたらだ。 少しばかり前へ出てもらう。 崩渦の連中も炸裂丸だけってわけじゃない。 手持ちが無くなったら、一時的に比肩を組んで狩りにあたってもらう」


「……崩渦衆の方々は、比肩をお持ちなわけではないのですか……?」


 例え得物が刀でなくても、狩士であるなら、比肩を持つものだ。

 それを持たないような真殿の口ぶりに銀正が問うと、「んだよ、香流に聞いてないのか?」と真殿は首を傾げた。


「崩渦衆は例外的に比肩を持たない。 それは奴らが集団戦術で戦うからだ。 狩りの様子見りゃ、あんたも分かるよ。 でなきゃ、狩士やってた年数的に香流があの年まで比肩を持ってない理由がないだろ」


 まぁ、始めた年が早いから、若い数年は免除みたいなもんだけどな。

 そう言って真殿は肩を竦め、銀正の顔を覗き込んだ。


「だからさ、あんた。 ちゃんと考えてやってくれよな、あいつのこと」


 比肩に、乞われたんだろ?

 微笑む顔に、銀正は息を飲む。

 真殿はそれを笑って、「まぁ、もう渦逆も獲ったことだし、あいつも崩渦衆も、自由にできるからなー」と伸びをした。

 銀正は何も言えなかった。

 ただ俯いて、苦しいものを飲み下しながら、配下に指示を飛ばす香流を見る。

 その横顔を、じっと見つめる。

 心が騒ぐ。

 あの時城で、香流がひざまずいて首を垂れた時。

 自分は確かに歓喜した。

 しかし、それは束の間の喜びだった。

 頭のどこかで、冷たい声がしたから。


 『お前には、資格がない』


 その声は、銀正の喜びの灯を一瞬で消した。

 そして、理解させた。

 銀正と香流の歩く道は、もう決して交わらないと。

 だから、


「(私は、あの人を、選ぶことは……)」


 痛みと共に、銀正が俯いた時だ。






「ちょ、若! 姫さん! ろーほーです、ろーほー!」


 真殿配下の赤銅衣装の男が一人、手を振りながら駆けてきた。


「ああ? 朗報? んだよ?」


 真殿が不審げに声を上げて迎えると、配下はにこにこと相好を崩して美弥の外を指さして言った。


「それがさっきから飢神の規模を確認してたんですけどね? あれだけの数に対して、甲種が異様に少ないんですよ!」


「少ないぃ? あんだけ集まっといてか?」


「そーなんです、そーなんです! ……もしかしたらなんですけどね?」


 男が言うには、この近隣の甲種が、動きたくても動けないからではないだろうかということだった。

 真殿が訳を質せば、渦逆だと答えが返る。

 あの甲種が美弥に迫る際、近場の甲種をひっちゃかめっちゃかかき乱して痛めつけたために、甲種が出てきていないのではないかというのが、男の見解だった。

 それを、香流と銀正は顔を見合わせて聞く。

 そういえば確かに、あの飢神はそんなことを言っていた。


 ということは、



「地獄に仏。 それとも不幸中の幸いか?」



 真殿がにいと笑う。



「喜べ、右治代殿。 天は我らに味方しているらしい。 明日の朝日、拝めるやもしれんぞ」



 かけられた言葉に、銀正は拳を握る。

 その手を、香流が上から握りしめた。

 見下ろしたさき、優しい顔が強く頷く。


 願った。


 強く。


 この国にどうか、真実の夜明けを。


 生きて見る、天の灯を。



 二人は望んだ。


 ただ、強く。

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