乙女視線

紅葡萄

少女、斯く語りき

 ――語りすぎた。

 なんと言おうか、そう、喋りすぎたのだ。

 普段は見え透いた嘘を、薄いプレパラートのように自らの表面にピッタリと張っているというのに、このときばかりは勢い余って、言ってはならないことを言った。

 気をつけていた。何度もこの口のせいで大事な人間関係を壊してきた。

 なので何度も鏡に向かって、己の言動について厳しく演技指導した。波風立たさず、穏やかに過ごすようにと。

「なのに、言い過ぎた」

 きっと、彼女に嫌われてしまっただろう。



◆乙女視線◆

少女、斯く語りき



 それは、小学校六年生の紅葉の色づく季節のことだった。

 小学校へ続く道は落ちた銀杏のツン、と鋭い香りがする。

 風は凪ぎ、近くにある海からの香りが少し遠い。もう少し季節が経てば、強い木枯らしが頬を打ち付けるだろう。

「ごめん、早苗の気持ちに答えらんない」

 それは予想していた反応だった。早苗はぼんやりとしていた意識を現実に引き戻す。

 早苗が"告白"をした相手である少年は、淡々とした告白を聞いてから、だいぶ時間をかけて答えを見出した。

 彼がわざと迷ったふりをしたのは明白だった。

 嫌われてしまいたくないから、答えなんて最初から決まっていたのに。卑しい。

 しかしながら、その卑しさはまさしく己を包み、支配さえしているものでもあったので、早苗は親しげに笑顔を作った。

「だと思った。聖園さんでしょ」

「レディって呼んでやって、そうして欲しいみたいだから」

「――そうなんだ」

 まるで既に付き合っているかのように、全てを理解しているかのように、自然と頬に紅をさして、そんなことを述べた彼が、早苗には酷く傲慢に見えた。

 ――愚かな人。キミ、振られちゃうのになぁ。

「あはは、ざーんねんっ。じゃあね、また委員会で!」

「ああうん、また」

 早苗は悲しい気持ちを隠して笑う少女の演技をした。あとから考えても満点の演技力だったと評価している。

 これは通過儀礼だ。色めき始めた小六の終わり。幼さを孕んだ惚れた腫れたの群像劇。

 仲のいい女の子たちと、寸分も違わないことを示すために、早苗は絶対に断ってくれるだろう相手を選んで告白する必要があった。

 振られたはずの早苗は、彼が見えなくなったのを確認してからすっかりご機嫌な足取りで教室へと戻る。

「あーこれで恋バナできる。良かった良かった――それにしても聖園さんモテるなぁ」

 彼女と関わりがありそうな男の子を選んで正解だった。いつだって学校中の視線を集める、浮世離れした美貌の少女。

 けれど男が苦手なのか、異性とは必要最低限の関わりしか持たない鉄壁の乙女。カトリック校としては、女生徒の鑑だと言えるだろう。

「どうだっていいけどね」

 早苗は校舎の向こうにある教会を一瞬だけ睨みつけた。

 ――御堂早苗が聖園まりあを強く意識したのは、このときが初めてだった。





 次に意識したのは、一月の終わり、進学指導のあとの自由時間でのことだった。

 早苗の通っている学校は聖マリアンナ小学校とって、カトリックの私立校だ。

 幼稚園から短大までのエスカレーター式でもあるが、中学からは女子校に変わる。男子は自ずと他の中学校に受験しなくてはならないし、小学校まではともかく中学校から学費が格段に上がるので、安い公立校に受験する女子もわずかばかり存在している。

 ただほとんどの親の場合は、最初から高い授業料を織り込み済みで幼稚園から通わせるので、お互いの見栄もあって、よほど苦しくない限りはエスカレーターのまま進学させるのが通例だった。

「早苗ちゃんはどうするの?」

「みんなと離れたくないから持ち上がりー」

 早苗はいつもどおり陽気に答えた。周囲には二人ほど仲のいい少女が集まっている。

「うちもだよー! 中学からは男子いないし楽しみだなぁ」

 真っ先に賛同してくるのは中でも一番仲が良い心愛だ。

「スカート折ったりしたい! 先輩に怒られない程度に!」

 早苗は両手でガッツポーズをした。カトリックの女子校は厳しい縦社会だ。けれどせっかく可愛い制服のブランド校にいるのだから、少しずつおとなになるにつれておしゃれをしたいという欲望も湧いてくる。

「わかる! 早苗ちゃん大人だなぁ。せっかく制服かわいいんだもんね」

「そのために毎朝苦手なお祈りしてるんだ」

 早苗がわざとらしく胸の前でお祈りするポーズを取ると、早苗に賛同していた心愛がお腹を抱えて笑う。

「あははーたしかにー」

 早苗と心愛が二人で爆笑していると、グループの中でも少し利発でリーダー的な存在である雪菜が、「そういえば」と話題を変える。

「レディは聡慧行くんだってさ。意外だな―って」

「れでぃ?」

「まりあちゃんのことだよ、早苗ちゃん」

「そう呼んでほしいみたいだよ」

 思い起こせば、九月に早苗を振った男の子が聖園まりあについてそんなことを述べていた。今更ながらにその時の記憶が蘇ってきて早苗をご機嫌にさせた。あの時の演技は完璧だった。余計なことは言わなかったし、笑顔には寸分の狂いもなかった。

