十九

 絶叫は、祭りで賑わう大通りの方から聞こえてきた。


 異様な危機感を覚えるそれに、三人は愕然と立ち竦む。

 ただ、唯一香流だけはすぐに我を取り戻すと、咄嗟に駆け出していた。

 しかし、



「だめ!」


「っ、」



 少女が、全力で香流の足にしがみついている。

 動きを止められた香流は少しの間迷い、足を止めた。

 それからはっと何かを見つけ、男に顔を向ける。


「すみません! これをお借りしてよろしいですか?」


 香流が男に示したのは、鍛冶場の隅に積まれていた鉄の杭だった。

 男が「あ、ああ」と言うが早いか、香流は少女の肩を掴んで腰を落とす。


「水世さん、外には、何か危険なものがいるのですね? あなたはそれを聞いていた」


 ぶるぶると震える少女が、こくこく頭を振る。

 その様相が危機の深刻さを伝えるようで、香流は眉間を険しくした。

 表の方では、悲鳴が止まない。

 老若男女、恐怖に狂ったような叫びが聞こえる。

 早く。

 早く行かねば。

 焦燥する心を押さえつけ、香流は少女に向き合った。


「あなたは耳がいい。 あの悲鳴も聞こえていますね? 。 そうですね?」


「あ、あ」


 真っ青な顔で肯首する少女。

 その体をぎゅうと抱きしめ、香流はささやいた。


「分かりました。 ありがとう、案じてくださって。 大丈夫、様子を見てくるだけです。 きっと無事に戻ってきますから――――信じて待っていて下さい」


 少女の手が、茫然と香流の着物から離れる。

 最後にもう一度ぎゅうと温もりを残し、香流は錆びついた鉄杭を一本握りしめて立ち上がった。


「香流様!?」


「様子を見て参ります。 阿由利殿はこの方々と共に、ここで待っていてください!」


 驚く阿由利を押しとどめ、香流は鍛冶場を飛び出した。

 来た道を駆け戻れば、少しも行かない間に、道の先から何人もの町人たちが雪崩れ込むように走ってくる。



「どけ、どけぇ!」


「きゃぁああ、きゃぁああ!」


「通してくれっ 子供がいるんだ!」


「早くっ 早く進んでぇ!」



 恐慌のるつぼに陥る人々をかき分け、香流はなんとか最初にいた大通りにたどり着いた。

 ぐるりと周囲を見渡せば、そこは阿鼻叫喚の修羅場。

 なぎ倒された祭りののぼり

 泡を喰って逃げ惑う人々。

 泣き叫ぶ幼子。

 そして、





 ぅぅぅをぉぉおおおおおお!





 牙の奥で低く唸る、魚に獣の足が生えたような姿の、青い異形。


「飢神!?」


 香流は驚愕して目を見開いた。


 辺りは飢神の群れで溢れていた。

 大通りの屋根にも道にも、飢神の姿。

 牙に唾液を滴らせて、咆哮を上げている。

 ありえない、こんな群れが一体どこから。

 混乱を極める頭を押さえ、香流は辺りを見回した。

 その視界に、一瞬、白く閃く刃が光る。

 はっと視線を走らせれば、大通りの先。

 あの国主のいた舞台の下で、飢神を狩る狩士たちの姿が目に映る。



「(行列が近くにいる!)」



 距離はそう遠くない。

 もう少しすればこの辺りまで狩りの手を伸ばしてくるはずだ。


「(その間に、人を逃がさねばっ)」


 香流が判断を決めたとき、


「いやぁああああ!?」


「っ!」


 はす向かいの路上で、逃げ遅れたらしき舞子衣装の娘が、一匹の飢神に追い詰められていた。

 腰が抜けているのか、立ち上がって逃げる様子もない。


「(まずいっ)」


 咄嗟に周囲を見渡した香流。

 そして何かを見つけ、


「おいっ こちらだ!」


 叫びながら駆けだし、異形の注意を引く。

 誘い声に、半透明の大きな目玉がぎょろりと香流を捕らえた。



 を、ををを、をおおおおお!