 聡慧といえば神奈川聡慧中学校だ。聖マリアンナとかなり近い場所に中学校がある公立校。付属ではないが同名の小学校が近くにあって、殆どの生徒はそこからの持ち上がりだと聞いている。公私の違いはあっても、仕組みはかなり似ているのではなかろうか。

 内部受験で簡単に上がっていけるところを、わざわざ公立の学校に受験するメリットがわからない。早苗は頬杖をついた。

「えー……なんで?」

「さあ? 詳しくはわかんない」

 早苗は俄然興味が湧いた。聖園まりあは、わざと人と違うことをしているように見えたからだ。

 早苗と比較すればまさしく考えていることが逆方向に向いている気がした。

 理解できない未知のものには興味がわく。

 いつも一番後ろの窓際の席で、クラスの高嶺の花と化している聖園まりあのもとへ早苗は意気揚々と駆けていく。

「ねー、なんでレディなの?」

「……え?」

「あっクラス一緒だったのに話すの初めてか。私は――」

「御堂さんだよね?」

 急に話しかけられたことに驚いただけのその高嶺の花は、誰もが羨むような、あるいはいっそ目をそらしてしまうような、大輪が花開いた時の鮮やかさに引けを取らない笑顔を早苗に向けた。

「えっとね、家でそう呼ばれてるから、逆にまりあって呼ばれると違和感っていうか」

「家で? レディ? お嬢さまかなんか?」

 遠慮をしない早苗の質問攻めに、聖園まりあはクスクスと穏やかに笑う。いかにもカトリック校に通う女生徒といった感じの上品な笑い方は、早苗の質問が的を得ているような気さえしてくるが、彼女は首を振ってやんわり否定した。

「違うよ。むしろ貧乏かな」

「だから公立に行くの?」

「早苗ちゃん! ずけずけ聞いちゃダメだよ」

 早苗の後ろから追いかけてきた心愛が、早苗の腕を捕まえて不躾過ぎる態度を諌める。

「だって気になるもん。ね、雪菜?」

「まぁね。レディって幼稚園組じゃないよね?」

「雪菜ちゃんまで……」

 雪菜の質問を聞いて、早苗が両手を叩く。幼稚園から聖マリアンナ校に入らされた人間は、付き合いが長いので自然と幼稚園組という括りでまとめられる。しかしこの高嶺の花はそうではない。確か四年生のときに、東北の田舎から出てきた転校生だったはずだ。

「転校の時わざわざ公立選ばずここ来たのに、進学変えちゃってよかったの?」

「まあ負担を減らせるならそれが良いかなって」

 聖園まりあは物怖じすることなく三人に微笑みかけると、発言に関して鼻にかけた言い回しもしなかった。

 ともすれば、恥じらうような内容の質問を受けていても、怪訝な表情すら浮かべないで穏やかだ。

 その笑顔と思慮深さに、友人を諌めることに夢中だった心愛が惹きつけられた。

「まりあちゃん大人……! すっごいいろいろ考えてるんだねっ」

 友人の明るい声色を、早苗は初めて鬱陶しいと感じた。





 嘘はこの世で最も罪深いことだとこの学校では教える。無論カトリック的な罪の大小としては、嘘は小罪に当たる。しかし、すべての大きな罪は、すべての小さな罪から始まるのだというのがこの学校の教育だった。

 嘘をごまかすために嘘を重ね、嘘を守るために人を殺すことさえある。己、もしくは他人に対する偽りとはそれほどまでに深く根強く自分自身を支配してしまうものなのだ。

 恐ろしい悪魔よりもよほど人間の嘘のほうが罪深い。この学校では正直なものが最も優れていると言える。

 早苗は自分が嘘つきで、ヒエラルキーでいえば、下の下であることはよく理解していた。これはもう直せない。最初から、改善しようと思ったかどうかも怪しいが。

 だから偽る。透明に見える分厚い壁で全身を覆って、貼り付けた仮面にヒビが入らないように、一挙手一投足間違えられない。


 ――だから本当は、この手のタイプに深く関わってはいけないのに。

 早苗は放課後のチャイムが鳴ると、聖園まりあをつけて、学内に設置された教会まで来ていた。

「へぇーまっじめ。早朝のお祈りはまだしも、夕方のお祈りはだいたい皆さぼって帰るのに」

 早朝は規定の時間にシスターたちがいるため中々逃れられないが、放課後は委員会などでそれぞれの時間がばらばらになるので、祈りは強制ではなくなる。真面目な生徒は熱心に毎日祈りに通うが、早苗のような信仰があるふりしかしてこなかったような人間はとっとと帰路につく。