 飢神は唸りを轟かせながら娘に背を向け、香流に向かってくる。

 ぬるぬると地を這う足は、それほど速くない。

 香流は見つけたもの――――酒屋の前に積まれていた酒樽までたどり着くと、それを背にして飢神に向き合った。



「(来い、来い、来い、…………今だっ)」



 ををおをををおおおおおっ



 牙を剥きだして獲物に喰いかかる飢神。

 それを直前でかわし、香流は横へ飛びのいた。

 飢神は勢いそのまま、積み上がった酒樽に突っ込む。

 空の樽は音を立てて崩れ、飢神の上へ雪崩れて行く。

 樽の下の体が一瞬動きを止めたのを確認すると、香流は舞子の元へ駆けつけて、ぐいと手を引っ張り上げた。


「さぁ、立って! 早く逃げてくださいっ」


「あ、ああ、」


 呂律が回っていない娘の帯を掴み上げ、近くの路地へと連れ込む。

 幸い路地には異形の気配はなく、香流は娘を壁へもたせ掛けた。

 するとすぐさま、


「お鞠!」


「お…… おとう、おとうぅぅ!」


 芸者らしき男が駆け寄ってきて、娘の体を抱きしめ、娘は涙ながらに男に手を伸ばした。


「御身内ですか?」


「はい、はい、娘で、」


「では、早く通りから離れてください。 もうすぐ狩司衆が参ります。 それまでどこかに身を隠して」


 急き立てるように指示を出せば、親子はこくこくと青ざめた顔で頷く。

 二人がよろめきながら立ち上がるのを確認すると、香流は再び通りに顔を出した。

 飢神の断末魔と、刀を振るう狩司衆の雄叫びは、だんだんと近づいてきていた。

 もう少しだ。


「(他に、逃げ遅れた者は……)」


 狩りの手が伸びるまでの時間稼ぎに、取り残された者を探す香流。

 だが通りはすでに人はなく、飢神たちは狩司衆の密集している方へ向かっている。


「(おそらく、大方の業人は、狩司衆の背後で守られているのでしょう)」


 奴らはその気配に誘われているのだ。

 ならば、逃げた町人たちを追って、その誘導を――――そう考えたとき、



「香流様、香流様!」


「嬢ちゃん、だめだ! 危ないよっ」


「阿由利殿!?」



 香流が出てきた通りから、阿由利が半狂乱で香流を呼んでいた。

 こちらへ来ようともがいているが、あの鍛冶師の男が危険だと言って抑え込んでいる。

 まずい!

 香流は腕を振るって二人に戻るよう叫んだ。


「阿由利殿、危ないです! 戻ってくださいっ」


「いけません! 香流様もです! 早くこちらへ、」


 来てください。





 その声が届く前だった。



 香流は、視界の端にを捉えていた。



 三人の頭上。



 大通り沿いの屋根の上に、一つの歪な姿。



「あ、」



 いけない。

 頭の内で警鐘が鳴る。

 




 それは、大音声だいおんじょうで叫びをあげた。





 あがぁあああああああ!





 ひらり、飛び降りてくる鳥の足。

 胴は獣の毛で覆われ、頭は足と同じく鳥のもの。

 そして、その腕。

 だらりとぶら下がっている両腕には、翼のように生え揃ったような、ひどく大きな爪。

 あれは、飢神の殻。

 二の殻、『爪』。



 驚愕が、香流を貫く。



「(爪持ち……!)」



 牙に続き、二番目に飢神が得る器官『爪』。

 主に攻撃のために振るわれるそれを持つということは、つまり、これは丙種へいしゅのその次。



乙種おつしゅ!」



 なぜ、市中に乙種が。

 瞠目する香流の目の前で、乙種の飢神はゆっくりとその目を見開く。

 目は鳥の頭の額、そのど真ん中に一つ、見開かれていた。


 ああ、あ、あ、ああああ。


 鳥の鳴き声のように甲高い唸りを上げ、乙種は阿由利たちの方を振り返る。


「きっ」


「ぁぁ、」


 突如現れた異形ににらまれ、二人は竦み上がって声のない悲鳴を上げた。

 それをにぃと笑い、飢神は嘴を開く。



『に、ににに、にくぅぅぅ……』



 低能の言葉で、獲物に歓喜する。


 

「阿由利殿!」



 香流は叫んだ。

 だが、飢神の一つ目は二人を捕らえて決して離さない。

 いや、

 そこで気づく。


「(駄目だ、あの人はだ!)」


 仙果は飢神にとって、最上の餌。

 一度捉えれば、目移りなどするはずがない。

 刹那、香流は駆け出していた。

 懐に手を突っ込み、を握りしめる。



「(どうか、間に合え!)」



 飢神が、腹の口を開く。

 露出した口腔を、鋭い牙が囲っている。

 そこに滴る唾液に、阿由利たちの恐怖に歪んだ顔が映り込んだ。

 一瞬、無防備になる飢神。


 その隙を見逃さず、見開かれた飢神の目に、香流はを投げつけた!

 



 ひゅん――――ぐじゅりっ


 ぁ、ぁ、あぎゃぁああああ!




 狙いは正確だった。

 手を離れて宙を舞った塊――――は、確実に飢神の目をつぶす。

 脆いところを傷つけられた飢神は、全身を身悶えして後じさった。

 香流は走る勢いそのままに阿由利たちのところへ駆けつけ、動けない二人を背後に庇った。

 鉄杭を構えて飢神と向き合い、二人に視線を送る。


「立てますか!?」


「香流様ぁ!」


 真っ青を通り越して白くなった顔が、ぶんぶんと首を横に振って応える。


「っ、では、私が担ぎます! 手を、」


 貸して、


「う、後ろ!」


 男が、香流の背後を指さす。

 素早く振り返る香流。

 影が。

 黒い影が、覆いかぶさっている。

 見上げた先に、傷を負った一つ目が、欲を帯びて獲物を見ている。

 香流を見ている。

 振り上げられる爪の生えた腕。

 鋭い切っ先が、三人に迫る。

 その全てから、香流は目を離さない。

 腕を伸ばし、二人を背に隠す。

 杭を強く握る。

 目は閉じない。

 閉じない。


 閉じない。


 異形の目と、人の目が、交錯した。




 がきぃぃいいいいい!




「なっ……!」


 驚きが、口を割った。

 視界に、白刃と異形の爪が食い合う。



 、舞い踊る。

 襷をかけた広い背が、香流の目の前にある。



 ああ。

 浅いため息が、漏れた。




「下がれ、殿!」




 飢神の爪を刀で受け止め、男――――銀正が、叫んだ。

 呼ばれた名に、香流が我に返るのは早かった。

 素早く身を翻した香流は、阿由利と鍛冶師の男、二人の腕を取ると、力任せに引きずって路地に飛び込む。

 その間に背後から上がる、硬質な打ち付けあう音。

 香流はすぐさま振り返り、再び表を見た。


「っ、御当主!」


 銀正はたった一人、乙種相手に刀を振るっていた。

 襲い掛かる爪を払い、飛び退すさり、一刀を着実に飢神の体へ打ち込んでいる。

 だが、乙種相手の一騎打ちは圧倒的に狩士のほうが分が悪い。

 爪の脅威と牙の防御が邪魔をして、確実に灯臓を狩れないためだ。

 丙種以上の飢神を狩るとなれば、余程の実力者でない限り、狩士は己の比肩と共に挑むのが掟。

 相手が乙種ならなおのこと。


「御当主、お下がりください! お一人では無理ですっ」


 警告するように叫ぶが、息つく間もない飢神の攻めに、銀正は意識を逸らすこともままならない。

 駄目だ、何とか助太刀を。

 思う一瞬。



 香流は手の中のざらつきを握りこんだ。


 飢神と銀正。

 二者の得物がぶつかり合う。

 その刹那。

 狙い定めて、――――香流は持っていた杭を投擲とうてきした!