 そんな中、聖園まりあは聖堂ので最も祭壇に近い長椅子に腰掛けて、手にはポケットタイプの聖書バイブルが握られていた。

「そういう早苗ちゃんも真面目じゃない。祈りに来たんでしょう?」

「まさか。お祈り苦手だもん。みんなそう言ってる」

 早苗はわざと"みんな"のところを強調した。聖園まりあにそちらが異常だということを示すためだ。

 しかし全く意に介していないかのごとく笑いかけられてしまう。

「ふふ、じゃあ祈らなくてもいいから、静かにしてね。シスターに怒られちゃう」

「そういうとこが真面目だっていってんの」

 早苗はため息を吐くと、聖園まりあが座る席の背もたれに、お行儀悪く腰を預けた。

 シスターに見られたら思いっきり怒鳴られてしまうような姿勢だ。

「ねぇ」

 早苗が話しかけると、聖園まりあは困った顔で笑って「なぁに?」と問い返す。

「親に言われたの。高い学費払って通わせてやるんだから、皆と同じようにちゃんとしなさいって。でも皆がちゃんとしてないのに、どうしろってんだと思う?」

「そうね……早苗ちゃんのしたいようにしたらいいと思う」

「したいように?」

「少なくとも、私はそうしてる」

 そう述べると、聖書を持ったまま片手で十字を切り、アヴェ・マリアの祈りを唱え始めた。


 ――アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、 主はあなたとともにおられます。

あなたは女のうちで祝福され、 ご胎内の御子イエスも祝福されています。

神の母聖マリア、 わたしたち罪びとのために、今も、死を迎える時も、お祈りください。

アーメン――


 荘厳な空間で、凛と済んだ声が祈りを唱えると、まるで美しい音色かのような音に消化された。

 暫くその独特な空気感と余韻を味わったあと、乾いた笑いをこぼしながら悪態をついたのは早苗だった。

「私、聖母さまって大嫌い」

「――どうして?」

「いかにもいい人って顔してるから」

 早苗は穏やかに微笑む聖母マリア像を凄まじい形相で睨む。

「絶対そんなわけないのに。人間、皆どっかしら汚いのに。自分だけは綺麗で汚れてませんって顔してるから嫌い」

「原罪を免れたのは聖母さまだけよ」

「あはは、聖園さんシスターみたい」

「ううん。私は嘘つきで罪深いからシスターにはなれない。なれるわけがない」

 淡々と罪を告白する少女の表情は、あいも変わらず美しいが、どこか諦観しているような、悄然としているような色を孕んでいた。

 誰もが羨む存在が、実は嘘つきで罪深いだなんて、一体どんな冗談だろうか。

「なにそれ」

 早苗はフラフラと祈りを続ける少女の前に立つと、そのまま膝から崩れ落ちた。

 長い前髪が、早苗の激甚な表情を隠す。

「どうして聖園さんは嘘つきなのに祈ってんの? 神様信じてるくせにこの学校やめるの? 何もかもあべこべじゃん」

「あべこべ……かな」

「だからなの?」

「ん?」

「みんな、聖園まりあに夢中になるのは」

「……?」

 脈略がないように見える早苗の発言に対し、聖園まりあは不思議そうに首を傾げる。思い当たるフシがないのだろう。

 しかし早苗は俯いたまま何度もかぶりを振る。

「好きな男の子も、仲のいい女友達も、私はこんなにみんなに合わせてるのに」

 早苗が俯いたままなのは、泣き始めたせいだとはっきりするまで、少しばかり時間を要した。

 聖園まりあは聖書をその場に置き、慌てて早苗を抱きしめる。

「泣かないで。何か悲しませたならごめんなさい」

「私……っひっぐ……あんたが嫌い。少しも汚れてないくせに、いかにも自分が悪いって顔をするから」

「早苗ちゃん……」

「一番汚いの、私なのに……」

 傷つきたくないから、都合よく自分を変える。みんなと同じだったら、あるいは他に言い訳があれば、辛くない。

 嘘で塗り固めた透明な盾で、己の弱い心を、既のところで守っているのだ。

 聖園まりあはもっと露骨に嫌な顔をすると思っていた。いきなり絡んできたクラスメイトにわけのわからない理由で泣かれたら、普通面倒だと思うものだ。けれど彼女は少しもその感情をにじませることなく、早苗の細い体を抱きしめている。

 早苗は、嘘つきだと自分を称した少女の面影が、聖母と重なった気がした。

「ほんとうよ。私嘘つきなの。自分の心にばっかり正直。早苗ちゃんともしかしたら同じかもしれない」

「ううん違う……聖園さんは……レディは……」

 ――むき出しの魂のまま、自分に素直に生きてる人だ。

 それが良くても悪くても構わなくて、自分の思う通りに生きてる人。結果として嘘をついていたとしても、その心に曇りはない。


 ――だから私、あなたが嫌い。

 

 ああ少し、喋りすぎちゃったな。






Fin.


恋愛カテじゃなくねっていうのはもう、もう突っ込まんといて。

サイドストーリーやからぁ!本編は恋愛やからぁ!!!





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