 狙いはあやまたず。

 杭は振り降ろされた飢神の腕を弾く。


『がっ!?』


「!」


 その無防備な間を、狩士の目は見逃さない。

 瞬時に刀を握り返した銀正は、鋭い一閃で弾かれた飢神のひじ先を切り飛ばした。

 空を舞う異形の手。

 傷ついた一つ目が驚愕に見開かれた。



 ぎゃああああああ!


「お見事!」



 飢神の叫びに、香流は喝采を飛ばす。

 その時だ。



「頭狩様!」


 若い声が、香流の背後から飢神の背に飛び込んでいった。

 銀正と香流がはっと目で追えば、若い狩士が駆け込んできたところだった。

 十雪だ。

 十雪は大上段から飢神に切りつけると、


「頭狩様、お下がりくださいっ」


と大声で叫んだ。


「寄るな! 乙種の相手は、其方そなたには無理だ!」


「組頭が参ります、それまでは私がっ」


「駄目だ、離れろ!」



 あぎゃあああああ!


「「「!」」」



 唐突に、飢神が吼えた。

 その轟きに十雪は竦み、飢神が傷のないほうの腕を振るう。


「「危ない!」」


 飢神の一撃は、もろに十雪を捉えた。

 攻撃を受けた体は、木の葉のように容易く背後の家屋内部へと吹き飛ばされる。


「十雪殿!」


 香流は声をあげて青年のもとに駆け出した。

 同時に、


「頭狩!」


 銀正を呼ぶ声が届き、乙種の頭上から、いくつもの白刃が振り下ろされる。



 がきん、がきん、がきん!


 ぎゃあああああ!


 幾人もの狩士が飢神に刀を浴びせ、銀正を背後に庇った。



「我らすべてで狩ります! ご指示を」



 組頭らしき男が指示を乞い、銀正が何事か発する。

 その様子をしかと確かめた香流は家屋に入り込み、家財に埋もれた十雪を抱き起した。


「大丈夫ですか?」


「あ、よ、嫁御様……?」


 頭を打ったのか、ぼんやりとした答えが返る。

 「まだ嫁ではありませんよ」と苦笑して、香流は傷を負ったらしい肩を検分した。


「そう深くはありませんね。 ちゃんと一撃を目で捉えてらしたからでしょう。 御立派です」


 そう称えるように言って、手当をと、袖口を引き千切ろうとすると、


「あ、そ、そんな、嫁御様の着物をいただくなど……っ これくらい、自分で」


と言って、十雪は懐から取り出した手ぬぐいを傷に押し当て始めた。

 その合間。

 外から耳を裂くような断末魔と、どさりと大きな体が倒れ伏すような音が響き渡る。

 そして、勝鬨の声。



 おそらく、この騒動のケリがついたのだ。



「……獲りましたね」


「はい、」



 二人、静かに確認し合うと、香流は青年に肩を貸して、建物から抜け出した。

 外を見渡せば、通りには乙種の体が横たわり、脈動をやめた灯臓が切り裂かれて転がっている。

 それを囲んで、男たちが互いの健闘を称え合っていた。

 終わったか。

 ほっと息をつく香流。

 そんな二人に、一つの人影が近づいてきた。


「御当主」


 御無事でしたか、と声をかけるつもりだった。

 しかし、その顔に浮かぶ苦渋に満ちた表情に、言葉を飲み込んだ。

 銀正は香流の前に立つと、ただ一言。



「……来るなと、言っていたのに」



 そう絞り出して、青年を引き受けていった。

 後に残された香流はしばし、その場に取り残されたように立ち尽くしていた。

 言葉の意味を知ろうと、立ち尽くしていたのだった。

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